2010年12月20日

宣言

先月から今月にかけて、共通の友人をも巻き込むような形で複数のトラブルが表沙汰になり、それぞれにきちっと受け止め、苦しんだけれど。

父親っぽい愛というのは、相手が自分から離れ、精神的に自分を殺したことを喜べる愛。そんな愛し方を実現することができたらというのが、今年はじめの冬からの想いだったので。ある意味納得。

そして、精神的には苦しみ、一度は殺された様子も見せるけれど。現実の私はこうしてピンピンしていると、もしもいつか相手がこちらを振り向くことがあったら、元気に手を振ってみせるのも必要だよね、とそんな居直りにも似たことを考えている。

2010年12月16日

九日前倒しのクリスマス

15日、娘とミュージカル を観てきた。来年は中学生。そしてきっと、気軽に会える最後のクリスマス (として過ごす日)


客席の子供たちに向かって話しかけ、盛り上げて始まる演出や台本のままの冒頭。うしろの音楽が生演奏じゃないし科白が多いから、客席に間を合わせられない。北島マヤでもあの状況では無理だろう。対象は子供なのに生硬な訳語だらけ。そんな雑念と批判から入った観劇だった。

舞台を広く使い、大道具はなく、登場人物が三人になったあたりで、生の舞台の観かたがだんだん思い出されてきた。せっかく TV カメラ越しではないのだから、空間全体に気持ちをおいて、話の筋や、逆に気持ちのスポットが当たっていない演出や演技のすべてを見ようとせず、気ままに感じていた。

河合隼雄に 舞台は心、原型は登場している役者 という説明があるが、まさにここからきているのかと体感できた。この芝居の筋では、主人公の父親は独り寂しく忘れ去られることがテーマだし、ヒロインの父親は燃やされて廃墟。全体の父たる町長に至っては言及されるだけで出てこないとか。娘と観にいって父親が感じとる内容としては皮肉なものがあるんですが。いや、娘の年頃からタイムリーか。


舞台全体を、右脳・左脳の両方の機能を意識して感じていたせいだろうか。ふたつのできごとがあった。

ひとつめ。舞台の音楽にリズムをとって手足を動かしたくなりこまる。いや、それは普通か。耐えたつもり。

ふたつめ。寝不足で帰宅してすぐに眠ってからのあと、夢。ストーリでなく写真が夢の中を動いていた。ひとつひとつの写真は風景だったり華だったりするのだが、現れて、動いて、自分の体のなかに沈み込んでいくことが繰り返される夢。ちかごろ得た価値観にしたがい、過去の出来事を整理しなおしているのかと感じた。願望かもしれない。

寝言に意味なく明瞭な単語を叫ぶように、片手・片足といった単位で意味はないのだがアップにしたら目的があるかに見える動きをしているのを感じていた。寝返りの原理の大げさなものだな、と分析しながら、動くに任せていた。

四肢の寝言が収まり、さて寝不足が続いているし外も暗い。二度寝しようかと思っていたが、水道の水をコップに注いで飲んで、起きた。

まぁ、なんだ。今年は動かなきゃと思いながら体が横になったまま動いてくれないと嘆く日が多かったから、逆に頭は二度寝するつもりでも体が勝手に起きてくれることもあるのだろう。初めてだし、驚いたが。

前々日くらいに、尿意を感じてから、トイレに立つんだと体に命令するまで、全部を意識した思考で明示的に決めて、かつ時間が掛かるのはどうなんだ。ふつう他のこと考えていたら、とくに意識せずにトイレに行かないか ? ふつう = 多数派に属することに価値はないが、前は意識していなかったし、そっちが楽だった。とくに意識するメリットはない。そのあと自分の育て方を間違っただろう、と。

反省とが心に染み、かつ役割を担うべき、右脳 (の担当と仮説されている機能 ) の動かしかたを観劇で思い出した結果かな、と。


どうやら、娘に前倒しでクリスマス・イヴのプレゼントをしたら、私自身へのプレゼントという形でそんな機能が蘇ったらしい。

2010年12月12日

善人なおもて往生す

善人なおもて往生す、いわんば悪人をば 親鸞の言葉と記憶していた。調べると、その師匠の法然の言とされているらしい。

李下に冠を正さず というのは、李を盗まれることを持ち主が怖れているという想像力がないと果たし得ない。ときとして、あまりに無警戒だと、知らずに李下に冠を正すような真似をして非難される。非難した人が悪いわけじゃない。非難された側も、うかつではあるが悪くはない。だが、あまりに善人だとはいえる。

はやく芯からの 悪人になって、指差されるときにははじめから覚悟して汚名を被るときだけという境地に至りたいものだ。無邪気な善人はろくでもない。

善人は、崖から落ちてはじめて自分のいる場所に気づくらしいよ。

2010年12月5日

遊んだ記録を、ひさしぶりに全部書いてみようか

昨日は、0時から6時まで眠ったあとに、14時から19時でもう一度眠ってしまった。起きたときに喉が少し痛かったのは、昼寝で風邪をひいたのか。それとも月曜の歯の治療跡から出てきた蓄膿のような鼻水への反応か。

明け方に眠り、起床して13時。十年ほど前の同僚と15時に横浜で待ち合わせをしていたので多少、あせる。遅れても良いかと連絡をしたあと、間に合いそうな気配がしていた。が、強風のため、東急東横線よりも速いはずの JR が遅延して、やはり遅刻。

ダイエット中の元同僚と、適当に入ったのは西国の薄い出汁汁でうどんを食べさせる店嘉禾屋。九州からと思える魚のすり身の天ぷらが美味しかった。酒をのみ、つまみでまったりしながらしばらく近況を語り合う。

鯨統一と霧舎巧、ふたりの日本の現在の推理小説の名手が舞台にしている みなとみらい を見たくて、この街の同僚にねだり、酔い醒ましを兼ねて歩く。バブルが弾けてよかった。工事中の平地もなければ、この街は高いビルに挟まれて圧迫感のありすぎる、歩きにくい街であっただろう。

みなとみらい。なんだ、ここか。五年ほどまえ、ポケモンセンタを求めて娘ときたな。けっきょく、チェーンの廉価なコーヒーショップでさらに小一時間だべった。話題は、コの業界、ことに Web 関連に多い鬱病の話。

鬱は病気ではなく症状の総称だ、というのが去年までの私の意見であった。問われて、改めて今の自分の考えを言葉にすると。鬱は、反抗期と同じ。それまでの自分の生き方・考え方・責任の範囲ではカヴァーしきれない想いを受け止めて、考えを変えて乗りきらないといけないという心身からの訴え。もしも薬で気力をカヴァーしているうちに考えを改めることができなければ、けっきょくは前の考えを延命しているだけなので、外部の状況が変わらなければカタストロフに陥る。

あとは、そうだな。ベンチャー企業や新業種というのは賭けであることを忘れてはいけないという話も、流れの中で出た。博打である以上は、見返りがあるかないかは分からない。結果は時間が経たないと出ない。それを、出資者にバラ色の夢を描き、すぐに収益が上がるようなことをいうものだから、働き手は業種のヴィジョンの中に含まれなかった即座の実益を求められ、板ばさみになるのではないか、といった。

開通後はじめて市営地下鉄に乗り、元同僚は横浜郊外で下車。私は終点から東急田園都市線に乗り換え三軒茶屋で降りる。

夜、21時。前に娘と訪れたcup bearer に入り、煙草を服う。ワインをベースとした薄いカクテル (なぜかストローが二本) と、エスプレッソのダブル、合わせて 1,050円。( 夜食に蕎麦をたぐりそうな勢いだったが、これだけで満腹になったのは健康に悪くない )

キャロットビル一階に店を出している石の店 をみて、スモークの入った水晶と男物のチェーンを衝動買い。

書店で クラウドとプラットホームでいま何が起きているか を買ったのは、久々に Web 業界の住人と会ったからだろう。悪くない本だ。

そして文庫で出ていた 恋愛脳 ~巷間に揶揄される、恋愛ボケして、なんでも恋愛に結びつける思考回路の話でなく、まっとうな本のようだ~ を購入し、帰宅。

2010年11月30日

内的現実、外的現実、小説

11月が終わる。

少年のころの夢、小説家になることは本当に諦めたのか、書くのですよね と先週いわれた。

文筆業になりたかっただけで、書きたい題材などなかった。文章の修行は題材がなくともできるが、ストーリは構築できない。そのまま放ったらかしになっていた夢だし、もう書かない。そんな返事をしようとして、手が止まった。

今年のはじめ、一月。別のブログにこんなことを書いた。

自分で考え産み出した心への考察は、生活との接点、擦り合わせができている。取りたてて書くのを忘れるほどに。

書くのを忘れていたら、文章だけを取り上げたら妄想・カルトと見分けがつかない。ちと文章が不適切だったということだ。

このとき、書くとしたらそれは思想の言葉ではなく、小説の言葉 という一節も書いて、消した。それが頭に残っていた。

河合隼雄、鷲田清一両氏の対談、 臨床とことば (2003年) の中に、内的現実という言葉があり、六月に読んだ時から思索のキーワードのひとつとなっている。

対談にある内的現実とは、たとえば、性的な犯罪を犯した者が反省の文章を 子供のころからアニメばかりみてきて と始めたとして、それは彼の心が生きてきた現実の中のつじつまであり、反省であり、外に対しては言い訳に過ぎないということ。だが、犯罪者が改悛したという心は伝わる。

伝わりすぎて 有害図書、映像作品反対 と叫ぶ人は、彼のモノガタリに巻き込まれた、といわれる。


幽霊が見える人がいる。神様の声が聴こえるひとがいる。私はときどき、タロット札の作者がなにを感じて意匠したのか、わがことのように感じることがある。これらはすべて、内的現実。

事象はひとつだが、現実は解釈を含み動く。解釈はそれぞれにあり、その中ですり合わせが効くものが共同幻想 = 外的現実となる。だが、本当に個人的なことがらは、外的現実と別に、内的な現実の中で位置を得てモノガタリとなる。


どんな思想も、モノガタリも。主人公がどんな体験をして、そこに解釈を加えたのかという背景なしでは伝わらない。ちかごろはそう思うようになった。その中では、外的現実と内的現実を区別する必要はない。が、体験ごと伝えないと。その人の実体験にせよ、典型としたフィクションにせよ、そこから始めないと、単なる妄言となる。

思想そのものにすら意味のない、この人はこんな体験をして、こう解釈することに決めたというモノガタリを書けるか。自分や周囲のプライバシーを侵さず、純粋にモノガタリとしてフィクションを一から作ることで。いまは、そんなことを考えている。


その結果、今週はまた意味ありげな夢ばかり見る。

2010年11月23日

疲れるくらいに歩くと自分が見える

題名は、疲れるくらいに歩かないと自分が見えてこない という意味でもある。

14時半に日本橋の用事が終わり、蕎麦屋で酒を飲みながら昼食、川面をみつめて一服。銀座の街は、いま古くからのビルがいくつか取り壊され、店が移動しているようだ。懐かしさを惜しむ人もいるだろうと感慨にふける。昔のモボと思われる人の、すれ違う歩きかたに見惚れたりする。

酒を飲むと甘いものを酔醒ましに食べたくなる。一人で食べるのもどうかと友人を呼び出した。一時間と少し掛かるという。

地下鉄で移動の途中に神保町の駅を通り、古本街を歩くことを思い立つ。9冊を買い6千円消費した。

雨模様になる頃、飯田橋に到着。友人と合流して紀の善へ。行きつけかと訊かれたが、そんな顔を憶えられるような常連じゃない。高校生の四半世紀前に一度、昨年に一度。今年三回目の来訪になる、とっときの店。

甘味を終えると、友人は忙しいと練馬区に帰っていった。その中でつきあってくれたことに感謝。同行なら話の種に行こうかと考えていた、別方面の知り合いのイヴェントに出席するかどうか考えながらしばらく飯田橋にひとり休む。

パソコンや携帯からネットにアクセスせずとも、部屋にひとりいるだけでは自分を見つめる考えがうまく進まないのはなぜだろう。体を動かしたせいもあるだろう。昔に何度も歩いた古本街で、いまの自分がどんな本に惹かれ何を買ったかという選択が考慮の材料になったせいもあるだろう。

自分について文章を書くというのは、選択して削り落とすことなのだと思った。

今年のはじめに一度気づいたはず、そのあとの日常や人間関係の中で、見失い迷っていたこと。だが、それが基本。

春から失っていた習慣、紙のノートと筆記用具を持ち歩き、自分のためだけに考えを書き綴り、推し進める処からやりなおそう。

どこに書くか、と。なにをどこまで書くは、は表裏一体。

2010年11月8日

「牡蠣はミネラルを多く含み健康に良く、頭も良くなります」

頭髪が薄いのを気にしてないよって宣言の自然(=ムースなし) オールバック。
後ろで束ねたら楽かな、と春から床屋に行っても整えるだけにして伸ばしていたのですが、一向に長さが足りません。
ついに寝癖に負けて、短くしてもらいました。薄い毛がハネてると目立つんですよね。


今のは近況報告です。表題の「頭にも良い」てのは頭脳明晰になるという意味。

「牡蠣は銅などのミネラルを多く含んでおり、身体のバランスを戻してくれます」よく聞くことばです。ここまではたぶん正しい。

「古代から文明の栄えた地では、牡蠣を食べていたことがよく知られており。これだけで牡蠣を食べると頭が良くなることが……」
ときどき読みます。薬屋の口上だろうと話し半分に読んで気に止めない人、調べてみた人いらっしゃるかと。


さて、古代から文明は川沿いに栄えてきました。これは中学校の歴史で習う常識。農耕に向いた、肥えた土を得ることができるからです。


旅行して、生活排水が流れ込む前の上流から、生き物もいない澄んだ水なのに水が緑色してる、と不思議に思ったことありませんか ?
私は近年、平泉 (岩手の牡蠣 !) に注ぎこむ河でやっと気づきました。

平泉は金の算出で栄えた土地。金と銅は鉱脈が重なり、同じ山から採れることが多い。と聞きます。

金で栄えた街、鉄器以前の銅器文明のころの遺跡がある土地、銅器時代の繁栄をそのままに、今も栄えている街。思い起こせば、船で上ると上流もずっと緑の川です。

銅器を作れたから栄えた、遺跡が残せるほどに人が文明を築き上げたのでしょう。


さて、牡蠣に含まれるミネラル、ことに多いとされる銅はどこからきたのでしょう。
元素は生成できません。餌のプランクトン、生活の場でもある水に含まれた銅が濃縮されて、牡蠣の身に含まれます。

牡蠣が自生し、もしくは養殖に向いた土地は ? 山からの栄養を含んだ、澄んだ水の川が流れ込む入り江です。


つまり。
銅や金を産出し、農耕に向き、かつ海路から交易も盛んな古代の街の近所には、高確率で牡蠣が自生していた、牡蠣の養殖に向いた。

古代人、当然食べますよね。


牡蠣を食べると頭が良くなるって主張が正しいか、間違っているかは別にして。
その証拠として、遺跡から牡蠣の殻がみつかることが多いというハナシを挙げるのは間違いなんだな、と。


そんなこと、最近やっと気づきました。

2010年10月29日

望外な下駄履き

望外にやぶそば

金曜日。歯医者のあとで食事を予定していたが、血止めのガーゼと麻酔で口を完全に閉じることもできない、水も飲めない。最初に必要な買い物は地元で済んだが、次は秋葉原を予定している。

服装・寝癖などツッコミ処は多いが、こんなときは電車に乗るに限る。帰宅したら、たぶん外に出る気もなくなるしね。

京王線から、笹塚の乗り換えで都営新宿線。小川町から歩くのがもっとも早い。

小川町で下車して秋葉原に向けて歩くと、とくに目指したわけでもないのに神田やぶそばにまっすぐ着いてしまった。江戸三大やぶのひとつ、おそらくもっとも有名な伝統そば店。

九段下・神保町が地元の友人と学生の頃に目指した時には散々迷い、わかりづらい場所の印象があったのだけれどな。何の縁だか、流れだか。出血もとまり、下駄履きのままにふらりと入って奥の席に座る。丸い掻揚げ、ありましたよね。あれと、酒

学生でここに蕎麦を食べに訪れたとき、周りの席に注文されて次々と届くのが美味しそうで頼んだのが最初の そば屋で一杯 だった。料理の正式な名称は 天玉 という。

そして酒について出てくる味噌。これを食べずして、蕎麦屋の酒は… 酒は……。天玉を食べ終わり店の人に訊く。二十年から前、ここで食べたときに出たのは、この 練り味噌 ではなく そば味噌 ではありませんでしたか ?

やはり。この蕎麦味噌が美味しくて私は日本酒と蕎麦が好きになったのであった。むろん練り味噌も美味しい。蕎麦味噌はそのあとあちこちで出すようになり、同じ名前でも店によって違う印象のものが出ることもある、から これは違う という人も出て名前とレシピを変えたのではないかと推測してみる。

昔年に私が食べたものに一番近いのは、いまでは京都の有喜屋 で出すものだろうか。

やぶそば130年の歴史と、その中に私が僅かに知る25年に思いをはせながら。同じく関西で趣味が固着したそば寿司を食し。そば饅頭を買って店を出た。

望外に雀友

三年ぶりに春に会った友人が、よく秋葉原のゲームセンタに遊んでいると聞いていた。せっかくだから近所にいたら幸運とメールを打ってみる。

酔い覚ましのコーヒーを飲んでいると返信。(移動に30分ほどかかる)自宅にいたが、暇だからつきあうよ、と。

春に会ったときも、人生の悩みのはなしがいつしか麻雀の話になり。互いに牌を使い現実生活では打っていないが。彼はネット対局、私は単純な思考ルーチン相手の携帯ゲームで打っていてこんなことがあったという会話。中川は遠ざかっていても実は麻雀が本当に好きだと言われてしまった。

私の買い物に付き合ってもらったあとは、もしも場代の比重が大きすぎない店をみつけることができたら少しだけ、ほんの少しだけ打とうという話に落ち着いてしまう。

考えてみれば、彼はまだ二十代前半。私も雀友と会ったら、飲み会がいつのまにか麻雀に移行し、フリーで打つような日々を二十代のあいだはずっとつづけていたっけ。煙草をもたずに外出し、酒も入れていないだけまだマシといえる。

望外に麻雀

買い物、困窮していたときに友人に借りたパソコンのモニタを返却するため、中古の、それほど解像度のよくないモニタを 3千円ほどで買ったあとで雀荘探し。

秋葉原にはおもしろい、話の種になる、麻雀を楽しむとは言い難い店があると歩きながら語り合い、唯一まっとうな店も、そういったイロモノと同様の 1Game 400 円とわかり新宿に移動。

かろうじて、いわゆる点ゴ、学生レートで標準の、負けても飲み屋よりも安い店で順当な 1Game 四人で 1,500円 の店をみつけて入る。

序盤、やたらについていた。おかげでやっと気づく。私が麻雀を打ちついていると、大きな得点になりそうだと手汗がとまらないのは、こんなにツイている状態で失敗すると、どんな叱責を受けるかわからない というか弱い子供の心のままにいるからだと。

つくづく私は遊びに向いていない性格をしている。

望外に刺身

しばらく牌で語り合い、互いの勝ちを合わせていくばくか足し八吉 なる店にぶらりと入った。

刺身がうまい。北陸の魚に強いようだ。通路との間は暖簾しか仕切っていない二人席を 個室 と称するのはどうかとも思ったが。べつにデートではない。味が良かったので満足。

左上犬歯・歯根骨折

この歯は、四年前に交通事故を起こして歯茎から血が出ていたときに、すでに骨折して死んでいたのだろう。あれ以来ぐらぐらして安定が悪かった。事故で欠落した歯は他にもあり、虫歯で使えない歯はさらに多く。この場所で力を入れものを噛む必要がないから不自由もなかった。きっとそれだけ。そもそも犬歯はものを噛む用途に使わないか。

五月から九月で、虫歯を一通り直した。

九月半ばから左の背中がこわばり、痛く。寝具や日頃の姿勢を疑っていた。

水曜日の夜、歯茎に痛みを感じ、ここから鼻水のようなものが背中に回って無理をしているのかと感じた。子供のころ蓄膿症で苦しんでいたのと似たものだと。

医者が開いている時刻でもないので、蓄膿を排毒する漢方薬を検索し、むかし体質に比較的合っていた中から二軒目の薬局にエキス錠のおいてあった荊芥連翹湯(ケイガイレンギョウトウ) を購入。

木曜一日収まっていたが、金曜。睡眠三時間で痛みがひどく目覚める。

急患として手続きをし、歯医者に行く。歯医者の前の身だしなみの口内清掃、痛みで周りに歯ブラシも当てられなかった。

膿で腫れているのは、「歯根が折れて複雑骨折のようになっていた」と歯科医師に説明された。中で動いて、歯茎を傷つけていたという意味か。

抗生物質と頓服の鎮痛剤の、どちらも強いものを処方される。売薬の漢方剤も、これがなかったら痛みを強く認識できるほど回復しなかっただろうと飲み続けている。


帰宅したら眠ってしまい何もできないだろうと、下駄履き・寝癖のまま必要な買い物に街を歩いた。

追記 ; 11月2日

レントゲンの結果は 粉砕骨折で、かけらの一つが暴れていて歯茎を傷つけていた という。

心当たりの 3,4 年前に、あれからすぐに大事にしていたら、骨折がくっつくように治っていた可能性があったか訊いてみた。だめだって、これだけ酷くばらばらになっていたら。

2010年10月11日

怖れられすぎている「共依存」 , 「依存」

共依存というと、DV (家庭内暴力) などの社会的な生活不適応に結びつけてよく嫌悪される。

また心理学の本にも ( 私が近頃読んでいるのは、相変わらずユング派の人の発言ばかりだが ) (原型を) 他人に投影するのは良くない、自分が飲み込まれるのは怖いこと、という記述が多い。

だが、本当に投影や、投影によって築かれる人間関係て良くないものなのかな、という話。三年前から恐れつづけ、深い人間関係を結ぶことをためらっていたが。ちょっとこの道は違うぞと違和感を覚えはじめた。

アンチとして気にかかったのが八月下旬。ミニブログ、つぶやきのたぐいで検索して、どれほど恐れられているのかをみたとき。今日になってやっと違和感が確かなものになった。たとえば、まったく相手に自分の理想を投影していない人間関係なんかあるの ?


共依存という言葉でよく恐れられるのが、相手のためだけに尽くす像をおしつけられ、そこにしたがうしか自分の生きる道がないと思いつめる関係。DV なんかまさにその代表。保護者の役割を押し付けられる。

だが押し付けるのが 大人の男性、理想の夫像 ならどうか。問題は相手が飲み込まれず、無理なときは無理だとはっきり言えるかどうか、自覚できるかどうか。

理想の会社員、昔の流行り言葉 期待される人間像 を自覚なく押し付けられ、飲み込まれると過労死や家庭不和につながる。だが理想の社会人像を求めない新入社員って、どうよ。

教職なんかどうだ。子供から 理想の大人 、規範をまったく期待されない教師は失格だ。うっかり求められているのが 理想の大人 = 人間・人格 であり、法律の権化無秩序に甘やかす理想の母親 といった神話的な原型ではないと把握し、注意を怠らないことは重要だが。


ローティーンの頃、河合隼雄氏の著作を読んで、物語に出てくるキャラクタを神話的原型に分類することに熱中した。小説そのものが味わえなくなった気がして、半年ほどでとりやめ、封印した。

最近、よくできた物語の中に組み込まれた、キャラクタ間の対話のあるフィクションを読んで神話的な 人の心の中のできごと として物語全体を振り返ることが多くなり、やっと気づいた。

ある部分は他人に投影し、また投影することで他人のなかに自分の中にありながら使うことのなかった資質に気づく。そして互いに気づくことで、また成長して影響を与えあう。それでなくては、人が生活をして他人と関わる意味がない。

参考文献

2010年10月1日

金縛りに似たもの

昨日、昼間に疲れて横たわっていたら、不意に右の拳が重くて動かせなくなったのに気づいた。

昔に自己催眠やそのほかの瞑想に凝っていたので、これは シュルツが提案した七段階の自律訓練の初期のほうの 手足が重く感じる だとすぐにわかった。

自律訓練を身体に結びついた無意識が勝手に選ぶくらい疲れていたのかと、とくにネガティブな感情でなくふつうに認識した。そのまま第七段階額の奥と認識してまぶたの裏に感じるものを見ながら、涼しく感じる まで潜って、しばらくして身体も安定してから離脱。

そうじゃないものもあるのかもしれないが、私にとって 金縛り はきっとこういうものなのだと理解できた。

2010年9月18日

境界例 = トリックスター

ふた月ほどばたばたして、読みかけのままに図書館から延滞していた境界例 (可哀隼雄 , 成田善弘 共編 1998) を読み終えた。

参考リンク : 境界例人格の診断基準 2003年版

本人がどれだけ苦しい思いをしているかは別として、周りの人や医師が受ける印象。とりあえずずかずかと、相手に怒られるまで入り込んでくる。距離が近い。様子が不安定になると電話がひっきりなし、怒らせると矢鱈に鋭いところをみせてこちらの弱点を指摘し怒りをかきたてる、など挙げられていた。

表層が平安である社会や人間関係の弱点を嗅ぎつけてひっくり返し、礼儀作法の枠をのりこえてこちらに踏み込み、ずけずけとものを言い人を怒らせる、て。それトリックスターそのものじゃないか。

トリックスターという言葉を日本で有名にした最初の何人かの一人である河合さんが編んだ本を読んで、すぐに気づかない自分がニブい。

辛うじて気づけたのは、ちょっときっかけがあって2月下旬からトリックスターをやっていたからだ。人間関係、生活、問題解決の手段に、トリックスター的な柔軟で変則な打開を見出せないかと考え、感じることを目指していた。

おかげで 6月末 に起きた事件を満足のいくかたちに解決するめどを立てたが、8月いっぱい疲れて動けなかった。いや、前から貴様は変則だ、立てないで良い波風を立てると言われていたが、ここまで自覚して行うと疲労が半端なもので済まなかった。

重荷はいつか降りるもの。魔術師・逆 の役はそろそろ降りましょう。

2010年9月7日

怒る・憎む・嫌う

ちょうど一年ほど前、こんな言葉を手帖に書いた。

みんなが好きだ、君が好きだと言うのは簡単。あの人が好きだと言うのは難しい。なぜだろう。

考えているうちに、名前も忘れた小学校の同窓生の声が甦った。「XXXでケッコウ、好かれちゃ困る」

—なんだっけ。「XXX」の内容。検索した。「き ら い」か。

あれは「理不尽だ」という感情。あれは「見苦しい」、あれは「おっかない」。「嫌い」という感情はどこ?


今日、どうにも日本語が通じずに和解できない友人が、恋人に遭いに車を疾らせていると読んで、反射的にこんな科白を送った。

怒っちゃいるけど、嫌っちゃいない。あいつに宜しく。

宜しくといっても、和解を頼んだわけでも、伝言をお願いしたいわけでもない。単に彼にとっても楽しい時間を過ごしてほしいと書きたかっただけだ。

私は嫌いという感情が理解できていないはずではなかったのかな、と寝床でしばし考える。結論が出た。嫌いな相手は私にも存在すると。

もしも机の上にコインを置くときに、表を上に置くか、裏を上に置くかで誰かに幸福が訪れたり、不幸が訪れたりするならば。そして、それをもしも識っているならば。

自分に影響の及ばない範囲で、彼に不幸が訪れるような選択があるならばえらんでしまうだろうと思える相手も、今は何人かいるようだ。これが 嫌い なのだろう。

憎む というのはもっと積極的に、相手に不幸が訪れるように動きたくなるような感情。一時的で一過性のもの。嫌いは、積極的に関わりたくないが、不幸を望んでしまう判断。

もしも二組の、年齢・性別のほぼ対応する二組の団体を目の前に示されて。お前が選んだ方だけが生き延びると宣言されたとする。ひとりだけ残して、あとは全員面識がない。

そのひとりがいるために一方の団体を見捨てても良いと判断を下してしまうならば。どんな言い訳を探そうが、最終的に見殺したいと思ってしまうならば。それは 嫌い なんだ。そう思った。

2010年8月29日

全力で

日常を進める気力が沸かずに眠ってばかりいたので、全力で現実逃避してみた。

mutt のソースの最新を取ってきて自力コンパイルしたり、MakeWorld してみたり、ふた月ほど離れていた mixi のコミュニティの話題に追いつくため、トピックの記事一括ダウンロードのスクリプト書いたり。

見るトピックがわかっていれば、スクリプト書かなくてもブラウザから全記事を見れば良い 、正しい。単に頭の体操としてスクリプト書いて遊んでいただけだ。

単に遊んでいるだけ。

mutt のコンパイル手順

  1. もし hg コマンドが使えないならば mercurial をインストール
  2. $ hg clone hg clone http://dev.mutt.org/hg/mutt workdir
  3. $ cd workdir ; ./prepare configureOptions
  4. $ make && sudo make install

私が configure オプションスを与えるのに使ったスクリプト

./prepare \
--prefix=/usr/develop \
--enable-pgp \
--disable-pop \
--enable-imap \
--enable-smtp \
--enable-debug \
--enable-inodesort \
--disable-nfs-fix \
--disable-mailtool \
--enable-locales-fix \
--enable-exact-address \
--enable-hcache --with-gdbm --without-bdb --with-tokyocabinet \
--enable-iconv \
--with-regex \
--with-ssl=/usr \
--with-gnutls=/usr/local \
--with-sasl=/usr/local \
--with-idn=/usr/local \

インストール先が /usr/develop てのは相当苦しいが、/usr/local に入れた ports からの 安定 version と別にしたかった

ports の版と違い、データベースファイルに tokyocabinet は使えないので、じつはこれを動かすと警告が出る。

GNU make でなく、BSD に元からある make が使えたのはうれしかった。気分の問題でしかないが。

いまはこんな設定を加えた。

yaemon@bouon-an$ alias muttd
alias muttd='/usr/develop/bin/mutt -F /home/yaemon/dotfiles/.muttrc-develop  -d 1'
yaemon@bouon-an$ diff ~/dotfiles/.muttrc{,-develop}
21,21
< set smtp_pass=Secret
---
> # 送信パスワードは、本家の版では保存されない。コメントアウトしておいて毎回入力
25a25,28
>
> set header_cache=/home/yaemon/var/mutt/CachesGDB/header
> set message_cachedir=/home/yaemon/var/mutt/CachesGDB/body
> set pager=

fetchMixiBBS

車輪の再発明 とかいわない。運動をしたら汗をかくようなもので、全力で現実逃避したら成果ができる。それだけ。

Objective でない考え方でスクリプトが設計できないってだけのバカです。

$ cat ~/bin/fetchMixiBBS
#!/usr/bin/env perl
#
#       $Id: fetchMixiBBS,v 1.1 2010/08/29 00:16:11 yaemon Exp $
#
use strict;
use warnings;
use FileHandle;
use WWW::Mixi::Scraper;
use lib( "/home/yaemon/lib/perl" ); use MixiToRFC2822::BBSWrapper qw( id subject pop );
sub checkMaildir($); sub getMessage( $$ );
my $mixi = WWW::Mixi::Scraper->new( 'email' => 'EmailAddressForLogin' , 'password' => 'PasswordForMixi' , );
my $storeDir = $ENV{ 'HOME' } . "/Maildir/mixi/"; checkMaildir( $storeDir );

my $list = new FileHandle( "< $ARGV[0]" ); if ( ! defined( $list ) ) { die "Can't open $ARGV[0]:$!"; }
while( my $line = $list->getline ) { chomp( $line); $line =~ s/#.*//; if ( $line !~ /^[0-9]+$/ ) { next; }
getMessage( $mixi , $line); }
sub checkMaildir( $ ) { my $maildir = shift; if ( ! -d $maildir ) { mkdir( $maildir ) or die "Can't mkdir $maildir:$!"; } if ( ! -d "$maildir/new" ) { mkdir( "$maildir/new" ) or die "Can't mkdir $maildir/new:$!"; mkdir( "$maildir/cur" ) or die "Can't mkdir $maildir/cur:$!"; mkdir( "$maildir/tmp" ) or die "Can't mkdir $maildir/tmp:$!"; } }
sub getMessage( $$ ) { my $account = shift; my $bbs = shift;
my $all = $account->parse( "/view_bbs.pl?id=$bbs&page=all" ); if ( defined ( $all ) ) { printf STDERR "%s: %s fetch success\n" , my $datestr = localtime() , $bbs ; } else { die( "Can't get $bbs. retry not implimented" ); } my $board = MixiToRFC2822::BBSWrapper->new( $all ); my $dir = $storeDir . "/" . $board ->community->id() . '-' . $board->community()->name();
checkMaildir( $dir );
while( my $comment = $board->pop() ) { if ( -f $dir . "/new/" . $comment->uniqueName() || glob( $dir . "/cur/" . $comment->uniqueName() . '*' ) ) { return; }
my $out = new FileHandle( "> $dir/new/" . $comment->uniqueName() ); if ( ! defined( $out )) { die "Can't open messagefile:$!"; } $out->print( $comment->message() ); } }
$ ls ~/lib/perl/MixiToRFC2822
BBSWrapper.pm
CVS/
Community.pm
Message.pm
$ cat ~/lib/perl/BBSWrapper.pm
#!/usr/bin/env perl
#
#   $Id: BBSWrapper.pm,v 1.1 2010/08/29 00:17:16 yaemon Exp $
#
package MixiToRFC2822::BBSWrapper;
use strict;
use warnings;
use Carp; use Exporter; use lib( "/home/yaemon/lib/perl"); use MixiToRFC2822::Community; use MixiToRFC2822::Message;
use vars qw( $VERSION @ISA @EXPORT_OK ); sub id($); sub subject($); sub child($); sub root($);

our $VERSION = "0.01"; @ISA = qw( Exporter); @EXPORT_OK = qw( id subject commuity pop);

sub new($$) { my $self = bless {} , shift; $self->{ '_data' } = shift; return $self; }
sub id($) { my $self = shift; return $self->{ '_id' } if exists $self->{ '_id' } ; my @tmp = grep( /^id=/ , split( /[\&\?]/ , $self->{'_data'}->{'link'}->opaque )); if ( @tmp != 1 ) { die "Can't parse " . $self->{'_data'}->{ '_link' } } $self->{'_id'} = $tmp[0]; $self->{'_id'} =~ s/^id=//; return $self->{'_id'}; }
sub community($) { my $self = shift; return $self->{'_community'} if exists $self->{ '_community'};
$self->{'_community'} = MixiToRFC2822::Community->new( $self->{'_data'}->{'community'} ); }
sub subject($) { my $self = shift; return $self->{'_data'}->{'subject'}; }
sub root($) { my $self = shift; return $self->{ '_root' } if exists $self->{ '_root' } ; my $message; $message->{'subject'} = $self->subject(); $message->{'name_link'} = $self->{'_data'}->{'name_link'}; $message->{'name'} = $self->{'_data'}->{'name'}; $message->{'time'} = $self->{'_data'}->{'time'}; $message->{'description'} = $self->{'_data'}->{'description'}; $message->{'to'} = $self->community(); $self->{'_root'} = MixiToRFC2822::Message->new( $message , 'bbs' ); }

sub pop($) { my $self = shift; return undef if exists $self->{'_end'} ; my $message = pop( @{ $self->{_data}->{comments}} ); if ( ! defined( $message ) ) { $self->{'_end'} = 1; return $self->root(); } $message->{'reply_to'} = "<" . $self->root()->uniqueName() . ">"; $message->{'subject'} = "Re: " . $self->subject(); $message->{'to'} = $self->community();
return MixiToRFC2822::Message->new( $message , 'bbs' ); } 1;

$ cat ~/lib/perl/Community.pm
#!/usr/bin/env perl # # $Id: Community.pm,v 1.1 2010/08/29 00:17:16 yaemon Exp $ # package MixiToRFC2822::Community; use strict; use warnings;
use Carp; use Exporter; use vars qw( $VERSION @ISA @EXPORT_OK );
sub id($); sub name($);
our $VERSION = "0.01"; @ISA = qw( Exporter); @EXPORT_OK = qw( id name );

sub new($$) { my $name = shift; my $data = shift; return bless $data , $name;
}
sub id($) { my $self = shift; return $self->{ '_id' } if exists $self->{ '_id' } ;
$self->{'_id'} = $self->{'link'}->opaque(); $self->{'_id'} =~ s/.*id=//;
return $self->{'_id'}; }

sub name($) { return shift->{'name'}; }
1;
$ cat ~/lib/perl/Message.pm
#!/usr/bin/env perl
#
#   MixiToRFC2822.pm      2010-07-07 yaemon
#   $Id: Message.pm,v 1.1 2010/08/29 00:17:16 yaemon Exp $
#
package MixiToRFC2822::Message;
use strict;
use warnings;
use Carp;
use Exporter;
use Mail::Internet;
use Mail::Header;
use Encode qw/encode/;
use DateTime;
use vars qw( $VERSION @ISA @EXPORT_OK );
sub message($); sub date( $ ); sub uniqueName($); sub messageFrom($);
our $VERSION = "0.01"; @ISA = qw( Exporter); @EXPORT_OK = qw( uniqueName message );

sub new($$$) { my $self = bless {} , shift; $self->{ '_message' } = shift; $self->{ '_kind' } = shift;
return $self; }
sub message($) { my $self = shift; return $self->{ '_mailFormat' }->as_string() if exists $self->{ '_mailFormat' }; my $myAddr = "( T.Nakagawa ) <23211\@mixi.jp>"; my $otherAddr = sprintf( "( %s )<%d\@mixi.jp> " , encode( 'MIME-Header' , $self->{ '_message'}->{ 'name' } ) , $self->messageFrom() ); my $header = Mail::Header->new(); $header->header_hashref( { 'Subject' => encode( 'MIME_Header' , $self->{ '_message'}->{'subject'} ), 'MIME-version' => "1.0" , "Message-Id" => sprintf( "<%s\@mixi.jp>" , $self->uniqueName() ), 'Content-Type' => 'text/plain; charset=utf-8' , 'Date' => $self->date->strftime( "%a, %d %b %Y %H:%M:%S %z") , } );
if ( $self->{ '_kind'} eq "inbox" ) { $header->add( 'From' , $otherAddr ); $header->add( 'To' , $myAddr ); } elsif ( $self->{ '_kind'} eq "outbox" ) { $header->add( 'To' , $otherAddr ); $header->add( 'From' , $myAddr ); } elsif ( $self->{ '_kind' } eq "bbs" ) { $header->add( 'From' , $otherAddr ); $header->add( 'To' , sprintf( "( %s )<%s%%community\@mixi.jp>" , encode( 'MIME-Header' , $self->{'_message'}->{'to'}->name() ) , $self->{'_message'}->{'to'}->id() ) ); if ( exists( $self->{'_message'}->{'reply_to'} ) ) { $header->add( 'In-Reply-To' , $self->{'_message'}->{'reply_to'} ); } } else { die "Not implementd messagebox:$self->{'_kind'}"; }

my $body = encode( 'utf-8' , $self->{ '_message' }->{ 'description'} ); $body =~ s/&#(\d+);/pack("W" , $1)/meg;
$self->{ '_mailFormat' } = Mail::Internet->new( 'Body' => [ map { "$_\r\n"; } split( "<br />" , $body ) ], 'Header' => $header, );
return $self->{ '_mailFormat' }->as_string(); }

sub uniqueName($) { my $self = shift; return $self->{ '_uniqueName' } if exists $self->{ '_uniqueName' } ; $self->{ '_uniqueName' } = sprintf( "%d.%s.%s" , $self->date()->epoch() , $self->messageFrom() , "mixi.MixiToRFC2822" );
return $self->{ '_uniqueName' }; }

sub messageFrom($) { my $self = shift; return $self->{ '_from' } if exists $self->{ '_from' }; my $tmp; if ( $self->{'_kind'} =~ /box$/ ) { $tmp = $self->{ '_message' }->{ 'link' }->opaque(), } else { $tmp = $self->{ '_message' }->{ 'name_link'}->opaque(); } $tmp =~ /id=([0-9]+)/; $self->{ '_from' } = $1; return $self->{ '_from' }; } sub date( $ ) { my $self = shift;
return $self->{ '_date'} if exists $self->{ '_date' };

my @date = split( /[\- :]/ , $self->{ '_message' }->{ 'time' } );
$self->{ '_date' } = DateTime->new( "year" => $date[0] , "month" => $date[1] , "day" => $date[2] , "hour" => $date[3] , "minute" => $date[4] , "second" => 1 , time_zone => 'Asia/Tokyo' , );

$self->{ '_date' }; }

1;
yaemon@bouon-an$  /usr/local/lib/perl5/site_perl/5.12.1/WWW/Mixi/Scraper/Plugin/ViewBBS.pm{.orig,} 
*** /usr/local/lib/perl5/site_perl/5.12.1/WWW/Mixi/Scraper/Plugin/ViewBBS.pm.orig        Sun Aug 29 13:45:12 2010
--- /usr/local/lib/perl5/site_perl/5.12.1/WWW/Mixi/Scraper/Plugin/ViewBBS.pm    Sun Aug 29 06:22:10 2010
***************
*** 36,42 ****
        description => $self->html_or_text;
      process 'dd.bbsContent>dl>dd>div.communityPhoto>table>tr>td',
        'images[]' => $scraper{images};
!     result qw( time subject description name name_link images link );
 };
# bbs topic is not an array --- 36,46 ---- description => $self->html_or_text; process 'dd.bbsContent>dl>dd>div.communityPhoto>table>tr>td', 'images[]' => $scraper{images}; ! ! process 'p.utilityLinks03>a', ! _community_name => 'TEXT', ! _community_link => '@href'; ! result qw( time subject description name name_link images link _community_name _community_link); };
# bbs topic is not an array *************** *** 84,89 **** --- 88,103 ---- } $stash->{comments} = \@comments;
+ + $stash->{_community_name} =~ s/.*\[//; + $stash->{_community_name} =~ s/\].*//; + + $stash->{community}->{name} = $stash->{_community_name}; + $stash->{community}->{link} = $stash->{_community_link}; + + undef $stash->{_community_name}; + undef $stash->{_community_link}; +
return $stash; }

2010年8月23日

少女漫画ばかり読んでいる

~14日

しばらく関西に滞在して、木曜日に帰ってきた。関西は半年ぶり。

冷房も使える東京よりも、関西の暑さに汗を流すほうが健康な気がするなんてどういうことかと到着した日に思った。なんのことはない。今年は、関西のほうが東京よりも湿気が少なかったようだ。

先に関西に滞在している娘に持っていった漫画が3つ。

めだかボックス 2~3巻

前回に娘と会った日に、彼女が口にした ぬらりひょんの孫 と少年ジャンプ掲載つながりで併せて古本屋を回り、それぞれ一巻しか贈ることができなかった本。

  • サイコロをまとめて振れば、たとえば全部が6。なにをやっても気持ちの悪い結果を出すのが異能者。 (それは、もう巡り合わせというしかない)
  • 異能者は孤独なれば、それぞれの能力は違えど互いのつながりを大事にする

しばらく前に漫画喫茶で単行本を読み返し、この辺りの考えが気に入ったので読ませたいと思っていた。

ラグトニア無番 , II

このブログで最も検索からのアクセスが多い読書感想を書いたらせつの花同じ作家さんの漫画。

古本で無番(一巻) を買ったのがあまりに気に入って、II も更本で購入してしまったわけだ。最終巻 III ももうすぐ出るという。

あんな良い人を死なせてはいけない

薬師アルジャン 1~4巻

有名作品として前から気になっていた。古本で6巻までみつけたので購入してしまったばかり。

部屋が片付いていなくて、4巻までしか渡せなかった。

互いに近くにいてこその気心のしれた深い付き合い、良いね。腹が立つくらい。

15日

下鴨神社を訪れたら、古本市をやっていた。

東京の古本屋を回っては、値段が折り合わなくて見送っていた英英辞典。Oxford の 1995年5版が 300円で投げ売りされていたのを手に入れた。

オカルト系の邦訳資料も一冊、うっかり見つけて買ってしまった。

東京に住んでいるくせに、京都にくるたびに普段より古本を仕入れている。どういうことだ。

~17日

私が学生時代に蒐め読みふけった本より、今回は15~20年前の菊池秀行を中心にいくつも読み返した。

二十代のころの元気をとりもどした。

18日

大阪市内を回って、あれこれ手続き。

堺筋本町を通るときに福島上等カレーという店を見つける。(阪神と JR の乗り換えができる、大阪市内の福島のことだ。福島県ではない)

用事が終わって、足の向くままに歩いて本町の交差点近くで感じの良いスタンドの店を見つけて入った。中に入ってよく見たら、同じチェーン店。

定価 880円を 600円にしてキャンペーン中の 薬膳カレー が大当たり。30分かけてゆっくりと食べて元気をとりもどした。東京にもこないかな。


地下鉄西梅田から、JR大阪に出ようとして迷う。足に任せて動くと、二十代の終わり頃の羽振りの良かった頃によく遊んだほうにうっかり移動してしまうという理由で。

うっかり歓楽地に遊んではいけない、と書店に入る。

一軒目でみつけ、買わざるをえないと感じたのが、ちょっとしたアンソロジーQED 鏡家の薬屋探偵 。鏡家サーガは一冊しか読んでいないが、薬屋探偵奇譚と QED はファンだし、著者の中に西澤保彦と竹本健治の名前があってはしかたがない。竹本さんの個人短篇が一冊にまとまるのを待っていたら、いつ読めるか分からん。

そこで思いついて、気になっていた漫画の新刊、傀儡師リン11巻を探しに二軒目の書店へ。

二軒目の入り口すぐに並んでいて買ってしまったのが、まず文藝別冊/萩尾望都

さらに 最強の天使ニシテ最愛の悪魔 という新刊 1~4なんか見つけてしまった。タイミングが悪い。まさに兵庫に住んでいた頃に途中まで読んでいた、同シリーズの ジャンク・ジャングル の全巻を古本で買ったところで、懐かしかったのね。兵庫でシリーズの第一部の はらったま、きよったま は読み返さなかったが。

上記、すべて東京に帰る車中で読了。

QED 鏡家の薬屋探偵 : 竹本さん以外は、キャラクタを借りて自分の持ち味で好き勝手書いている。西澤さんが…。ストーカとダイエット という西澤さんの持ちネタをこんな的確・簡潔に、アトリビュートで書いちゃってよいの ? という逸品。

最強の… : シリーズキャラクタ勢ぞろいは私のようなオールド・ファンにはうれしいけれど。べたべたの愛情少女マンガなのに、これだけシリーズキャラクタだらけでは娘に渡せない。

傀儡師リン : この巻の舞台になった学園について、河合隼雄的な分析をしてみたいような、したくないような。

19日

用事で九段下。九段下の書店で、薬師アルジャン の 11巻をみつけて、7巻から買おうと神保町に向かう。

11巻、昨年末で完結していたのね。最後の風呂敷の締め方はだいたい予想がついたが、それでもハラハラした。まとめて買うタイミングで出会ってよかった。

漫画の新刊の専門店に行っただけに、いくら古本をみても 3巻までしか見当たらなかった サタニスター最終5巻もみつけて購入してしまった。

古本ではどこに行っても見当たらないものだから、この著者のことだし完結しないまま打ちきりになった印象になっていた。mixi のコミュで、連載の終了時に讃辞を多数みた覚えもあるのにね。

総括

ブックオフなどの新古書店のせいで売上が減っている以上に、新刊の売上は上がっていると思う。少なくとも私の財布はえらい目にあっている。

2010年7月8日

fetchMixi (Message)

リハビリをかねて、mixi で送受信したメール (メッセージ) をローカルのMaildir に保存するスクリプトを書いてみました。

Web::Scraper おもしろい。私が Perl から離れ始めたころにできたモジュールなので知りませんでした。

一年近く前、同様のことをより低レベルのライブラリ HTML::TreeBuilder からスクラッチで書き起こしたら、オブジェクトがスコープを離れて解放されているのに、循環構造ゆえにメモリが開放されずに (いわゆる メモリリーク ) 難儀してほうったらかしなのできわめて興味深いです。解析する時間、取れるかな。

  1. ページ取得エラー時のリトライ
  2. ライブラリの名前と置くパスがええ加減
  3. メールアドレス・パスワードを設定ファイルから読み込む
#!/usr/bin/env perl
#
#        $Id: fetchMixi,v 1.3 2010/07/07 10:08:11 yaemon Exp $
#
use strict;
use warnings;
use FileHandle;
use WWW::Mixi::Scraper;
use lib( "/home/yaemon/lib/perl" ); use MixiToRFC2822 qw(message uniqueName);
sub checkMaildir(); sub getMessage( $$ );
my $mixi = WWW::Mixi::Scraper->new( 'email' => 'MyAddress' , 'password' => 'MyPassword' , );
my $maildir = $ENV{ 'HOME' } . "/Maildir/mixi/"; checkMaildir(); getMessage( $mixi , "inbox"); getMessage( $mixi , "outbox" );

sub checkMaildir() { if ( ! -d $maildir ) { mkdir( $maildir ) or die "Can't mkdir $maildir:$!"; } if ( ! -d "$maildir/new" ) { mkdir( "$maildir/new" ) or die "Can't mkdir $maildir/new:$!"; mkdir( "$maildir/cur" ) or die "Can't mkdir $maildir/cur:$!"; mkdir( "$maildir/tmp" ) or die "Can't mkdir $maildir/tmp:$!"; } }
sub getMessage( $$ ) { my $account = shift; my $box = shift;
my $page = 1;
while ( 1 ) { my @mailInPage = $account->parse( "/list_message.pl?page=$page&box=$box" ); if ( @mailInPage < 1 ) { return; } printf STDERR "%s : $box: Page:%03d fetch\n" , my $datestr = localtime() , $page ; $page++; foreach my $mbox ( @mailInPage ) { foreach my $message ( $account->parse( $mbox->{ 'link' } ) ) { my $rfc2822 = MixiToRFC2822->new( $message , $box );
if ( -f "$maildir/new/" . $rfc2822->uniqueName() || glob( "$maildir/cur/" . $rfc2822->uniqueName() . ":*" ) ) { return; } my $out = new FileHandle( "> $maildir/new/" . $rfc2822->uniqueName() ); if ( ! defined( $out )) { die "Can't open messagefile:$!"; } $out->print( $rfc2822->message() ); } } } }
#!/usr/bin/env perl
#
#    $Id: MixiToRFC2822.pm,v 1.3 2010/07/07 10:08:29 yaemon Exp $
#
package MixiToRFC2822;
use strict;
use warnings;
use Carp;
use Exporter;
use Mail::Internet;
use Mail::Header;
use Encode qw/encode/;
use DateTime;
use vars qw( $VERSION @ISA @EXPORT_OK );
sub message($); sub date( $ ); sub uniqueName($); sub messageFrom($);
our $VERSION = "0.01"; @ISA = qw( Exporter); @EXPORT_OK = qw( uniqueName message );
sub new($$$) { my $self = bless {} , shift; $self->{ '_message' } = shift; $self->{ '_kind' } = shift;
return $self; }
sub message($) { my $self = shift; return $self->{ '_mailFormat' }->as_string() if exists $self->{ '_mailFormat' }; my $myAddr = "( MyName ) <MyIDNo.\@mixi.jp>"; my $otherAddr = sprintf( "( %s )<%d\@mixi.jp> " , encode( 'MIME-Header' , $self->{ '_message'}->{ 'name' } ) , $self->messageFrom() ); my $header = Mail::Header->new(); $header->header_hashref( { 'Subject' => encode( 'MIME_Header' , $self->{ '_message'}->{'subject'} ), 'Subject' => encode( 'MIME_Header' , $self->{ '_message'}->{'subject'} ), 'MIME-version' => "1.0" , "Message-Id" => sprintf( "<%s\@mixi.jp>" , $self->uniqueName() ), 'Content-Type' => 'text/plain; charset=utf-8' , 'Date' => $self->date->strftime( "%a, %d %b %Y %H:%M:%S %z") , } );
if ( $self->{ '_kind'} eq "inbox" ) { $header->add( 'From' , $otherAddr ); $header->add( 'To' , $myAddr ); } elsif ( $self->{ '_kind'} eq "outbox" ) { $header->add( 'To' , $otherAddr ); $header->add( 'From' , $myAddr ); } else { die "Not implementd messagebox:$self->{'_kind'}"; }
my $body = encode( 'utf-8' , $self->{ '_message' }->{ 'description'} ); $body =~ s/&#(\d+);/pack("W" , $1)/meg;
$self->{ '_mailFormat' } = Mail::Internet->new( 'Body' => [ map { "$_\r\n"; } split( "<br />" , $body ) ], 'Header' => $header, );
return $self->{ '_mailFormat' }->as_string(); }

sub uniqueName($) { my $self = shift; return $self->{ '_uniqueName' } if exists $self->{ '_uniqueName' } ; $self->{ '_uniqueName' } = sprintf( "%d.%s.%s" , $self->date()->epoch() , $self->messageFrom() , "mixi.MixiToRFC822" );
return $self->{ '_uniqueName' }; }
sub messageFrom($) { my $self = shift; return $self->{ '_from' } if exists $self->{ '_from' }; my $tmp = $self->{ '_message' }->{ 'link' }->as_string(); $tmp =~ /id=([0-9]+)/; $self->{ '_from' } = $1; return $self->{ '_from' }; }
sub date( $ ) { my $self = shift;
return $self->{ '_date'} if exists $self->{ '_date' };
my @date = split( /[\- :]/ , $self->{ '_message' }->{ 'time' } ); # 厳密ではないが充分
$self->{ '_date' } = DateTime->new( "year" => $date[0] , "month" => $date[1] , "day" => $date[2] , "hour" => $date[3] , "minute" => $date[4] , "second" => 1 , time_zone => 'Asia/Tokyo' , );
$self->{ '_date' }; }

1;

2010年7月5日

うらないの教室、麻雀の教室 (Calture Scool , Skill , Professional )

麻雀

麻雀のカルチャースクールに行ったことはない。

楽しそうだからやってみたいという人が集まる。何人かの真摯なプロ (レッスンプロと競技プロの両方 ) を別にすれば、先生、私賭けてやってみたいんですと問われたらこう答えるだろうえー、仕方ないですねぇ。やりましょうか (ウッシッシ)

世の中には、麻雀教室・麻雀大会で楽しくみんなでやりましょうと謳って、その実賭け麻雀いっしょにしようよ。でもいくら負けそうか見当はつくけれど教えないよという主催者が多い。

いっとき信頼できる仲間と抗議活動に燃えたり、対抗して本当に賭けごとはしないという大会を企画したりしていた。

いや、賞金は出しました。スタッフの人件費がないので、場所代を引いた残りで廉価でも充分に楽しめる賞金の額になります

うらない

うらないのカルチャースクールに、茶話会のつもりで顔を出したことがある。

なぜ占い師になりたいという人が多いのかと思っていた。麻雀のプロと違い妙に敷居が低い。

あれはいっしょに麻雀打とうと同じでコミュニケーションとして知らない人と占いで出会いたいということか。

はっきりいって、そんな気持ちで占い師になった相手に相談するほうが災難だ。

うらない -その2-

なぜ、麻雀のカルチャースクールはあなたも麻雀のプロになれますと謳わないのに、うらないのカルチャースクールはあなたもうらないのプロになれますと謳うのか。

そんなうらないの講師に限って、うらないは人助け、カウンセリングです。カウンセリングから技法を学びましょうという。

カウンセリングの学校は、カウンセリングの技法をあなたの日頃の生活・人間関係に役立てます、と謳う。プロへの道は上級コースであり、厳しい道なのをきちんと区別している。

カウンセリングが資格として認定されたのは、つい最近だ。それ以前からのハナシ。

技能と職業

別件だが。

プログラムが書けるようになりたいからSEになりたい、自分の運勢を知りたいから占い師になりたい、という人も多い。

野球がうまくなりたいからプロ野球選手になりたい、という人はいない。

女にモテたいからホストになる…… いる。

麻雀が強くなりたいからプロになりたい、人付き合いが下手だから水商売をしたい…… それ若かりし日の私。

おかげで、水商売が長いと人付き合いがうまくなるのではなく、人付き合いがうまい人だけが淘汰され残るのだと思い知らされた。

また、本人たちは当然の技能と思っているから 長くやっていれば、誰でもできるようになるよ という。本心からの言葉なので、騙される人はあとを断たない。

2010年6月23日

環境オタク

開発の現場に戻ると、私が手を動かそうとしない時間は、人より多く見えるのを改めて実感する。

C 言語でこの業界に入ったときから プログラムを書かないプログラマを目指す と言いつづけているしね。

どこまでをプログラムにやらせ、どこを人間が行うのか、問題の解決に向けた最短時間をいつも計っている。考えている。だから手を動かし始めるまでが遅い。動かしてからも、よく手を止め、喫煙所に向かう。

他の人の仕事内容をつかむためにも、喫煙所をよく訪れるが。

それでも、うっかり時間を割きすぎてしまう箇所は私にもある。

環境設定だ。自分の武器は unix/shell を良く知っていて、便利なツール・設定を状況に応じて繰り出す小技だと思っている。状況分析 6割、応じた開発手法の編み出し・使用するライブラリ/モジュールの導入 3割、開発 1割。

だからこそ、自宅環境は便利な設定でいっぱい。最新のツール(やライブラリ) を常に揃えようとする。最新をとりあえず入れていると、時間がとられることは多い。

などと、過去 15年の 自分がこだわってしまう、非効率になりがちな場所 を今朝反省していた。つまり踏みとどまることができた。

単に、外部から自分のデスクトップに ssh する方法 を設定していて、このマシンでは公開鍵/秘密鍵の設定をまだしておらず、パスワードアクセスになると気づいただけだ。

一日、二日で推測されるようなパスワードじゃあるまいし、その設定は後日にしておけとね。

最近まで、この手の環境の不備に気づくと、うっかり徹夜してでも仕上げていた。今回、一週間。朝の出勤前での作業を心がけていて、やっと自分の環境オタクに気づけた。

2010年6月19日

復職しました

一部の方々にはご報告していますが、改めて。今週から復職しました。

この言い方だと誤解を招くこともあるみたい。前と同じコンピュータ業界、開発の現場で仲間とともに働く、という選択を実現することができました。今まで付き合いのなかった、職場であり、仲間たちです。

面接から会話の流れが特殊。昨晩、私を含めた三人の歓迎会が名目の宴席の会話も特殊。無難に人と同じことをしようとする のはあきらめ、やめたので仕方がないのだけれど、やっぱり誰かに こんなことがあったんだけれど、どう思う ? と、翌日・翌々日は言いたくなります。

面接のときは、言って喜んでくれそうな相手がいなかったので独りで考えていると、色々の発見がありました。だから酒席の会話も、きっと誰かに話して流さずに受け止めたら、なにか発見があるのでしょう。

ネタにするのは簡単。でも、ネタにしないほうがもっと価値が上がる。

2010年6月14日

エドワードの決断、ハイタカの修行

おととい土曜日、月刊:少年ガンガン の七月号を買った。危なかった。前日に発売されて、普段20冊ほどが平積みで置いてある書店で残り二冊。当たり前だ。人気長編鋼の錬金術師 最終話の掲載なのだから。値段も、普段より一割高かった。(そのぶん付録が豪華なのだろう。見ていないが)

売れ行きの予想される号に合わせて、他の話も今号は見どころ満載だった。喋らせればいくらでも喋れる気がする。喋らないけれど。どこのシーンが見処だ、おもしろい なんて話は、他のシーンと比べて「うえ・した」の話は、「うえ・した」の比較対象、バックボーンを共有する相手だけに語れば良い。

で、ハガレンの結末。もろにネタバレだが、その更に先があるから良いだろう。

エドワードは、錬金術を捨て去ることですべてを取り戻すことができた。

そういえば、アルフォンスは錬金術を捨ててもいないのに、なぜ…… おっと、真のネタばれをしてしまうところだった。自粛自粛。

思い出すのが、ゲド戦記 だ。魔法使いは魔法を習わない。魔法を自制すること、できれば使わないことを学ぶ。

無自覚に魔法を使っていると、さまざまな事件を起こす。うっかりと大きな勝ちを収めてしまって、反動で人を損ない、影に飲み込まれる。自覚して魔法を使わないように訓練することではじめて、魔法の本当の使い方。ものごとをうまく調和させておさめることができる。

と、ゲド戦記に書いてあったはずだ。

魔法とは人の弱点を見抜きつつく力で、見抜けるのだからつつかずに、波風を立てずに処理することができるようになるんだよ、と。近年までネットの各種コミュニティで事件ばかり引き起こしていた イニシャルY の通り名で知られていた男がこっそり呟いたかどうか。それは秘密の話。

2010年6月7日

Local tweet

何人かの人が twitter で思考を垂れ流しにしているのを見ると心配になる という。

ある人は 人前で言うべきでないこともあるだろう , 別の人は なんだか一人の頭脳じゃないみたい , また 自分が実名で、公に発言する人間なのを忘れているだろう。立場を忘れるなよ と。

去年一年、twitter ではない mini blog で遊んだせいで。私もそれぞれ同感のコメントを、口頭で、あるいは文章で寄せている。自分は引きずれられる体質・性格だからやめておくと、前に書いたこともあった

最後の何年かの悪名が高かった私の前の日記も、文章は長いが tweet のようなものだった。技術のネタ以外は。一度は通過するのかもしれない。まだそんなシステムができていなかったころは公にならなかっただけだろう。それこそが、まさに 中二病

公にすると差し障りがあると自分で気づいてから、ちかごろは自分のパソコンに向かって、またときに紙のノートに tweet している。まさにエセイ。パンセ てもともとそんな本だったよね。死後に発表されたノートだったよな。

今日は二日酔い。午後に飲んだ酒が、眠っていると頭に回ってきて、アテもなく結論も定めずにぶらぶらと書き連ねるのを解禁して、この文章を書いた。書き溜めた断片でもお蔵出ししてまとめてみようかと始めたが、いいや。新しく考えながら文を連ねるほうが楽しい。

人が思考を途中で放棄して、文章に垂れ流す。別の人が反応する。考えの形も知識もそれぞれ違うから、ある程度は楽しい。一人では生み出せないような考えも生まれる。

でもね。発言者の個性がだんだんに見えてくると、それぞれ別の人格、別の生活が、頭の中で勝手に動き出し、読んでいるうちにいろんなものが視えてしまうんだよ。

自他の区別がつかない状態は楽しい。自他の区別がまったくつかないのは、哀しい。

2010年6月3日

打ち明け話

本人の許可を取って、近頃できた若い友人との話から考えさせられたもろもろのこと。

6月1日、夜

心理学・臨床を目指している友人だ。卒論のために聞き取りの資料を蒐めるという。切り口は 自然性の欠如 という。

単語を読んだ覚えがかろうじてある程度、じねん と読むことすら知らなかったので詳しく説明を頼んだ。

普通の人が引っかからないことを考えてしまって、生活をすることができない方がいらっしゃるのです。

たとえば 自分の生きる意味は何か , この世界はいつまで続くのか 。思いつめて自傷にいきついたことのある協力者からお話を伺い、SOC 検査をして、卒論にしようと思っています。

普通の人 、ねぇ。私自身、その交友関係。引っかかったことのない人のほうが思い当たらない。二十代の何人かは 厨二病 と表現する。だが、それが宗教・哲学の始まり。それを考えたことのない臨床心理学専攻がいるとは思わなかった。

(私) 教えてあげる。自然性の欠如 て、自分の鼻が見えて、気になって仕方がないということだよ。

(友人) あー、それうまい喩えですね。

(私) 喩えじゃないんだ。今晩眠るまで、明日一日、自分の鼻が見えることを意識して生活してごらん。それが終わったら、検索してどんな病名をつけられがちか探してご覧よ。そして森田療法の創始者が、なぜ自分がトレーニングをしないと日常に返れなかったか、文献を調べてみると良い。典型的な症状が見つかるよ。

卒論方針の発表のあと、来週に会うことになっている。どこまで鼻が見えることが気になっただろうか。学部の他の学生は、どんな感想を抱き、どんな質問が投げかけられるのだろうか。理解した顔をする人はどれくらいの比率だろうか。

会うのが、とても楽しみだ。

6月2日、夕刻

仕事の打ち合わせの帰り、遠方の、前から二人で会おうと言っていた別の友人と割り勘で飲む。

鼻が見える人、見えない人がどれくらいいるのだろうか。

あの人は、鼻が見える。あの人の見えることを前提にした科白は、心に響きすぎて、読みつづけることができない。あの人は、自分だけが鼻が見えると思って孤独な思いを抱き、言葉で他人に押し付けようとしているのが辛い。心に響くから言わない人、目を逸らす姿勢が見える人、心に響きすぎるから反応しない人、あぁ。あの人は見たことがないかもしれないね。

共通の知り合いについて、そんな言挙げをした、かもしれない。

行為・行動についての陰口は嫌いだが、そんな人物評ならば心置きなくできた。

目を逸らしている人は多いが、見えたことのない人は、やはり稀だろう。そんな結論に達した。

6月2日、朝

この二つの会話の合間、一人で考えることに耐えきれず、久々に外部に放出した。

心に影のある人が理系に走り、陰を理解したことのない人が文学・哲学・心理学に走る。なにかオカしくないか。何かから逃げていないか |04:19 AM Jun 02, 2010|

自分に「ないもの」だから憧れるのか、自分に「内在する影」だから呼ばれるのか |04:26 AM Jun 02, 2010|

影がありながら能力を併せ持ち、理系に走る人がもっとも躓く。影がないのに他人の闇に寄り添おうとするものはどう生きるのか。隠れた影はあるのか ……あるよな |04:31 AM Jun 02, 2010|

「貴君の影を探そう。夜の闇は恐いかい? なにがワケもなく恐ろしい ?」 「卓に山盛りのまんじゅう、そして熱い茶が一杯怖いね。ヘヘヘ」 |04:36 AM Jun 02, 2010|

久々に「思索を」呟いた気がする |04:41 AM Jun 02, 2010|

「過剰なる才を持てあまし」と評論家がいうとき、誰の心に比べて過剰なのか。評論家本人 ? それとも無能・無才の仮想読者 ? |04:40 AM Jun 02, 2010|

一度は自覚しながら、逃げている対象が心の「影」か。内在して自覚したこと、怖れたことが一度もないのは「闇」か |04:46 AM Jun 02, 2010|

多少、言葉の遊びに偏った、直観ベースの連想思考だ。ここまで放出して、やっと眠ることができ、仕事の打ち合わせ、上記の人物評をした飲み会に至れた。

再び、6月2日夕刻

オカルト、東西の宗教、心理学。

みな表現が違うだけで、じつは やるべきこと は、処方は同じだと最近つくづく思う。そんな話もして同意を得た。

もちろん、当てはめた論理が 鼻の見えない人 に誤解され、あるいは 自分だけが鼻が見える。すごい能力だろう と誇ることで、さまざまの歪みが生まれる。

歪む形は、各理論で別。私は何種類かの体系で表現し、理解することができるが、とくに統一して体系にする必要は感じない。どの体系も歪むからだ。

そんな話が、二人で共感を紡ぐうちに生まれる。こんな付き合いなら、深くて親しくない関係は悪くない。

自分の鼻が見えることから、意識を逸らす人には嫌われる。公開の場所で多く語る内容ではない。会った人に合わせ、相手の状態、相手の体系に合わせた言葉で、ただ共感しつづけるだけ。

たまたま、自分と同じ辺りの位置にいる若い友人もいると、翌日に実感できたのは本当に幸せなことだ。

2010年5月29日

「らせつの花」読了

しばらく前にネタにした らせつの花 。秋の最終九巻が待ちきれず、かつ時間が剰ったときに漫画喫茶が見え、別冊・花と夢 の六、七月号を読んだ。二回の連載で、八巻の続きからラストに至る。

岩月君は報われ、あたかも日向羅雪・星野夜行の恋物語ではなく、彼が主人公だったかのようだ。 (こんな時、たいがい作者の打ち明け話があると 最初はもっと救われない結末になる予定でした とか言われるよね )

べたべたの少女マンガが気になって仕方がない四十過ぎもどうかと思うが、昔はこの手の話を読んでも筋を追ってはらはらするだけだったからね。この年齢で改めて初読というと、こんな作品しか残っていません。いやはや、恋愛でない愛を描いた作品の少ないことよ。

このあと、ディープグリーン (佐々木淳子) の四巻を読み、携帯から直接アクセスしていたにも拘わらず MiChao! がコンテンツは残っていても、企画終了して話は宙吊りで終わったとやっと知る。

スポーツ競輪漫画 Odd's (石渡治) 正編 , 番外 , プロ編(連載中、3巻まで) を読んで、なぜか遅れてらせつ の分まで目から涙があふれる。

なかなか有意義な漫画喫茶での時間つぶしだったが、競輪という特殊なスポーツが題材とか、前に一度完結した話の続編漫画であったり、人に勧めにくいのが難点だ。

後記・蛇足・多少ネタバレ

テーマは守護天使の、理想の母性から肉をもちながら乗り越えた男性原理への転換、かな

守護天使と聞いて、文字とおりスピリチュアルな存在しか想像できない人は退場

2010年5月28日

「身代わり」読了

また前日に続いて、精神病理の本を離れたつもりが…… というオチ。急いで書かずに、まとめておけば良かった。

図書館で、西沢保彦さんの 、タック・タカチシリーズが昨九月に出ていたのを気づいたんだな。

油断していた。トリッキーで軽妙な短篇だろうと、なにげなく借りて読み始めた。

依存 の続編の長編でしたよ。あの事件の余波がみな収まっていません。

身代わり

短篇のいくつかで語られていた、彼らの卒業後へ中継をする作品。すべてを収まって お疲れさま です。

ま、電車の中など人目につくところで読む本ではありません。涙流したり、挙動不審になったらかなわん

pidgin を 2.7.0 ( Yahoo Japan 対応 ) に

やっと pidgin を Yahoo! Japan 対応の 2.7.0 に上げられた。

ports から入れるときに、Gstreamer を使わない設定にすると、header missing でコンパイルが通らなかったのが今までの敗因だ。

 In file included from media/backend-fs2.c:29:
 media/backend-fs2.h:62:21: error: gst/gst.h: No such file or directory
 In file included from media/backend-fs2.c:29:
 media/backend-fs2.h:63: error: expected '=', ',', ';', 'asm' or '__attribute__' before '*' token
 media/backend-fs2.h:66: error: expected '=', ',', ';', 'asm' or '__attribute__' before '*' token
 gmake[4]: *** [backend-fs2.lo] Error 1
 gmake[4]: Leaving directory `/usr/ports/net-im/libpurple/work/pidgin-2.7.0/libpurple'

これは ports の問題ではなく、pidgin の問題だよね。報告はするが、パッチを考えたりせずそっとしておこう

追記

報告したら即座に返事がきた。その問題は対処をすでに提出してある と。

データベースを検索してから報告を提出したはずだがおかしいなぁ…… あ、pidgn (ユーザインタフェイス) のほうで検索したしか。libpurple (プログラム本体) で検索するのを忘れていた。マヌケだ。

2010年5月27日

エコノマ読了

エコノマという店を作るまで私の舌が覚えてきたこと。 読了。

精神医学と哲学の本ばかり読んでいるのもなんだ、と思って軽い料理エッセイを選んだハズなんだけれどなぁ。なぜか、精神病理の本でもあったりする。

今の気分が惹かれる文章が、どうしてもそちらの方面に近くなるということか。

それとは別に、料理は美味しそう。音楽の趣味は私には過激でつらい気もするが、横浜に味わいに行ってみたいね。

フランス語の発音 ("Tout tout pour ma chérie ma chérie")

ふと思い出したシャンソン、いやフレンチポップ。原題が思い出せずに検索したので、最初に当たるのはもちろん日本人向けに題名がかかれた動画。

うたい出しの (原題でもある) Tout tout ma chérie , ma chérie の部分を聞いたときに、日本人の喋るフランス語てこうだよな、としみじみと思った。

そして、私自身がこんな発音をしているだろうと確信がもてて嫌になった。で、いくつもヴァージョンを探す、と。

同じように日本人が歌っていても、なぜか発音が英語に聴こえる。

オリジナルは一応これかな。ちと版が新しいが。

こういうノリが好き。

たくさん聴いているうちに、だんだん発音の違いがわからなくなってきた。幸か不幸かしらんが。

2010年5月26日

臨床心理の本を何冊か図書館に返す

今日、これから図書館に返すのは以下の四冊。

文藝 別冊 は、谷川俊太郎が河合隼雄の文化功労者顕彰祝賀会に贈った詩がおもしろかった。一部引用する。

せわしいタマシイけたたましい
さもしいタマシイさわがしい
さかしいタマシイうっとうしい
まぶしいタマシイうとましい
ふたつよいことさてないものよ
わかりまへんなてごわいかわい

「臨床心理学」という近代 は、権威としての臨床心理に対するアンチテーゼ。

河合がいう深いが親しくない関係 だけでなく 親しいが浅い関係 も重要という言葉は重要。

あとに挙げた二冊、べつに今更資格を取ろうとは思っていない。読んでいるといろいろ計画しそうになるけれどね。

素人がカウンセリングの技法を日常の人間関係に適用しすぎると危険。だが、いまさら他の方法も好きではないし。ならばどう高めて危険を避けるかという試みの一環だ。

これはまだ返却しない本から、次の言葉が胸を打つ。

ノルウェーの森には桜井が指摘するように、確かに<話す/聴く>関係が組み込まれている。だがとの二者関係の中で話し手の傷が癒されることはない。『僕』は引き受ける覚悟もないままに、緑や直子の心の結ぼれを引き出し、傷を露わにしたまま放置してしまうのである

不用意に蓋を開けられた心からは、とめどなく病いの血潮があふれ出し、彼らを深刻な危機に陥れていく

(前後するが、もう一節)

その日が犯してしまった誤謬とは、(それをもし誤謬と言うのならだが)、際限なく続く話に不安を覚えて彼女の話を遮ってしまったことではない。むしろ、いくつかのポイントに触れないように気をつけて話していることの 不自然さ に気づいていながら、直子の話を途中で切り上げさえてあげなかったことのほうなのだ。

臨床文学論 (近藤裕子 2003)

先日に読んだ、ユングの生きていた頃のユング派の一人が書いた心理療法の光と影 は、その危険を描きながら肯定的な賛歌になっていて勇気づけられる。

2010年5月25日

外はこんなに良い天気

窓と扉を開け放って、26.5℃、湿度は17%くらいじゃないだろうか。外はこんなに良い天気。

河合隼雄の本" で言及されていた聖なるもの (ルドルフ・オットーの原著に、訳者の華園聰麿が注解をつけた版) がある図書館を土曜日に探した。

私が住んでいる世田谷区の図書館になく、カーリル で検索すると、たとえば都立中央図書館 に在庫があり借りられるという。

麻布の有栖川公園は、好きな公園のひとつだ。その中に図書館があるのは気づいていなかったが。

せっかくだから今日、歩いていこうと思った。残念ながら、16時から歯医者の予約が入っている。

こんな日もある。いま読みさしの本を読もう。


この記事を書いたついでに、中央図書館のサイトを見たら 来館しても貸出できません。都内の他の図書館から借りて下さい と書いてあった。カリールでは 貸出可能 としか表示されていなかったから、早合点していたらしい。

近所で借りる手続きをしましょ。

2010年5月21日

ひさびさにマトモな夢をみた

昨22時過ぎにまっとうに眠くなり、人がましい時刻に一度起きたが、とくに予定もなく、物足りない気がして眠ったら、やっとまともな夢をみた。二週間ぶり、か。

寝不足が続いていた。忙しくてではない。眠り続ける体力がないから起きていただけだ。

日記というほどでもないローカルのメモをみると、どうやら13日を最後に、昨20日の昼までマトモな食事を一度もしていなかったらしい。たんぱく質といえるものを食べたのは、差し入れにもらったカップぜんざいの小豆だけ。

昨20日に豆乳を 1L とバナナ、干しぶどうを摂って、街を歩きながらときどきコンビニの惣菜で肉を何度か食べて。やっときちんとした睡眠を得た。

恥ずかしい近況だが、誰かの役に立つかもしれない。こんなこともあるんだ、と。

2010年5月19日

生存報告 05-19

生存報告なんて書くのやめようと思っていたのだけれどね。

メールに対応しつつ、直近の予定が立たずに待機している日が続くと。いまの精神力では 俺は生きているぞ。動いているぞ と主張したくて、ネットで饒舌になってしまうらしい。それは、ハタ迷惑だ。まだしもゴミのようなエントリが自分の日記に追加されるほうがマシ。

手をつけていることはいくつかある。一段落ついていない、区切りまで行ってもいない途中経過を書くのはやめようと思っている。

ま、そんな感じ。自己主張の欲をこのエントリで発散して、待ち時間に有意義な内容を構築できるようになることを、切に望む。

2010年5月15日

雑話3つ

覚悟について

図書館のリサイクルで拾った本。新入社員に向けたメッセージが書いてあった。

覚悟をしていますという言葉は安々と口にされます。しかし、覚悟はしていましたが、やっぱり駄目ですという言葉も安々と口にされます。

これは、覚悟を決めていたのではなく、覚悟をした気分になっていただけだからでしょう。

(略)

何が起こってもがんばろうと決意するときは、起こり得ることに何があるのか、起こり得ることの最大値は何なのか、そのとき自分は何ができるのか、などを自分の弱み・強みを踏まえて予測しなければなりません。

そして、どういう場合に自分はがんばれるのか、どの程度がんばれるのか、達成できることはどの程度か、などを決めなければならないのです。

若い君たちへ贈るちょっと外したオピニオン より

違うよ。

覚悟ってのは、失敗した時の結果をも受け容れること。

会社の経営者 (著者) としてはそれじゃあ困るだろうが、言う側は 駄目でした。どうとでもしてください。馘首なら鶴首で構いません で良いんだよ。

万全は尽くした (人格、生活などとのバランスも含めて)。その結果どうだった、というのを生かして、先につなげることができる。それが覚悟なのであって。結果が成功でなければ宥せない、てのは覚悟をしていないだろう。

この社長、上司にこそ言うべきだ。この部下に任せたという覚悟が足りない と。

歯が欠けた

4,5年前に入れたブリッジが、さきほどポロリと取れた。玄米ご飯食べていたら。

夢判断の本には、身内の死の予感 と書いてあるかもしれません。あるカウンセラは 現実に対する自分の解釈・価値観が変わっていくときによく見る と言いました。

夢の解釈は人それぞれ。その人の生活の中で判断すること。本当に身体が病気を訴えていて、自覚まで至らない痛みが見せることもありますね。

半年ほど前にそんな科白を吐いたが、まさか現実に対する自分の処し方が変わってきたときに、現実の自分の歯が、五本分もなくなるとは思わなかった。

ちかごろ真面目に歯医者に行くように生活を変え、口の中の他の部分も使えるようになって力の掛けかたとか変化したせいなんだけれどね。

この歯の治療をしたとき、他の部分を治して噛み合わせが変わったら調整する必要がある と言われた気もする。

バトン踏んでしまった

mixi で、友人の日記をみたらバトンだった。朝起きたら異性でした というやつ。

コメントの応酬のノリで、彼の日記に自分も答えて。2~3時間して気づいた。いや、応え終わった瞬間にそんな気がしたのだが、これ心理テストだ。相当に本音漏らしてしまったよ。

ここで世界に公開するほど悪趣味ではないが、質問だけ書いておく。

まず答えてみて、しばらくしてから自分がなに書いたのかに気づいて苦笑いすると楽しいよ。

  1. 目が覚めると性別が変わっていた!まずは一言
  2. とりあえず着替えなくては…何を着る?
  3. 大切な用でどうしても家から出なければなりません!どうします?
  4. 無事に用事を済ませたあなた。どうやって乗り切った?
  5. 突然友人がやってきた。「どうしたッ!?」と言われたあなたは?
  6. 友人はなんとか理解してくれたようです。そんな友人に一言。
  7. 夜、お風呂に入ろうとしますが……あなたならどうしますか?
  8. いつになったら元に戻ると思いますか?
  9. とりあえず寝れば治るそうですよ。どうします?
  10. 朝、起きたが戻っていない!何か一言。

2010年5月12日

9マイルは遠すぎる

9マイルは歩くには遠すぎる。ましてや雨の中となればなおさらだだよね。雨の中を歩くのがつらいと言っているんじゃない。9マイルといえばただでさえ辛いのに、雨が降っていたというんだ。しかしね、君。9マイルといえばそれほど長い距離じゃないよ。ゴルフをすればすぐにその半分くらいは歩く。しかもゴルフといえば 老人のスポーツだぜ。

9マイルは遠すぎる 表題作より。ただし、文責は中川。つまりうろ覚え。

月曜日から、むしょうに歩きたかった。

なるべく急いで図書館に行く必要があるが休館日。うかつに出歩いて帰ってこられなくなるといけないと、見送り。案の定、なかなか眠れなかった。

明け方6時から9時まで眠り、図書館のほかの用事、街中に出る準備などを整えて出たのが、正午を30分過ぎ。一度も座らず、缶コーヒーを一本飲んだほかは無駄遣いもせずに、5時間後に渋谷に着いた。

用事のあいだ、多少は座った。一時間後、用事が終わってから友人と合流。

友人と30分立ち話をして、また歩き出す。霧雨が降っていた。専門学校の卒業製作の展示を観たときに、椅子を借りた。 500ml パックのジュースも二人それぞれ飲んだ。あとはひたすら歩いていた。だんだんに雨がきつくなり、友人が帰る私鉄の始発駅に着いたときには、ふたりともズボンが絞れるほどに濡れていた。22時10分前。

つまり休憩を二回はさんで、9時間半歩いていたわけだ。雨が冷たい、こんなこと二度とやるかと言いながら、二人で食事をし、最後の話をした。

で、いま私の歩いた距離を地図に訊いてみた。要所々々を結んで最短で移動していたとしたら 16.6 km だという。約 10マイルだ。

誰だよ、9マイルは歩くには遠すぎるなんて運動不足だ なんて言ったのは。友人と歩いた 5マイルだけ取っても、雨の中充分に酔狂だよ。雨でなくとも、ふつう渋谷から池袋なんて歩かないよ。

それだけの話。ほんとうに大体9マイル歩いていたことが分かって、笑みが止まらない。

付記: おっと。渋谷で座って30分アンケートに答えて、図書券を稼いだっけ。

2010年5月8日

ふわふわと

三日ほど深く眠れなかったが、回復。筋が鮮明には思い出せない夢をみた。

かれこれ十三年、連絡を取っていないし、取りようもない知り合いが、仕事先にきて慌てて連れ出して二人きりで話した。

二万円渡せ といわれた。そのとき私は一万七千円しか手持ちがない。さらに二週間後、四万円受け取りにくる とも言われた。

ちかごろ、その人と交際が途絶した最後の会合を思い出しては、あれがいけなかったと反省する -させられる- ような、対応する人間関係のトラブルがある。

今日のうちに、あと一つの反省。二週間後をメドとしてさらに四つの反省でも洗い出してみようかな。とくに急ぐ用事はないし。

最近まで、実在の人物が見識った顔で出てくることはなかったのだが。近頃は、ごくタマにある。今回は十年以上も前の顔なわけだが

2010年5月5日

ふつかほど miniblog 復活してみた

お休み宣言 から50日弱。昨日と、今日と。ミニブログに浸かってみた。昨日(4日)は足を浸す程度。今日(5日)はどっぷりと。

CMS の作品 ? GW が五日も残っていなかったのに気づいて断念しましたよ。技術的な下調べはしたのですがね。

前日まで、復帰する予定はなかったし、知り合いにもそう言っていたのに。自分でも信じがたい。

文体はあまり変わってない、下手をすると前よりも傍若無人。時間あたりの投稿数もあまり変化はなかったが。

ミニブログを離れてからの、生身で人と話すときの心がけが、しっかり自分の姿勢になっていた。多数の人の記事を読み、反応しながら。いま場所を離れると何も心に拘りとしては残っていない。その場でできる反応をして、すべて出し切った実感があるから、あとに残す必要がないんだな。

考えつづけていなくとも、しばらく休んでから復帰したらきちんと。その人の個性や過去の記事が必要に応じて思い出せる。そんなことが自分に可能だとは知らなかった。

たぶん復帰したのは、こんな文章を読んだのがきっかけ。

だから、われわれの常識とか経験で解決できるものは、どんどんやったらいいと思います。怒って治るものならば怒ればいいし、話し合いに行って治るんなら行けばいい。説教して治るのなら説教したらよろしい。してはいけないということはないんです。しかし、説教も話し合いも叱責も効き目がないというときがある。そこからカウンセリングは始まる。そういうふうにおもってほしいですね。

河合隼雄のカウンセリング入門

ここまで50日、対面や電話で 聞くこと をメインで人と接することを心がけたあとだから、なのだけれど。すっと中に入って会話することができた。目立ちたいだけのための発言は 1% 程度で。

これで明日からの日常に、また自信をもって戻れる。そんな気がする。

2010年5月2日

PC 環境復旧

恵んでもらったマシンがメインだが、復旧 したのは環境であって、PC ではないということで。

4月30に追加の買い物をして、作業開始。各種アプリの更新作業まで含めて、終了したのは今朝未明4時。

技術寄りの、FreeBSD に特化した話を軽く書く。

/usr/local , /usr/src , /usr/compat は前からのディスク (320GBytes , ATA 接続 ) へのシンボリックリンク。/usr/home , /var , /tmp は前からのディスクの該当パーティションへマウント。動作確認で FreeBSD-8.0 RELSEASE をインストールした新しいディスク ( 80Gbytes , SATA 接続 ) から起動して、/etc はまるっぽ mv して /etc/fstab のみを編集した。

8.0-RELEASE と、マシン故障前時点の 8.0-STABLE で ライブラリに変化があり、ports でなく自分で作っている vim だけが動かなかった。どうせ更新は趣味で行うので、vim を作り戻しはせず csup , makeworld 。そのほかは素直に動いた。Pentium4 1.6GHz から Celeron 1.8GHz 、どちらも i686 と表示される移行なので、CPU に合わせて最適化した /usr/local のバイナリも最適なまま動いているのだろう。

変えた設定は、失効した kikansha.jp のドメインから **.local への名前変更のみ。

ハードの変更に伴う変更は二点。ネットワークカード ( カーネルで bfe → em ) と、グラフィックボード ( Radeon RV200 QW [Radeon 7500]Volari Z9s で、ports から入れている X のドライバと xorg.conf を radeon から sis に ) 。

ドライバを変更しなくとも、前の設定ファイルそのままでとりあえず X が VGA (基本) ドライバで動いてくれたのはありがたかった。メールチェックくらいはできるということだ。(そこまで18日もの長きに渡って、携帯から生活していたから今更ともいうが)。vim が使えるまで、積極的に日本語を入力する気にならなかったけれどね。

X が VGA で動いていたとき、まだ /boot/loader.conf を動かしていなくて sem.so をロードしていなかったが firefox3 は素直に動いていた。なぜだろうね。とくに追求する気はない。

おっと、一時間後に追記。サーバ用の機材 で、音声出力端子がマザーにないので USB のスピーカを購入していた。ヨドバシカメラで一番廉かった品物、 1,980円。

Windows 用の CD がついたソフトウェア制御の品物で、音量調整はコマンドラインから mixer と叩かないといけないが、/boot/loader.conf に snd_uaaudio_load="YES" と追記したほかにとくに設定はない。(追記終わり)

ひさびさに、睡眠障害寸前まで作業した。どうなることかと思ったが、徹夜→13時から2時間の仮眠→風呂などの日常もこなして24時に就寝→6時半に自然に目が覚めた、ので私も復旧できたのだろう。

ゴールデン・ウィークのあいだは復職活動をしても無駄なので、あと五日間でちと作品を作ろうと、今朝思いついた。前に河野さんとお話して、こんな仕様でこんな実装なら良いよねと意気投合した CMS の、ブログ部分だけ軽く。五日でできる範囲だけに限定して。

五日あれば、構想は固まっているわっさ用の人工無脳も一個半作れるんだけれどさ。環境構築も実験も済んでいるし。わっさそのものにアクセスするのを控えているので、人間の環境が今は向かないのだ。

2010年4月30日

春だねぃ

午前、歯医者の椅子の上で80分。合間に「ブッダの夢」(ISBN4-02-264262-9) を読み了えた。三週間ほどあちこち拾い読みしていたのが、まとまった。

久しぶりの歯医者、神経が過敏になっていて眉の上を技工士の袖がかすめるのまでくすぐったく感じた。だが、病的な神経過敏ではない。体力が落ちて刺戟に敏感なのではなく、体力・気力は二日の睡眠で充実していて、躰に張り巡らされた神経を実感している。

歯医者が終わり陽射しの下を歩きながら、いまの気持ち、格好良くいえば「無」だが、実際は「忘」だと思った。このふたつは同じものじゃないかと。

「呆」でも「HOGE(放下)」でも良い。禅僧が格好良く言って日本語で仰々しく奉られるが、実際は小学生の頃には得ていた、喪った感覚。

学術的に正しいかではなく、いまの私が感じているというだけのこと。べつに他人に押し付ける気はない。

春の陽気には、こんなエセ悟りが似合う。

2010年4月29日

意識的に独り言を口に出した一日

友人が「二、三年前に買ってから封を切っていない」と贈ってくれたサーバ機に電源を入れ、動作確認した。

いままで使っていたハードディスクを中に固定すると ATA ケーブルが届かないので、明日にも買い物に行かなくては、PC 環境が復旧しない。復職関係のファイル一式が入っているので、具体的に動けるのは連休後になる。

PC が壊れている間に、小説を十冊ほどと、人文の書籍を四、五冊読んだ。

昨日と今日、眠っている時間のほうが長い。外見はうつ期と変わらないが、焦りもないし精神は上々。眠れない夜ばかり過ごしてきた三年を取り返しているように思う。心身の調子が熟睡に向くなら、眠るに越したことはない。たぶんいま最優先でやるべきことなのだろう、人生の残りはたかだか二、三十年と見据えて。自宅で運動をする人がいるように、積極的に眠りに取り組んでいる。

明晩には PC 環境も復帰しているだろう。土曜日には動いているだろう、いろいろなことをまた、書き散らすかもしれない。今日は生存報告だけ。長らくどの日記も更新していないのが気に掛かったから。

2010年4月21日

再点検

復職活動のうちで、手応えのあった案件を落として再考中。

ほぼ狙った通りの印象を与えた自信があるので、技術・経験に問題がなければ根本の作戦が案件とそぐわなかったのだと。

おりしも友人に 技術・経験があればサルでも使いこなせないとプロマネ(PM)とは呼ばないんだよと言ったばかり。あまりに強い印象を与えると、本名からこのアカウントにつながり赤裸々な過去などが検索されたかとも考えたし、そちらにも対策は打っておくべきだが。枝葉だろう。

人は変わる。私も変わった。目の前で話した私の印象が問題のはず。


読書にかまけて散歩を怠ったら、徒歩の速度が酷く遅くなっていた。反省して昨日は街中を五時間歩く。雨も降りだしたが、春の陽気ゆえ、傘がなくとも気にならなかった。

一夜明け、体調・スケジュール・気分がどれも気持ち良く現実逃避できるようタイミングが揃う日は滅多にない。安心して逃避しよう と考えたら、逆に積極的に反省と方針の立て直しが始まったのが興味深い。

2010年4月18日

あれこれ 04-18

会話に全身で向き合う訓練を重ねるたびに、会話の中身が普段の記憶から抜けていく。

そういうものなのか、「アースして地面に流し、次の会話まで思い出さない」という先人の知恵を読んだのが影響を与えているのか不明。デメリットはないから続いてほしい。

自分が受け止めて考えないといけない内容、実務/手続きをしないといけない内容は、タイミング良く拾ったり、思い起こせている。自惚れかもしれない、それは自分では分からない。


水曜日からPC故障中。読みたい本のリストが膨れているので、半ば意図的に修理に手をつけていない。

人文系の本のリストが片付いたら、ちと GAE (Google API Engine) 触ってみたいのだが。復職までうちに時間を取れるかな。

2010年4月17日

カラオケに遊びたい -vocaloid songs-

午前四時台に起きたと思えば双極性障害(うつ病)の早朝覚醒だが、五時前に起きたと思えば単に早起き。ちかごろそんな感じ。

あまりの寒さに空調のリモコンを探し、過程で昨年末に娘とふたりでカラオケボクスに行ったときのメモを発掘した。

ヒトカラのつもりでと彼女に好きな歌を歌わせたら、ヴォーカロイド曲ばかり25を歌ったリストだ。私には珍しかったので挙げておく。

「僕は灰猫」(レン)
「呪いのめがね」(リン)
「ダブルラリアット」
「ハロウィンモンスタァパーティナイト」
"Imitator" (レン)
「ブラック★ロックシューター」(レン)
「炉心融解」(リン)
"Little doll" (リン)
「右肩の蝶」(リン ver.)
「右肩の蝶」(レン ver.)
「リンレンラリリン」
「初めての恋が終わる時」(ミク)
「WEBデザイン」(KAITO)
「何となく言ってみたい言葉」(レン,ルカ)
「置き去り月夜抄」(リン,レン)
「貴方に花を私に唄を」(ミク)
「パッピッパー」(ミク)
「ペテン師が笑う頃に」(ミク)
「裏表ラバーズ」(ミク)
「ベタ恋歌」(レン)
「イケ恋歌」(レン)
「サルでもわかる」(リン)
「下克上 -完-」(リン,レン)
"Fire" (レン)
「囚人」(レン)

2010年4月16日

誤爆 -miss shot-

携帯の送信メールを確認したら、ひどい誤爆が…… (二回目)

はい、黒い と嫌われた中川節も健在です。思考を発展させるときには紙のノートに書くし、オチがついてしまって、忘れたころの見直しでないと発展しそうにないものは、手許に携帯しかなければ gmail に封印しています。また PC が故障したから gmail に送ったつもりが、ここに来ていました。

自分が恥ずかしいだけの、ウヌボレだけの文だから良かった。

他人のことを気にするように ……直截にいわず手帳に書いてこちらで考察するようになってから、取り扱いには細心の注意を払うようになっています。誤爆するなら自分のコト

2010年4月15日

アニマとアニムス

男性にとってのアニマは、世間という荒波に対するときに、弱音を吐きたくなったら逃げ込める、護ってくれる、究極の母親。世間と自分のあいだの非常用の隔壁で。

女性にとってのアニムスは、社会に見せている自分ではなく、生(ナマ)の個人を受け止めてくれる存在。
望まれたなら性的にも暖めてくれ、どんな話も黙って聴いたらまた闇に消える。必要なときだけ呼び出されてくれる存在。
ケガレを受け止め、闇からの智恵を与えてくれるが、昼の光の下には現れない、究極のカウンセラなのだろうと思った。

二、三千年続いた社会が変わり、男女の社会的な役割が逆転して、月経ではなく精通がケガレとみなされるようになったなら。
幻の異性像も逆転するだろう

2010年4月12日

見つからないもの

思索は夜に、決断は朝に なんて、いかにも諺・ノウハウとしてありそうな言葉が、日本語/英語ともに検索して見当たらない。

むかし父がよく歌っていた そよふく風さえ… とはじまる、ユーモレスク の歌詞が、検索どころか唱歌、世界の名曲などで図書館を漁ってもわからない。ユーチューブ動画へのコメントで日本の唱歌を海外の人が演奏してくれるとは なんて コメントすらある から、間違いなく存在した文化なのに。

プロとは

昨日、娘に向き合ったあとで。

前日に電話を誘った旧友と一時間半の電話をして、ザンスの最新刊を読み、眠り。起きると図書館に返した本、さんざん引用した 平成おとぎ話 の一節が深く心に響いてきた。

「プロとは自覚した技術によって、偶然だけが導く名演を呼び寄せる存在である。

アマチュアでも時に名演に恵まれる。プロでも常には恵まれない

文責は中川。「まねをしないで」より

2010年4月11日

娘の家庭教師 vol.10. -side B-

というわけで、ブログだか書写だかよくわからないことをしたあと。娘がきての家庭教師はひたすら そこに居ること。相手に100%向かう ことに注力してみた。

アホほど疲れた。15時から17時、お互いに限界だった。

昔の寺子屋で、音読をひたすらさせた意味が分かった。教師自身がそこに向き合うのに、注力するのには最適だ。もちろん、馴れになってしまったら意味がないが。

最寄り駅まで送り、図書館に行き、スーパーで買い物をして帰る。

トレイいっぱいの小魚、見たことのないのが半額88円というのを買ったが、ちご なんて名前、紛れて検索もできない。レシピ専用サイトでも当たるところかな。(稚魚、とかいてちぎょと呼ばずちご、なんだろうと思うが)

ま、とりあえず出汁醤油で煮るだけだ。

アイについて

ひとは相手のどこに好意をもつのか

自己肯定ってやつだ。

けれど、それは開き直りというやつでもある。

反省がない、自分をかんがみない、疑問を持たない、客観的になれない、我儘な、自己中心的な、成長のない*だ。

世の中はそんな*を イヤな* と呼ぶ。

(中略)

ありのままの自分というのは、本当は、ありのままで努力している自分、のことを指しているに違いない。

恋するチカラ (唯川恵 2004)収録

*は今カメラ持ちたくないみたいなの。死にかけたんだからムリない…よね
ふうん。なんか意外だな。もっとタフな精神のやつかと思ってた。
(第16話)

市民も放り出せないーー でしょ ? たぶんそれ、まちがってないんじゃない ?
そ……か
(第19話)

なんで*さんがその言葉を言ってくれるの? がんばれって、あたしの背中を押してくれるの?
おれの好きな君は、たぶんそうするはずだから
(第20話)

文庫版3巻 より

アイについて

河合隼雄氏の平成おとぎ話 よりいくつか

夢などめったにかなうことはないという現実認識をもった上で、かなう夢」のあることを教えてくれた先生に有り難うといえるのである。

先進国にはヒューマン・ビーイングはいない。いるのは、ヒューマン・ドューイングだけである と言うと、案の定、わっと笑いが起こった。

(略)

何をするべきかと考えたり、私が何をしてあげるかというのではなく、私がただそこにいる、ということが非常に大切になってくるのだ。

(略)

これは実に難しい。何もせずに居ると、人間の心というものは、どこかよそに行ってしまう。そうならずに全身全霊をあげてそこにいる、というためには修練が必要である。

そんな面倒なことをしなくても、最初から自分の個性を生かして努力すればいい、と思うかもしれないが、人間の個性などというものが、そんなに簡単に見つかるはずもない。誰か自分のほかに「生きた見本」を見せられて、あれだ、と思って努力し、苦労してこそ自分の個性が見えてくる。

(略)

不幸にも幼少期にそのような体験をしていない子供は、なかなかそれが難しい。

思い切って身をまかせる経験をもっていないと、いざというときに不安が先立ってしまう。あるいは、まったく途方もない存在でないと身をまかせられなくなるので、(略)このような同一視がどれほど危険であるかは、オウム真理教事件を見てもわかるであろう。

そのことが一番端的にわかったのは、フィッシャー・ディスカウが、このように歌うのだと生徒に歌ってみせ、生徒がそれを聴いて歌いはじめるとすぐに「まねをしないで」と言ったときであった。

(略)

先生は言うなれば、シューベルトのたましいを自分はこう感じとっているのだと伝え、それを受けとめることが生徒にとって大切なのであって、先生の行為を真似してもはじまらないのだ。

劉さんは陳さんを紹介するときに、「諍」という字は、日本人は「論爭」などを連想するかもしれないが、これはそのような意味ではなく、お互いにまったく自由に腹を割って話し合うということなのですよ、と言われる。そして、それに続いて、「中国には、諍友という言葉があるのです」

私が言いたいのは、どちらが正しいとか、どちらがおかしいと言うのではなく、文化には明らかな差があり、その差の存在をしっかりと認識することによって、お互いの誤解を少なくすることができるし、また、他に学ぶことができる、というのである。別に、日本文化が他より優れていると主張する気はない。

複素数などといっても忘れてしまったという人もあろうが、非常に簡単に言うと、普通の実数では量だけしか表せないが、複素数では量のみでなく方向も表せるのである。

蛇足 : この説明で感嘆しないやつは理系じゃない

ところで、対談の達人とも言われる河合隼雄氏が、私は感情とか感覚が未発達なので と書かれていた文章をみて目を丸くした。この本だと思ったのだが、なんど読み返しても見当たらない。おかげで引用と称した場所が増えてしまった。

ユング心理学のことばで 感情と感覚が未発達 といえば、もちろん 直観と論理には自信をもっている ということ。なるほど、私が河合氏のことばをちかごろまとめて読んでいるわけだ。封印していた直観を解き放ち、論理との両輪で生きようとしている時期なのだから。

2010年4月10日

文体分析されてみた

バズ仲間 (友人の友人) が Google Reader からシェアしてくれたのをみて、文体診断λόγων(ロゴーン) をやってみた。

提供したデータは、最近に書いてローカルに保存している、自分の夢の記録と感想。

  1. 小林多喜二 (79.6%)
  2. 松たか子 (79.5%)
  3. 井上ひさし (78.9%)

蟹工船 ですか。あれ、読みにくい文章だったよな…… 悲しい。

いくらファンでも立原正秋に文体が似ていると言われたらイやですけれどね、人を飲み込むほど勁い文章は書きたくないと思っているので。色川武大の文章は水っぽすぎるし、川端康成のような幻想的な文章は、夢の話でも似合わない、私がやっているのは分析だし。

でも、吉行淳之介とか城山三郎が出てきたらうれしかっただろうな。(たかだか64人の作家しか入っていない比較対象に、ピックアップされているかどうか知らないけれど)

  1. 岡倉天心 (46.9%)
  2. 田中角栄 (55.6%)
  3. 三木清 (56.7%)

岡倉天心は昔に一冊読んだはず、という程度の文筆家で思い入れもないが、三木清人生論ノートは思春期に繰り返し読んだ作品のひとつなのだがなぁ。残念。

文章の読みやすさ
B (読みやすい)
文章の硬さ
A (文章がやや柔かい)
文章の表現力
A (とても表現力豊か)
文章の個性
A (とても個性的)

個性的というのが褒め言葉かどうか疑問だが、全体に自尊心をくすぐってくれる評価ですね。

blogger.com のこの日記スタイル (css) で、表のままでコピーしても読みづらいのは自明だが、ほかに思いつかない。お目よごしゴメン。

平均文長 平均句読点間隔 特殊語出現率 名詞出現率 動詞出現率 助詞出現率 助動詞出現率 ひらがな出現率 カタカナ出現率 異なり形態素比率
粗点37.4317.4712.5825.9611.5632.2511.1654.972.6440.37
偏差値45505443626545526980

娘の家庭教師 vol.10

新学期が始まりました。

先週、踏み込み過ぎたから、バランスとらないとね、と言葉で思ったわけではないけれど。猫の気持ちで娘の学校の話を聞いていました。

[良い]-[悪い] , [ねばならない] の軸で頑張って、疲れているみたい。自分の接し方が悪いんだろうと思ったのが先週末。(家庭教師後)

今日は怒るのでもなく、叱るのでもなく、仕返し をしてみた。

私の指導は、○か×かという基準が違うのではなく、答案として充分か、不充分かという観点だと宣言した。点数もつけなかった。

今後も同じ調子で、同じコツを守ろうと思ったのでは失敗するのだろうな。一回、一回の真剣勝負。仕事じゃないから、目標は合格じゃないから、成算は不明。

2010年4月9日

4月9日時点の twitter 分析

ウケた。書かずにいられない。

Personality: likeable inquisitive cautious

Style: chatty obscure

BOFFIN

  • Your writing style is pretty obscure - try to keep things simpler, maybe?
  • Try sharing some interesting links you've found

9日未明時点の分析です。あとで変化するかも。

ちょっとアイマイなことばっかり言う人だね。シンプルに話してごらん。わかった?

はい、よく言われます。だいぶシンプルを心がけているのだけれどなぁ、殊に文字制限のある twitter では。

でも、なぜ英語圏のプログラムが分析しても同じこと言うの ?

日本語の分析、円グラフもあったね。昨年9月にも一度やったっけ。こんなの。

愛情度:3.85% 神経質:11.54% 思いやり:3.85%根暗度:3.85% 忙しさ:53.85% 下心:0% 社交性:3.85% ユーモア:19.23% 無関心:0%

ま、twitter は PC 関係の愚痴がメインですし。愚痴るには諧謔 = ユーモア も必要。こんなもの ?

忙しいと分析されるのは、投稿数が少ないからですね。

私淑している方のひとりにお会いした

nkf で名高い 河野さん にお会いしてきた。

解散後、しばらく帰路が同じで。いわれました。ネットで見るそのまま、まったく違和感なし 。いま拝見したら fj の中川さん紹介されているし。

先日は、同窓生の日記にコメントしたら、総勢五名ほどひっくるめて fj の香りのするみなさん と言われたなぁ。うーむ。fj という文化が機能していた、最後の三年前後しかいなかったのに。新参で、振り返って未熟な発言の数々。逃げるつもりはないが、恥ずかしい記憶ではある。

ま、ほかに実績もないし仕方がないか。

こんな実装があったらうれしいし使うんだけれどなぁ。今なら誰も作っていないしチャンスだよ と言われた CMS (ブログなどのコンテンツを、投稿・管理するのに使うやつ) でも作って xxxの作者の中川です と言えるようになりますかね。

……言わないよなぁ、自分からは。フルネームで、あるいは パイプ喫いの と名乗って、説明がなくとも おぉ xxx の作者 と思われて本物。自分で注釈を加えないといけないのは、実績があるとは言わない。

とりあえず、復職して資金に余裕ができたら名刺つくりますか。名刺を作っていなくてと初対面の方に挨拶して なにをしている人ですか と訊かれて答えるべき内容がないので。肩書きのない名刺を。

それでも、訊く人は訊くのだろうね。なにをしている人ですか 。復職して、仕事をしていたとしても迷う質問だよな。だからといって 本を読んで散歩をしている人です と応えるのも変だ。今日は パイプ喫いの とよく言っていますと応えたが。喫煙のために生きているわけでもない。

それだけではなんなので

今日の会話から

デザインパターンて、書くのは楽だけれど、教えるの難しいよね。

ヤヤコシイ処理を工夫するとこうなりがちだよね。人にいちいち説明するの面倒だからノウハウ説明しちゃえ、の集合、苦し紛れですから

学生に教えるのに、見通しが悪くて苦労するよ

大規模プロジェクトを納期にあわせて仕上げるのに、どう分割して作業者に割り振るかという発想ですものね。

河野さんが、実績のない私の個性を憶えてくださっているのは、ライセンスから設計・実装まで。コンピュータシステムという作品に対する美意識が似たところにあるからなのだろう。

実装よりも、その考えが生まれたバックボーンに即座に目が行き、口に出すようになったのは最近だが。

2010年4月8日

久々に麻雀について

久々に麻雀について書いてみようか

かつてツキの流れはあるか、ないかという話題が長く論を呼んだことがあった。いま現在もどこかでは論議されているだろう。

「麻雀は認識のゲーム」と阿佐田哲也の名前で語った方がいた。その文芸の先輩、五味氏も言った。問題はツキが実在するか、しないかではない。

エラーを自覚したとき、結果に不満を感じたあと、配牌を腐った(悪化した)と感じる。その感覚がベテランであれ無垢の初心者であれ、振り払いがたく襲うということ。それが問題の焦点だ。

ツキが悪化したと感じると状況への対処が鈍る。楽しみも損なう。ツキの有無は無視しても、自分の心や対局相手の認識が変わるというのは、紛れもない真実。それもまた状況のひとつ。

感覚に身を委ねて対処するのも、非科学的だと否定し、プロパガンダして対局相手の認識からも拭い去ることを意図するのも。

私の見聞していた限りではこの二つが双璧だった。他にも対処はあるかもしれない。最も効果ある対策が何かは検証不能だから、一度限りの出来事の積み重ねだから、ゲームに魅せられる人はあとを絶たない。

事象に法則を見つけることに目を奪われ、自分の心の動き、他者の認識の変化という目の前の出来事を無視するのは、「近代知」,「科学の方法論」の罠だな…

というような思いを「河合隼雄対話集」(1994 ISBN4-89583-139-6) や 「臨床の知とは何か」(中村雄二郎1992 ISBN4-00-430203-X) から受けた

追記 04-08

mixi 方面に、まだ私の麻雀について語っていたころの知り合いが多くいらっしゃるので、ふと反応をみてみたくて書いてみた。

あちらの足跡を見る限り、どうも誰も私の麻雀に対するコメント・随想など求めていないみたいね。それはそれで清々しく、すっきり。

2010年4月7日

もつれっぱなし

1.

朝、起きて。今日の予定を考えようとして、思考に焦点が定まらなかった。

寝ぼけているのだろうか。視界は焦点が定まっている。なぜ ? 二時間後、風邪の症状が出て納得。昨日は気力を奮い起こして外出、用事のあとでやたらと食事と買い物をしないと気力が回復しなかったが、これが原因か。

たぶん、気力が回復して、やっと体調のほうの低下も身体症状になって現れたのだね。

2.

仕事の連絡、プライヴェートの連絡。それぞれ話が紛糾した。

どちらも怒りをオブラートにつつんだ書き方をして、一度散歩。

片方は、翌日の再開を提案、片方は二時間後の夕方から再交渉。うまく敗けるべきところで敗けられた、謝ることができたから、人間関係のスキルはこの何年かで上がったのだろう。

なにも考えずに勝利を繰り返し、たまに手酷くしっぺ返しを喰らう。そんな日々よりも今日のほうが生産的。だが、疲れる。

世間のひとは、この疲れを繰り返しながら生活しているのか。深く生きるって難しい。

こちらが頭を冷やす必要があるときには、向こうも頭を冷やす時間が必要なわけだ。

それは無駄じゃない。そう信じるしかない。

2010年4月5日

mixi と twitter と

mixi

考え事をしていて、ノートを繰ったらこんな文章があった。

二度と筆名・虚名というペルソナに支配されたくないから、ありえないような ** とか Gazer とかに変えたのだが、なんだか昨日はよくわからない…… (以下判読不能)

** はある場所で使っている名前。これは伏せておく。明治の文士を気取ったような雅号をつけたら、定着してしまった日の記載だ。

さて、Gazer の名乗り、どうしようかね。そんな名前でトピックに書き込むからいけないのだけれど、呼ばれると面はゆい。お師さん とでも書いてみようかと、しばし血迷ったが、それでも呼ぶ人は呼ぶような気がする。

本名、もしくは正式な名乗りに変えるかと迷っている。決心がつくまで、コミュニティへの書き込みは控えよう。

追記 : 4,5日は控えたが、いまは控えていない。そして なかがわと呼んでくださいとも書いたが、やはり Gazer (さん) と呼ばれる。しかたがないね。mixi 用の名前をひねり出すように気分が向かないかなぁ… (4月12日)

twitter

だから、コミュニティを作ったり参加するのと別の場所として twittter を捉えているのだろう。あまり色々と多方面の話題に反応するなよ > 自分11:58 午前 3月 29, 2010

人により、参入時期により考えが違うだろうから、プロフィールに今の考えを書いてみた「twitter は単一のコミュニティじゃなくて、個人の付き合いと告知/観測の場と捉えています」01:18 午後 4月 03, 2010

コミュニティと思えば、フォロワーが増えてほしい。乱立する掲示板と思えばフォローを増やしたい。そんな感じ ?01:51 午後 4月 03, 2010

日本語の スピリチュアル を何の衒いもなく使う人との交際が最近増えた。

自分を見つめるような思索は好きだ。独善に陥ると困るから、たまに公開する。だが自分を慰め、他人を安らがせるような言葉として スピリチュアル を使う人や 団体 は好きではない。安らぎは昼間の宗教、生活、日常に求めておけと思う。つまり日本語の文脈の スピリチュアル は嫌い。

さきほど、twitter 検索で #Jung をみたら、英文記事では ユングがそれに当たるのかとうんざりした気分になった。馴れ合いに堕した ニューエイジ の流れがアメリカに残っていると考えれば仕方がないが。

日本だと、まだきちんと思索をしている人はタロッティストに居ると思ったのだが……

将棋指しや麻雀の世界では (20年ほど前) 「アマチュアの矜持」といえばそれ以上の説明は要らず通じたのだが。時代なのか世界が特殊なのか、ヒトに説明するのに適当な文章がなくて困る。「謙遜なさらずに、いっしょに勉強してプロになりましょう」と言われても (苦笑) #tarotJP12:51 午前 4月 04, 2010

プロは勝つのが仕事、アマチュアは勝率よりも研鑽が大事01:03 午前 4月 04, 2010

こんな一文を書いたら、それきり #tarotJP への投稿がなくていやな気持ちになっている。偶然であってほしい。

個々人としてきちんと話せば、みな思索をする人で、逃げ場を求めて批判を怖れたりしないはず。

twitter にそんなもの求めていないよ、と言われたら仕方ないが

2010年4月3日

小ネタ : 誤植発見

この漫画を入手して二、三週間。

少なくとも 5 回は、このページを見ているのに、さっきはじめて気づいた。

あんな いい子だったさら

古本で入手した、2009年10月25日付け初版一刷

追記 : 転居のせいで前編がないのに、上を書いたあとで、再度、この7,8巻を読み返してしまった。

さきほど、今年に入ってからの当日記を読み返し、岩月君の苦悩は、相手を飲み込んでしまい自分が変わらないことへの怖れなのだと思った。

漫画家は表現者だから、その危険を人よりも早く感じるのだろう。あるいは近頃になってやっと感じる私が鈍いのか。

Re: 家庭教師 vol.9

ブロガー、エラー bx-pwlsr7

昨日付けの記事を編集後、blogger.com がエラーを出してくれた。

携帯からの写真送信をするのに設定を前後したせい、もしくは携帯の写真を含んだ HTML を手で編集したせいでデータを壊したかと蒼ざめた。二時間ほどゴチャゴチャするうちに、エラーコードを含んだ検索結果に段々と声が集まってきた。

ほかにも同様の目に遭っている人がいるならばタイミングの問題だろう。データが壊れていた場合に備えて、私も被害者の名乗りをあげて修復希望リストに名を連ね、しばらくして眠った。

六時間後に起床。エラーは解消されていた。保存すらできなかったはずの記事は、草稿として保存されていた。

技術者はエラーリポートに詳細を書かないと意味がないと考える。だが、動かないぞ、ばかやろう という抗議がリアルタイムに集積するだけで情報の価値が発生することもあるのかと感じ入った。

Re: 家庭教師 vol.9

せっかくだから、文章構成に紛れて書かなかった昨日の詳細。

目黒の図書館で、館内地図をみてどこに見処があるかという意見をいうのを堪え、好きに行動させた。

一度、喉が乾いたときの対処を訊きに探しにこられたほかは、120分間好きに本の森に遊んでいた。

ひとりで本棚を周りながら考えた。本との出会いをプロデュースしながら、好みを押し付けないという自制はどれだけ大変か。押し付けるというエゴが、自覚して排除することをいくら繰り返しても残っていると。

図書館を出てしばらく、ちと不機嫌になっている自分がいた。夜の教科別の指導では、今まで以上に関われた。

今年にはいって、人が人にコミットする覚悟について考えている。馴れ合いや同化の押し付けでもなく、腰が引けて逃げるのでもない、互いに変わるという覚悟。

ためしに commit を使って英文を作れといわれると、自殺や犯罪くらいしか浮かばない。そらみろ、我々欧米人だって、個人としての自覚をもって行動するようになったのは最近なんだと言われました。なるほど神様を差し置いて、自分で決めるのがコミットですからね。

原文は河合隼雄 、記憶から再構成しているので、文責は私中川

2010年4月2日

娘の家庭教師 vol.9 (志望校見物)

一週間の春休み。志望校見物に行ってきた。

風水の心得はないが、凛とした風情の大樹が立ち並ぶ周辺がとても気に入った。先日、大門の辺りの街路樹がみな精気なく感じたあとなので尚更だ。

娘には 根拠はないが、空気を味わい、その土地に愛着を感じることができたらきっとうまくいく とか語った。

学校の隣には八雲図書館がある。

世田谷区も蔵書が豊富で助かっているが、目黒区も素晴らしい。(二、三年前に青山の図書館に休んだときも、なかなか街の個性が出た、良い品揃えだった)

私が中高生のころ、三十年前には東京の区立図書館は 区内に在住、通勤、通学の方のみが貸出券の登録をできます という縛りがあった。今はないようだ。

2010年4月1日

とりとめなく四月一日を語る

1.

空の色に奥行きを感じる一日だった。夜から十一日ぶりの春の嵐が訪れたからかもしれないが、なにか良い予感を感じる。

2.

昼前から、期限が迫ったり過ぎたりした本を読んでいた。16時過ぎに読了して、図書館に返却。

参考図書として書いてあり、興味を惹かれた本を一冊借り、二冊予約。気が変わらなかったら読むつもりの参考書がノートに6冊たまった。半年ほど前に始めた、河合隼雄の軌跡を追いかける旅が、まだ続いている。

3.

図書館で、精神病院の社会史 を流し読み。

東京ローカルな資料の集積の向こうに、いわゆる精神病患者と社会の関係が通時的に立ち現れる。

4.

明日、明後日と神保町は古本祭りだそうだ。あさって土曜日に行こう。

今日は、19時では狙いの書店がどこも休みであることを確認したのみ。あとの約束までの時間つぶしが目的だから良いが。

5.

神保町から淡路町の交差点まで、靖国通り沿いにスターバックスが計五軒あった。

薄々感づいていたが、やはり多い。気の利いた作家なら、すれ違いのシナリオが書けそうだ。

6.

近所に一週間の出店を開いていた PC ショップで、昨十月頃に 700円で贖ったキーボードが。早くも使い物にならない。左 Shift キーを押すと、戻ってこなくなる率が高すぎる。

秋葉原に英語配置のキーボードも豊富な店を、前に従兄に教えてもらったと行ったのだが見つからない。ソフマップの中古店で、店頭ジャンクな DELL のごつい日本語刻印のあるキーボードを 100円で入手した。現在使用中。ふむ、安物よりも、ジャンクでもまともなもののほうが使いやすいや。

ファッションだか、格好良いのか知らないが。ひらがなを刻印していないくせに日本語配列 ( Shift + 2 が 「"」 ) というキーボードがいくつか出ていた。詐欺だ、騙されて買いそうだ。[Full width / Half Width ] という、見慣れないキーに気づかなかったら、本当に危なかった。

註 : [半角/全角] のこと。私ならば [us/JP] と訳すな

秋葉原を離脱寸前、Flexible Keyboard という耐水性に優れたものを 630円で発見。購入したが、私はいま膝の上に置いて使っているんだよなぁ。上述 100円中古が無保証だったし、リスク管理として妥当な判断とはいえ。( @あきばお〜二号店、店頭)

7.

まる三週間ぶりに、血縁以外の個人と会った。

その間に仕事の打ち合わせ (面接) として二人会って、なまじな初対面よりもよほど突っ込んだ話はしている。しかし、まだ個人と話したとは言い難い。

2時間ほど酒をのみ、ざっくり別れる。余分なものがなく、余韻のある時間を過ごせた。

8.

帰路、京王線のなかに広告を見て、 債務整理専門法人 なる業種の台頭を知る。キッズルームの存在と広報に、若い母親が主要な見込み顧客なのだと感じた。

2010年3月29日

近況 (ひょこひょこと仕事探し)

先週の面接の結果がこない。

先週の木曜日に電話をすると 二次面接の上流会社に書類を提出して選考待ち フェーズだった。あの案件、もしも参画するならば可及的速やかに前の担当者と密に打ち合わせて引き継ぎをしたり、ドメイン(=業務)知識の予習をしないと開始できないはずなのだが。四月には第二をフェーズを開始したいという話だったのに、そんな悠長なことで良いのか ?

それで仕事が遅いと言われるような職場は願い下げなので、他の職場も手段を選ばずに探すことにした。

いや、昨日に立ち読みした漫画の科白に反発したのが気持ちの上で大きい。この連載は読んでいないのだが、目に止まった。

お前は弱い。守ることなんてできないよ

俺は強くなければならないんだ!

いや、うろ憶えです。村枝賢一Z-END

読んだ直後に携帯にメモった。やらないといけないことをやるだけで、強い・弱いは結果論だろう

思えば、子供の頃からさまざまのフィクションを読んで、主に日本の漫画から 強くあらねばならない と洗脳されていた気がする。

強くなくても良い。成果を他人が評するときに 力がある , 強い などという言葉になる。それは本人には関係のないこと。

そんなことを考えていたら、体が勝手に職探しに動いていた。脱・鬱症状かもしれない。

ちかごろ読みふけっている河合隼雄氏の生前の評価・インタヴューに頻出する 好転することを信じ、しかし急かさずに待つ という言葉を自分の姿勢にしようとしたとき、自然とそうなっていた。

自分が混乱しない程度、三ヶ所に書類を送ってみた。これで今週は様子見。

手法と文化

twitter で、占い師として有名なアレクサンドロ原田氏の呟きをみた

alx_hrd: ウエイト版だけやってタロットカードを分かった気になってしまう事がどういうことかと、最近強く感じます。芸事でもクラシックを学んだ人程コンテンポラリーで実力を発揮するように。 #tarotjp #spiritualjp |03:17 AM Mar 29, 2010|

alx_hrd: かといって「ウエイト版は邪道だ」と言うガチガチの偏り過ぎ古典主義もどうかと思います@ #spiritualjp #tarotjp |03:33 AM Mar 29, 2010|

twitter で占いに関する発言はすまい、と思っていなかったら。きっと反応して浅い発言をしていただろう。原田氏は百も承知の内容、そして他の方には偉そうにしか思えない発言を。

占いにしか興味のない相手に、西洋文化全般を学べといっても詮のないこと。入り口として古典の図柄のタロットを勧める。それは正しい。

コンピュータ言語に関しても同様。スクリプト言語も良いけれど、まず C から学ばなきゃ , いや、C やるならアセンブラだろう この手の発言はよく見る。私より10歳ほど若い技術者から、C を学んだことのない技術者は未生以前 というニュアンスの発言を聞いたこともある。

表層ではなく、ハウツーではなく文化を学ばないと、一定の段階から先に進めない。本当に言いたいのはそれだけなのに、人はどうしても自分の辿った道を人に示したくなる。悪くはない。実績はあるのだから。でも、他の道もある。

私も先だって、Linux / Windows で java から学んでいる人に BSD 系 unix という文化を勧めようとしたな。一歩間違えると、押し付けると 老害

そう考えると、東川氏の作品 にあった まさかオランウータンが侵入して殺したなんてことはありませんよね。ミステリとしても三流ですよ 君、本当に探偵小説研究会か ? というギャグは深い。

2010年3月28日

読書記録 03-28

ユダヤ五〇〇〇年の知恵

図書館から電話がかかってきた。延滞している本のうちの一冊に、次の予約が入っているから早く返してくれと。

挙げられた書名が、日本に住んでいる (いた ? )ラビの書いた ユダヤ五〇〇〇年の知恵 (トケイヤー 1971) だったのが意外であった。ちとユダヤの宗教・歴史のさわりを確認しようと考えたのが昨年末。世田谷の図書館すべてに一冊しかないこの本、現在貸出中だが、他に予約も入っていない。すぐに読めるだろうと予約してから3ヶ月待たされた本だから。

むかし、実業之日本社から出ていた版で読んだはずだ。いろいろと収穫があった。自分の知恵として消化している部分がいくつかあると確認できたという意味で。

ここに死体を捨てないでください !

ちょうど一年ほど前に、東川篤哉氏の作品をすべて読んだ。ユーモア、ドタバタでありながら偶然に頼らないのが素晴らしい、と書いた。ミステリマニア向けの小ネタも多く仕込みながら、とくに素養のない人にも読めるのがまた良い、と書いた。

その最新、昨九月の刊行。デビュー作の烏賊川市シリーズ。

今回、私に響いてこなかったのは、ちと興味範囲がずれてきたからだろう。それでも読んで損した気はない。

カンナ

高田氏の「カンナ」シリーズ (「Q.E.D.」からのスピンオフ作品) 、昨年夏に最初の2冊を読んだから、書店で見てずっと続きが気になっていた。

十四番目の月

読みかけで中断して長かった、 十四番目の月 (海月ルイ 2005 ) を読み終わって図書館に行こうと掛かっていたら、上記の電話がかかってきた次第。

謎解きに鈍くなったのかな。最後の謎解きで そこにつなげるのか とうなってしまった。

すべての伏線・手がかりが、これが真相を解明する材料だろうと意識していながら何一つ関連が掴めなかった。素晴らしい。

このレベルの驚きを与えてくれる作品は、そう沢山はない。

蛇足

むかし あなたが読んでいるのだから素晴らしいのかと読んでみたが、大したことがないというのが続いたから、もう良い。 と愛想を尽かされたことがある。

私の読書は、濫読から始まる。中で心に残った本から例を引き、文章を引用する。気に入らなくて語らない本はいくらもある。借りたり入手したが、顧みない本はもっと多い。

そんなことが近頃思い返されるので、読んだ本の全てを挙げるのはやめようと決めた。

良かった本のことも全ては語るまい。人間、生身で話したときに多少の驚きを提供できたほうが良い。

2010年3月27日

読書 (シリアスな漫画)

古本屋で出会ったISBN4-7780-1035-3 を読んでいる

私からはいま一番親しい認識の、親との関係を消化しきれていない感のあるヒトに読ませたくなった

第一話が離婚した父親と娘、その恋人の関係の話で、意図しない含みをもって読まれると困るから、自分から直截に勧められないけれど

2010年3月25日

jfbterm uim-fep screen

2日前の記事に加筆して独立させた。

jfbterm と screen

jfbterm から screen を起動したときに、termcap の情報がロックされるのか、less , lv などが文句をいったり、mutt が暴走したりする。

何度か設定を工夫していたが、やっと満足のいく設定ファイルができたので公開する。

$ grep jfb .aliases
test -x /usr/local/bin/jfbterm  && \
alias jfb="$HOME/bin/jfbterm.wrapper"
$ cat $HOME/bin/jfbterm.wrapper
#!/bin/sh -euf
#
#   $Id: jfbterm.wrapper,v 1.2 2010/03/24 20:11:03 yaemon Exp $
#

if test ! -x /usr/local/bin/jfbterm ; then echo "not exist jfbterm" 1>&2 exit 2 fi . $HOME/dotfiles/.env.UTF-8.FreeBSD SCREENRC=$HOME/dotfiles/.screenrc.jfbterm ; export SCREENRC exec /usr/local/bin/jfbterm
$ cat $HOME/dotfiles/.env.UTF-8.FreeBSD
# $Id: .env.UTF-8.FreeBSD,v 1.7 2010/03/24 19:34:42 yaemon Exp $
LANG=ja_JP.UTF-8 ; export LANG

export COLORTERM TERM=xterm-color SCREENRC=$HOME/dotfiles/.screenrc.xterm ; export SCREENRC
LC_COLLATE=C LC_MONETARY=C LC_NUMERIC=C LC_TIME=C LC_MESSAGES=C export LC_COLLATE LC_MONETARY LC_NUMERIC LC_TIME LC_MESSAGES
# for jman use if test -x /usr/local/bin/jman ; then JMAN_JA_NROFF='LANG=ja_JP.eucJP /usr/local/bin/groff -S -Wall -mtty-char -man -Tnippon -dlang=ja_JP.eucJP' export JMAN_JA_NROFF if test -x /usr/local/bin/lv ; then PAGER=lv ; export PAGER fi fi if test -x /usr/local/bin/lynx && test -r $HOME/.lynx/utf-8.conf ; then LYNX_CFG=$HOME/.lynx/utf-8.conf export LYNX_CFG fi
$ cat $HOME/dotfiles/.screenrc.jfbterm
#
# $Id: .screenrc.jfbterm,v 1.5 2010/03/24 19:34:42 yaemon Exp $
#
chdir
defutf8 on
encoding UTF-8
# term jfbterm-256color
term jfbterm
nethack on

$ tail $HOME/.bashrc
if test $SHLVL -eq  1 && test "$LANG" != "C" ; then
 . $CONFDIR/.env.locale.C
fi

if test "$TERM" = "jfbterm" ; then TERM=jfbterm-256color fi

ログインシェルに余計な環境変数を持ち込まないように工夫すると wrapper が必要になった。

通常は、アクセスしたらもうターミナルの状態が変わらないから、コンソールやリモートログインに合わせ = 環境変数 LANG に合わせて環境を変えるだけで良い。基本、言語と OS に合わせた設定ファイルは .bash_login や .login で読み込んでいる。

今回は、xterm でもないのに 日本語、ということで不正規な処理になっている。

FreeBSD 以外で jfbterm を使うときのためにもうひと工夫したいが、今回は見送り。

jfbterm と uim-fep

2日前、やっとコンソールで日本語が入力できるようになった。

uim-fep をいれてからずいぶんとかかった。

最大の敗因は、Alt + Space での切り替えにこだわったこと。いくら設定ファイルを試行しても変わらない、いやどうもデフォルトでもそうらしいと調べたが、私の環境では Alt + Space が何かにフックされて uim に届かない。

そして英語キーボードとして使っているから、もう一つのデフォルトのキーバインドの [半角/全角] は存在しないし。起動しないよね。

Alt + Space が何にフックされているのかは調査打ち切り。 jfbtermX のライブラリを使っているから、X で普段使いしている設定が怪しいと .xinit で読み込んでいる設定ファイルを調べたり、無効にしたりもしたが、それでも Alt + Space は uim-fep に届かないとしか分からなかった。

次の敗因。uim 付属の README.fep に screen を使用する場合は… という説明があってそれに従おうとしたこと。歴史的な経緯で残っている記載だろう( 旧名 : screen-uim ) が、 jfbterm を起動して、自分で uim-fep を起動してから screen 動かすと、ふつうにそれぞれの窓で日本語が入力できる。

jfbterm から uim-fep や screen を自動起動しないのは、趣味と使い方の問題。日本語を表示したいけれど、書く必要がない日もある。

いっとき、jfbterm が動かなくなった という愚痴をこぼしたことがある。

$ jfbterm 2> logfile と起動してわかった。/usr/local/etc/jfbterm.conf (私の環境) の video.mode 指定をねぼけてコメントアウトした日があるらしい。

jfbterm デフォルトの解像度 800x600 で動かなくて、1024 x 768 だと動くグラフィックカードというのも不思議な気がするが、逆よりは宜しい、と書いておこう。

解像度と色数は、/var/log/Xorg.0.log を参照してやっと正常に指定できた。

Xorg の設定ファイルをみたら、いつのまにかフォントサーバ xfs を使わなくなっていた自分に気づいたりする。これが原因で、Thunderbird 2.x の文字がふと横に間延びしていたのか。( Thunderd を 3.x 系統にしてから気づいた、ので未検証だが )

$ cat $HOME/.uim
(define-key generic-on-key? '("<Control>\\" "<Shift> "))
(define-key generic-off-key? '("<Control>\\" "<Shift> "))
(define-key anthy-on-key? 'generic-on-key?)
(define-key anthy-latin-key? 'generic-off-key?)
(define-key generic-cancel-key? "<Control>g")

2010年3月23日

Gmail / mutt まとめ (「PC 設定メモ」から改題)

最新記事も読みやすくなって、やっとまとまった。過去記事と重複あり

.muttrc にすべてのアカウント情報を書く手段も Web で見たが、私は別ファイルにした。

パスワードに使っている文字のなかに、初期設定としてだと指定できるが、切り替えに使うことができないものが含まれている、なんてことがあるかもしれない。

$ alias | grep mutt
alias official='/usr/local/bin/mutt -F $HOME/.muttrc-official'

↑のちに、一度の起動でマルチアカウントできることが判明

$ cat $HOME/.muttrc
# for mutt-devel ( higher then 1.5.20 )
# $Id: .muttrc,v 1.5 2010/03/16 00:19:47 yaemon Exp $
#
source ~/dotfiles/.muttrc-common
source ~/dotfiles/.muttrc-gmail
#
my_hdr X-(お遊びヘッダ): (いくつか)
my_hdr From: NAKAGAWA Tsuneo <yaemon.the.tank@gmail.com>
#
set imap_user="yaemon.the.tank@gmail.com"
set imap_pass="(なんだろうね)"
set smtp_url="smtp://yaemon.the.tank@smtp.gmail.com:587/"
set smtp_pass="(imap_pass と同じ値)"

.muttrc-official も書いてる情報の項目は同じ

# .muttrc-common は長いので、適当に抜粋。
# 日本語パッチではなく、本家のものを使用していて動くのが素晴らしい
# 環境変数 LC_MESSAGES を使って表示メッセージは原文で使うけれど
set alias_file=~/.mail_aliases # where I keep my aliases
set allow_8bit   # never do Q-P encoding on legal 8-bit chars
set mime_forward  # use message/rfc822 type to forward messages
set pager=lv # some people prefer an external pager
set pager_index_lines=6  # how many index lines to show in the pager
set print_command=/bin/false # how to print things (I like to save trees)
set envelope_from=yes # use From: to envelope-from
set timeout=0   # timeout for prompt in the index menu
set use_8bitmime  # enable the -B8BITMIME sendmail flag
set pgp_verify_sig=yes
set visual=vim   # editor invoked by ~v in the builtin editor
source /usr/local/share/examples/mutt/gpg.rc
$ cat $HOME/dotfiles/.muttrc-gmail
set hostname="gmail.com" # my DNS domain
mailboxes imaps://imap.gmail.com/inbox
# set  imap_passive=yes # yes is default
set smtp_authenticators="plain"
set ssl_starttls
# set move=yes #  /* ローカルに保存してしまうことが判明 */
set move=no
set delete=yes
set folder='imaps://imap.gmail.com/'
#
set spoolfile='+INBOX'
set postponed='+[Gmail]/下書き'
set record='+[Gmail]/送信済みメール'
#
# gmail の設定として日本語を使っているのが間違っている気もする
macro index gi "<change-folder>; =INBOX<enter>" "Go to inbox"
macro index ga "<change-folder> =[Gmail]/すべてのメール<enter>" "Go to all mail"
macro index gs "<change-folder> =[Gmail]/送信済みメール<enter>" "Go to Sent Mail"
macro index gd "<change-folder> =[Gmail]/下書き<enter>" "Go to drafts"
#
# mutt のメーリングリストを読んで、下の記述方法を憶えたのがうれしくて今日は日記に書いた :-)
folder-hook  INBOX 'push "<limit> ~d <2d ~N<enter>"'
folder-hook  すべてのメール  'push "<limit> ~d <2d ~N<enter>"'

2010年3月22日

狂気は相対

1.

社会に適応できない症状を狂気といい、本人が生活できないと周りも困るから治療対象となる とは前から常々言っている。

人の精神/思い込み。奥深く踏み込めばそれぞれ個性がある。言い換えれば差異。それぞれの能力の配分にも影響されるが、同じ能力配分でも培ったものが違うだろう。

誰に、どこまで明かすか 、それを信頼とか *情とか呼ぶ人もいるだろう。深く明かせば、それぞれに差異が出てくる。

差異を認め、違うものとして認める、あるいはすり合わせて同じ世界観にする。いわゆる 、その根本の動きだ。

どんなに差異が小さくとも、相手に対する興味 = 愛を失ったら、もう擦り合わされることはない。

片方が 違うものとして受け入れた ときに、もう一方が 世界観を共有できた と錯覚すると、徐々に人間関係に亀裂が入ったりする。生身の人間ではなく、会社や社会、国家でも。

ひとむかし前、精神分析医の岸田秀氏が、世界観のことを 共同幻想 という名前で呼び、広めようとしていたな。内容はだいたい同じ、と思う。サワリしかかじっていないが。

会社に不適応な技術者が 周りから気違いを見るような目で見られる とこぼしたことがある。社風という名前で呼ばれる世界観から外れていることを隠さなかったら、そのコミュニティの中では気違いと認定される。当然のはなしだ。

2.

ひさびさに、脳梗塞の後遺症で片言しか口にすることのない父と話してきた。酒を携えて。

理系のセンス、能力をどれだけ常用しているか。言葉の選び方にもたせた意味の重さをどれだけ受け取ってくれ (ている気がす) るか、逆に受け取った(気がする) か。そこで響きあえる相手が、理系センスのある文系集団である 東京銀行 (1950頃〜1990頃) という選別された空間でどれだけ居たか、と。

名前を挙げられるほどに少なかった。そんなものだろう。社内 2〜3千人とつきあい、片手の指で足りる。

異端とはそういうことだ。それを社会にすり合わせ続けた父を、心から尊敬する。

3.

2月から小学5年生の勉強をみている。

歴史をみて、定説はそうだが実際はココまでしか証拠がなくてあとは推測だ、なんて与太を飛ばしたりする。地球温暖化の原因にも異論があることを話したりする。常識はこうだ、という話もした上で。

高田崇史や井沢元彦から受け取った理屈を、日本の気候の話から、花といえば桜か梅か、管原道真はなぜ神として祭られたかなんて話の根拠にしたりする。

文化はそれぞれ類似する。共通したものを挙げれば連想が働き想起しやすくなるかと思うから、話はどんどん拡散する。共通と差異とを同時に話す。

算数は思考ではなく技能だ、なんてことも平気で言う。いや、観察させてもらい見つけた (=教えられた) のかな。

仮説ばかりの学校の勉強から、なにを正しいと信じたら良いのか と問われる。むろん答はない。ただひとつ言えるのは、算数/数学 だけは大学に行ったからとて習った内容を覆されることはない。数学が正しいからではなく、正しいという概念は中世以降数学を基盤としているからだ。そんな話もする。それ以前からの人間の思考形式、宗教や哲学、世界観については未だ語らない。

宗教や哲学といま書いたが、宗教は世界観そのものであり、哲学は世界観を分析する学問かな。

2010年3月20日

blog / mini blog / 事件

ミニブログとブログ

水曜日を境に、いままで10ヶ月半のあいだ熱中していた ミニブログなコミュニティにさっぱりコミットしていない。理由はさておき、こんなことを書いた人がいるそうな。

つまり「Blogger」の開発に関わったメンバーによって、そのブログサービスが世に 隆盛し始めた頃には、すでにTwitterは構想されていたということになる。

blogは予め死んでいた。

ミニブログの言葉は文脈のことば、思考をみんなで紡ぐもの、という感覚が前からある。対してブログは、個人の紡ぎ終えた思索を発表する場として構想された。

ギリシャ神話、物語、宮廷詩。作者という存在はない。記録したひとの名前は残っていても。

語り部は集団であり、流れの中から場全体を流れる根底の思考が言葉になって顕れてきた。それは夢に似ている。無意識と表現しても良い。語り部とはそういう役割だ。

近代になり、自我が確立してから、個人の思考が個人の名前において語られるようになった。デカルト以降 とよく表現されるが、実際には自我の意見が表明されるという現象が先にあって、それを考察して文章に起こし、現在に残った初めての思想家がデカルトなのだろう。どうでも良いが。

近代「知」=自我と親和性が高いのが blog であり、語り = 無意識 と親和性が高いのがミニブログ (マイクロブログ)。どちらが優れているわけでもなく、そんな分類ができる、かもしれない。私の周りは観察したところ、そんな感じ。

会話よりも意見表明のほうが、技術的なプラットフォームの構築が技術的に楽だし、先にシステムができあがる。なんの不思議があろうか。優劣ではない。

炎上

ふと、小田嶋さんが小田嶋節を展開しているのに久々に出会った。

おそらく21世紀のコラムニストにとって、最も重要な資質は、炎上の火加減を調節する際の手際なのだと思う。まあ、一旦燃え上がってしまったら調節もへったくれも無いわけだが。

われ、それでもクジラを愛す

炎上という言葉には負のイメージしかないが、たまに素晴らしいものが産まれることもある。火加減は調整できないが、意識のもちかた一つであとにつながる事件が起きたりするよね。

なんてことを考えていたら、読んでいた本にそっくりの記載があって笑ってしまった。

それは試問というよりは対決に近い様相になった。しかしながら、その間にJ女史は何度も事態を柔げようと努力し、陪査として同席していたフレイ先生は、場をとりなすような発言をしてくれ、私自身も何とかスムースに事が運ぶようにと努力するのだが、駄目なのである。それは雪道でスリップを始めた車のように、いくらハンドルをまわしても運転者の意図を無視した暴走を続け、衝突を避けることができない

(略)

多くの人は私が失敗したことの自己弁護をしているとしか思わないだろう。決定が下されるまでの幾日かを私は全く憂うつな気持ですごした。一時はJ女史に和解の手紙を出そうとさえ思ったが、どうしても書けなかった

(略)

ミスターカワイ、あなたは今まで何事もあまりスイスイとやってゆくので、イエスマンではないかと、われわれは危惧していた。しかし、最後になって研究所を揺るがすほどの大きい No! を言ってくれた。これで、われわれは安心してあなたに資格をあげられると思いました

(略)

後に河合氏は、フレー先生と資格試験のことについて話し合った。

(略)

またフレー先生は次のようにも言った。資格を取得しようとする人は、教育分析の過程で一度は相当な危機におちいる。そしてそれを乗り越えることが大切なプロセスなのだ。ところがあなただけは一度も危機におちいることなく成長してきた。とても不思議だった。しかし、一番最後の段階になって、あなたは大変なデプレッションを体験した、と。

(略)

これらすべてのことが、まるで私という人間が(略)一人立ちしていくためのイニシエーションの儀式として、巧妙に仕組まれたものではなかったのかとさえ感じたのであった。

すべてのことが、あまりにもうまくできている、とマイヤー先生に報告すると、まったくうまくできてるねと満足そうであった。そしてところで、そのすべてをアレンジしたのは誰だろう、と河合氏に問いかけた。マイヤー先生は言葉をついで、私でもないしお前でもない。ましてJでもなく研究所が仕組んだのでもないと言った。しばらくの沈黙後、誰がアレンジしたのだろうかと再び問いをくり返したが、それは自分自身に向かって発せられているようでもあった。

(略)

大切なことはこのようなアレンジメントが存在すること、そして、それにかかわった人たちがアレンジするものとしてではなく、渦中のなかで精一杯自己を主張し、正直に行動することによってのみ、そこにひとつのアレンジメントが構成され、その意味を行為を通じて把握し得るということであろう。

河合隼雄 心理療法家の誕生 (大塚信一 2009) p.325〜330

引用としてはあちこち表記がおかしいけれど、すべて ママ です。いちいち書きませんでしたが。

なんというか、自分で炎上を起こしたり支配したりできると言わざるをえないところが、コラムニストという の商売の限界。事件って、起こそうと思って起きるものじゃないだろ ?

私とミニブログ

というワケで、口はばったい言い方をすれば、 として向き合わないといけない事件の渦中にいるので、集合的無意識に巻き込まれたくないので、しばらくミニブログサービスを離れている。アクセスしたくない。そういうこと。

性格というか体質というか、巻き込まれやすい個性の持ち主だから離れているというだけの話。誰もが重要な決断を必要とするときに、ミニブログを離れないといけないわけでもない、と思う。

時がくれば戻る。良くも悪くも、決着がつけば戻る。きっとね。