2012年3月27日

刺さった言葉 (佐藤正午)

佐藤正午という作家のことは、三十代も初めのころに忘れていた。だからブックオフで廉価に売っていたエセイ豚を盗むを手に取ったのもまったくの偶然。

そうだ。長崎は佐世保に住む競輪が好きな自分のことをよく書く作家だったとか、今の私と同じ年頃なのだと読み進むうちにこんな一文に出会う。

自分が書いたものばかり読んでいると、つい、それが日本語の規範であるかのような気がしてくる。ほかの人々が、ほかにどんな日本語の読み書きをしているか忘れがちになる。忘れないにしても、過去の先達の作品は若い頃に全部読んだと思っている。明治・大正・昭和のおもだった本は読みつくした、もう読むべき本はないと傲慢にも思い込んでいる。

自分がどれくらい傲慢な読者であるか、それは関川夏央著『本よみの虫干し』を読むことでわかる。この本は、誰もがタイトルだけ知っていて、内容は読んだつもりになっている文芸作品を、偏りなく実に幅広く選んで (以下略)

ちょっとだけ、傲慢さに押しつぶされて喪った情熱が戻ってきた。

2012年3月9日

余生の自覚

ほんの六時間ばかり前、実生活の調子を崩していたはなし、その五日目に妙な夢をみてからことさら酷い日が二日続いたって話を書いた。

(逆じゃない。夢が原因で気病みになったわけではない。なんとも変調のさなか、ピーク寸前の症状として夢をみたが、夢にみたからといって簡単に消化できるわけもなく。対処すべき問題はやはり面倒だったという話と思ってる)

日記の記事にあげてから一夜明け、この一週の不調を振り返り気づいた。
余生の自覚が足りなかったな、と

一月の新月の夜、京都であれこれ考えて出した結論は、余生の自覚だ。

そのタイミングでやってきた仕事に応募し、いま勤務っぽいことをしてるのも。功名心を捨て、余生の自覚でお手伝いさせてもらおうと思えたからのはず。

最近、少し浮かれて、間違った気合い入れたのが敗因やな。
仕事の成果の可否以前に、自分の心に勤怠経由でストップかけられちまったよ
「それでは、二、三十代と同じだろ」と

automake

FreeBSD を 9.0 に上げてから、私の環境・グラフィックカードでは mplayer や ffplay で動画を再生した時に画面が時々真っ暗になる。設定をいろいろ変えたり、下位ライブラリをリビルドしたりとあれこれ楽しんでいるが1ヶ月ずっと解消できていない。

Perl のモジュールは最近 cpanp から o; i *; (o コマンドで更新のあったモジュールをリストアップして、i *; で直前のリストアップ全てを更新 ) として、p5-* を含めて軒並み bsdpan- にしているのだが、そこに関連して しばらくメールが読めなかった。

mutt-devel に対して aspell に依存するって間違った情報が登録されているのを解消したく、一度削除して再コンパイル・インストールしようとしたのが原因。

===>   mutt-devel-1.5.21_3 depends on shared library: sasl2.2 - found
===>   mutt-devel-1.5.21_3 depends on shared library: idn - found
===>   mutt-devel-1.5.21_3 depends on shared library: iconv.3 - found
===>   mutt-devel-1.5.21_3 depends on shared library: intl - found
===>   mutt-devel-1.5.21_3 depends on shared library: db-4.7.0 - found
===>  Configuring for mutt-devel-1.5.21_3
Can't locate object method "tid" via package "threads" at /usr/local/share/automake-1.11/A
utomake/ChannelDefs.pm line 241.
*** Error code 2
Stop in /usr/ports/mail/mutt-devel. *** Error code 1< br /> Stop in /usr/ports/mail/mutt-devel.

気づいてみれば、なんのことはない。site_perl 以下の threads.pm が Perl 本体の入れた threads.pm を上書き (overload ) していたのが原因。

一瞬で気づかなかった理由は、目の前にエラーメッセージをみながら、automake が Perl に依存しているわけがないと歴史的な前後関係に目を曇らせていたせい。

2012年3月3日

3月は誕生月

金曜日。わがままで傲慢といわれる自分に戻っていた。五年ぶりくらい。

他人を大切にしようとしていた五年は、他人をも傷つけてばかりだったから。ちょっとこの状態を維持したまま再評価してみよう。


怒りをすべて燃やしきったということかな。

三月のうち一日くらいは遊びたい、ふだんは大阪にいてる焼き物 でもみに行けたらな、と思う。

耐乏のために、お台場から新宿まで二月の雨の日に歩いていてはじめてガレリアというビルとともにみつけた。なぜ私は独りで歩いているときに、こうも知りもしないデートスポットに行き当たるのだろうと想った建物だ。そこのサントリー美術館に壷がきている。関西に住まっていた頃はよくみにいっていた壷なので、ポスターが懐かしかった。

3月のうちにいけるほどの余裕はないから、また関西の折にと想っていたが。なんとかなりそうだ。