2010年5月29日

「らせつの花」読了

しばらく前にネタにした らせつの花 。秋の最終九巻が待ちきれず、かつ時間が剰ったときに漫画喫茶が見え、別冊・花と夢 の六、七月号を読んだ。二回の連載で、八巻の続きからラストに至る。

岩月君は報われ、あたかも日向羅雪・星野夜行の恋物語ではなく、彼が主人公だったかのようだ。 (こんな時、たいがい作者の打ち明け話があると 最初はもっと救われない結末になる予定でした とか言われるよね )

べたべたの少女マンガが気になって仕方がない四十過ぎもどうかと思うが、昔はこの手の話を読んでも筋を追ってはらはらするだけだったからね。この年齢で改めて初読というと、こんな作品しか残っていません。いやはや、恋愛でない愛を描いた作品の少ないことよ。

このあと、ディープグリーン (佐々木淳子) の四巻を読み、携帯から直接アクセスしていたにも拘わらず MiChao! がコンテンツは残っていても、企画終了して話は宙吊りで終わったとやっと知る。

スポーツ競輪漫画 Odd's (石渡治) 正編 , 番外 , プロ編(連載中、3巻まで) を読んで、なぜか遅れてらせつ の分まで目から涙があふれる。

なかなか有意義な漫画喫茶での時間つぶしだったが、競輪という特殊なスポーツが題材とか、前に一度完結した話の続編漫画であったり、人に勧めにくいのが難点だ。

後記・蛇足・多少ネタバレ

テーマは守護天使の、理想の母性から肉をもちながら乗り越えた男性原理への転換、かな

守護天使と聞いて、文字とおりスピリチュアルな存在しか想像できない人は退場

2010年5月28日

「身代わり」読了

また前日に続いて、精神病理の本を離れたつもりが…… というオチ。急いで書かずに、まとめておけば良かった。

図書館で、西沢保彦さんの 、タック・タカチシリーズが昨九月に出ていたのを気づいたんだな。

油断していた。トリッキーで軽妙な短篇だろうと、なにげなく借りて読み始めた。

依存 の続編の長編でしたよ。あの事件の余波がみな収まっていません。

身代わり

短篇のいくつかで語られていた、彼らの卒業後へ中継をする作品。すべてを収まって お疲れさま です。

ま、電車の中など人目につくところで読む本ではありません。涙流したり、挙動不審になったらかなわん

pidgin を 2.7.0 ( Yahoo Japan 対応 ) に

やっと pidgin を Yahoo! Japan 対応の 2.7.0 に上げられた。

ports から入れるときに、Gstreamer を使わない設定にすると、header missing でコンパイルが通らなかったのが今までの敗因だ。

 In file included from media/backend-fs2.c:29:
 media/backend-fs2.h:62:21: error: gst/gst.h: No such file or directory
 In file included from media/backend-fs2.c:29:
 media/backend-fs2.h:63: error: expected '=', ',', ';', 'asm' or '__attribute__' before '*' token
 media/backend-fs2.h:66: error: expected '=', ',', ';', 'asm' or '__attribute__' before '*' token
 gmake[4]: *** [backend-fs2.lo] Error 1
 gmake[4]: Leaving directory `/usr/ports/net-im/libpurple/work/pidgin-2.7.0/libpurple'

これは ports の問題ではなく、pidgin の問題だよね。報告はするが、パッチを考えたりせずそっとしておこう

追記

報告したら即座に返事がきた。その問題は対処をすでに提出してある と。

データベースを検索してから報告を提出したはずだがおかしいなぁ…… あ、pidgn (ユーザインタフェイス) のほうで検索したしか。libpurple (プログラム本体) で検索するのを忘れていた。マヌケだ。

2010年5月27日

エコノマ読了

エコノマという店を作るまで私の舌が覚えてきたこと。 読了。

精神医学と哲学の本ばかり読んでいるのもなんだ、と思って軽い料理エッセイを選んだハズなんだけれどなぁ。なぜか、精神病理の本でもあったりする。

今の気分が惹かれる文章が、どうしてもそちらの方面に近くなるということか。

それとは別に、料理は美味しそう。音楽の趣味は私には過激でつらい気もするが、横浜に味わいに行ってみたいね。

フランス語の発音 ("Tout tout pour ma chérie ma chérie")

ふと思い出したシャンソン、いやフレンチポップ。原題が思い出せずに検索したので、最初に当たるのはもちろん日本人向けに題名がかかれた動画。

うたい出しの (原題でもある) Tout tout ma chérie , ma chérie の部分を聞いたときに、日本人の喋るフランス語てこうだよな、としみじみと思った。

そして、私自身がこんな発音をしているだろうと確信がもてて嫌になった。で、いくつもヴァージョンを探す、と。

同じように日本人が歌っていても、なぜか発音が英語に聴こえる。

オリジナルは一応これかな。ちと版が新しいが。

こういうノリが好き。

たくさん聴いているうちに、だんだん発音の違いがわからなくなってきた。幸か不幸かしらんが。

2010年5月26日

臨床心理の本を何冊か図書館に返す

今日、これから図書館に返すのは以下の四冊。

文藝 別冊 は、谷川俊太郎が河合隼雄の文化功労者顕彰祝賀会に贈った詩がおもしろかった。一部引用する。

せわしいタマシイけたたましい
さもしいタマシイさわがしい
さかしいタマシイうっとうしい
まぶしいタマシイうとましい
ふたつよいことさてないものよ
わかりまへんなてごわいかわい

「臨床心理学」という近代 は、権威としての臨床心理に対するアンチテーゼ。

河合がいう深いが親しくない関係 だけでなく 親しいが浅い関係 も重要という言葉は重要。

あとに挙げた二冊、べつに今更資格を取ろうとは思っていない。読んでいるといろいろ計画しそうになるけれどね。

素人がカウンセリングの技法を日常の人間関係に適用しすぎると危険。だが、いまさら他の方法も好きではないし。ならばどう高めて危険を避けるかという試みの一環だ。

これはまだ返却しない本から、次の言葉が胸を打つ。

ノルウェーの森には桜井が指摘するように、確かに<話す/聴く>関係が組み込まれている。だがとの二者関係の中で話し手の傷が癒されることはない。『僕』は引き受ける覚悟もないままに、緑や直子の心の結ぼれを引き出し、傷を露わにしたまま放置してしまうのである

不用意に蓋を開けられた心からは、とめどなく病いの血潮があふれ出し、彼らを深刻な危機に陥れていく

(前後するが、もう一節)

その日が犯してしまった誤謬とは、(それをもし誤謬と言うのならだが)、際限なく続く話に不安を覚えて彼女の話を遮ってしまったことではない。むしろ、いくつかのポイントに触れないように気をつけて話していることの 不自然さ に気づいていながら、直子の話を途中で切り上げさえてあげなかったことのほうなのだ。

臨床文学論 (近藤裕子 2003)

先日に読んだ、ユングの生きていた頃のユング派の一人が書いた心理療法の光と影 は、その危険を描きながら肯定的な賛歌になっていて勇気づけられる。

2010年5月25日

外はこんなに良い天気

窓と扉を開け放って、26.5℃、湿度は17%くらいじゃないだろうか。外はこんなに良い天気。

河合隼雄の本" で言及されていた聖なるもの (ルドルフ・オットーの原著に、訳者の華園聰麿が注解をつけた版) がある図書館を土曜日に探した。

私が住んでいる世田谷区の図書館になく、カーリル で検索すると、たとえば都立中央図書館 に在庫があり借りられるという。

麻布の有栖川公園は、好きな公園のひとつだ。その中に図書館があるのは気づいていなかったが。

せっかくだから今日、歩いていこうと思った。残念ながら、16時から歯医者の予約が入っている。

こんな日もある。いま読みさしの本を読もう。


この記事を書いたついでに、中央図書館のサイトを見たら 来館しても貸出できません。都内の他の図書館から借りて下さい と書いてあった。カリールでは 貸出可能 としか表示されていなかったから、早合点していたらしい。

近所で借りる手続きをしましょ。

2010年5月21日

ひさびさにマトモな夢をみた

昨22時過ぎにまっとうに眠くなり、人がましい時刻に一度起きたが、とくに予定もなく、物足りない気がして眠ったら、やっとまともな夢をみた。二週間ぶり、か。

寝不足が続いていた。忙しくてではない。眠り続ける体力がないから起きていただけだ。

日記というほどでもないローカルのメモをみると、どうやら13日を最後に、昨20日の昼までマトモな食事を一度もしていなかったらしい。たんぱく質といえるものを食べたのは、差し入れにもらったカップぜんざいの小豆だけ。

昨20日に豆乳を 1L とバナナ、干しぶどうを摂って、街を歩きながらときどきコンビニの惣菜で肉を何度か食べて。やっときちんとした睡眠を得た。

恥ずかしい近況だが、誰かの役に立つかもしれない。こんなこともあるんだ、と。

2010年5月19日

生存報告 05-19

生存報告なんて書くのやめようと思っていたのだけれどね。

メールに対応しつつ、直近の予定が立たずに待機している日が続くと。いまの精神力では 俺は生きているぞ。動いているぞ と主張したくて、ネットで饒舌になってしまうらしい。それは、ハタ迷惑だ。まだしもゴミのようなエントリが自分の日記に追加されるほうがマシ。

手をつけていることはいくつかある。一段落ついていない、区切りまで行ってもいない途中経過を書くのはやめようと思っている。

ま、そんな感じ。自己主張の欲をこのエントリで発散して、待ち時間に有意義な内容を構築できるようになることを、切に望む。

2010年5月15日

雑話3つ

覚悟について

図書館のリサイクルで拾った本。新入社員に向けたメッセージが書いてあった。

覚悟をしていますという言葉は安々と口にされます。しかし、覚悟はしていましたが、やっぱり駄目ですという言葉も安々と口にされます。

これは、覚悟を決めていたのではなく、覚悟をした気分になっていただけだからでしょう。

(略)

何が起こってもがんばろうと決意するときは、起こり得ることに何があるのか、起こり得ることの最大値は何なのか、そのとき自分は何ができるのか、などを自分の弱み・強みを踏まえて予測しなければなりません。

そして、どういう場合に自分はがんばれるのか、どの程度がんばれるのか、達成できることはどの程度か、などを決めなければならないのです。

若い君たちへ贈るちょっと外したオピニオン より

違うよ。

覚悟ってのは、失敗した時の結果をも受け容れること。

会社の経営者 (著者) としてはそれじゃあ困るだろうが、言う側は 駄目でした。どうとでもしてください。馘首なら鶴首で構いません で良いんだよ。

万全は尽くした (人格、生活などとのバランスも含めて)。その結果どうだった、というのを生かして、先につなげることができる。それが覚悟なのであって。結果が成功でなければ宥せない、てのは覚悟をしていないだろう。

この社長、上司にこそ言うべきだ。この部下に任せたという覚悟が足りない と。

歯が欠けた

4,5年前に入れたブリッジが、さきほどポロリと取れた。玄米ご飯食べていたら。

夢判断の本には、身内の死の予感 と書いてあるかもしれません。あるカウンセラは 現実に対する自分の解釈・価値観が変わっていくときによく見る と言いました。

夢の解釈は人それぞれ。その人の生活の中で判断すること。本当に身体が病気を訴えていて、自覚まで至らない痛みが見せることもありますね。

半年ほど前にそんな科白を吐いたが、まさか現実に対する自分の処し方が変わってきたときに、現実の自分の歯が、五本分もなくなるとは思わなかった。

ちかごろ真面目に歯医者に行くように生活を変え、口の中の他の部分も使えるようになって力の掛けかたとか変化したせいなんだけれどね。

この歯の治療をしたとき、他の部分を治して噛み合わせが変わったら調整する必要がある と言われた気もする。

バトン踏んでしまった

mixi で、友人の日記をみたらバトンだった。朝起きたら異性でした というやつ。

コメントの応酬のノリで、彼の日記に自分も答えて。2~3時間して気づいた。いや、応え終わった瞬間にそんな気がしたのだが、これ心理テストだ。相当に本音漏らしてしまったよ。

ここで世界に公開するほど悪趣味ではないが、質問だけ書いておく。

まず答えてみて、しばらくしてから自分がなに書いたのかに気づいて苦笑いすると楽しいよ。

  1. 目が覚めると性別が変わっていた!まずは一言
  2. とりあえず着替えなくては…何を着る?
  3. 大切な用でどうしても家から出なければなりません!どうします?
  4. 無事に用事を済ませたあなた。どうやって乗り切った?
  5. 突然友人がやってきた。「どうしたッ!?」と言われたあなたは?
  6. 友人はなんとか理解してくれたようです。そんな友人に一言。
  7. 夜、お風呂に入ろうとしますが……あなたならどうしますか?
  8. いつになったら元に戻ると思いますか?
  9. とりあえず寝れば治るそうですよ。どうします?
  10. 朝、起きたが戻っていない!何か一言。

2010年5月12日

9マイルは遠すぎる

9マイルは歩くには遠すぎる。ましてや雨の中となればなおさらだだよね。雨の中を歩くのがつらいと言っているんじゃない。9マイルといえばただでさえ辛いのに、雨が降っていたというんだ。しかしね、君。9マイルといえばそれほど長い距離じゃないよ。ゴルフをすればすぐにその半分くらいは歩く。しかもゴルフといえば 老人のスポーツだぜ。

9マイルは遠すぎる 表題作より。ただし、文責は中川。つまりうろ覚え。

月曜日から、むしょうに歩きたかった。

なるべく急いで図書館に行く必要があるが休館日。うかつに出歩いて帰ってこられなくなるといけないと、見送り。案の定、なかなか眠れなかった。

明け方6時から9時まで眠り、図書館のほかの用事、街中に出る準備などを整えて出たのが、正午を30分過ぎ。一度も座らず、缶コーヒーを一本飲んだほかは無駄遣いもせずに、5時間後に渋谷に着いた。

用事のあいだ、多少は座った。一時間後、用事が終わってから友人と合流。

友人と30分立ち話をして、また歩き出す。霧雨が降っていた。専門学校の卒業製作の展示を観たときに、椅子を借りた。 500ml パックのジュースも二人それぞれ飲んだ。あとはひたすら歩いていた。だんだんに雨がきつくなり、友人が帰る私鉄の始発駅に着いたときには、ふたりともズボンが絞れるほどに濡れていた。22時10分前。

つまり休憩を二回はさんで、9時間半歩いていたわけだ。雨が冷たい、こんなこと二度とやるかと言いながら、二人で食事をし、最後の話をした。

で、いま私の歩いた距離を地図に訊いてみた。要所々々を結んで最短で移動していたとしたら 16.6 km だという。約 10マイルだ。

誰だよ、9マイルは歩くには遠すぎるなんて運動不足だ なんて言ったのは。友人と歩いた 5マイルだけ取っても、雨の中充分に酔狂だよ。雨でなくとも、ふつう渋谷から池袋なんて歩かないよ。

それだけの話。ほんとうに大体9マイル歩いていたことが分かって、笑みが止まらない。

付記: おっと。渋谷で座って30分アンケートに答えて、図書券を稼いだっけ。

2010年5月8日

ふわふわと

三日ほど深く眠れなかったが、回復。筋が鮮明には思い出せない夢をみた。

かれこれ十三年、連絡を取っていないし、取りようもない知り合いが、仕事先にきて慌てて連れ出して二人きりで話した。

二万円渡せ といわれた。そのとき私は一万七千円しか手持ちがない。さらに二週間後、四万円受け取りにくる とも言われた。

ちかごろ、その人と交際が途絶した最後の会合を思い出しては、あれがいけなかったと反省する -させられる- ような、対応する人間関係のトラブルがある。

今日のうちに、あと一つの反省。二週間後をメドとしてさらに四つの反省でも洗い出してみようかな。とくに急ぐ用事はないし。

最近まで、実在の人物が見識った顔で出てくることはなかったのだが。近頃は、ごくタマにある。今回は十年以上も前の顔なわけだが

2010年5月5日

ふつかほど miniblog 復活してみた

お休み宣言 から50日弱。昨日と、今日と。ミニブログに浸かってみた。昨日(4日)は足を浸す程度。今日(5日)はどっぷりと。

CMS の作品 ? GW が五日も残っていなかったのに気づいて断念しましたよ。技術的な下調べはしたのですがね。

前日まで、復帰する予定はなかったし、知り合いにもそう言っていたのに。自分でも信じがたい。

文体はあまり変わってない、下手をすると前よりも傍若無人。時間あたりの投稿数もあまり変化はなかったが。

ミニブログを離れてからの、生身で人と話すときの心がけが、しっかり自分の姿勢になっていた。多数の人の記事を読み、反応しながら。いま場所を離れると何も心に拘りとしては残っていない。その場でできる反応をして、すべて出し切った実感があるから、あとに残す必要がないんだな。

考えつづけていなくとも、しばらく休んでから復帰したらきちんと。その人の個性や過去の記事が必要に応じて思い出せる。そんなことが自分に可能だとは知らなかった。

たぶん復帰したのは、こんな文章を読んだのがきっかけ。

だから、われわれの常識とか経験で解決できるものは、どんどんやったらいいと思います。怒って治るものならば怒ればいいし、話し合いに行って治るんなら行けばいい。説教して治るのなら説教したらよろしい。してはいけないということはないんです。しかし、説教も話し合いも叱責も効き目がないというときがある。そこからカウンセリングは始まる。そういうふうにおもってほしいですね。

河合隼雄のカウンセリング入門

ここまで50日、対面や電話で 聞くこと をメインで人と接することを心がけたあとだから、なのだけれど。すっと中に入って会話することができた。目立ちたいだけのための発言は 1% 程度で。

これで明日からの日常に、また自信をもって戻れる。そんな気がする。

2010年5月2日

PC 環境復旧

恵んでもらったマシンがメインだが、復旧 したのは環境であって、PC ではないということで。

4月30に追加の買い物をして、作業開始。各種アプリの更新作業まで含めて、終了したのは今朝未明4時。

技術寄りの、FreeBSD に特化した話を軽く書く。

/usr/local , /usr/src , /usr/compat は前からのディスク (320GBytes , ATA 接続 ) へのシンボリックリンク。/usr/home , /var , /tmp は前からのディスクの該当パーティションへマウント。動作確認で FreeBSD-8.0 RELSEASE をインストールした新しいディスク ( 80Gbytes , SATA 接続 ) から起動して、/etc はまるっぽ mv して /etc/fstab のみを編集した。

8.0-RELEASE と、マシン故障前時点の 8.0-STABLE で ライブラリに変化があり、ports でなく自分で作っている vim だけが動かなかった。どうせ更新は趣味で行うので、vim を作り戻しはせず csup , makeworld 。そのほかは素直に動いた。Pentium4 1.6GHz から Celeron 1.8GHz 、どちらも i686 と表示される移行なので、CPU に合わせて最適化した /usr/local のバイナリも最適なまま動いているのだろう。

変えた設定は、失効した kikansha.jp のドメインから **.local への名前変更のみ。

ハードの変更に伴う変更は二点。ネットワークカード ( カーネルで bfe → em ) と、グラフィックボード ( Radeon RV200 QW [Radeon 7500]Volari Z9s で、ports から入れている X のドライバと xorg.conf を radeon から sis に ) 。

ドライバを変更しなくとも、前の設定ファイルそのままでとりあえず X が VGA (基本) ドライバで動いてくれたのはありがたかった。メールチェックくらいはできるということだ。(そこまで18日もの長きに渡って、携帯から生活していたから今更ともいうが)。vim が使えるまで、積極的に日本語を入力する気にならなかったけれどね。

X が VGA で動いていたとき、まだ /boot/loader.conf を動かしていなくて sem.so をロードしていなかったが firefox3 は素直に動いていた。なぜだろうね。とくに追求する気はない。

おっと、一時間後に追記。サーバ用の機材 で、音声出力端子がマザーにないので USB のスピーカを購入していた。ヨドバシカメラで一番廉かった品物、 1,980円。

Windows 用の CD がついたソフトウェア制御の品物で、音量調整はコマンドラインから mixer と叩かないといけないが、/boot/loader.conf に snd_uaaudio_load="YES" と追記したほかにとくに設定はない。(追記終わり)

ひさびさに、睡眠障害寸前まで作業した。どうなることかと思ったが、徹夜→13時から2時間の仮眠→風呂などの日常もこなして24時に就寝→6時半に自然に目が覚めた、ので私も復旧できたのだろう。

ゴールデン・ウィークのあいだは復職活動をしても無駄なので、あと五日間でちと作品を作ろうと、今朝思いついた。前に河野さんとお話して、こんな仕様でこんな実装なら良いよねと意気投合した CMS の、ブログ部分だけ軽く。五日でできる範囲だけに限定して。

五日あれば、構想は固まっているわっさ用の人工無脳も一個半作れるんだけれどさ。環境構築も実験も済んでいるし。わっさそのものにアクセスするのを控えているので、人間の環境が今は向かないのだ。