2013年5月27日

奥津城にて、卯月十七日

用事ができて、一泊二日で関西にきている。

父の遺骨に供えた発泡酒新作のお下がりを飲んだら疲れが出て夜中まで眠り、奥津城の整理をしていたらたちまち夜が明けた。

食卓や机の上にものを置くような母親のやりかたを踏襲していたら片付くわけがないし、そんな習慣をもつ家族がいくら片付けろといっても子供が片付け上手になるわけがない

(机の上と抽斗の使い方がずれているのだよ)

四十路も半ばを超えてやっと、そんなことに気づいたりする。


窓の外では、鳩がベランダの縄張り争いをしている。

元妻の播州コンプレックスにつきあって、ずるずると長年きそびれた結果、すっかりと自分たちの土地だと思っているな。

ここは亡父の土地だというのに。

二ヶ月前にも一度行い、手順をおぼえたベランダの清掃にとりかかろう。


二十代できちんとこなすことのできなかった客商売を、し残したこととして勤めてみてやっと片付け・掃除といったメンテナンが身に付きかけている。

2013年5月2日

「ガンバの冒険」

ちょうど一週間前、4月25日。半年ほどぶりに近所の TSUTAYA を訪れた。同じビルの、夜間も営業しているスーパーが臨時の休業をしていたのがきっかけだ。

しばらく前から、古い映画「ローマの休日」を観たかったのだが、勝手がわからずに小一時間店内をうろついた。住宅街の、私の街の店舗でもレンタルコミックが始まっていることをはじめて知った。

それはさておき、児童向けDVDのコーナに「ガンバの冒険」をみつけた。

娘が小学校に入るか、入らないかのころ。自分が同じ年ごろに観たからと探した番組ふたつのうちのひとつで、つまり十年ほど前にはレンタルで見つからなかった憶えがある。( 余談だが、もうひとつは「小さなバイキング・ビッケ」だ )

たかだか DVD 四巻、13話の短い放映だったかと信じられぬ思いでジャケットのあらすじを眺めているとき、ふと気づいた。

「そうか、わたしはイカサマになりたかったのだ」

放映は磁気テープのヴィデオ録画もまだ一般的でなかった頃だ。二、三年して斎藤惇夫氏の原作を何度も読み返していたのと記憶は入り混じっているだろう。

にしても、イカサマは恰好よかった。

おそらく、さらなる原体験として「ガッチャマン」の最終話で遺志だけが通じ敵と刺し違える、青い装束の no.2 に感銘した流れもあるのだろう。

ま、それはともかく。
小学校五年生で私はタロット札と出会った。
中学二年生でインド瞑想の本を実践しようとして、その一環としてパメラ・コールマンの画を頭に描き、鉛筆でトレースした。
大学に入り下宿して麻雀を憶えたとき、博奕打ちであるならばサイコロは常に二つ以上ポケットに持ち歩かないといけないと感じていた。
離婚してリュックひとつの所持品で動いていたときに気まぐれで入れていたタロット札と再度出会い、タロットと麻雀が一説には同根であると知ったあと、もう五年に渡ってわたしはタロット札を最低ひとつ鞄に忍ばせている。

イカサマになりたかったのか。

「一、二の半。大凶だ」

たしかイカサマも、自らの出した卦に準じ、三匹の犠牲の最後を買って出る。凶を吉に変えるために。

饒舌再開

4月22日、電話機が壊れた。

USBコードからの充電ができなくなって一度代替機を借りて連絡を取り、自宅のスタンドで充電したところで携帯内のメモを SD カードにバックアップして、そのまま修理に出した。

失敗であった。ある携帯からSDカードに書き込んだファイルは、別の携帯でも、パソコンにつないでも読み込めないと判明。

いろいろの記録や雑感のメモがなくなり、けっこう落ち込んでいた。

気分を新たに、今日からまた雑感を書き記していこうと思う。


……というメモを今朝一番にパソコンでローカルに書いた。公開できるものはこのように公開で、非公開を必要とするものはGoogle Drive などに非公開で、まめにネットワーク上にバックアップしておきたいものだ。