2010年4月5日

mixi と twitter と

mixi

考え事をしていて、ノートを繰ったらこんな文章があった。

二度と筆名・虚名というペルソナに支配されたくないから、ありえないような ** とか Gazer とかに変えたのだが、なんだか昨日はよくわからない…… (以下判読不能)

** はある場所で使っている名前。これは伏せておく。明治の文士を気取ったような雅号をつけたら、定着してしまった日の記載だ。

さて、Gazer の名乗り、どうしようかね。そんな名前でトピックに書き込むからいけないのだけれど、呼ばれると面はゆい。お師さん とでも書いてみようかと、しばし血迷ったが、それでも呼ぶ人は呼ぶような気がする。

本名、もしくは正式な名乗りに変えるかと迷っている。決心がつくまで、コミュニティへの書き込みは控えよう。

追記 : 4,5日は控えたが、いまは控えていない。そして なかがわと呼んでくださいとも書いたが、やはり Gazer (さん) と呼ばれる。しかたがないね。mixi 用の名前をひねり出すように気分が向かないかなぁ… (4月12日)

twitter

だから、コミュニティを作ったり参加するのと別の場所として twittter を捉えているのだろう。あまり色々と多方面の話題に反応するなよ > 自分11:58 午前 3月 29, 2010

人により、参入時期により考えが違うだろうから、プロフィールに今の考えを書いてみた「twitter は単一のコミュニティじゃなくて、個人の付き合いと告知/観測の場と捉えています」01:18 午後 4月 03, 2010

コミュニティと思えば、フォロワーが増えてほしい。乱立する掲示板と思えばフォローを増やしたい。そんな感じ ?01:51 午後 4月 03, 2010

日本語の スピリチュアル を何の衒いもなく使う人との交際が最近増えた。

自分を見つめるような思索は好きだ。独善に陥ると困るから、たまに公開する。だが自分を慰め、他人を安らがせるような言葉として スピリチュアル を使う人や 団体 は好きではない。安らぎは昼間の宗教、生活、日常に求めておけと思う。つまり日本語の文脈の スピリチュアル は嫌い。

さきほど、twitter 検索で #Jung をみたら、英文記事では ユングがそれに当たるのかとうんざりした気分になった。馴れ合いに堕した ニューエイジ の流れがアメリカに残っていると考えれば仕方がないが。

日本だと、まだきちんと思索をしている人はタロッティストに居ると思ったのだが……

将棋指しや麻雀の世界では (20年ほど前) 「アマチュアの矜持」といえばそれ以上の説明は要らず通じたのだが。時代なのか世界が特殊なのか、ヒトに説明するのに適当な文章がなくて困る。「謙遜なさらずに、いっしょに勉強してプロになりましょう」と言われても (苦笑) #tarotJP12:51 午前 4月 04, 2010

プロは勝つのが仕事、アマチュアは勝率よりも研鑽が大事01:03 午前 4月 04, 2010

こんな一文を書いたら、それきり #tarotJP への投稿がなくていやな気持ちになっている。偶然であってほしい。

個々人としてきちんと話せば、みな思索をする人で、逃げ場を求めて批判を怖れたりしないはず。

twitter にそんなもの求めていないよ、と言われたら仕方ないが

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