先月から今月にかけて、共通の友人をも巻き込むような形で複数のトラブルが表沙汰になり、それぞれにきちっと受け止め、苦しんだけれど。
父親っぽい愛というのは、相手が自分から離れ、精神的に自分を殺したことを喜べる愛。そんな愛し方を実現することができたらというのが、今年はじめの冬からの想いだったので。ある意味納得。
そして、精神的には苦しみ、一度は殺された様子も見せるけれど。現実の私はこうしてピンピンしていると、もしもいつか相手がこちらを振り向くことがあったら、元気に手を振ってみせるのも必要だよね、とそんな居直りにも似たことを考えている。
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