2010年4月30日

春だねぃ

午前、歯医者の椅子の上で80分。合間に「ブッダの夢」(ISBN4-02-264262-9) を読み了えた。三週間ほどあちこち拾い読みしていたのが、まとまった。

久しぶりの歯医者、神経が過敏になっていて眉の上を技工士の袖がかすめるのまでくすぐったく感じた。だが、病的な神経過敏ではない。体力が落ちて刺戟に敏感なのではなく、体力・気力は二日の睡眠で充実していて、躰に張り巡らされた神経を実感している。

歯医者が終わり陽射しの下を歩きながら、いまの気持ち、格好良くいえば「無」だが、実際は「忘」だと思った。このふたつは同じものじゃないかと。

「呆」でも「HOGE(放下)」でも良い。禅僧が格好良く言って日本語で仰々しく奉られるが、実際は小学生の頃には得ていた、喪った感覚。

学術的に正しいかではなく、いまの私が感じているというだけのこと。べつに他人に押し付ける気はない。

春の陽気には、こんなエセ悟りが似合う。

2010年4月29日

意識的に独り言を口に出した一日

友人が「二、三年前に買ってから封を切っていない」と贈ってくれたサーバ機に電源を入れ、動作確認した。

いままで使っていたハードディスクを中に固定すると ATA ケーブルが届かないので、明日にも買い物に行かなくては、PC 環境が復旧しない。復職関係のファイル一式が入っているので、具体的に動けるのは連休後になる。

PC が壊れている間に、小説を十冊ほどと、人文の書籍を四、五冊読んだ。

昨日と今日、眠っている時間のほうが長い。外見はうつ期と変わらないが、焦りもないし精神は上々。眠れない夜ばかり過ごしてきた三年を取り返しているように思う。心身の調子が熟睡に向くなら、眠るに越したことはない。たぶんいま最優先でやるべきことなのだろう、人生の残りはたかだか二、三十年と見据えて。自宅で運動をする人がいるように、積極的に眠りに取り組んでいる。

明晩には PC 環境も復帰しているだろう。土曜日には動いているだろう、いろいろなことをまた、書き散らすかもしれない。今日は生存報告だけ。長らくどの日記も更新していないのが気に掛かったから。

2010年4月21日

再点検

復職活動のうちで、手応えのあった案件を落として再考中。

ほぼ狙った通りの印象を与えた自信があるので、技術・経験に問題がなければ根本の作戦が案件とそぐわなかったのだと。

おりしも友人に 技術・経験があればサルでも使いこなせないとプロマネ(PM)とは呼ばないんだよと言ったばかり。あまりに強い印象を与えると、本名からこのアカウントにつながり赤裸々な過去などが検索されたかとも考えたし、そちらにも対策は打っておくべきだが。枝葉だろう。

人は変わる。私も変わった。目の前で話した私の印象が問題のはず。


読書にかまけて散歩を怠ったら、徒歩の速度が酷く遅くなっていた。反省して昨日は街中を五時間歩く。雨も降りだしたが、春の陽気ゆえ、傘がなくとも気にならなかった。

一夜明け、体調・スケジュール・気分がどれも気持ち良く現実逃避できるようタイミングが揃う日は滅多にない。安心して逃避しよう と考えたら、逆に積極的に反省と方針の立て直しが始まったのが興味深い。

2010年4月18日

あれこれ 04-18

会話に全身で向き合う訓練を重ねるたびに、会話の中身が普段の記憶から抜けていく。

そういうものなのか、「アースして地面に流し、次の会話まで思い出さない」という先人の知恵を読んだのが影響を与えているのか不明。デメリットはないから続いてほしい。

自分が受け止めて考えないといけない内容、実務/手続きをしないといけない内容は、タイミング良く拾ったり、思い起こせている。自惚れかもしれない、それは自分では分からない。


水曜日からPC故障中。読みたい本のリストが膨れているので、半ば意図的に修理に手をつけていない。

人文系の本のリストが片付いたら、ちと GAE (Google API Engine) 触ってみたいのだが。復職までうちに時間を取れるかな。

2010年4月17日

カラオケに遊びたい -vocaloid songs-

午前四時台に起きたと思えば双極性障害(うつ病)の早朝覚醒だが、五時前に起きたと思えば単に早起き。ちかごろそんな感じ。

あまりの寒さに空調のリモコンを探し、過程で昨年末に娘とふたりでカラオケボクスに行ったときのメモを発掘した。

ヒトカラのつもりでと彼女に好きな歌を歌わせたら、ヴォーカロイド曲ばかり25を歌ったリストだ。私には珍しかったので挙げておく。

「僕は灰猫」(レン)
「呪いのめがね」(リン)
「ダブルラリアット」
「ハロウィンモンスタァパーティナイト」
"Imitator" (レン)
「ブラック★ロックシューター」(レン)
「炉心融解」(リン)
"Little doll" (リン)
「右肩の蝶」(リン ver.)
「右肩の蝶」(レン ver.)
「リンレンラリリン」
「初めての恋が終わる時」(ミク)
「WEBデザイン」(KAITO)
「何となく言ってみたい言葉」(レン,ルカ)
「置き去り月夜抄」(リン,レン)
「貴方に花を私に唄を」(ミク)
「パッピッパー」(ミク)
「ペテン師が笑う頃に」(ミク)
「裏表ラバーズ」(ミク)
「ベタ恋歌」(レン)
「イケ恋歌」(レン)
「サルでもわかる」(リン)
「下克上 -完-」(リン,レン)
"Fire" (レン)
「囚人」(レン)

2010年4月16日

誤爆 -miss shot-

携帯の送信メールを確認したら、ひどい誤爆が…… (二回目)

はい、黒い と嫌われた中川節も健在です。思考を発展させるときには紙のノートに書くし、オチがついてしまって、忘れたころの見直しでないと発展しそうにないものは、手許に携帯しかなければ gmail に封印しています。また PC が故障したから gmail に送ったつもりが、ここに来ていました。

自分が恥ずかしいだけの、ウヌボレだけの文だから良かった。

他人のことを気にするように ……直截にいわず手帳に書いてこちらで考察するようになってから、取り扱いには細心の注意を払うようになっています。誤爆するなら自分のコト

2010年4月15日

アニマとアニムス

男性にとってのアニマは、世間という荒波に対するときに、弱音を吐きたくなったら逃げ込める、護ってくれる、究極の母親。世間と自分のあいだの非常用の隔壁で。

女性にとってのアニムスは、社会に見せている自分ではなく、生(ナマ)の個人を受け止めてくれる存在。
望まれたなら性的にも暖めてくれ、どんな話も黙って聴いたらまた闇に消える。必要なときだけ呼び出されてくれる存在。
ケガレを受け止め、闇からの智恵を与えてくれるが、昼の光の下には現れない、究極のカウンセラなのだろうと思った。

二、三千年続いた社会が変わり、男女の社会的な役割が逆転して、月経ではなく精通がケガレとみなされるようになったなら。
幻の異性像も逆転するだろう

2010年4月12日

見つからないもの

思索は夜に、決断は朝に なんて、いかにも諺・ノウハウとしてありそうな言葉が、日本語/英語ともに検索して見当たらない。

むかし父がよく歌っていた そよふく風さえ… とはじまる、ユーモレスク の歌詞が、検索どころか唱歌、世界の名曲などで図書館を漁ってもわからない。ユーチューブ動画へのコメントで日本の唱歌を海外の人が演奏してくれるとは なんて コメントすらある から、間違いなく存在した文化なのに。

プロとは

昨日、娘に向き合ったあとで。

前日に電話を誘った旧友と一時間半の電話をして、ザンスの最新刊を読み、眠り。起きると図書館に返した本、さんざん引用した 平成おとぎ話 の一節が深く心に響いてきた。

「プロとは自覚した技術によって、偶然だけが導く名演を呼び寄せる存在である。

アマチュアでも時に名演に恵まれる。プロでも常には恵まれない

文責は中川。「まねをしないで」より

2010年4月11日

娘の家庭教師 vol.10. -side B-

というわけで、ブログだか書写だかよくわからないことをしたあと。娘がきての家庭教師はひたすら そこに居ること。相手に100%向かう ことに注力してみた。

アホほど疲れた。15時から17時、お互いに限界だった。

昔の寺子屋で、音読をひたすらさせた意味が分かった。教師自身がそこに向き合うのに、注力するのには最適だ。もちろん、馴れになってしまったら意味がないが。

最寄り駅まで送り、図書館に行き、スーパーで買い物をして帰る。

トレイいっぱいの小魚、見たことのないのが半額88円というのを買ったが、ちご なんて名前、紛れて検索もできない。レシピ専用サイトでも当たるところかな。(稚魚、とかいてちぎょと呼ばずちご、なんだろうと思うが)

ま、とりあえず出汁醤油で煮るだけだ。

アイについて

ひとは相手のどこに好意をもつのか

自己肯定ってやつだ。

けれど、それは開き直りというやつでもある。

反省がない、自分をかんがみない、疑問を持たない、客観的になれない、我儘な、自己中心的な、成長のない*だ。

世の中はそんな*を イヤな* と呼ぶ。

(中略)

ありのままの自分というのは、本当は、ありのままで努力している自分、のことを指しているに違いない。

恋するチカラ (唯川恵 2004)収録

*は今カメラ持ちたくないみたいなの。死にかけたんだからムリない…よね
ふうん。なんか意外だな。もっとタフな精神のやつかと思ってた。
(第16話)

市民も放り出せないーー でしょ ? たぶんそれ、まちがってないんじゃない ?
そ……か
(第19話)

なんで*さんがその言葉を言ってくれるの? がんばれって、あたしの背中を押してくれるの?
おれの好きな君は、たぶんそうするはずだから
(第20話)

文庫版3巻 より

アイについて

河合隼雄氏の平成おとぎ話 よりいくつか

夢などめったにかなうことはないという現実認識をもった上で、かなう夢」のあることを教えてくれた先生に有り難うといえるのである。

先進国にはヒューマン・ビーイングはいない。いるのは、ヒューマン・ドューイングだけである と言うと、案の定、わっと笑いが起こった。

(略)

何をするべきかと考えたり、私が何をしてあげるかというのではなく、私がただそこにいる、ということが非常に大切になってくるのだ。

(略)

これは実に難しい。何もせずに居ると、人間の心というものは、どこかよそに行ってしまう。そうならずに全身全霊をあげてそこにいる、というためには修練が必要である。

そんな面倒なことをしなくても、最初から自分の個性を生かして努力すればいい、と思うかもしれないが、人間の個性などというものが、そんなに簡単に見つかるはずもない。誰か自分のほかに「生きた見本」を見せられて、あれだ、と思って努力し、苦労してこそ自分の個性が見えてくる。

(略)

不幸にも幼少期にそのような体験をしていない子供は、なかなかそれが難しい。

思い切って身をまかせる経験をもっていないと、いざというときに不安が先立ってしまう。あるいは、まったく途方もない存在でないと身をまかせられなくなるので、(略)このような同一視がどれほど危険であるかは、オウム真理教事件を見てもわかるであろう。

そのことが一番端的にわかったのは、フィッシャー・ディスカウが、このように歌うのだと生徒に歌ってみせ、生徒がそれを聴いて歌いはじめるとすぐに「まねをしないで」と言ったときであった。

(略)

先生は言うなれば、シューベルトのたましいを自分はこう感じとっているのだと伝え、それを受けとめることが生徒にとって大切なのであって、先生の行為を真似してもはじまらないのだ。

劉さんは陳さんを紹介するときに、「諍」という字は、日本人は「論爭」などを連想するかもしれないが、これはそのような意味ではなく、お互いにまったく自由に腹を割って話し合うということなのですよ、と言われる。そして、それに続いて、「中国には、諍友という言葉があるのです」

私が言いたいのは、どちらが正しいとか、どちらがおかしいと言うのではなく、文化には明らかな差があり、その差の存在をしっかりと認識することによって、お互いの誤解を少なくすることができるし、また、他に学ぶことができる、というのである。別に、日本文化が他より優れていると主張する気はない。

複素数などといっても忘れてしまったという人もあろうが、非常に簡単に言うと、普通の実数では量だけしか表せないが、複素数では量のみでなく方向も表せるのである。

蛇足 : この説明で感嘆しないやつは理系じゃない

ところで、対談の達人とも言われる河合隼雄氏が、私は感情とか感覚が未発達なので と書かれていた文章をみて目を丸くした。この本だと思ったのだが、なんど読み返しても見当たらない。おかげで引用と称した場所が増えてしまった。

ユング心理学のことばで 感情と感覚が未発達 といえば、もちろん 直観と論理には自信をもっている ということ。なるほど、私が河合氏のことばをちかごろまとめて読んでいるわけだ。封印していた直観を解き放ち、論理との両輪で生きようとしている時期なのだから。

2010年4月10日

文体分析されてみた

バズ仲間 (友人の友人) が Google Reader からシェアしてくれたのをみて、文体診断λόγων(ロゴーン) をやってみた。

提供したデータは、最近に書いてローカルに保存している、自分の夢の記録と感想。

  1. 小林多喜二 (79.6%)
  2. 松たか子 (79.5%)
  3. 井上ひさし (78.9%)

蟹工船 ですか。あれ、読みにくい文章だったよな…… 悲しい。

いくらファンでも立原正秋に文体が似ていると言われたらイやですけれどね、人を飲み込むほど勁い文章は書きたくないと思っているので。色川武大の文章は水っぽすぎるし、川端康成のような幻想的な文章は、夢の話でも似合わない、私がやっているのは分析だし。

でも、吉行淳之介とか城山三郎が出てきたらうれしかっただろうな。(たかだか64人の作家しか入っていない比較対象に、ピックアップされているかどうか知らないけれど)

  1. 岡倉天心 (46.9%)
  2. 田中角栄 (55.6%)
  3. 三木清 (56.7%)

岡倉天心は昔に一冊読んだはず、という程度の文筆家で思い入れもないが、三木清人生論ノートは思春期に繰り返し読んだ作品のひとつなのだがなぁ。残念。

文章の読みやすさ
B (読みやすい)
文章の硬さ
A (文章がやや柔かい)
文章の表現力
A (とても表現力豊か)
文章の個性
A (とても個性的)

個性的というのが褒め言葉かどうか疑問だが、全体に自尊心をくすぐってくれる評価ですね。

blogger.com のこの日記スタイル (css) で、表のままでコピーしても読みづらいのは自明だが、ほかに思いつかない。お目よごしゴメン。

平均文長 平均句読点間隔 特殊語出現率 名詞出現率 動詞出現率 助詞出現率 助動詞出現率 ひらがな出現率 カタカナ出現率 異なり形態素比率
粗点37.4317.4712.5825.9611.5632.2511.1654.972.6440.37
偏差値45505443626545526980

娘の家庭教師 vol.10

新学期が始まりました。

先週、踏み込み過ぎたから、バランスとらないとね、と言葉で思ったわけではないけれど。猫の気持ちで娘の学校の話を聞いていました。

[良い]-[悪い] , [ねばならない] の軸で頑張って、疲れているみたい。自分の接し方が悪いんだろうと思ったのが先週末。(家庭教師後)

今日は怒るのでもなく、叱るのでもなく、仕返し をしてみた。

私の指導は、○か×かという基準が違うのではなく、答案として充分か、不充分かという観点だと宣言した。点数もつけなかった。

今後も同じ調子で、同じコツを守ろうと思ったのでは失敗するのだろうな。一回、一回の真剣勝負。仕事じゃないから、目標は合格じゃないから、成算は不明。

2010年4月9日

4月9日時点の twitter 分析

ウケた。書かずにいられない。

Personality: likeable inquisitive cautious

Style: chatty obscure

BOFFIN

  • Your writing style is pretty obscure - try to keep things simpler, maybe?
  • Try sharing some interesting links you've found

9日未明時点の分析です。あとで変化するかも。

ちょっとアイマイなことばっかり言う人だね。シンプルに話してごらん。わかった?

はい、よく言われます。だいぶシンプルを心がけているのだけれどなぁ、殊に文字制限のある twitter では。

でも、なぜ英語圏のプログラムが分析しても同じこと言うの ?

日本語の分析、円グラフもあったね。昨年9月にも一度やったっけ。こんなの。

愛情度:3.85% 神経質:11.54% 思いやり:3.85%根暗度:3.85% 忙しさ:53.85% 下心:0% 社交性:3.85% ユーモア:19.23% 無関心:0%

ま、twitter は PC 関係の愚痴がメインですし。愚痴るには諧謔 = ユーモア も必要。こんなもの ?

忙しいと分析されるのは、投稿数が少ないからですね。

私淑している方のひとりにお会いした

nkf で名高い 河野さん にお会いしてきた。

解散後、しばらく帰路が同じで。いわれました。ネットで見るそのまま、まったく違和感なし 。いま拝見したら fj の中川さん紹介されているし。

先日は、同窓生の日記にコメントしたら、総勢五名ほどひっくるめて fj の香りのするみなさん と言われたなぁ。うーむ。fj という文化が機能していた、最後の三年前後しかいなかったのに。新参で、振り返って未熟な発言の数々。逃げるつもりはないが、恥ずかしい記憶ではある。

ま、ほかに実績もないし仕方がないか。

こんな実装があったらうれしいし使うんだけれどなぁ。今なら誰も作っていないしチャンスだよ と言われた CMS (ブログなどのコンテンツを、投稿・管理するのに使うやつ) でも作って xxxの作者の中川です と言えるようになりますかね。

……言わないよなぁ、自分からは。フルネームで、あるいは パイプ喫いの と名乗って、説明がなくとも おぉ xxx の作者 と思われて本物。自分で注釈を加えないといけないのは、実績があるとは言わない。

とりあえず、復職して資金に余裕ができたら名刺つくりますか。名刺を作っていなくてと初対面の方に挨拶して なにをしている人ですか と訊かれて答えるべき内容がないので。肩書きのない名刺を。

それでも、訊く人は訊くのだろうね。なにをしている人ですか 。復職して、仕事をしていたとしても迷う質問だよな。だからといって 本を読んで散歩をしている人です と応えるのも変だ。今日は パイプ喫いの とよく言っていますと応えたが。喫煙のために生きているわけでもない。

それだけではなんなので

今日の会話から

デザインパターンて、書くのは楽だけれど、教えるの難しいよね。

ヤヤコシイ処理を工夫するとこうなりがちだよね。人にいちいち説明するの面倒だからノウハウ説明しちゃえ、の集合、苦し紛れですから

学生に教えるのに、見通しが悪くて苦労するよ

大規模プロジェクトを納期にあわせて仕上げるのに、どう分割して作業者に割り振るかという発想ですものね。

河野さんが、実績のない私の個性を憶えてくださっているのは、ライセンスから設計・実装まで。コンピュータシステムという作品に対する美意識が似たところにあるからなのだろう。

実装よりも、その考えが生まれたバックボーンに即座に目が行き、口に出すようになったのは最近だが。

2010年4月8日

久々に麻雀について

久々に麻雀について書いてみようか

かつてツキの流れはあるか、ないかという話題が長く論を呼んだことがあった。いま現在もどこかでは論議されているだろう。

「麻雀は認識のゲーム」と阿佐田哲也の名前で語った方がいた。その文芸の先輩、五味氏も言った。問題はツキが実在するか、しないかではない。

エラーを自覚したとき、結果に不満を感じたあと、配牌を腐った(悪化した)と感じる。その感覚がベテランであれ無垢の初心者であれ、振り払いがたく襲うということ。それが問題の焦点だ。

ツキが悪化したと感じると状況への対処が鈍る。楽しみも損なう。ツキの有無は無視しても、自分の心や対局相手の認識が変わるというのは、紛れもない真実。それもまた状況のひとつ。

感覚に身を委ねて対処するのも、非科学的だと否定し、プロパガンダして対局相手の認識からも拭い去ることを意図するのも。

私の見聞していた限りではこの二つが双璧だった。他にも対処はあるかもしれない。最も効果ある対策が何かは検証不能だから、一度限りの出来事の積み重ねだから、ゲームに魅せられる人はあとを絶たない。

事象に法則を見つけることに目を奪われ、自分の心の動き、他者の認識の変化という目の前の出来事を無視するのは、「近代知」,「科学の方法論」の罠だな…

というような思いを「河合隼雄対話集」(1994 ISBN4-89583-139-6) や 「臨床の知とは何か」(中村雄二郎1992 ISBN4-00-430203-X) から受けた

追記 04-08

mixi 方面に、まだ私の麻雀について語っていたころの知り合いが多くいらっしゃるので、ふと反応をみてみたくて書いてみた。

あちらの足跡を見る限り、どうも誰も私の麻雀に対するコメント・随想など求めていないみたいね。それはそれで清々しく、すっきり。

2010年4月7日

もつれっぱなし

1.

朝、起きて。今日の予定を考えようとして、思考に焦点が定まらなかった。

寝ぼけているのだろうか。視界は焦点が定まっている。なぜ ? 二時間後、風邪の症状が出て納得。昨日は気力を奮い起こして外出、用事のあとでやたらと食事と買い物をしないと気力が回復しなかったが、これが原因か。

たぶん、気力が回復して、やっと体調のほうの低下も身体症状になって現れたのだね。

2.

仕事の連絡、プライヴェートの連絡。それぞれ話が紛糾した。

どちらも怒りをオブラートにつつんだ書き方をして、一度散歩。

片方は、翌日の再開を提案、片方は二時間後の夕方から再交渉。うまく敗けるべきところで敗けられた、謝ることができたから、人間関係のスキルはこの何年かで上がったのだろう。

なにも考えずに勝利を繰り返し、たまに手酷くしっぺ返しを喰らう。そんな日々よりも今日のほうが生産的。だが、疲れる。

世間のひとは、この疲れを繰り返しながら生活しているのか。深く生きるって難しい。

こちらが頭を冷やす必要があるときには、向こうも頭を冷やす時間が必要なわけだ。

それは無駄じゃない。そう信じるしかない。

2010年4月5日

mixi と twitter と

mixi

考え事をしていて、ノートを繰ったらこんな文章があった。

二度と筆名・虚名というペルソナに支配されたくないから、ありえないような ** とか Gazer とかに変えたのだが、なんだか昨日はよくわからない…… (以下判読不能)

** はある場所で使っている名前。これは伏せておく。明治の文士を気取ったような雅号をつけたら、定着してしまった日の記載だ。

さて、Gazer の名乗り、どうしようかね。そんな名前でトピックに書き込むからいけないのだけれど、呼ばれると面はゆい。お師さん とでも書いてみようかと、しばし血迷ったが、それでも呼ぶ人は呼ぶような気がする。

本名、もしくは正式な名乗りに変えるかと迷っている。決心がつくまで、コミュニティへの書き込みは控えよう。

追記 : 4,5日は控えたが、いまは控えていない。そして なかがわと呼んでくださいとも書いたが、やはり Gazer (さん) と呼ばれる。しかたがないね。mixi 用の名前をひねり出すように気分が向かないかなぁ… (4月12日)

twitter

だから、コミュニティを作ったり参加するのと別の場所として twittter を捉えているのだろう。あまり色々と多方面の話題に反応するなよ > 自分11:58 午前 3月 29, 2010

人により、参入時期により考えが違うだろうから、プロフィールに今の考えを書いてみた「twitter は単一のコミュニティじゃなくて、個人の付き合いと告知/観測の場と捉えています」01:18 午後 4月 03, 2010

コミュニティと思えば、フォロワーが増えてほしい。乱立する掲示板と思えばフォローを増やしたい。そんな感じ ?01:51 午後 4月 03, 2010

日本語の スピリチュアル を何の衒いもなく使う人との交際が最近増えた。

自分を見つめるような思索は好きだ。独善に陥ると困るから、たまに公開する。だが自分を慰め、他人を安らがせるような言葉として スピリチュアル を使う人や 団体 は好きではない。安らぎは昼間の宗教、生活、日常に求めておけと思う。つまり日本語の文脈の スピリチュアル は嫌い。

さきほど、twitter 検索で #Jung をみたら、英文記事では ユングがそれに当たるのかとうんざりした気分になった。馴れ合いに堕した ニューエイジ の流れがアメリカに残っていると考えれば仕方がないが。

日本だと、まだきちんと思索をしている人はタロッティストに居ると思ったのだが……

将棋指しや麻雀の世界では (20年ほど前) 「アマチュアの矜持」といえばそれ以上の説明は要らず通じたのだが。時代なのか世界が特殊なのか、ヒトに説明するのに適当な文章がなくて困る。「謙遜なさらずに、いっしょに勉強してプロになりましょう」と言われても (苦笑) #tarotJP12:51 午前 4月 04, 2010

プロは勝つのが仕事、アマチュアは勝率よりも研鑽が大事01:03 午前 4月 04, 2010

こんな一文を書いたら、それきり #tarotJP への投稿がなくていやな気持ちになっている。偶然であってほしい。

個々人としてきちんと話せば、みな思索をする人で、逃げ場を求めて批判を怖れたりしないはず。

twitter にそんなもの求めていないよ、と言われたら仕方ないが

2010年4月3日

小ネタ : 誤植発見

この漫画を入手して二、三週間。

少なくとも 5 回は、このページを見ているのに、さっきはじめて気づいた。

あんな いい子だったさら

古本で入手した、2009年10月25日付け初版一刷

追記 : 転居のせいで前編がないのに、上を書いたあとで、再度、この7,8巻を読み返してしまった。

さきほど、今年に入ってからの当日記を読み返し、岩月君の苦悩は、相手を飲み込んでしまい自分が変わらないことへの怖れなのだと思った。

漫画家は表現者だから、その危険を人よりも早く感じるのだろう。あるいは近頃になってやっと感じる私が鈍いのか。

Re: 家庭教師 vol.9

ブロガー、エラー bx-pwlsr7

昨日付けの記事を編集後、blogger.com がエラーを出してくれた。

携帯からの写真送信をするのに設定を前後したせい、もしくは携帯の写真を含んだ HTML を手で編集したせいでデータを壊したかと蒼ざめた。二時間ほどゴチャゴチャするうちに、エラーコードを含んだ検索結果に段々と声が集まってきた。

ほかにも同様の目に遭っている人がいるならばタイミングの問題だろう。データが壊れていた場合に備えて、私も被害者の名乗りをあげて修復希望リストに名を連ね、しばらくして眠った。

六時間後に起床。エラーは解消されていた。保存すらできなかったはずの記事は、草稿として保存されていた。

技術者はエラーリポートに詳細を書かないと意味がないと考える。だが、動かないぞ、ばかやろう という抗議がリアルタイムに集積するだけで情報の価値が発生することもあるのかと感じ入った。

Re: 家庭教師 vol.9

せっかくだから、文章構成に紛れて書かなかった昨日の詳細。

目黒の図書館で、館内地図をみてどこに見処があるかという意見をいうのを堪え、好きに行動させた。

一度、喉が乾いたときの対処を訊きに探しにこられたほかは、120分間好きに本の森に遊んでいた。

ひとりで本棚を周りながら考えた。本との出会いをプロデュースしながら、好みを押し付けないという自制はどれだけ大変か。押し付けるというエゴが、自覚して排除することをいくら繰り返しても残っていると。

図書館を出てしばらく、ちと不機嫌になっている自分がいた。夜の教科別の指導では、今まで以上に関われた。

今年にはいって、人が人にコミットする覚悟について考えている。馴れ合いや同化の押し付けでもなく、腰が引けて逃げるのでもない、互いに変わるという覚悟。

ためしに commit を使って英文を作れといわれると、自殺や犯罪くらいしか浮かばない。そらみろ、我々欧米人だって、個人としての自覚をもって行動するようになったのは最近なんだと言われました。なるほど神様を差し置いて、自分で決めるのがコミットですからね。

原文は河合隼雄 、記憶から再構成しているので、文責は私中川

2010年4月2日

娘の家庭教師 vol.9 (志望校見物)

一週間の春休み。志望校見物に行ってきた。

風水の心得はないが、凛とした風情の大樹が立ち並ぶ周辺がとても気に入った。先日、大門の辺りの街路樹がみな精気なく感じたあとなので尚更だ。

娘には 根拠はないが、空気を味わい、その土地に愛着を感じることができたらきっとうまくいく とか語った。

学校の隣には八雲図書館がある。

世田谷区も蔵書が豊富で助かっているが、目黒区も素晴らしい。(二、三年前に青山の図書館に休んだときも、なかなか街の個性が出た、良い品揃えだった)

私が中高生のころ、三十年前には東京の区立図書館は 区内に在住、通勤、通学の方のみが貸出券の登録をできます という縛りがあった。今はないようだ。

2010年4月1日

とりとめなく四月一日を語る

1.

空の色に奥行きを感じる一日だった。夜から十一日ぶりの春の嵐が訪れたからかもしれないが、なにか良い予感を感じる。

2.

昼前から、期限が迫ったり過ぎたりした本を読んでいた。16時過ぎに読了して、図書館に返却。

参考図書として書いてあり、興味を惹かれた本を一冊借り、二冊予約。気が変わらなかったら読むつもりの参考書がノートに6冊たまった。半年ほど前に始めた、河合隼雄の軌跡を追いかける旅が、まだ続いている。

3.

図書館で、精神病院の社会史 を流し読み。

東京ローカルな資料の集積の向こうに、いわゆる精神病患者と社会の関係が通時的に立ち現れる。

4.

明日、明後日と神保町は古本祭りだそうだ。あさって土曜日に行こう。

今日は、19時では狙いの書店がどこも休みであることを確認したのみ。あとの約束までの時間つぶしが目的だから良いが。

5.

神保町から淡路町の交差点まで、靖国通り沿いにスターバックスが計五軒あった。

薄々感づいていたが、やはり多い。気の利いた作家なら、すれ違いのシナリオが書けそうだ。

6.

近所に一週間の出店を開いていた PC ショップで、昨十月頃に 700円で贖ったキーボードが。早くも使い物にならない。左 Shift キーを押すと、戻ってこなくなる率が高すぎる。

秋葉原に英語配置のキーボードも豊富な店を、前に従兄に教えてもらったと行ったのだが見つからない。ソフマップの中古店で、店頭ジャンクな DELL のごつい日本語刻印のあるキーボードを 100円で入手した。現在使用中。ふむ、安物よりも、ジャンクでもまともなもののほうが使いやすいや。

ファッションだか、格好良いのか知らないが。ひらがなを刻印していないくせに日本語配列 ( Shift + 2 が 「"」 ) というキーボードがいくつか出ていた。詐欺だ、騙されて買いそうだ。[Full width / Half Width ] という、見慣れないキーに気づかなかったら、本当に危なかった。

註 : [半角/全角] のこと。私ならば [us/JP] と訳すな

秋葉原を離脱寸前、Flexible Keyboard という耐水性に優れたものを 630円で発見。購入したが、私はいま膝の上に置いて使っているんだよなぁ。上述 100円中古が無保証だったし、リスク管理として妥当な判断とはいえ。( @あきばお〜二号店、店頭)

7.

まる三週間ぶりに、血縁以外の個人と会った。

その間に仕事の打ち合わせ (面接) として二人会って、なまじな初対面よりもよほど突っ込んだ話はしている。しかし、まだ個人と話したとは言い難い。

2時間ほど酒をのみ、ざっくり別れる。余分なものがなく、余韻のある時間を過ごせた。

8.

帰路、京王線のなかに広告を見て、 債務整理専門法人 なる業種の台頭を知る。キッズルームの存在と広報に、若い母親が主要な見込み顧客なのだと感じた。