2013年2月26日

与太郎では仕方ない (笑って許す)

昨日まで四年間は友人と認識していた男のはなしを書く。 かつて存在した wassr というコミュニティで、そこそこ仲の良かった相手だ。

わたしは六年以上、彼は少なくとも二年フェイスブックに参加してる。

一昨年の地震の時には、わだかまりを捨てて彼の無事を祈り wassr をみてた。フェイスブックでも福島某市の復興のために精力的に動いている記事が共通の友人からシェアされているのをみていた。

ちょうど先週、元 wassr な共通の友人がさらに増えたせいか「あなたのお知り合いではありませんか」画面の、わたしにとって筆頭に表示されるのをみて、『うっかりすると、ミスタッチで友人申請してしまいそうだ。彼から謝ってくるならともかく、こちらから友人申請とかしてしまったら恥ずかしいな、防止策としてブロックするか。だがスマフォ画面にブロックが表示されないよ』と考えていた。パソコンからフェイスブックつないでブロックメニュー探そう、今度ネットカフェ行くときの ToDo と思っていた。

そのタイミングで、フェイスブックから通知メールが届いた。彼からの友人申請だ。

『もしわだかまりが半ば解けて、わたし視点の話も多少なりと聴くつもりがあってのことなら、ふつうならまず謝罪から送ってくるよな。だが上から目線で「おれはもう気にしてないよ」て意味なら、wassr なき今いきなりフェイスブックの申請送ってきてもおかしくはない』と三日悩んだ。悩んだ結論は、わたしが自身やりそうだと心配してた『お知り合いではありませんか』画面、もしくは機種変更などでうっかりアドレス帳をアプリに喰わせての誤操作による申請。

念のため「友人申請が届いたけど誤操作だよね? 貴君にとって、まだわたしは不審人物なのだろ?」とメッセージを送った。

四、五時間後。夕刻に返事が届いた。「俺には覚えがないから貴様の勘違いだろう・最近は悪さ控えてるかい?」 想像の上限の、さらに上をいく傲慢さだ。

「自覚がないから誤操作というのだよ。証拠送ろうかと一瞬思ったが面倒。とりあえず意図してなかったとわかれば、わたしは気が済んだよ」と返したら、逆上した文が返ってきた。

「おれは中川がフェイスブックにいることも知らなかったし、探したこともない。それで誤操作と呼びたければ呼ぶが良いさ」
は?
わたしの考えた誤操作の意味を書いたら、「晒したければ晒すが良い」とさらにわけのわからない返事。

「晒す」という言葉についていえば、あいつや当時の共通の友人が、わたしの情報開示したことを一度も責めたことはないし、ただ単に『あいつらには普通の友人つきあいなのだろう』と受け止め相応に、愚痴吐くときに気楽に書いているだけなのだが。なぜ許可がいるの? ……てのはまったくの余談。とりあえず、そこに至るまでの向こうの喧嘩腰がわからない。

なんだかよくわからないと、いま懇意にしている集団で愚痴っていたら、わたしと全く同様の誤操作の可能性を示唆したひとがいた。

「いや、それが誤操作でしょ」と返事を書いてて腑に落ちた。あいつ、わたしのフェイスブックページを覗いていると批難されてるように受け取ったのか。 それしか誤操作の可能性思いつかないてことは、たしかにわたしのページみてたのだろうな。


ホントの処はわからない。

彼がわたしのページをまめにチェックしていて、かつそれを隠そうとしていたと解釈することでわたしが腑に落ちたというだけ。

「しらないよ、まちこちゃんの筆箱なんて壊してないもん」「誰もまちこちゃんの筆箱が壊れたとか言ってないんだけどね」メソッドだ。

共通の知り合いが五人も十人もつながった状態で、地震のおりにシェアされた投稿の頻度でフェイスブックにいて。互いに見りゃわかるアイコン使っていながら「おまえのアカウントの存在を知らなかった」てのも不自然すぎるものな。


知性ある友人に一方的に断罪されたと思っていたから苦しんでいたが、底が割れるような嘘を吐くほど底の抜けたバカかと思ったら気が晴れたよ。

あるいはもしかしたら、底が割れるような嘘を吐くほどわたしに罪悪感もってると感じたのかもしれないけどね。


なんにしても気が済んだ。わたしはいまも今後も害意で個人情報までもを晒すつもりはないが、黙するには笑い話として秀逸すぎる。

与太郎では仕方ない。許すさ。現時点では二度と近寄ってほしくないけどな :-p


近所にいたら可愛がるが、わざわざ出かけて行ってまで愛でることもないのが落語にみる与太郎とのつきあいだろ?