2010年1月26日

テーマ音楽を作ってもらった

作ってもらった。

とても満足している。

サーバにコピーした

作者はjunoise さん

2010年1月25日

一日寝てた

鬱発作ではないのだけど、体調はそれほど悪くないのに寝ていた。

昨日16時から正午まで、20時間のうち16時間寝てしまったよと、ちと怖くなって読みかけの本をもって散歩、これは夜に眠れなくなると体調が本格的に悪化するから、その予防だ。

夜はまた眠るのさ、お寝み

2010年1月23日

愛について

相変わらず、青臭いことを書く。


しばし前に、どこかに書いた。

愛は受け取る側が感じるもの、恋は思う側が感じるもの

その舌の根も乾かぬうち、昨日、妙な詩が浮かんだ。

神はあなたを試さない

神はあなたを愛さない

それは等価

神の愛と人の愛。それはなんと違うことだろう。

ここでは、ユダヤの神、律法の神を暗黙に仮定しているのだろう

人は、相手の価値判断でしか相手を愛することができない。

熱狂的な愛が醒め、相手を冷静に個人として認識した時に、はじめてヒトとヒトの対等な関係が始まり、生活が始まる。それには時間が必要だ。

ちかごろ、こんなことを考えていた。

個人と個人の付き合いだと思うから終わりに耐えられない。相手を崇拝し、師弟関係になってしまえば、終わるのが当たり前。

世の中には、今まで出会った人、みな師匠ですよ とうそぶく人もいるが、別れを達観するための科白かもしれない。

また、ちかごろ。人というのは本当に多面体なのだと思う。

多面の全てを受け入れてもらいたいと願うのは、所詮エゴに過ぎないのだと。自分自身の全ての面の、全ての成長の過程を記載したとして、それを、知識のバックボーンの違う相手に理解させること、自分が受信することを考えれば、いかに難しいかわかるだろう。

きっと、相手に飲み込まれてしまう。

自分の、すべての側面を見せたいと思うのが恋、無条件で受け入れたいと思うのが愛か。

ならば、愛と生活は両立しない。個人と個人の付き合いは、もっとぶつかって互いに火花が散り、変わり、変えていくもの。それが生活。

神の愛は、正しく自分の基準に沿うものだけを受け入れる。だからこそ絶対。だからこそ、人はカミになってはいけない。

2010年1月22日

読書記録 01.14-01.22

少年名探偵 虹北恭助の冒険 フランス陽炎村事件

クリスマスプレゼントとして、アマゾンから直接に娘に贈った本を貸してもらった。

軽い本を読んだのは久しぶり。すっきりと読了した。

うーん、探偵小説/ミステリとしてはあまりお薦めしない。虹北恭助のシリーズをずっと読んでいないと面白くないからだ。だが、小説としては面白かったし、それで良いんじゃない ?

++

願い事

古本で、なんの予備知識もなく購入。日曜日の昼下がりにファミレスのドリンクバーを消費しながら読んだ。

ホラー作家のデビュー作というと、貴志祐介のそれ が、むちゃ後味悪かったので、読んでいて心配だったのだけれどね。

これだけ物語世界に引き込まれて、最後に救いがなかったらどうしよう。立ち直れないんじゃないだろうか と。だが杞憂だった。ありがちなハッピーエンドでもなく、きれいにまとめてくれた。これは 神話 であり、 河合隼雄が言うところファンタジー だ。

読んでいる途中で、コーヒーを注ぎに歩きながら 人は魔にはなれても神にはなれない とふと呟いたら、直後に同じ意味の、もっと激しい文章が出てきた。いかに物語世界に一致していたかの現れだろう。

とりかへばや、男と女

旅に持っていくのに、別の読みかけの本と間違えてたまたま手に取った。

年末に持ってきた、関西に置いてある学生時代に貯めた本からだから再読のはずだが。今の私に響く本だった。

旅の直前、中年と呼ばれる年代で、肥えてきた自分の中の女性ホルモンと女性性についてちょうど考えていた処だったのだよね。

文中で解説される [京都(都)] - [宇治] - [吉野] の関係が、[東京] - [年末に旅した関西] - [今回はじめて訪れた東北] と呼応している気がした。

父方の先祖に、奥州藤原氏がいる、というデマのような話もある

親和力 のなかで、(中略) 大尉さんはおよそあなたと同じくらいのお年で、その年配になって男の方は初めて ─あなたを喜ばせそうなことをかくさずに言ってあげますわ─ 愛することもでき、また愛される資格もそなわるのですわ と言う。(略)

このように考えると、もし若い時に結婚をするならば、壮年になって再婚をするのが望ましい。それがうまくいくときには、同一の相手に対して象徴的に離婚・再婚をするということになる。これは人格の急激な変化を経験するときの、象徴的な死と再生の体験と相応するものである。(略)

相手が変わって、実際に離婚・再婚をする人もある。しかし、この際に大切なことは、その意義をはっきりと把握していないと、ジョンソンも言うように、同じことの繰り返しになる可能性が高い。こんな人は再婚ではなく安易な初婚を繰り返しているのである。

読了せずに返却

作家デビュー完全必勝講座 (若桜木虔)

ゆるやかヨガレッスン

拾い読みはした。

ただいま

月曜日に仕事にエントリするための打ち合わせをして、その足で一ノ関に行った。

求職とは言わない。長く自営でやっていて、いまさら社会保険に拘っても仕方がないし、個々の仕事の契約として条件が合うかどうか相談に行くのは 打ち合わせ だ。

往きは青春18切符の最後の一枚で、大宮から宇都宮を経て仙台、一ノ関に21時半頃に着。 帰りは、常磐線で茨城・千葉を経由して。

計画を決めたときに交通費を勘違いしていたので、ちと長めに帰路を歩いた。奥州街道を30km ほど。

火曜日から水曜日にかけて歩き、水曜日一日電車に乗ったら、さすがに疲労が激しくて木曜日一日眠っていた。(電車の中もよく眠っていた。)

エッセイの種はたくさん溜まった。すべてを書いては、自分で読み返すにすらヴォリュームがありすぎるので、取捨選択することになるだろう。

ただいま、東京。図書館にお願いしていた本がいくつか届いているそうだ。

別の仕事の打ち合わせのアポイントメントをひとつ取ったら、読書記録を書いて、図書館に行く予定。

旅行先でお世話になった人、旅行から帰るのにお世話になった人へのお礼を書いて、今日を始めます。

2010年1月14日

読書記録

短篇ならいくつか読んだし、手をつけた本はいくつもある。大晦日に古本で漫画を5,6冊買って全部読んだが、読了したのは、2日の クリスタルボール と、この3冊だけか。

あやつられた魂 ステラ・ダフィ

操られた魂 、原題はWavewalker 、1996年。

解説によると、この主人公が探偵として活躍するのは2作目。前編で、作者は ミステリを書いているという意識がなく、むしろ悲劇的なラブストーリーのつもりで書いていた という。 

前作、カレンダー・ガール も、たぶん読んだことがあるんだよね、まったく憶えていないし、思い出しもしなかったが。だが、それこそがこの小説が古典的な 探偵小説 であるということなんじゃないかな。

べつに、《マット・スカダー》や新本格以降の日本のミステリを否定するわけではなく。だが、古典的な探偵小説というのは、事件が描かれ、事件の中の人間関係を客体として描くものだと思う。

ちかごろの探偵小説しか読んでいない、若い読者には物足りないかもしれない。でも、これが古典の手法だ。

アルケミスト

錬金術師 ニコラ・フラメル

邦訳では、全6巻予定のシリーズ題名が アルケミスト (錬金術師) で、一巻の題名が 錬金術師 ニコラ・フラメル というややこしいことになっている。原題はThe Alchemyst: The Secrets of The Immortal Nicholas Flamel

ファンタジーも、雑学・哲学の体系としての錬金術も好きなのだが、なぜかニコラ・フラメルという名前について知識がすっぽりと欠けていた。(しかも、きっと彼ら夫妻の住んでいた家というのも子供の頃に見たことがあるはずだ) ファンタジーは異世界ものが好きだし、錬金術については微妙に守備範囲がずれていたから、だね。

でも読んで楽しむのに、予備知識の不足はまったく障害にならなかった。主人公ふたりが、インターネットや携帯に慣れ親しんだ現代アメリカのティーンエイジャーだから。少年少女向けとして書かれるファンタジーは、予備知識がなくても楽しめるように書かれるから。

おもしろかった文章を二つ挙げておく。

「礼なんて、止しとくれ。これは贈り物じゃない。呪いだよ!

ドーラ p.207

あんた、その人たちの死を悲しんだの? ヘカテの声には、純粋な好奇心がこもっていた。

ええ、ひとり残らず

いまでも悲しい?

毎日、悲しんでますよ

ヘカテは、フラメルの肩に手を置いた。ならば、ニコラ・フラメル。あんたはまだヒトよ。他人を思いやらなくなったら、あんたはその日からディーのようになる

魔術師

魔術師 ニコロ・マキャベリ アルケミスト2巻

敵として現れる実用的な人間、マキャベリ。味方として現れる、火の魔術の達人サンジェルマン。ともに魅力的な人物だ。

読書日記として書き始めたのは13日だが、このあと19日に旅行をして、栗駒山の空を見て思った。

空気 (Air) の魔術として霧や雲を生み出すシーンがあり、現代科学の観点では水だろう、と不思議に思っていたのだが。山の空で風に巻かれながら雲が散り、また生み出されるのを見た。だから雲を産むのはシルフィードの仕業なのか。そして生まれる雲は、神話の龍そのままの形をしていた。

マキャベリとサンジェルマンの形容に、チェスタートン 木曜の男 に出てくる二人の人物との共通も見出した。

2010年1月10日

インディアンサマー

天気がよく、空気が澄んでいる。昨日から始めた部屋の模様替えと整理は途中だが、窓を開けて部屋の空気を入れ替えるあいだ散歩に出た。

地殻の公園でひなたぼっこをしながら気づいた。これがインディアン・サマーだ。小春日和より、もう少し日差しが眩しく、空気は冷たい感じ。

青空を見ながら考えた。

日々の挨拶で人間関係を耕しているだけでは、深い穴も掘れないし、種を撒かないと何も生えない

実りが欲しければ種を蒔けば良い。能く知ることが望みならば深く掘れば良い。広く見通したければ開墾すれば良い。どれが間違っているワケでもなく、望みに合わせて手段を変えないといけない。

自分のやり方で手に入らないものがあるのに気づいたとき、動揺するのは仕方がないか

ベストを尽くしたから悔いはない人 と ベストを尽くしたのに報われないと嘆く人の違いは何だろう

人の行動の意味、真意は本人にすら完全には分からない。思い返して、あの時自分はこういう意図があったのかと感じるのみだ。

2010年1月5日

1月5日に脳内を流れた歌

1月5日、朝。

この3日間でふと思い起こした曲を記録しておきたくなった。

朝起きた途端に、Georege Moustaki の Sans la nommer が流れた。

名前をつけずに、受け入れて愛そう。そこが始まり くらいかな。対象は感情やセンスなのだと思う

この曲が思い浮かんで、この3日間に思い浮かんだ歌の記録を書きたくなった。

この半年、いつも思い浮かべる歌手やミュージカルからの曲なのに、選曲がいろいろ違うところが興味深い。

1月4日に脳内を流れていた曲

1月5日、朝。

この3日間でふと思い起こした曲を記録しておきたくなった。

1月4日に流れていたのは、My Fair Lady から Without you

あなたがいなくても、画の趣味は洗練される。音楽だってそう。なんちゃらいう詩人だって生きていける。

あなたがいなくても、スペインの雨は主に平野に降る

あなたは親友、お元気で。

お好きな処へお行きなさい。

Hartford, Hereford and Hampshire といえば、昔、高校生の頃五七五に凝って ウクライナ、ウラジオストック、宇都宮 という戯れ歌を作ったことがあったな。


この曲を掘り起こすのに、My Fair Lady 初頭の Wouldn't be lovely を聴いて、こちらに合わせて街を歩いていた。

寝る処がありゃいいね。夜の寒さを防げりゃいいね。素敵じゃね?

大晦日のラジオで、なぎら健一が 朝日の当たる家(The House of the Rising Sun) てのは、日本で言えば 西日の当たる部屋 、ロクでもない眩しい寝室なんですよ と再放送で言ったのを思い出した

ホームレスと失業が社会問題になっている今のほうが、My Fair Lady の背景がよく分かるよね。

1月3日に脳内を流れていた曲

1月5日、朝。

この3日間でふと思い起こした曲を記録しておきたくなった。

3日に流れたのは、岡村孝子 Adieu

アルバムを今はなくしたし、ソラで憶えているほど初期の曲でもないのにね。

幾つも夜を越え、語り明かしたよね。

こんな日が、来るなんて。気づかずに。

忘れないでね。二人で生きた、きらきら輝く季節を。

いつの日か、素敵な誰かと出会っても。

上掲部分が気になって調べてしまった。楽しい思い出が残り、話した内容が心に残っていればそれで良いと思っているはずなのに。

2010年1月2日

「ザ・クリスタル・ボール」読了

読んでいるうちに日付が変わって、二日になってる。

元日は赤坂から渋谷まで、直線距離で4kmちょっとを、あれこれ寄り道して3時間近く描けてしたのだが。この話は写真つきで別途公開予定。

「ザ・クリスタル・ボール」は TOC の創始者ゴールドラットの邦訳最新刊。

提案されるソリューションは、十年くらい前 (未確認) に訳出された「チェンジ・ザ・ルール」(要確認)と変わらないのだけどね。

登場人物が変わり、小説としても遥かに面白くなった。前はコンサルタント(SIer)、今度は現場の人間が導く話だから

確認後に編集するかもしれません