2011年12月30日

本物、贋物

人の評価はむつかしい。

わたし如きに見透かされるようでは贋物、というのは判る。

わたし自身のことはわからない。
 本物と思ったことも、
 言明したおぼえもない。
原理的に、わからないのは自明だから、
ふだんは一々断らないけどね。

わたしと同じ方向を目指す人は、多分わかってる。
その格はわからない。
古来より、同格と思えるような相手は、自分より二枚も三枚も上手(うわて)と言われるし、
きっとそれは正しいから。

本物でも贋物でも、
瞭らかに自分より格上の相手もいて、
その真贋はわからない。

2011年12月27日

夜の夢こそまこと

「先週月曜19日から、今日火曜27日まで色々のことが起きたな」と
思いながら図書館から戻り、寒くて毛布にくるまると眠っていた。

夢をみた。
ハードボイルド小説のような、依頼者が降りても自衛や感情で動く探偵として、バーのカウンタにいた。
神聖な樹を守るとか倒すとか、そんな事柄でいま事件の渦中であり敵がいて、その樹の影響で敵のここまでの経緯を追体験していた。
敵の立場からみたときには自分のこれまでの行動も筋が通らないとしり、敵もまた自覚はしつつやむにやまれぬ経緯で筋の通らないことをしてきたと感情も思考も追体験して。
樹の影響によるSFじみた体験から、精神をバーの身体に戻そうとする夢の中の「私」、夢の思考から目覚めようとしている現実のわたし。どちらも同じくただひとつの思い「敵も自分も互いに矛盾しているのだから飲み込んで講和できるはずだ」という意志だけを持ちかえるために懸命に考えて、追体験の思い出の個々の細部は忘れながらも戻って。

毛布にくるまっている自分のからだを見つけた時には、それでもやはりロジックでは許すことはできないことを発見していた。

「清濁併せ飲む」か。
夢の中の、さらに夢のようなできごとの内では正しいことが、日常の自分の筋・ロジックでは選べない行為であることを実感したとき。
江戸川乱歩の愛した「夜の夢こそまこと」という言葉が身に沁みた。

夜も遅いが、今日も乱歩を愛する人の集うバーにでも行くかね、リツイートもしたしな。

2011年11月30日

XX君は神話が嫌い

承前

探し物があって、散らかった部屋をさらにひっくり返しているうちに、XX君は神話が嫌い てフレーズが頭を離れなくなった。

じっさいは XX君 ではなく私の名前 なかがわ君 だし、べつに本名を隠したこともないのだが。題名に書くのもなんだか目立ちすぎな気がする。かといって 私は神話がきらいだ と一人称で正面から切り込むのでなく、少し醒めた感じに気がついちゃったというニュアンスなので、これもまた致し方ない。

読みかけの本より

昨日から読み始めている 現代霊性論 という本がきっかけだ。

春の震災のあとの twitter で内田樹氏の名前に馴染んでいなかったら、書店でアヤシゲな新宗教のコーナーに並んでいたこの本 を手に取ることはなかっただろう。宗教や都市伝説の対象について、実体として存在の有無を措き、人の心を左右する噂・力学として把握し認識した対談は読み応えのある本だ。

三章 : シャーマン、霊能者、カウンセラー ーー民慣宗教者のお仕事 より、ある歯医者について内田氏の語ったはなし。

そこに行ってすぐに、mこの人は名医だ って思いました。

それまで、どんな歯医者に行っても、まず僕を叱るんです。ブラッシングが足りない、食生活が悪い (略)

要するに 歯を悪くする邪悪な霊 みたいなものを想定して、僕がその無辜なる被害者で、E阪先生と二人で悪と闘うっていう、そういう物語に巻き込んでしまうんです。

p.77 より


先日からあちこちで 日本のスピ文化は嫌いだ と言っている。

また、親しくしたつもりの友人の何人かに、唐突に見放され、敵視されることが近年続いている。

そこに結びついて腑に落ちた気がした。


もちろん私は民俗学・昔話・神話が好きだ。人の心がどう動いてしまうものかと、教訓を得るつもりもあって読んでいるし、純粋に楽しい。

ユングの有名な台詞に 人はみな、自分の人生の物語/神話を見つけていくものだ というものがあり、私もそうだろうと思う。

だが、悪役を探す手伝いができないのだよね。

悪役を押し付けるのは嫌いだ。

娘に世界史のはなしをしていて、ナチス・ドイツはなぜ高い得票率を得たか、それは良くないかという説明をした。あいつらユダヤ人が悪い、あいつらさえいなくなれば国は良くなる として、少数派 = ユダヤ人以外の票を集めたのだと。

外部に敵を作り、そこに悪を投影するのをカルトという。

私は人の心を安らがせる物語はつくれない。

その苦しみのもとも、自分のなかにあって受け入れるものだ、という言い方をする。

そして相手によっては苦しみの素、 の化身として弾劾されるわけだ。そのほうがマシ。

外に仮想敵をおいて 自分は味方だ と言い募るくらいなら、悪役を引き受けるほうがまだ、その善悪の神話においては納得がいく。

善悪二元の神話は嫌いだ。そう考えがちな、克服すべき対象として興味深いが、自分にも許さない。ひとにも認めない。

2011年11月17日

ぼくのミステリな非日常

自分が管理人でもない mixi のコミュニティで、商売の広告をしてはいけない。許してはいけない。乗ってはいけない ……はずなんだが。前日にタロットのコミュニティで見つけた広告にはふらふらと惹かれてしまった。

耽美系モノトーン画家、江戸川乱歩の諸作品をタロットに見立てて22枚の画を発表

限定18部のみ、デッキの形で頒布。2千円。

会場は新宿ゴールデン街、その名も 幻影城

親子二代に渡ってのミステリと幻想小説フリーク。六歳で少年探偵団を全巻読み終え、七歳から十一歳まで、まだ日本語の書籍の買える場所が少なかったフランスで、父が本棚から貸してくれたのはハトロン紙に包まれた江戸川乱歩全種が一番はじめ。(そのほかエラリー・クイーン, 横溝正史 , アイザックアイモフ がもっとも多く。当時珍しかったブラックウッドもサキも )。

オカルトとしてのタロットカードに出会ったのは十一歳 (1979年) 、最初に本格に学んだのは十二歳~十六歳。そこに並行して中井英夫も竹本健治も読んでいたし、十八歳で親元を離れてからはそちらの小説趣味のほうがメインだったのだから、こらごめん。ファン度が違う。

そんなこんなで。限定十八部の残り五部から #16 を入手してきました。幻影城・城主、明神さんのお酌でお酒飲んできました。

すみません、耽美としての乱歩が題材ならばミーハーにもなります。今日はオカルトを確率や心理学からまじめに考察するタロットの中川じゃありませんでした。

明神さんパイプ喫煙者で、営業中なのにつきあってくれるし。オカルト・幻視方面で夏に を買ってから、知り合い何人かの視覚と同じだと伊藤三巳華、立原透耶、加門七海(←エセイ限定。デビュー当時の伝奇小説は読んでいたのが、まさか……) 諸氏の作品を読み出した、そのあちこちでお世話になっている , ビーケーワン の仕掛け人東さん がカウンタの奥に座っているし。やー。うきうきしてました。

  • 0 : 地獄の道化師
  • 1 : 魔術師
  • 2 : 妖蟲
  • 3 : 黒蜥蜴 (ネタバレ ? )
  • 4 : 恐怖王
  • 5 : 目羅博士
  • 6 : 人でなしの恋
  • 7 : 芋蟲
  • 8 : 心理試験 (マルセイユ採番)
  • 9 : 人間椅子
  • 10 : ペテン師と空気男
  • 11 : 人間豹 (マルセイユ採番)
  • 12 : 十字路
  • 13 : 白髪鬼
  • 14 : 陰獣
  • 15 : 蜘蛛男
  • 16 : 幽霊塔
  • 17 : 暗黒星
  • 18 : 月と手袋
  • 19 : 黄金仮面
  • 20 : 大暗室
  • 21 : パノラマ島奇譚

2011年11月16日

Android ← USB → FreeBSD

Android 携帯 IS03 の SD カードを取り外さずに、ケーブル経由で FreeBSD 8.2-STABLE のマシンからマウントすることができた。

前に kernel をコンパイルし直して、umass が使えるようにはしていた。だがそれだけだと /var/log/messages の表示は以下のようであり、マウントにエラーが出る

Nov 16 13:35:25 bouon-an kernel: ugen7.2: <SHARP Corporation> at usbus7
Nov 16 13:35:25 bouon-an kernel: umass0: <au IS03 SD Storage> on usbus7
Nov 16 13:35:25 bouon-an kernel: (probe0:umass-sim0:0:0:0): TEST UNIT READY. CDB: 0 0 0 0 0 0 
Nov 16 13:35:25 bouon-an kernel: (probe0:umass-sim0:0:0:0): CAM status: SCSI Status Error
Nov 16 13:35:25 bouon-an kernel: (probe0:umass-sim0:0:0:0): SCSI status: Check Condition
Nov 16 13:35:25 bouon-an kernel: (probe0:umass-sim0:0:0:0): SCSI sense: NOT READY asc:3a,0 (Medium not present)
Nov 16 13:35:25 bouon-an kernel: da0 at umass-sim0 bus 0 scbus2 target 0 lun 0
Nov 16 13:35:25 bouon-an kernel: da0: <SHARP au IS03 microSD 2.31> Removable Direct Access SCSI-0 device 
Nov 16 13:35:25 bouon-an kernel: da0: 40.000MB/s transfers
Nov 16 13:35:25 bouon-an kernel: da0: Attempt to query device size failed: NOT READY, Medium not present
-------------------------
Nov 16 13:36:53 bouon-an sudo:   yaemon : TTY=pts/2 ; PWD=/home/yaemon/music/chanson ; USER=root ; COMMAND=/sbin/mount /dev/da0 /mnt/note/
Nov 16 13:36:53 bouon-an kernel: GEOM: da0: partition 1 does not start on a track boundary.
Nov 16 13:36:53 bouon-an kernel: GEOM: da0: partition 1 does not end on a track boundary.

au IS03 てトライした初期のころに FreeBSD のカーネル・ソースいじって書き足したような…… 記憶はあるのだが。どこに足したのだったか。最新ソースに同期してパッチは充てていないから、いまは本家でも入れているのかもしれない。

私のデスクトップの名前は、bouon-an.nakagawa.local


man umass をみて、次のようにして成功した。

Nov 16 13:38:39 bouon-an sudo:   yaemon : TTY=pts/3 ; PWD=/home/yaemon ; USER=root ; COMMAND=/sbin/camcontrol rescan 0:0:0
Nov 16 13:39:44 bouon-an sudo:   yaemon : TTY=pts/3 ; PWD=/home/yaemon ; USER=root ; COMMAND=/sbin/mount -t msdosfs /dev/da0s1 /mnt/note

日本語ファイル名

バックアップをとろうとすると、ls でも cp でも、そのほか何をやってもコマンドが受け付けないファイルが存在する。

まずは $> sudo kldload msdosfs_iconv あかん。

2枚ある SD カードの、使っていないほうを ufs , ext2 , ext3 でそれぞれフォーマットしてみたが電話機から mount できない。

MSDOS FS ならばということで、この検索結果 から 昔のメールアーカイヴ を発見して、/etc/fstab に以下の行を追加して妥協。

/dev/da0s1  /mnt/phone msdosfs rw,noauto,-u=yaemon,-g=wheel,-L=ja_JP.eucJP,-D=CP932 0 0

ls | nkf -w とか面倒くさいし、PC から日本語ファイル名のまま cp できないのも鬱陶しいが。それ以上の手間をかけるのも不合理というものだ。

悪役がほしいのはわかる

twitter のタイムラインに、こんなアジテートが流れてきた。

福島に残る人…戻る人…福島から避難する人…同じ土地に暮らしていたのに、原発事故から意識や見解の違いで、福島県民同士が助け合うことが難しくなっている…。家族や夫婦間に亀裂が生じている人たちもいる。原発事故は放射能を撒き散らして生命を脅かすだけでなく、人と人の繋がりを引き裂いている。

引用元

地震で離散した町ならば、住みつづけることを選んだ人と逃げる人の不和は本人たちの問題とみなされることが多いだろう。

戦争が原因ならば戦争が悪いとみなす人がいて、原発事故ならば原発が悪いとみなす人がいる。原発事故で原発が悪いなら、戦争で悪いのは国家という制度になるだろう。

私だって悲劇の当事者ならば、きっかけになった事件やその原因に罪をかぶせて自分は悪くないと一度は思うかもしれない。それはわかる。

巻き込まれちゃいけないよ。巻き込まれて、さらに他人まで巻き込もうと目論んじゃいけないよ。

2011年9月14日

白露巳の日、鎌倉銭洗い弁天に訪れる / 9月14日 , 11月6日 記載

今日は、飼っている猫が望むので闘猫に出したら、なぶり殺し寸前の目にあって帰ってきた夢をみた。

対戦相手の猫に教えられたダンボール箱の中から救いだし。まだ息があった。こんなに黒くて小さい猫だったかと思いながら心臓のあたりをマッサージしつつ、もう片手で獣医を探ししているシーンで目が覚めた。

妙な夢だ。


週末の話を書く。

金曜日の夜から、麻雀で天和の起きる確率をコンピュータに計算させはじめたら寝食と排泄を忘れた。

夕方には気持ちが悪くなった。昔は仕事でもよくあったことだし、昔なら注意して集中しないようにするようにしていたのだが、久しぶりで警戒を忘れていた。

気絶するように眠ったのは、夜も更けてから。二連続の気絶するような入眠だった。


起きたら7時。

先月末29日に、陽灼けの皮を剥くように全身の皮を自分で剥く夢をみた。たしか mixi の voice にはこう書いた。

ひと皮を剥ぐ (「もっけ」)とかひと肌脱ぐ(「戯言/ネコソギラジカル」) て感じの夢をみたが、人皮を脱ぎ捨ててもやっぱり人だろう

連想して蛇にちなんだ伝承をひょっこり調べた。

宇賀神という神様の言い伝えが一部にあるそうな。

古事記にある食べ物関係の神様が似た名前なので上書きされ、さらに蛇と水の神様ということで弁天と混同されて説話も石像もほとんど残っていないが。銭洗い弁天の名で有名な鎌倉の神社にみることができるという。

白露巳の日にお祭りがあるらしい。

白露というのは二十四季のひとつで秋。調べると今年は9月8日からの15日。

暦を計算することができるページも探しだし、そのあとの巳の日は10日日曜日と判明。

せっかくだから、見にいくならばその日だと決めていた。

とくに夢と神様を結びつけはしない。だが、夢をみるような古い心の動きは、昔からいろいろの人が体験してなにかを残しているものだとは思っている。

だが、神社のサイトにも鎌倉の観光案内にも、きちんと9月10日と書いてあるものはなく賭けになるという思いもあった。

それゆえスケジュールにメモはしていたが、あくまで備忘。確定させてもいなかったが、行こうという気になった。

どうしようかと迷っていたのを、朝起きて行く気になっていたなんて体験は、去年の3月以来だ。


小田急で経堂から藤沢に向かい、窓の外を見ながら考えた。

今年になってから、信仰に近い思い入れを込めて神社巡りを好む友人が幾人かできた。だが私は信仰深いとも思っていない。神社が好きというほどのものもない。この確たる目的も探し物もなく「行ってみよう」という気持ちはなんなのだろう。

結論は出ない。楽しいから行くとか、これを勉強したいから行くというわかりやすい動機がなくても行動して良いのだろう。動機を自分で納得できなくとも動いて良いのだろうし、めったにないことだから素直になることにしよう。


藤沢から JR に乗り換え、大船で乗り換えて鎌倉へ。

駅のホームから大きな石像がみえると、存在を忘れていたらまぁぎょっとする。

乱歩の怪人二十面相、ほかにもひとつ、ふたつ。大船観音の中をくりぬいて悪党がアジトにするという設定の小説があったな。

街を見下ろしている感じの大きな石像、悪党のアジトにして最後は壊れるという空想くらいしか使いみちもないだろう、当然という気がした。それくらいぎょっとする。


と、ここまで書いたところで一度中断。先週の木曜日からいきなり忙しくなった。(14日9時5分)

以下、11月6日未明に補足

鎌倉の駅を降りたところで驟雨。ある本には 水神のところに行くのに雨が降るのは、神様と会えるということと昔から言われる とあったな。

もっとも私は、寺社仏閣に訪れたくなるようなときは、低気圧で心がそっちに向くのだろうと理解しているので、これはまぁ余談。コンビニで傘を買い求めて歩き出す。


民家の中をとおり、丘を上がりかけた途中に洞穴があり、その向こうが宇賀神・銭洗弁天。境内を歩き回るうちに、あと30分でお祭りと奉納神楽があるというアナウンスが流れた。

境内に舞台があり、その前に長椅子が何列か置いてある。だが、私はわきの茶店にこしを落ち着けた。

……なんだろうね。

奉納神楽そのものを観るより、わきで人のざわめく気配を肌で感じる方が好きだと気づく。友人や恋人も、そんなひねった嗜好の持ち主ばかり選ぶくせに、自分が企画して人を連れていくと、つい神楽そのものを観せたいと椅子に座ってしまう。それでは、ロクなことにならないよな。

しばらくして席を立ち、茶店で手に入れた観光地図を頼りに、南鎌倉の駅に向けてハイキング道を登った。俯瞰して人の流れをみるのも素晴らしい。

遠景

帰りの電車から、雲がジェットコースタの軌道のように、360°の円環を描き、出発点よりずれたところで下の大きな雲に合流しているのをみた。

ちかごろ雲の流れをみるのがおもしろい。電車の中での読書が、もったいなくて進まない。

それは私の視覚が。いや、視覚の処理をして得る情報が、鮮明に三次元になってきたせいだ。

はじめは何事が起きたのかと思った。正直疲れる。だが、疲れ以上に美しさを感じるので、やめられない。

2011年9月10日

麻雀の確率 ( vol.2 天和の確率が定説と違う )

前の記事 を書き終わった瞬間、通常の麻雀の天和の確率もそれほど面倒くさくないと思えた。しかしデバッグしながらプログラムを書いたら、それでも半日かかった。

最初の6時間で書いたプログラムでは、およそ2千万回に一度という数字が出た。ここで定説を調べる。33万回に一回と言われているようだ。む、おかしい。別の数字が出るのは期待していたが、定説より頻繁に出るという予想をしていたのに。  ……清一以外の面子手は、3面子1雀頭で牌姿を出すという大ポカをしていた。道理で両盃口チェックがほとんど必要なかったわけだ。

ほとんど作り直して、やはり5時間経過。


牌姿は1412万6636 通り。大雑把に24万回に一回という答が出た。母数が4.25×10の18乗、和了形はそのうち1.74×10の13乗。

(七対子・国士を考慮に入れないときの牌姿は875万4027通り、出現率はだいたい27万回に一回だ)

このプログラムは私の貧弱な環境でも2秒足らずで計算ができた。

#!/usr/bin/env perl
#
#   OneColor.pm      2011-09-10 yaemon
#
package MahjongCalc::OneColor;
use strict;
use warnings;
use Carp;
use Exporter;
use vars qw( @ISA @EXPORT_OK );
@ISA = qw( Exporter);
@EXPORT_OK = qw( pairs  paishi cases );
# 面子の数 , 雀頭の有無をもらい数を返す外部インタフェイス sub pairs( $$ ); sub paishi( $$ ); sub cases( $$ );
sub _init; # 牌姿の配列から計算した値を返す内部関数 sub _cases( @ );
# 牌姿を作成する内部関数 sub _calc( $$ ); sub addMentz( $ ); sub addHead( $ ); sub pai2str( $ ); sub merge( $$ );
# static な変数 my $cache; my @mentz; my @head;
sub new() { my $self = bless {} , shift; return $self; }
sub _init() { if ( exists( $cache->{ 'init' } ) ) { return; } $cache->{ 'init' }=1; push @mentz , [ 3 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 ]; push @mentz , [ 0 , 3 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 ]; push @mentz , [ 0 , 0 , 3 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 ]; push @mentz , [ 0 , 0 , 0 , 3 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 ]; push @mentz , [ 0 , 0 , 0 , 0 , 3 , 0 , 0 , 0 , 0 ]; push @mentz , [ 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 3 , 0 , 0 , 0 ]; push @mentz , [ 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 3 , 0 , 0 ]; push @mentz , [ 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 3 , 0 ]; push @mentz , [ 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 3 ]; push @mentz , [ 1 , 1 , 1 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 ]; push @mentz , [ 0 , 1 , 1 , 1 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 ]; push @mentz , [ 0 , 0 , 1 , 1 , 1 , 0 , 0 , 0 , 0 ]; push @mentz , [ 0 , 0 , 0 , 1 , 1 , 1 , 0 , 0 , 0 ]; push @mentz , [ 0 , 0 , 0 , 0 , 1 , 1 , 1 , 0 , 0 ]; push @mentz , [ 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 1 , 1 , 1 , 0 ]; push @mentz , [ 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 1 , 1 , 1 ];
push @head , [ 2 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 ]; push @head , [ 0 , 2 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 ]; push @head , [ 0 , 0 , 2 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 ]; push @head , [ 0 , 0 , 0 , 2 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 ]; push @head , [ 0 , 0 , 0 , 0 , 2 , 0 , 0 , 0 , 0 ]; push @head , [ 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 2 , 0 , 0 , 0 ]; push @head , [ 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 2 , 0 , 0 ]; push @head , [ 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 2 , 0 ]; push @head , [ 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 2 ]; return; }
sub pairs( $$ ) { if ( ! exists( $cache->{ 'init' } ) ) { _init(); } my $MentzNum = shift; my $WantHead = shift;
if ( ! exists( $cache->{ $MentzNum }->{ $WantHead } ) ) { _calc ( $MentzNum , $WantHead ); } return $cache->{ $MentzNum }->{ $WantHead }->{ 'pairs' }; }
sub paishi( $$ ) { if ( ! exists( $cache->{ 'init' } ) ) { _init(); } my $MentzNum = shift; my $WantHead = shift;
if ( ! exists( $cache->{ $MentzNum }->{ $WantHead } ) ) { _calc ( $MentzNum , $WantHead ); } return $cache->{ $MentzNum }->{ $WantHead }->{ 'paishi' }; }
sub cases( $$ ) { if ( ! exists( $cache->{ 'init' } ) ) { _init(); } my $MentzNum = shift; my $WantHead = shift;
if ( ! exists( $cache->{ $MentzNum }->{ $WantHead } ) ) { _calc ( $MentzNum , $WantHead ); } return $cache->{ $MentzNum }->{ $WantHead }->{ 'cases' }; }
sub _calc( $$ ) { my $wantMentz = shift; my $wantHead = shift; if ( exists( $cache->{ $wantMentz }->{ $wantHead } ) ) { return; }
my $paiHash = getPaishi( $wantMentz , $wantHead );
if ( $wantMentz % 2 ) { $cache->{ $wantMentz }->{ $wantHead }->{ 'pairs' } = 0; } else { $cache->{ $wantMentz }->{ $wantHead }->{ 'pairs' } = scalar( grep( /^[02]+$/ , keys( %$paiHash ) ) ); } $cache->{ $wantMentz }->{ $wantHead }->{ 'paishi'} = scalar( keys( %$paiHash ) ); $cache->{ $wantMentz }->{ $wantHead }->{ 'cases' } = _cases( values( %$paiHash )); return; }
sub getPaishi( $$ ) { my $wantMentz = shift; my $wantHead = shift; my %answer = ( "000000000" => [ 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 ] ); for ( ; $wantMentz > 0 ; $wantMentz-- ) { %answer = addMentz( \%answer ); } if ( $wantHead ) { %answer = addHead( \%answer ); }
return ( \%answer ); }
sub _cases( @ ) { my $ret = 0; foreach my $paishi ( @_ ) { my $this = 1; foreach my $num ( @$paishi ) { if( $num == 4 || $num == 0 ) { next; } elsif ( $num == 1 || $num == 3 ) { $this *= 4; } elsif ( $num == 2 ) { $this *= 6; } else { die( "num = $num" ); } } $ret += $this; } return $ret; }
sub addMentz( $ ) { my $src = shift; my %ret;
foreach my $paishi ( values( %$src ) ) { for ( my $i = 0 ; $i < @mentz ; $i++ ) { my $new = merge( $paishi , $mentz[ $i ] ); if ( $new ) { my $str = pai2str( $new ); if( ! exists( $ret{ $str } ) ) { $ret{ $str } = $new; } } } } return %ret; }
sub addHead( $ ) { my $src = shift; my %ret;
foreach my $paishi ( values( %$src ) ) { for ( my $i = 0 ; $i < @head; $i++ ) { my $new = merge( $paishi , $head[ $i ] ); if ( $new ) { my $str = pai2str( $new ); if( ! exists( $ret{ $str } ) ) { $ret{ $str } = $new; } } } } return %ret; }
sub pai2str( $ ) { my $src = shift; my $ret = ""; for ( my $i = 0 ; $i < @$src ; $i++ ) { $ret .= $$src[$i]; } return $ret; }
sub merge( $$ ) { my $a = shift; my $b = shift; my @ret; for( my $i = 0 ; $i < 9 ; $i++ ) { my $tmp = $$a[$i] + $$b[$i]; if ( $tmp > 4 ) { return undef; } $ret[$i] = $tmp; } return \@ret; } 1;
#!/usr/bin/env perl
#
#   Tenho.pl      2011-09-10 yaemon
#
use strict;
use warnings;
use bignum;
use lib( "../lib" ); use MahjongCalc::OneColor qw( pairs paishi cases);
# 和了形一覧 # 4面子 1雀頭 # 清一 # 一色で4面子 , 残り25種のどこかで雀頭 # 一色で3面子1雀頭 , 別の一色で1面子 # 一色で3面子1雀頭 , 字牌が1刻子 # 一色で3面子 , 別の一色で1面子1雀頭 # 一色で3面子 , 別の一色で1面子, 残り16種のどこかで雀頭 # 一色で3面子 , 字牌で刻子1,雀頭1 # 一色で2面子1雀頭 , 別の一色で2面子 # 一色で2面子1雀頭 , 別の二色で各1面子 # 一色で2面子1雀頭 , 別の一色で1面子 , 字牌刻子1 # 一色で2面子1雀頭 , 字牌刻子2 # 一色で2面子 , 別の一色で2面子, 残り16種のどこかで雀頭 # 一色で2面子 , 別の一色で1面子1雀頭, みっつめの色で1順子 # 一色で2面子 , 別の一色で1面子1雀頭, 残り16種のどこかに1刻子 # 一色で1面子1雀頭 , 別の二色で1面子ずつ , 字牌刻子 # 一色で1面子1雀頭 , 別の一色で1面子 , 字牌2刻子 # 一色で1面子1雀頭 , 字牌時3刻子 # 三色で1面子ずつ , 字牌で雀頭 # 二色で1面子ずつ , 字牌2刻子1対子 # 一色で1面子 , 字牌3刻子1対子 # 字一色 # 上記を出す過程で、二盃口形の数を数える
# 七対子の牌姿をすべて数えて、二盃形の数を引く # 国士無双
#############################################################
my $RyanPeiko = 0; my $Paishi = 0; my $Cases = 0;
# 清一 $RyanPeiko += MahjongCalc::OneColor::pairs( 4 , 1 ) * 3; $Paishi += MahjongCalc::OneColor::paishi( 4 , 1 ) * 3; $Cases += MahjongCalc::OneColor::cases( 4 , 1 ) * 3;
# 一色で4面子 , 残り25種のどこかで雀頭 $RyanPeiko += MahjongCalc::OneColor::pairs( 4 , 0 ) * 3 * 25 ; $Paishi += MahjongCalc::OneColor::paishi( 4 , 0 ) * 3 * 25; $Cases += MahjongCalc::OneColor::cases( 4 , 0 ) * 3 * ( 25 * 6) ;
# 一色で3面子1雀頭 , 別の一色で1面子 $Paishi += MahjongCalc::OneColor::paishi( 3 , 1 ) * 3 * MahjongCalc::OneColor::paishi( 1 , 0 ) * 2; $Cases += MahjongCalc::OneColor::cases( 3 , 1 ) * 3 * MahjongCalc::OneColor::cases( 1 , 1 ) * 2;
# 一色で3面子1雀頭 , 字牌が1刻子 $RyanPeiko += MahjongCalc::OneColor::pairs( 3 , 1 ) * 3 * 7; $Paishi += MahjongCalc::OneColor::paishi( 3 , 1 ) * 3 * 7; $Cases += MahjongCalc::OneColor::cases( 3 , 1 ) * 3 * ( 7 * 4);
# 一色で3面子 , 別の一色で1面子1雀頭 $Paishi += MahjongCalc::OneColor::paishi( 3 , 0 ) * 3 * MahjongCalc::OneColor::paishi( 1 , 1 ) * 2; $Cases += MahjongCalc::OneColor::cases( 3 , 0 ) * 3 * MahjongCalc::OneColor::cases( 1 , 1 ) * 2;
# 一色で3面子 , 別の一色で1面子, 残り16種のどこかで雀頭 $Paishi += MahjongCalc::OneColor::paishi( 3 , 0 ) * 3 * MahjongCalc::OneColor::paishi( 1 , 0 ) * 2 * 16; $Cases += MahjongCalc::OneColor::cases( 3 , 0 ) * 3 * MahjongCalc::OneColor::cases( 1 , 0 ) * 2 * 16 * 6;
# 一色で3面子 , 字牌で刻子1,雀頭1 $Paishi += MahjongCalc::OneColor::paishi( 3 , 0 ) * 3 * ( 7 * 6 ); $Cases += MahjongCalc::OneColor::cases( 3 , 0 ) * 3 * ( 7 * 4 ) * ( 6 * 6 );
# 一色で2面子1雀頭 , 別の一色で2面子 $RyanPeiko += MahjongCalc::OneColor::pairs( 2 , 1 ) * 3 * MahjongCalc::OneColor::pairs( 2 , 0 ) * 2; $Paishi += MahjongCalc::OneColor::paishi( 2 , 1 ) * 3 * MahjongCalc::OneColor::paishi( 2 , 0 ) * 2; $Cases += MahjongCalc::OneColor::cases( 2 , 1 ) * 3 * MahjongCalc::OneColor::cases( 2 , 0 ) * 2;
# 一色で2面子1雀頭 , 別の二色で各1面子 $Paishi += MahjongCalc::OneColor::paishi( 2 , 1 ) * 3 * MahjongCalc::OneColor::paishi( 1 , 0 ) * MahjongCalc::OneColor::paishi( 1 , 0 ) ; $Cases += MahjongCalc::OneColor::cases( 2 , 1 ) * 3 * MahjongCalc::OneColor::cases( 1 , 0 ) * MahjongCalc::OneColor::cases( 1 , 0 ) ;
# 一色で2面子1雀頭 , 別の一色で1面子 , 字牌刻子1 $Paishi += MahjongCalc::OneColor::paishi( 2 , 1 ) * 3 * MahjongCalc::OneColor::paishi( 1 , 0 ) * 2 * 7; $Cases += MahjongCalc::OneColor::cases( 2 , 1 ) * 3 * MahjongCalc::OneColor::cases( 1 , 0 ) * 2 * 7 * 6;
# 一色で2面子1雀頭 , 字牌刻子2 $Paishi += MahjongCalc::OneColor::paishi( 2 , 1 ) * 3 * ( 7 * 6 / 2 ); $Cases += MahjongCalc::OneColor::cases( 2 , 1 ) * 3 * MahjongCalc::OneColor::cases( 1 , 0 ) * 2 * ( 7 * 6 / 2 ) * 4 * 4;
# 一色で2面子 , 別の一色で2面子, 残り16種のどこかで雀頭 $RyanPeiko += MahjongCalc::OneColor::pairs( 2 , 0 ) * 3 * MahjongCalc::OneColor::pairs( 2 , 0 ) * 2 * 16; $Paishi += MahjongCalc::OneColor::paishi( 2 , 0 ) * 3 * MahjongCalc::OneColor::paishi( 2 , 0 ) * 2 * 16; $Cases += MahjongCalc::OneColor::cases( 2 , 0 ) * 3 * MahjongCalc::OneColor::cases( 2 , 0 ) * 2 * 16 * 4;
# 一色で2面子 , 別の一色で1面子1雀頭, みっつめの色で1順子 $Paishi += MahjongCalc::OneColor::paishi( 2 , 0 ) * 3 * MahjongCalc::OneColor::paishi( 1 , 1 ) * 2 * 7; $Cases += MahjongCalc::OneColor::cases( 2 , 0 ) * 3 * MahjongCalc::OneColor::cases( 1 , 1 ) * 2 * 7 * 64;
# 一色で2面子 , 別の一色で1面子1雀頭, 残り16種のどこかに1刻子 $Paishi += MahjongCalc::OneColor::paishi( 2 , 0 ) * 3 * MahjongCalc::OneColor::paishi( 1 , 1 ) * 2 * 16; $Cases += MahjongCalc::OneColor::cases( 2 , 0 ) * 3 * MahjongCalc::OneColor::cases( 1 , 1 ) * 2 * 16 * 4;
# 一色で1面子1雀頭 , 別の二色で1面子ずつ , 字牌刻子 $Paishi += MahjongCalc::OneColor::paishi( 1 , 1 ) * 3 * MahjongCalc::OneColor::paishi( 1 , 0 ) * 2 * 7; $Cases += MahjongCalc::OneColor::cases( 1 , 1 ) * 3 * MahjongCalc::OneColor::cases( 1 , 0 ) * 2 * 7 * 4;
# 一色で1面子1雀頭 , 別の一色で1面子 , 字牌2刻子 $Paishi += MahjongCalc::OneColor::paishi( 1 , 1 ) * 3 * MahjongCalc::OneColor::paishi( 1 , 0 ) * ( 7 * 6 / 2 ); $Cases += MahjongCalc::OneColor::cases( 1 , 1 ) * 3 * MahjongCalc::OneColor::cases( 1 , 0 ) * 2 * ( 7 * 6 / 2 ) * 4 * 4;
# 一色で1面子1雀頭 , 字牌時3刻子 $Paishi += MahjongCalc::OneColor::paishi( 1 , 1 ) * 3 * ( 7 * 6 * 5 / 3 ); $Cases += MahjongCalc::OneColor::cases( 1 , 1 ) * 3 * ( 7 * 6 * 5 / 3 ) * 4 * 4 * 4;
# 三色で1面子ずつ , 字牌で雀頭 $Paishi += MahjongCalc::OneColor::paishi( 1 , 0 ) ** 3 * 7; $Cases += MahjongCalc::OneColor::cases( 1 , 0 ) ** 3 * 7 * 4 ;
# 二色で1面子ずつ , 字牌2刻子1対子 $Paishi += MahjongCalc::OneColor::paishi( 1 , 0 ) ** 2 * ( 7 * 6 / 2 ) * 5; $Cases += MahjongCalc::OneColor::cases( 1 , 0 ) ** 2 * ( 7 * 6 / 2 ) * 16 * 5 * 6;
# 一色で1面子 , 字牌3刻子1対子 $Paishi += MahjongCalc::OneColor::paishi( 1 , 0 ) * ( 7 * 6 * 5 / ( 3 * 2 ) ) * 4; $Cases += MahjongCalc::OneColor::cases( 1 , 0 ) * ( 7 * 6 * 5 / ( 3 * 2 ) ) * 64 * 4 * 6;
# 字一色 my $tzuiso = ( 7 * 6 * 5 * 4 / ( 4 * 3 * 2 * 1) ) * 3 ; $Paishi += $tzuiso; $Cases += $tzuiso * 4 * 4 * 4 * 4 * 6; undef $tzuiso; # 出力 my $mentzCases = $Cases; print "Check: 七対子, 国士を含まない 和了形の牌姿 : " , $Paishi , "\n"; print "Check: 七対子, 国士を含まない 和了の数 : " , $Cases , "\n";

# 七対子の牌姿をすべて数えて、二盃形の数を引く
my $sevenpairs = ( 34 * 33 * 32 * 31 * 30 * 29 * 28 ) / ( 7 * 6 * 5 * 4 * 3 * 2 * 1 ); $sevenpairs -= $RyanPeiko; print "Check: 二盃口でない七対子の牌姿 : " , $sevenpairs , "\n"; $Paishi += $sevenpairs; $Cases += $sevenpairs * ( 6**7); undef $sevenpairs; undef $RyanPeiko;
# 国士無双 $Paishi += 13; $Cases += 13 * ( 4**12) * 6;

my $all = ( 136 * 135 * 134 * 133 * 132 * 131 * 130 * 129 * 128 * 127 * 126 * 125 * 124 * 123) / ( 14 * 13 * 12 * 11 * 10 * 9 * 8 * 7 * 6 * 5 * 4 * 3 * 2 * 1 ) ;
my $tenhoP = $mentzCases * 100 / $all; my $tenho = $all / $mentzCases; print "Check: 七対子, 国士を含まない"; printf( "天和の確率、およそ %.3g%% , つまり %.3g回に一回\n" , $tenhoP , $tenho);
$tenhoP = $Cases * 100 / $all; $tenho = $all / $Cases;
printf( "天和の確率、およそ %.3g%% , つまり %.3g回に一回\n" , $tenhoP , $tenho); print "牌姿の数は: " , $Paishi , "\n"; printf( "計算式は %.3g ÷ %.3g\n" , $all , $Cases );

麻雀の確率 ( vol.1 一色麻雀で天和の確率を )

麻雀を覚えた 1986年、当時出ていた関連の書籍を新刊・古本あわせて45冊集めて読んだ。

その中に、コンピュータで14枚の牌姿をすべてのケースを示すと 何通り。そのうちに和了の形がいくつ。よって天和の確率はいくつ、と書いてある本があった。

署名は忘れた。既に手放したから、私が読んだときに理解を間違えて、そのまま20年以上を過ごしてきたのかもしれない。


最近、清一にしようとやみくもに 13枚同じ色を集めたときに、聴牌である確率はどれくらいかと考え出した。頭の体操にほどよい問題と思った。

9種類4枚ずつの牌から13枚抜き出して、その形から、聴牌のものを抜き出してケースを数えたら良いのかと思い、数えるプログラムを二、三日考えていた。


ちょっと待て。違うではないか。すべての牌姿は、同じ確率では出現しない。

一色36枚から 4枚を抜き出したときに、たとえば 1111 である確率は、1234 である確率の 256 分の 1 だ。

詳しく言えば、ある牌姿のなかに同じものが4枚あるとしたら、その部分については 1通りしかない。3枚だとしたら 4通り。2枚だと 6通り、1枚だと 4通り。


上記の本を読んだ18歳のときに、麻雀を考える時には、量子力学のように、ふたつの同種の牌を同じに確率計算するのかと感じて、感じながらなぜかそのまま受け入れていたのよね。

そんなバカなわけはない。一筒四枚に花・鳥・風・月と書いてあれば、2枚が手の中にある場合の数は 花鳥・花風・花月・鳥風・鳥月・風月の6通りで間違いない。

バカだねぇ。> 18歳のわたし


一色9種36枚の麻雀牌から14枚を取ったときの確率を計算するためのすべてのケースは、( 36 × 35 × 34 × ... × 23) ÷ ( 14 × 13 × 12 × ... 1) 通り。だいたい2.66 × 10の11乗 ( 266億 ) として間違いはない。

ここで Perl スクリプトをでっち上げて計算してみた。とりあえず一色手を計算するには十分というだけの、汚いコードならば 90分でできた。実行時間は 0.5秒。

和了の牌姿は、 13277 通り、 445632532 ケース。

2.66 × 10 の11乗 のうちの、4.46×10の9乗だから、一色麻雀だとだいたい 60回に一回の天和になるのか。うん、昔一色手の練習で二人麻雀をしていた時の感覚とだいたいあってる。


同じロジックで、力技で 34種類の牌を使ったふつうの麻雀の天和の確率も計算は可能。力技のコード書くのは面倒くさいし汚いから省略。

もうちょっと綺麗に書いたコードを公開するときがきたら、結果の照合に書いてしまうかもしれないが。

そして、この一色手のすべての和了形を出力したものから、一枚引いて重複を省くことで、清一の聴牌形をすべて抜き出そうと思っている。

参考 : 使用したコード

!/usr/bin/perl
#
#   allcaasecount.pl      2011-09-10 yaemon
#
use strict;
use warnings;
use bignum;
my $all = ( 36 * 35 * 34 * 33 * 32 * 31 * 30 * 29 * 28 * 27 * 26 * 25 * 24 * 23) / ( 14 * 13 * 12 * 11 * 10 * 9 * 8 * 6 * 5 * 4 * 3 * 2 * 1 ) ;
print $all , "\n";
#!/usr/bin/perl
#
#   OneColorMahjongCases.pl      2011-09-10 yaemon
#
use strict;
use warnings;
use bignum;
sub merge( $$ ); sub cases( $ );
my @mentz;
push @mentz , [ 3 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 ]; push @mentz , [ 0 , 3 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 ]; push @mentz , [ 0 , 0 , 3 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 ]; push @mentz , [ 0 , 0 , 0 , 3 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 ]; push @mentz , [ 0 , 0 , 0 , 0 , 3 , 0 , 0 , 0 , 0 ]; push @mentz , [ 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 3 , 0 , 0 , 0 ]; push @mentz , [ 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 3 , 0 , 0 ]; push @mentz , [ 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 3 , 0 ]; push @mentz , [ 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 3 ]; push @mentz , [ 1 , 1 , 1 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 ]; push @mentz , [ 0 , 1 , 1 , 1 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 ]; push @mentz , [ 0 , 0 , 1 , 1 , 1 , 0 , 0 , 0 , 0 ]; push @mentz , [ 0 , 0 , 0 , 1 , 1 , 1 , 0 , 0 , 0 ]; push @mentz , [ 0 , 0 , 0 , 0 , 1 , 1 , 1 , 0 , 0 ]; push @mentz , [ 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 1 , 1 , 1 , 0 ]; push @mentz , [ 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 1 , 1 , 1 ];
my @head; push @head , [ 2 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 ]; push @head , [ 0 , 2 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 ]; push @head , [ 0 , 0 , 2 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 ]; push @head , [ 0 , 0 , 0 , 2 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 ]; push @head , [ 0 , 0 , 0 , 0 , 2 , 0 , 0 , 0 , 0 ]; push @head , [ 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 2 , 0 , 0 , 0 ]; push @head , [ 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 2 , 0 , 0 ]; push @head , [ 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 2 , 0 ]; push @head , [ 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 0 , 2 ];
my %answer;
my $test = 0; for ( my $i = 0 ; $i < @mentz ; $i++ ) { for ( my $j = $i ; $j < @mentz ; $j++ ) { my $twomentz = merge( $mentz[$i] , $mentz[$j] ); if ( $twomentz ) { for ( my $k = $j ; $k < @mentz ; $k++ ) { my $threementz = merge( $twomentz , $mentz[$k] ); if ( $threementz ) { for ( my $l = $k ; $l < @mentz ; $l++ ) { my $fourmentz = merge( $threementz , $mentz[$l] ); if ( $fourmentz ) { for( my $m = 0 ; $m < @head ; $m++ ) { my $hand = merge( $fourmentz , $head[$m] ); if ( $hand ) { my $tmp = join( "" , @$hand ); if( ! exists( $answer{ $tmp } ) ) { $answer{ $tmp } = cases( $hand ); } } } } } } } } } }
# 七対子を忘れていた。ここは手抜きする my $sevenpairscase = 6**7; for ( my $i = 0 ; $i < 9 ; $i++ ) { for ( my $j = $i + 1 ; $j < 9 ; $j++ ) { my @hand; for ( my $k = 0 ; $k < 9 ; $k++ ) { if ( $k == $i || $k == $j ) { push @hand , 0; } else { push @hand , 2; } } my $tmp = join( "" , @hand ); if( ! exists( $answer{ $tmp } ) ) { $answer{ $tmp } = $sevenpairscase; } } }

my $num = keys( %answer ); print "All cases is $num\n"; my $cases = 0; while ( ( my $hand , my $case ) = each( %answer ) ) { $cases += $case; print $hand , "\n"; } print "\nall cases is $cases\n";

sub merge( $$ ) { my $a = shift; my $b = shift; my @ret; for( my $i = 0 ; $i < 9 ; $i++ ) { my $tmp = $$a[$i] + $$b[$i]; if ( $tmp > 4 ) { return undef; } $ret[$i] = $tmp; } return \@ret; }
sub cases( $ ) { my $u = shift; my $case = 1; for ( my $i = 0 ; $i < 9 ; $i++ ) { if ( $$u[$i] == 0 ) { next; } elsif ( $$u[$i] == 1 ) { $case *= 4; } elsif ( $$u[$i] == 2 ) { $case *= 6; } elsif ( $$u[$i] == 3 ) { $case *= 4; } elsif ( $$u[$i] == 4 ) { next; } } return $case; }

2011年9月9日

本日づけの vim でコンパイルエラー

kikansah.jp を再開できそうなめどが立って、古いサーバの手入れで昨日に vim の最新版 (表示は 7.3.107 )を hg で取ってきてコンパイルした。ふつうに入った。

昨日はそのとき、自宅 PC の ruby も更新した。それゆえ、ruby と perl , python が vim のスクリプトから使えるほうの拡張版が動かなくなった。gvim に使っていて、ないと困るので今日再コンパイル。

再コンパイル時にまた最新ソース (これも表示は 7.3.107 )に更新したら、コンパイルエラー。Undefined routine ExtUtils::ParseXS::error だったかな。

perl の version は 5.14.1。cpanp コマンドを起動して ExtUtils::ParseXS モジュールを入れて、コンパイルは通った。

警告がいくつか流れていたし、perl が動くかテストするためだけの vim script が手許にないので、コンパイルできたってところまでしか確認していないが。とりあえず。

2011年8月23日

カラスの愚行、人間の思想

手許にないので第何話、第何巻収録だかわからないが、動物のお医者さん に、カラスの怒りの対象が拡散する話があった。

白衣で眼鏡の教授、漆原氏は永遠のいたずら者。野外ジンギスカンの肉を攫うカラスに復讐を仕掛ける。カラスは怒って仕返しをする。漆原氏はさらにしっぺ返しを続け、カラスの群れはさらに荒れ狂う。

ところが不思議なことに、漆原氏への怒りがあまりに強くなると、カラスは似たように白衣で眼鏡の教授をも攻撃対象とするようになった。抗争が進めば、最後は白衣のものが軒並み狙われる。

おかげで漆原氏の被害は、戦力が拡散したことでむしろ減った。

こんな話だったと思う。カラスはばかなことをすると笑ってほのぼのする、そんなエピソードだ。


だが本当にカラスはばかなのか。

罪を憎んで人を憎まず という諺がある。

誰かの行いに立腹したとき、たとえば 俺が食事をしているときに横で騒いでいたあの家族は許さん から ある程度の格式のあるレストランで五月蝿いのは良くないよね さらに 公共の場ではマナーを守ろう となり、怒りは拡散し、友人・知人が似たことをしたときに、にこやかにたしなめることができる程度に行動が柔らかくなる。カラスと同じではないだろうか。

怒りやトラウマを、対象となる個人に収めずに、汎化することで法律やマナーが生まれ自らをも律する。それを人は文化と呼ばないだろうか。

怒りを分析して背景となる相手の行動原理を否定することで、個人を怒りの対象から分け、腹の虫を収めることができるだろう。

そうありたいと望む。そうあれかし、と願う。

2011年8月10日

8月10日短信

このところ、夕刻と夜明け後の二回に4時間ずつの睡眠というおかしなペースになっていた。とりあえず、日・月と6時間以上の睡眠をまとめて摂ることができた。ただし陽が昇ってから。

火曜日。整えた役所の書類を出すべく、正午に目覚ましをかけて朝また眠る。11時に起きた。睡眠4時間。きちんと動くことができた。温熱効果で肩こりがほぼ治るほどの陽射しであった。

夕暮れのまえ、キャロットタワーの近くで用事がすみ、展望台に。西にみえるのは遠くの大きな平野かと思えば、すぐ近く、砧公園の緑であることに感嘆。いくら近くでも広い。近くにしては鬱蒼(うっそう)としてみえる。

西に夕暮れ、東は青空に白い月 19時前後は大崎の駅あたりで月見をしていた。前日の黄色、火曜日の白銀。きれいで安心を誘う月が続いている。世田谷では例年よりも星が夜空に多くみえる。節電要請で工場の稼働が悪いせいだろうか。

大崎では友人とおいしい店を一軒みつけた。ハレノヒ (畑) という。野菜の蒸し煮がウリの、廉価な店だ。

ぶらりと赤坂見附。かつてオフィスの近くで常用していたバール デルソーレ の、イタリアなコーヒーが恋しくなったせいだ。メンタロー ( menthe a l'eau. / ミント水 ) が飲めなかったのは残念だったが、満喫できた。赤坂から小田急線を経て帰宅。

睡眠が短かったので、きちんと夜のうちに眠れた。が、三時間も経たぬうちに悪夢で目覚める。

悪夢だが悪くなかった。怖いが、わかりやすく昼間の生活で何に注意すべきかが示唆されたということだ。とはいえ 陽気な音楽 を聴き、外があかるくなったので公園に煙草をふかしに出る。

猫、カラス、雀。そして誰ぞの鳥かごから逃げたものが増えたと思える、オウムのような緑の小鳥が三羽戯れるのと、東の空が明るくなるのをみてぼんやりと時間を過ごす。

近所のスーパーで、ミントのハーブティがあったのを仕入れて7時前に帰宅。今日は、このまま一日を有意義に過ごせそう。気分の良い朝だ。

2011年8月4日

マイ・ストーリ

あいつのモノガタリ = his story とかいて history (歴史) と読む 、どの著作だったか忘れたが、故・河合隼雄さんの言葉だ。

河合氏は 自分のモノガタリ、自分の内的現実をつくれる力がみなにありますよに と願っていた。他人から借りてきた history ではなく、My story

たとえば講演会に行く、勉強会に行く。ふんふんと頷いて、絶対不変の真実としてメモをとっているようでは、個が弱い。講師の内的な動機はなにか。なにを求めてこの説を主張するに至ったのか。そこに注目するとみえてくるものがある。言っている内容への理解も深まる。

講師の内的現実を聞き取り、理解しようとすることで、同時に客観的にもなれる。巻き込まれない。ある程度の大人ならばできる。

唯一無二の真実がどこかにあるはずで、自分がしらないだけ と思い込んでいる幼稚なひとに危険思想と罵られるだろうけれどね。


じつはこの記事、どこまでが河合さんの著作からの受け売りで、どこからが私のオリジナルだかあまり自信がない、正直なところ。

よくいえば、河合さんの書籍が血肉になってしまっている。悪く言えば区別がなくなっている。

だが、少なくとも、これが唯一の生きる正しいみちだとも思っていないし、河合さんの著作に感心した人ならばみな同じことを言うだろうといった期待もしていない。私が自分で選んだ、自分の納得のいくことば。

2011年7月30日

掛け算の順序について燃えている人がいる

承前

箸休めに、昨日 mixi で友人限定に公開したものを推敲してあげてみる。

twitter をみてのものだ。

本文

夕刻、ふだんは冷静な知人の何人かが「文章題から式に落とすとき、掛け算の順序を規定するな」とtwitter で燃えていた

言い出しっぺの方のまとめがあるようだ。

【かけ算】便宜的に「1当たりの数×幾つ分」の順序でかけ算を導入すること自体は否定していません。

その順序の流儀を覚えたかどうかを繰り返し確認するなどの行為によって従わなければいけないルールだと誤解させることには強く反対しています。

http://bit.ly/pKcnBQ

http://twitter.com/genkuroki/status/97005190686834688 より

ひとに何かを任せるって、自分のロボットになってもらうことじゃないんだけどな

子供を学校に任せるなかで、もっと譲れない部分はたくさんある。それくらい譲っておいたらどうだろう。

まとめの文章を拾い読みした感じ、子供にそれ間違ってると言われたときに、正しさには学校基準と実社会基準があり、学問としての基準もまた違うと説明できなくてキレているように思える。

ローカルルールというものがこの世にあると教える、機会をみすみす逃してどうするのさ。

と、車のこないことをきちんと確認して信号無視をする姿を積極的にみせ、また以下のような不謹慎な内容を繰り返し娘に伝えた不良オヤジは思う。

嘘をつくなとは言わない。説得力があってばれない嘘をつけ。

逆に私や母親が指摘しないからといって疑っていないとも思うな

嘘をつく能力と、建前と本音の使用、場所に応じたマナー、自分の責任で行動する覚悟、他人には他人の正義があるかもしれないという想像力は、すべて同根

付記

今日は別の記事を書いている合間にはさんだわけだが、意図や関連がまったくないかというと嘘になる。

2011年7月26日

三峯神社

出発

三峯神社 に週末いってきた。

あまり人がいないときが良いと、思いついた翌日の19日に颱風の接近をしりながら行ったら、西武池袋線の特急が雨で飯能から先に行けません と停まり、しばらく待ったが各停含めて動きようがなく、飯能でご飯食べて国分寺・三鷹・吉祥寺と回って帰ってくるにとどまった。外食がすべて当たりだったから悪くはない。

子供の頃から、一度は予行演習しないとうまくいかないというジンクスがあって。大学受験などは高校に入った年から何度も、季節を外してホテルから大学まで歩いたっけな。以上は余談。

遭難しかねない場所と聞いていたので、mixi の日記で 行ってくる。連絡が途絶えたら遭難届け出しておいて と書いていたら、午前10時ころに友人から もう出ました ? という連絡があり、それで目が覚めて出発。

12:30 に池袋を発つ特急に乗ったら、行楽日和で電車は人でいっぱい。集団での観光のようになってしまうかと心配した。が、飯能でほとんどの人が降り、電車が逆方向に動き出したときには7裲編成のうち私の乗った車輌にはほかに二人だけ。駅前で見つけた、本社までの急行バスに乗ったのは私だけであった。

道理で、mixi で告知したときのコメント。この神社のことを書いたときに反応したのはみな神社巡りを趣味として興味のあるひとばかりだったわけだ。観光としてはあまり知られていない神社らしい。

いや。私は神社・仏閣、西洋なら教会をみるのは好きだが、趣味として深く調べたことはない。去年から一年あまり三峯行ってみたいと言っていたのは、全国でも珍しい狛狼の神社だと聞いていたからだ。

西武秩父からバスで一時間あまりの道のり、狼は当然にいないが、猿の親子が道端に腰かけているのをみて仲々の田舎だと思った。本社の前の駐車場からの景色には、奈良の生駒を思い出す。

表の神社

17時まで30分ほど、昔からの佇まいをみせる鳥居の手前の茶屋、大島で腹ごしらえ、情報収集をして、ペットボトルに水を補給。鳥居から入って表のふつうの神社をまずは眺める。

土地がだだっ広い、ごくふつうの神社と思う。家族連れなど五組ほどの参拝者、観光客ともすれ違った。買うならば道の両脇に狼の控える、5千円とか8千円とかの掛け軸が面白いだろう。御守も、観光客向けの狼を模した細工も、地酒も興味がないではなかったし。出発前にサイトでみた日帰りの温泉 にも惹かれたが。茶店で 足速な人ならば30分で着く と教えてもらった奥宮に向けて出発。お土産を買うにしても帰りだ。

奧宮

奧宮は、地図の上では妙法ヶ岳というらしい。山を登る手前、第一の鳥居を入ったところには、埼玉県警の 登山届けを書いてここに入れてください という表示と机、鉛筆などがあった。

長袖のシャツも着ているし、電話の電波も通じる。非常食に黒砂糖をもってきて、水も補給してある。私一人ならば問題はないだろうと、届けだけを書いてなかに入った。仲々険しい。動物の気配などまったくない。

西武秩父の駅までは何度か、家族や友人ときたら楽しかろうと思った。表の神社の境内でも多少は考えた。だが、この登山はひとりで来てこそ、ほかに参拝客がいなくてこそ面白いだろう。山は一人で登るもの。いま中学生の娘が、何歳になったとて、連れていっしょに歩くことなど想像もできない。ひとりで行きたいと言い出せば止める気もないが。

まぁ、歩きながら思い出していたのは、大学のバス旅行で何人もで歩いた高野山の山道であり。一人で歩きたいのは、あのとき峯を歩くのに高所恐怖の気がある私は遅々と進まず、回りに迷惑をかけたから、なのですがね。

写真は途中の休憩所。行こか、戻ろかと考えながら日没までの時間を考えたのが、16:53。

登山・ハイキングの道から、いよいよ本当の参拝になる鳥居の手前より撮った写真。17:28。

人里 = バス停に戻って あー、面倒くさかった と大声に呟く。18:45、19時までの温泉には入れないし、きっと表の神社でお守りなど売っている人も帰っただろう。写真は、向かいの雲取山を撮ったもの。名前のとおりに雲がかかっている。

山裾の参道口までの山道、携帯のナビによると 2km 強だという。そこから本社までくる、往路のバスは、16時に私が乗ってきたのが帰るのが今日の最後。本社まで再度あがり、奧宮と反対に抜けるのが参道への正式のルートとわかってはいたが、なんとかなるさと歩き出した。携帯の電源は、外部バッテリ含めて切れている。

夜道

何度か、あきらかに参道と思える、人だけの道でショートカットしたのだけれどな。気がつけば秩父湖から迂回する、14km のバス道に戻っていた。

県道だというのに、街灯もない。今年の地震の影響、節電で灯いていないのではない。本当に元からないのだ。一時間に一度ほど、車が通るときには、轢かれないかと心配になった。

手がかりは、車線分離の白線だけ。人間の目は、暗くなると白黒モードになるというのを実感した。車が通り過ぎると、しばらくまた目が馴れずに、なにも見えなくなる。

まだ暗くなる前、鹿が出てきて驚いて逃げていった。ぶつからなくて良かった。

途中、熊が出るという看板も見かけた。蛇にももちろん注意しないといけない。怪我をしたときの応急措置にと、多数もってきた煙草の葉をパイプにいれ、火種や灰を落とさぬ歩き煙草とする。風流でも、煙草中毒でもない。熊が向こうから避けてくれないかと、自然界にはなさそうなアヤシイ匂いをたてるという方策だ。

何度も奇声が聞こえ、道の横で梢を揺らしながらこちらを伺っていたのは猿だろう。うかつに食事などしたら襲われても不思議はない。猿の声に合わせ、こちらも同様の声をあげて存在を明示しながら、ひたすらに先を急ぐ。

21時頃に二瀬ダムに出て、やっと人里。ここから先も街灯のほとんどない道。22時過ぎに道の駅・大滝温泉 に出て、道の駅も夜は閉まっているのに落胆。バスの待合所が ご自由にお入りください と書いてあるのをみて、中に休み眠ろうかと思ったが、寝袋の先客が三人。ふだん眠る時刻でもないし、うるさくて迷惑だろうと先を急ぐ。

午前零時前に、30分ほど、街灯から近い資材置場が、屋根だけがあるところで地面に体を休める。妙な夢をみた 気がする。夢ではなく空想かもしれない。神社好きのみなが、狼の気配が残っていないかと羨ましそうに言っていたからね。

零時に半月が東に出て、また歩き始める。参道口を経て、秩父鉄道の三峰口駅にたどり着いたのが3時。屋根はあるが吹きさらしのベンチで、しばらく眠る。悪い夢をみたのは、夜明け前があまりに寒かったからだろう。運動しなければ体温が下がる。

秩父鉄道に沿って二駅歩き、やってきた始発に乗ってまっすぐに東京に戻った。

総括

まぁよほどの物好き、数奇者でなければ、行く場所ではないね。

とはいえ新しい社を建てたい、金がないという看板もあったから。文化遺産を守るために、神事に合わせて境内の宿 に予約をとり、観光をするのは楽しいとは思う。たとえば 9月、10月は月読祭。神事・一泊、二食つきで1万2千円と書いてある のを読めば、安いと思うもの。

2011年7月2日

人の心の

承前

珍しく占いについての考えから発展した文章をこちらにあげてみる。ふだん、そちらの話題は隣の 夜の逆説 へあげているが。

前日に、mixi で占いを同じく嗜む相手のみに限定公開したものだ。そのときの題名は走り書き 。単に思ったことをそのまま吐き出しただけで、まったく文章構成を無視した文章なのに。なぜか評判が良かったので、つい図に乗った。

走り書き

たとえばふたりは幸せな結婚をしました。目出たし、目出たしで終わる小説しか読んだことがなくて、恋ってそんな結論しか思い浮かばない人が。

いくらカード引いたって、そんな占断結果しか思い浮かぶわけがないよね。もしくは運命の人じゃありませんでした、あなたには別の運命の相手が見つかりますか、どっちか。

喧嘩をすることで、より一層に絆が深まるかもって発想のない人、体験のない人、みたこともない人に喧嘩はできない。できるのは我慢か絶交だけ

正しいことをしたら誰からも褒められるて固定観念がある人には、正しさの蔭で傷つくひとがいるとはわからない。世界には対立する正義があって戦争が起きてることもわからない。

努力だけが報われると思ってるうちは、動かないほうが良いときは読めない。

だれかに罵倒されるだろうと予想しながら責任と覚悟に裏打ちされた決断をしたことがない人は、間違いと正しいのモノサシでしか自他を計れない

自分が変わったと自覚したことがない人は、他人が変わることも想像できず、他人を理解しようとすれば蜃気楼を追うように迷い続ける。

2011年6月22日

[箴言] 君は肥って笑みの絶えない警官じゃないか、と赤毛の男は怒った

そして友人である警官は答える。

I see everything, he cried, everything that there is. Why does each thing on the earth war against each other thing? Why does each small thing in the world have to fight against the world itself? Why does a fly have to fight the whole universe? Why does a dandelion have to fight the whole universe? For the same reason that I had to be alone in the dreadful Council of the Days.

(略)

It is not true that we have never been broken. We have been broken upon the wheel. It is not true that we have never descended from these thrones. We have descended into hell. We were complaining of unforgettable miseries even at the very moment when this man entered insolently to accuse us of happiness. I repel the slander; we have not been happy. I can answer for every one of the great guards of Law whom he has accused. At least-- The man who was Thursday

子供の頃、11歳の修学旅行に友人の荷物より借り受け、一晩で読みふけった小説。木曜の男 より。ネタバレぎみの部分だが。

どんな苦痛を経てきた人も、他の人間に 俺は越えたのだからお前も越えろ と誇りたしなめる資格はない。

だが同様に、どんな苦痛のうちにある人も、他者を 君は苦しんだことがない という資格もない。


ところで、ひさびさにグーテンベルグを見たら、この小説の読み上げヴァージョン もあがっていてびっくりした。

英語の勉強のための教材とか、昔よりはるかに入手が楽で、かつ上質だ。

2011年6月17日

mixi と足あとあれこれ

背景

古いネットコミュニティは、開発者が自分たちの交遊のために、自分たちが使いよいものを作って「これ、ついでだからネットにつながっている (まだ数の少なかった) 一般の人も使ってみない?」と提示したところから始まった。

もちろん、運営にはそれなりにコストがかかるから広告スポンサくらいは募集した。それはおまけ、だったはず。

株を公開した時点で、身内のための交遊ツールから、営利事業へと確実に舵を切ったわけで。

営利事業である以上、ユーザは身内ではなく顧客で。顧客はわがままが 100% 通ると思っちゃいけない。システムの変更に新しい楽しみを見出せなかったら、サービスを離れるなり、連絡ツールとして割り切って付き合うしかない。

営利事業である以上、運営は悪い評判を避けたほうが戦略的に得であり、それはたとえば足あとスパムを放置しているという批難や、足あとから始まった交際を失敗したことへの八つ当たりな批難を避けるという経営判断にもつながる。

同様に、ユーザの意向を無視して勝手に、一方的に仕様を変更したという噂が立つことも避けないといけない。ユーザのためにあるシステムだとか、今の日本においてインフラ同様の存在だとかいう幻想を壊すことも得策ではない。

最近まで

半年ほど前、ユーザアクティビティ機能の追加と、抗議による取り下げ、という騒動があった。

今回と逆に、友人の動きが赤裸々に伝わってしまう機能であり、私も一ユーザとして反発した。

今回の騒動においてわたしは静観している。「改悪反対」を叫ぶ何人かの友人に向けて「こう動いたら良いのではない ?」、「こういう経緯があったらしいよ」くらいのことは言っているが、機能の変更そのものについて評価を下し動くものでもないと思っている。

事前、ある程度の告知がなされていたことを評価しているからでもある。

数々の重大な変更を、なにひとつ告知せずに行ってきた mixi がまじめに告知していたのだから、それなりの判断があり本気なのだろうとは思う。

信念のある変更に、ハタががたがた言っても耳を貸すことはないだろう。改善はあっても、元に戻ることはないと見ている。

現状

私は、私自身が旧来の足あと機能を重用してきたユーザだから、そこに適応した友人が多い。

それゆえ母集団は偏るだろうが、それでもアクティブな80人ほどのユーザのうちで事前の告知に敏感に反応したのはたかだか二人。

変更後に「しらなかった。なに、これ」もしくは「ここまで悪い影響を受けるとは思わなかった」と不満を言明しているのが五、六人。

この五、六人がそこそこアクティブなユーザであったことを考えると、まだまだ運営サイドに事前の説明が足りなかったと思わざるを得ない。

友人としては「もうちょっと告知を読んでいて欲しかった」と思うが、お客様として全体をとらえたら、この率で情報漏れがあるのは不手際といえる

隠蔽疑惑も起きているようだ

隠蔽が本当がどうか、それは知らない。隠蔽と疑われるような無様な真似はするな、噂に気づいて否定するようなアクションを起こせ、とは思う。

隠蔽説に対抗して、現状の日記キーワード抽出・集計のロジックを公表して、これは隠蔽ではなく事故だと示すくらいのことはやっても良いのではないかな。

数値が隠蔽を疑われるほどに穴だらけのロジック、どのみち使いつづけても意味がないだろう。ロジックを公表して悪用されるって恐れるまえに、ランキングを中止して噂を否定、隠蔽などしていないと公表したうえで、新ロジックに置き換えたほうがはるかにマシだ。

日本におけるインフラ同様の存在という評価を失いたくなければ

目の前の統計の数字が読めないエッセイとか

mixiの友人のチェックで「[読めるモ]ユーザーからの苦情殺到にmixi社長が声明!」を読んだ。

たかだか2%足らずのユーザしか積極的に反対していないという数字を挙げながら、「だから無視するつもりなのか」と続き、「このまま、事態 が改善されなければ、mixi離れが加速し、登 録はしていても実際には使わない幽霊ユー ザーが急増する恐れもあるだろう。」(原文ママ)と結んである。

それは、剰りにひどい、牽強付会にすらなっていない、妄想。

2011年6月15日

不思議だねぇ

たとえば

ある日、夢の中で橋を渡っていた。

橋のなかばのベンチに腰かけていた老人に おぉ、やっときたのか。待っていたよといわれ、待たせたのが恥ずかしくて逃げたくなったところで目が覚めたのだよね。

あの老人、よく思い出せば数学者ガロアの晩年の写真に似ていた。

そう気がついたときに少年のころの夢を思いだし、アマチュアでもよいから数学を勉強しなおそうと思ったんだ。

て、話をきいたとする。

美談だよね。誰がこの話をきいても、感心することはあっても軽蔑はしないだろう。

つぎに

ガロアのところを江戸川乱歩横溝正史 に換え、数学の勉強 の代わりに 探偵小説の執筆 に換えてみる。

多少首をひねるが、作家としてプロデビューするために、わざわざ仕事やめてしまいでもしない限り、誰も止めないだろう。

まかり間違って一冊でも本になれば ええ話やなぁだ。

さらに

ガロア じゃなく サルトル の名前が挙がり、哲学を勉強しなおして自分を見直す のを目標にしても、まぁ頑張れよ、といえる。

ジグムント・フロイト そっくりの老人を夢にみたから 心理学を勉強しなおして自分を見直す でも反応はだいたい同じと思える。

ところが

ガロア の代わりに入る名前が ユング になったとたんに、同じ 心理学を勉強しなおして自分を見直す という内容でも、眉に唾をつけたくなるだろう。

江戸川乱歩と横溝正史だと大差ない、江戸川乱歩のほうが夢に親しんでいただけ 良い話 と思えるのに。フロイトより夢に親しんでいたユングの名前が挙がると、その違いがわかるひとならばきっと大丈夫かと心配する。

大げさじゃないと思うよ。

本当に上記の内容の夢を去年みた、私が自分で言うのだから間違いない

まかり間違って

夢の中で会った相手がアウグスティヌスやモハメットに似ていて、宗教の勉強を志していた日には、よほどの親友か、よほど付き合いの良い友人でなかったらきっと逃げるだろう。

……きっと私は逃げないから付き合いが良い、らしい。

哲学者でもニーチェやマルクスに似ていた日には、やっぱり相当数の人が逃げるよね、きっと。

不思議だねぇ……

そういえば

ユングとサルトル、さらに文学者からヘルマン・ヘッセの顔は、日本人の私にはあまり区別がつかない、よね。

なんでよりによって、ユングの名前で頑張ろうと思ってしまったのだか。

2011年6月13日

喧嘩を売られているらしい

土曜日に喧嘩を売られていたらしい。三日遅れで気づいて目の前が一瞬かすむくらいに頭に血が登った。

大人気のない返しならいくらでも可能だ。今までだって可能だった。

正論で勝ちつづけて知り合いと険悪になることに疲れて、人前で批難されるたびに身を引いていたこの三年あまりが間違っていたということかね。

ロクでもない中傷に真っ向から対すれば、下品な噂を流した相手の人格を批難することにつながる。アホらしくて好きにさせていた。それが複合してえらいことになっているようだ。

まぁ、知らないよりは知っていたほうが良い。世の中にしょうもなく無邪気な悪意があるということを。本当に引けないときのために、対抗の手段を考えておくことも悪くはない。


品性が下劣な存在は、品性が下劣な想像しかしない。

自分の心の闇を自覚しないものは、他者が自分の下劣な想像を自分に対し実行するのではないかと怯え、それを口にする。

それだけのことだ。実害がなければ、単にそれだけのこと。

2011年6月6日

[箴言] マルテの手記より

雨宿りをした新宿で終電を逃し、帰りの始発の出る時間をもてあましながら、ネットカフェにあるあまたの娯楽本を読む気もなく過ごす。

中学生のころに出会い、何度も読んだはずの「マルテの手記」より

僕は二十八歳だ。

(中略)

僕は詩も幾つか書いた。だが年少にして詩を書くほど、およそ無意味なことはない。詩はいつまでも根気よく待たねばならぬのだ。

人は一生かかって、しかもできれば七十年か八十年かかって、まず蜂のように蜜と意味を集めねばならぬ。

そうしてやっと最後に、おそらくわずか十行の立派な詩が書けるだろう。

(略)

詩はほんとうは経験なのだ。

(略)

思い出だけならなんの足しにもなりはせぬ。

追憶が僕らの血となり、表情となり、名まえのわからぬものとなり、もはや僕ら自身と区別することができなくなって、初めてふとした偶然に、一編の詩の最初の言葉は、それら思い出の中からぽっかり生まれてくるのだ。

(大山定一・1953年訳) 第一章より

なんで、本当に大事なことばは、わかるようになって初めて読み返して気づくのでしょうね。

2011年5月20日

洋書と電子出版

さきほど twitter の呟き経由でこの記事を知った
アマゾン Kindle電子本の販売数、紙本の全種合計を上回る

紙の本100冊に対し、電子書籍105冊の割合、か。

たしかに私も、洋書探すときにはまずは電子データから探すし、kindle アプリももちろん使うな、と感じる。

きのう届いたと書いたペイパーバックも、まだ電子データで手に入るものではなかったから紙で仕入れたのだよな。

アルファベットだけのコンテンツは、紙だと情報あたりの持ち歩きが嵩張る、というのが一番の理由と思う。

わたしが英語、仏語にきちんと馴染めるようになったのは、仕事で技術文書をモニタで読むようになってからだから、より馴染みがあるせいかとも思う。

紙の書籍の見開き二ページの量は、外国語だと圧倒されるせいかもしれない。(「困難は分割せよ」)

日本語の本は、Androidの画面よりもまえの携帯の狭い画面の方が似合った。

AndroidもKindleも、欧州語を表示するために工夫されたデバイス。いくらガラパゴスと揶揄されようが、従来の携帯は日本語を表示するという用途に洗練されたデバイスだったということかもしれない。

2011年5月19日

12日かけて、イギリスから古本が届いた

日本アマゾン経由で、http://www.fantasticliterature.com/ にお願いした SF が5冊届いた

中身の話はまたのちほど

今回はすべて在庫があって、日本時間でも5日のうちに royal mail 、推定するにイギリスの郵便で発送されたのだが、届いたのが今日の午前の郵便。

長かったなぁ。とてもやきもきした。でも航空便。




2011年4月14日

無題詩 2011-04-14

「博奕は自分の身の丈でやれ」
と年長者は言う

「身の丈で満足できるなら博奕はしねぇよ」
と若者は口を尖らかす

「君の身の丈は、自分が思うより大きい。
受け継ぐものがあるのだから。
財を子孫に遺すのに博奕は必要ないよ」
と年長者の親世代が言う

「博奕をしたつもりはなかったのに」
と未生以前のものは嘆く

「私が先祖から受け継いだものに、
既にして博奕が含まれていて
隠れていた危険が
ときに牙を剥くなんて、
誰も教えてくれなかった」

2011年4月5日

魂にマニュアルは要らない

もちろん、河合・谷川対談「魂にメスはいらない」」をもじった日記題名です 。

三日ほどネットにアクセスできず、時間の制約もあって、ふつうの新聞の記事や、TV のニュースが頼りでした。

中で違和感をおぼえたのは、昨4日 19 時の NHK ニュースと、今朝の朝日新聞にも (きっとほかでも多数に) 取り上げられている、子供の心の疵の話。

『子供が夜おびえるようになった』などの声が家族から寄せられています

それぞれの家族に訊けば、当然にそう答えるでしょう。 だが、それって自然なことではないの ?

震災の心の疵を癒す?   人の生きるうえで「癒すよりほかに手段のない出来事」と「乗り越えるべき、乗り越えられる出来事」があって当然。そして「家族 (保護者) の許にいま居ることができている子供たち」にとっては後者に過ぎません。……と、私は思う

阪神淡路大震災のとき、 PTSD が深刻な問題になったのは、むしろ独り立ちしたあとの成人(や、老人も)。

受容れるに大きな出来事を、夜の夢にフラッシュバックすることで消化していくのは、誰でもごく当然。まだ、それを疵痕というには早すぎる。

そして NHK のニュースも朝日の記事も「親はこれこれしてあげましょう (してあげるべきです) 、あれはしてはいけません」

魂にマニュアルはないんだよ

子供が生まれてからずっと一緒にいた親の観察と気持ちのまま。それが一番。

自分の気持ちをマニュアルに縛ったほうが失敗するというのは、戦後すぐのスポック博士の育児ブームなどで山ほど前例があるのに。

2011年3月29日

正直は必ずしも常に美徳ではなくて

正直は必ずしも常に美徳ではなくて
むしろ「正直に話すからすべて許してくれ」という言い訳、取り引き、恩赦への見返りに使われることが多い。

厳格に真摯であることを自らに強いることができないならば、
安易に正直であるのも良いだろう。
自分の罪と功績の判断を他者に委ねるのも良いだろう。

本当に「赦す」相手は、
君が嘘をついていようと、何かを隠していようと
その可能性まで呑み込んですべてを赦すから
正直であることなんか求めない。

ただ、真摯であれ。
君が自分に恥じなければ
心あるものは君を恥じない

2011年3月23日

風呂上りの夢想 (東京電力)

私の住んでいる世田谷区が、本当に輪番停電の地域から外れていたことを知った。

夏の電力需要の時にはまた組み込まれるだろうし、その時には実際に停電も起こるだろうが。


こんな運用が続いたら、関東の地価はどうなるのだろう。

周辺が停電だらけで、使えない土地。中央あたりだけがいつも電気が通じたところで、通う人が住む場所がなければ、産業はさびれるだろう。


相模平野 (江戸~東京) の唯一のウリは、だだっ広い平野だということだけなんだよ。

そのほとんどが住むに値しない土地ならば、中央は寂れるさ。


などと考えたのが朝。先ほど、こんな夢想をした。

東京電力がまじめに電気を配る気のない地域の自治体が主導する、第二関東電力の乱立だ。

町田電力、調布電力、栃木電力、千葉電力…… etc.


そうなれば、いまの体制より遥かにマシな日本になる気がする。

西日本に頭を下げて送電を増やしてもらう手続きもできない、独占企業であった過去を活かせない東京電力は、市場の原理に淘汰されて消えたほうが世間のため。


そんな気がした。

参考

映像資料: 地震発生から1週間_福島原発事故の現状と今後(大前研一ライブ579)

2011年3月20日

原発ネタスクラップ

立場ある発言

政治家や官僚など責任ある人は「東電はよく頑張っている」とポジショントークで言わなければならないけど、それを本気で信じたらまた同じ悲劇が起きる!と言い続けるのが、私のそれこそポジションです。

倉山満の砦 3月16日宮内庁のお役所仕事より

倉山なんて人はしらなかったが、この一言をきっちり言えただけで私は七割がた耳を傾ける気になった

現場=英雄。

幹部=人でなし。

全体=やって当たり前のことを必死にやっているとこ。
もし結果的に失敗したら責任のとりようが無い。というか普段大見得切っていた以上、まったく免罪できない。

(中略)

「民主党(政権)だから」「自民党だから」「東電だから」って、何で組織ごと擁護したが る人が多いのかなあ。

上掲記事より

広瀬隆

昨晩、Google News からたどって週刊ダイヤモンドのページにいきついた。

マグニチュードが当初8.4→次に8.8→最後に9.0に修正されてきたことが、疑わしい。原発事故が進んだために、「史上最大の地震」にしなければならない人間たちが数値を引き上げたのだと思う。

破局は避けられるか

はじめのほうにある上掲文章を読んだつぎには、わたしはページを閉じていた。

8.4 はどうかしらないが、M8.8 のときからすでに 日本の観測史上、おそらく文献にある歴史からも最大の地震 であり、あちこちで 想定外の津波 という言説をみていた。

自分のいうことが正しく、それに反するものはすべて陰謀という言葉は、少なくともジャーナリストの肩書きで語ってほしくないものだ、と。

東京に原発を は少年のころ、本気で読んでいただけに残念なことであった。

一夜明けて、上記の文章を最後まで読んだ。あほかと思った。こうなることを私は心配していた。 と結んであるだけ。本当に危機を感じていたならば、最悪の事態が起きたときになにをすべきかという案を用意しているべきものだ。二十数年なにをやってきたのかと。

などと思っていたら、知人の日記コメントで、広瀬氏がテレビで発言した YouTube 映像が紹介されていた。笑い飛ばせれば良いですが、本当だったと思ったときには遅いのです ということばとともに。

しばらくして、ほんとうにたまたま、togetter でこの放映に対するツッコミと思われる tweet 集 を見る。

ほんとうに二十数年、反対するだけで思考停止して、なにひとつ勉強もせず備えてもいなかったのね。

そのほか

私は安全と言うべく立ち上がった人々のリアルタイムな twitter 上の言説を、そう割り切ってよむことにしているしソースも書けるが、それは省略。

書くならば不安な側から警鐘を鳴らす人と両方書くべきだし、そっちを好んで読みたくもないので。ツッコミ疲れる。

2011年3月16日

被災とユーモア、結論の出ぬままにつれづれ

結論が簡単には出ない話だが、賛否両論がそれぞれにまとまっていて良いね

http://agora-web.jp/lite/archives/1279887/comments/

東京にいる人が頑張らざるをえないのは、被災していない子供たちへの娯楽も提供する使命をもつ人々がいるからだと思う。

今日も漫画雑誌は出るだろう(水曜日)
半ば打撃を受けた生活の中で編集し、印刷し、運送した人々によって

しょうじき、月曜日の各誌がコンビニに並んでいてほっと日常というものがあったことを思い出した
阪神淡路のときもそうだったな

私は日頃のテレビのバラエティは嫌いだが、自分の好みに統制されたら人が複数いる意味がなくなることは知っている

2011年3月7日

近頃の FreeBSD box ( 8-stable )

1月24日、デフォルトの perl が ver. up

$ ls /var/db/pkg | grep bsdpan- | sed -e 's/bsdpan-//;s,-[0-9.]*$,,;s/-/::/g;' | uniq > /tmp/now.list
$ sudo pkg_deinstall -f bsdpan-\*
( perl の本体と、数少ない p5-* を update してから )
$ sudo cpanp -i `cat /tmp/now.list`

基本、cpan 系コマンドでたいがいのモジュールを置き換えているから、こんな具合になる。

2月18日に csup したら

/usr/ports/UPDATING をみたら、21日づけで 8.2-RELEASEタグをつけたよとフライング気味に書いてあった。

2月25日夜に ports を csup したら

数が多いので、処理が面倒になって portupgrade -a をかけたら、あちこちに不具合がでて参った。

portupgrade コマンド群のなかに含まれる portversion コマンドは /usr/ports/INDEX-versionNo を参照する。このファイルは、ワンセットな更新が終わってから最後にひとまとめに更新がかかる。こっちを更新の基準情報にしないといけないわけだ。

portupgrade -aでは、それぞれの ports ディレクトリの Makefile を参照してシステムにインストールされたものと比較するらしい。よって、更新がアトミック (= ワンセットな更新をワンセット ) に扱えない。て、ことのようだ。

以降、気をつける。

3月12日。デフォルトの Python が ver.up

$ sudo portupgrade -o lang/python27 lang/python26
$ sudo portupgrade -Of py26-\*

で殆どが済む はずだった

python27 を make するときの dialog で、GNU pthread を使用 を選んだら、ハマる、ハマる。

FreeBSD の精妙に構成された Makefile 群の、評価順序を調べるのがおもしろいとしばらく GNU pthread を使ったまま py26-* を更新できるかチャレンジした。

一応の結論としては、ports の make のときだけ有功になるように、たとえば /usr/local/etc/pkgtools.conf に以下の設定を追加

MAKE_ARGS = { '*/py-*' => [ 'WITH_PTH=true' ] }

/etc/make.conf の中にも 条件分岐が使えて

.if defined(WITH_PTH)
LIB_DEPENDS+=  pth:${PORTSDIR}/devel/pth
_PTH_CPPFLAGS=  "-I${LOCALBASE}/include/pth"
_PTH_LDFLAGS=  "-L${LOCALBASE}/lib/pth"
CONFIGURE_ENV+=  CPPFLAGS="${_PTH_CPPFLAGS} ${CPPFLAGS}"
CONFIGURE_ENV+=  LDFLAGS="${_PTH_LDFLAGS} ${LDFLAGS}"
CFLAGS+= "${_PTH_CPPFLAGS} ${_PTH_LDFLAGS}"
.endif

と追加、とすれば。これが最後に読み込まれて、他のオプションも活かしたうえで有功になるというのが結論。

しかしながら。私の場合だと devel/py-sip なんて、けっこう基本のライブラリで、configure に与えるオプションを決め打ちした行儀の悪い Makefile なのに気づいて断念。

Python はよく知らないが、このファイルは直せるよ。今回だけなら。パッチも出せるよ。

でも、このあと継続して GNU pthread が使えるように py-* をメンテナンスするほどには、python のことをよく知らないもの。

一晩かけて Makefile のお勉強はしたけれど、もしも報告 (send-pr ) するならば lang/python における WITH_PTH は旧い (obsolute) といった内容にするべきかな、と。

……おっと、Mercurial は、hg コマンドの shell bang 行に python26 と書いてあったので 27 に書き換えた。

追記 : 上記の記事を書いた3時間後、こんな処理で洗い出して対処 (portupgrade -fO ) してみた。

$ grep -l python2\.6/site-packages /var/db/pkg/*/+CONTE*

2011年3月4日

30分スクリプト for wassr reader

ちょっとした現実逃避の30分コーディング。

参照はwassr API 仕様書

#!/bin/sh
#  $Id: wassr,v 1.1 2011/03/04 01:27:05 yaemon Exp $
#
for i in 1 2 3 4 5 6 7 8 ; do
 wget   -q --user=UserID --password="PassPhrase"  -O - \
 'http://api.wassr.jp/statuses/friends_timeline.json?page='"$i" | \
 json_xs -f json -t yaml 2> /dev/null
done |  \
egrep -v '~$' | \
egrep -v '^  (id|rid|link|text|user):' | \
grep -v '^    ' | \
egrep -v '^---$' | \
less

#!/bin/sh
#  $Id: wassr,v 1.2 2011/03/04 01:39:12 yaemon Exp $
#
# for i in 1 2 3 4 5 6 7 8 ; do
for i in 1 2 ; do
 wget   -q --user=UserID --password="PassPhrase"  -O - \
 'http://api.wassr.jp/statuses/friends_timeline.json?page='"$i" | \
 json_xs -f json -t yaml 2> /dev/null
done |  \
egrep -v '~$' | \
egrep -v '^  (id|rid|link|text|user):' | \
grep -v '^    ' | \
egrep -v '^---$' | \
perl -MDateTime -e '{while ( my $line =  )
{
if ( $line =~ s/^  epoch: // )
 {
 chomp( $line );
 my $d =  DateTime->from_epoch(epoch => $line); 
 $d->set_time_zone( "Japan") ; 
 print "\n" , $d->hms() , "\n";
}
else
 {
 print $line;
}} }' | \
less

どうせ perl 使うなら、(e)grep 行もすべて perl に任せて、ついでに記事ごとのフォーマットもすべし ?

うん、もちろん。朝の30分の頭の体操としてはここで打ちきるというだけの話。

そして、トイ・スクリプトがテストをしてデータを見ながら、どうやってきちんとしたプログラムになっていくのかという過程を公開してみたい て稚気です。

2011年3月1日

欧州言語と Android OS の2月後半

昨年2月、フランス語が文字化けせずに表示できる小さな機器を持ち歩きたいから、スマートフォンにしたいと希った。

昨年12月、au ショップで クリスマスから販売。予約受付中。おそらく入手は二月半ば という言葉に惹かれて、ふらふらと IS04 を予約。

同じく12月~1月半ば。中古ノートパソコンを、英語、フランス語の古典や辞書の持ち歩きように注文。送料が 3,000円かかる。従兄から余っていた無線LAN (Wi-Fi) カードをもらい、3千円足らずの Wi-Fi ルータを買って設定ができた。

1月末。IS04 到着のお報らせ。しかし、こちらの手続き不備で受け取りが難しい。

2月上旬。mixi アプリで従来の携帯電話専用のゲームにはまっていて、なんとか両立できないかいろいろ考える。

同じく2月上旬。ノートパソコンは重量と、中古故のバッテリのへたりに持ち歩きを断念。

2月15日、ワインバーグ氏 のサイトトップに、彼の著作へのリンクがあって、電子書籍を持ち歩きたいという熱が再燃。一晩、電子書籍の規格や unix パソコンでの扱いについて調べる。

2月16日朝に思う。Wi-Fi で遊べる従来の携帯に予算を落としたら、差額でAlex (Android OS ) かKindle といった、一万円代半ばの、ネットもできる、Skype までできちゃう電子書籍リーダが買えるだろう、と。

2月16日夕方。寝不足あたまで、寄る機会があって au ショップに。勘違いして IS03 の予約、といったものだから 在庫ありますよ と。Wi-Fi の使える従来の携帯は結構お高いから、7~8千円くらいしか違わないとわかり、ふらりと機種変更してしまう。

2月17日、フランス語やスペイン語が表示されることを喜び、Kindle はアンドロイド・アプリとして実装・無料配布もされていることを知る。

2月22日。従来の携帯電話の画面の使い方にはもう戻れないし、そういったコンテンツしか出していないニュースサイトにもはや戻る気にはならないと結論した

同じく2月22日。漫画家さんが語ると聞いて Ustream 中継をみてしまって気づく。私についていえば、タワー PC のほうが業務用の文字環境。マルチメディア環境はあきらかにこちらの携帯、いや PDA だ。

2月26日。夕暮れに歩く正面に見えるのが金星、向きを変えて見えるふたつの星は、夜空ならば簡単に見分けがつくシリウスとピスカだとアプリに教えてもらい、機種変更をして本当に良かったと思った。

2月28日。ヒトの作ったアプリで、アイデアを敷衍して改善したヴァージョンを作りたいものもいくつかある。だがアプリをつくるよりも、まず Android という 環境そのものが一番おもしろそうだと、興味の方向が見えた。

アプリは、ある程度に環境の中身がわかり、かつお仕事で手をつけないといけなくなったらにしよう。私の性向は主なアイデアに沿って改善や実装、リメイクをすることなので、自分が主体でのアプリ開発には向かない。

2011年2月25日

Gmail / mutt / multi-account

承前

一年近く前の記事Gmail / Mutt まとめ への機能追加。

年初には、その約一年前に書いた記事のコードを変更・追記したし。なんだか、PC 関係のネタは一年単位で巡回しているような気がする。

マルチアカウントが可能

imap(s) の一つからログアウトする、というコマンドの記載を、mutt-users ML で読んだ。

そうか。ならば複数の接続を同時に行えるのか。

最終的には、実行中の mutt から source コマンドが使える、つまりアカウントごとの接続設定のほかに、フォルダに対する設定も、書名ファイルやヘッダ情報もそれぞれ分離できることが判明。

$ cat ~/.muttrc
# $Id: .muttrc,v 1.10 2011/02/25 13:34:30 yaemon Exp $
source ~/dotfiles/.muttrc-common source ~/dotfiles/.muttrc-gmail
source /home/yaemon/dotfiles/.muttrc-account-1

macro generic gUaccount-1 ":source ~/dotfiles/.muttrc-account-1" macro generic gUaccount-2 ":source ~/dotfiles/.muttrc-account-2" macro generic gUaccount-3 ":source ~/dotfiles/.muttrc-account-3" macro generic gUaccount-4 ":source ~/dotfiles/.muttrc-account-4"

$ echo ".muttrc-common は、前回と同じなので省略" $ cat ~/dotfiles/.muttrc-gmail mailboxes imaps://imap.gmail.com/inbox set smtp_authenticators="plain" set ssl_starttls set move=no set delete=yes set folder='imaps://imap.gmail.com/'
set spoolfile='+INBOX' set postponed='+[Gmail]/下書き' set record='+[Gmail]/送信済みメール' folder-hook . 'push "<limit> ~d <1y<enter>"' macro index gi "<change-folder> =INBOX<enter>" "Go to inbox" macro index ga "<change-folder> =[Gmail]/すべてのメール<enter>" "Go to all mail" macro index gs "<change-folder> =[Gmail]/送信済みメール<enter>" "Go to Sent Mail" macro index gd "<change-folder> =[Gmail]/下書き<enter>" "Go to drafts" macro index gS "<change-folder> =[Gmail]/迷惑メール<enter>" "Go to Spam"

folder-hook =INBOX 'push "<limit> ~d <2d ~N<enter>"' folder-hook =[Gmail]/すべてのメール 'push "<limit> ~d <2d ~N<enter>"'

$ cat ~/dotfiles/.muttrc-account-1 # $Id: .muttrc-account-1,v 1.1 2011/02/25 13:34:31 yaemon Exp $
my_hdr X-MSN-Passport: .... my_hdr X-Mixi-SearchWord: ... my_hdr X-Twitter-ID: ... my_hdr X-YahooJP-ID: ... my_hdr From: NAKAGAWA Tsuneo <yaemon.the.tank@gmail.com>
set hostname="gmail.com" set imap_user="yaemon.the.tank@gmail.com" set imap_pass="ひ・み・つ"

set sendmail= set smtp_url="smtp://yaemon.the.tank@smtp.gmail.com:587/" set signature="~/.signature"

2011年2月3日

斬新ないたずら電話

本日 13:07 分、次のような電話がかかってきた。着信履歴は 03-4500-1077

セールスの悪戯電話が多いので名前は名乗らない。呼びかけに はい と応えると 中川さんのお宅でよろしいでしょうか と向こうから呼びかけられた。肯定すると 私、SDI マネージメント の吉田と申しますが。クッ、クックックック と含み笑いをして電話が切れる。

どこかで職場がいっしょだったことのある知人だろうか。これだけ親しみを覚えてくれているならば応えないわけにはいかないだろう、とコールバック。

別の人間が出て 吉田の知り合いということでしょうか という遣り取りのあとで取り次いでくれた。

(私)さきほどお電話をいただいて、含み笑いだけを残して切られた中川と申しますが。すみません。思い出せないのですが。私の知り合いでしょうか。

(ヨ)そちらの電話の…… (取り繕うように言い直し) 中山さんにかけたつもりでした。

(私)さきほど、私が名乗らないのに中川さんのお宅ですかと仰いましたよね。失礼ですが、吉田なにさんですか ?

(ヨ)よしだひでひこです。

(私)この電話番号、どちらからお知りになりました ?

(私)いや、それは個人情報なので

(私)あのね。個人情報というのは、本人に属する情報なんですよ。私が、私の情報をどこから漏らしたのか訊くことのどこが個人情報の守秘に反するというんだ。このアホ。

(ヨ)アホって、失言を申されてもこちら困っちゃいますね。

(中略)

(私)わかりました。さきほどのお電話の、含み笑いで切れたのと、私のアホ発言との非礼どうしでチャラにしません ? で。改めてどこからこの電話番号、私の個人情報をお知りになりました ?

(ヨ)寿司とぉ、スパゲティとぉ。どちらが好きよ。

(私)はぁ。アンケートですか。

(ヨ)寿司とぉ、スパゲティとぉ。ピザと、どれが欲しい。どれも要らなければ電話を切りな。

(中)いえ、どれも要りませんね。

(電話切れる)

斬新なアンケートかと思えば、斬新な宅配食品の注文代行サービスだそうだ。いや。お前の住所まで知っているのだから、おとなしく引き下がれアホ という意味なのだろう。

ちなみに、SDI マネージメントを検索すると結果はない。SDI コンサルティングさんの代表電話に訊いてみたが。この 03-4500-1700 という番号は受付嬢の知らないものだし、よしだという社員もいないと言われる。

2011年1月22日

戯訳 : 私の孤独 (ジョルジュ・ムスタキ)

ジョルジュ・ムスタキというこの歌手、さだまさしのようなシンガーソングライターとおっしゃった年配の女性もいました。その中でももっとも有名な曲です。

日本では岩谷時子さんの 長い間一人で、一人きりでいたから と始まる訳詞が有名。私も子供の頃にこの訳で馴染んで、ムスタキの歌を聴きながら、ほとんどこの日本語で受け取っていました。いまざっくりと探したら、youtube に上がっている ほのかさんのライブ映像 なんか、典型的な日本での唄われかたですね。

いや、私もこんな感じでカラオケ唄ったことがありますとも。はい。

一昨年くらいから、ちょっと岩谷訳では綺麗すぎる、前向きすぎる。もっと泥臭く訳せないかなと思いはじめて。ちょこちょこと断片をメモっていました。

なんとなく、今日二番・三番の部分を一気に訳して完成。

いや、たぶん旋律に乗らないと思います。詩として訳したかったので。

ひとりの孤独に耐えながら
あまりにたびたび眠りすぎ

いつしか甘い習慣に
あたかもひとりの恋人に

一歩たりとも離れずに
影よりぴったり尾いてくる

どこへ行っても離れずに
世界の果てまで尾いてくる

一人ぼっちと言わないで
孤独に耐えているだけさ


ベッドに僕がやすむとき
隣はあいつの指定席

二人で夜を過ごすのさ
互いの顔を見つめあい

ホントに僕にはわからない
何をしたなら逃げられる ?

好みを変えたら良いのかな
諦めるよりないのかな

一人ぼっちと言わないで
孤独に耐えているだけさ


何度もあいつに泣かせられ
いくつものことを教えられ

何度もしらないふりをして
それでもあいつは離れない

愛を選べば選ぶほど
その相棒としてついてくる

孤独は僕のお友達
最期の日すら診とるだろう

一人ぼっちと言わないで
孤独に耐えているだけさ

一人ぼっちと言わないで
孤独に耐えているだけさ

fr.lyrics-copy.com よりいただきました

Pour avoir si souvent dormi
Avec ma solitude

Je m'en suis fait presqu'une amie
Une douce habitude

Ell' ne me quitte pas d'un pas
Fidèle comme une ombre

Elle m'a suivi ça et là
Aux quatre coins du monde

Non, je ne suis jamais seul
Avec ma solitude


Quand elle est au creux de mon lit
Elle prend toute la place

Et nous passons de longues nuits
Tous les deux face à face

Je ne sais vraiment pas jusqu'où
Ira cette complice

Faudra-t-il que j'y prenne goût
Ou que je réagisse?

Non, je ne suis jamais seul
Avec ma solitude


Par elle, j'ai autant appris
Que j'ai versé de larmes

Si parfois je la répudie
Jamais elle ne désarme

Et si je préfère l'amour
D'une autre courtisane

Elle sera à mon dernier jour
Ma dernière compagne

Non, je ne suis jamais seul
Avec ma solitude

Non, je ne suis jamais seul
Avec ma solitude

2011年1月16日

雪国より

昨日から北海道にいる。昨日まで札幌。今日からしばらく、もっと雪深いとある街に滞在。

ある時期まで私の父は、家族を連れて冬の雪国に旅行・滞在するのが好きだった。その意味が不惑を過ぎた今ごろ、やっと分かった気がする。

もちろん 意味 なんて来てみないと分からないもので、分からないということだけを最近になって気づいたから訪れたりするのだろう。

本を読んで わかった と思えることは大事だが、もっと深いところにあるなにか。


生きている人、生活している人。生活していた人の言葉を受け止めることには、本を読むことよりも深い責任が伴うのではないかな。そう思える。

日常から出る言葉を受け止め わかった と言ったあと。分かったつもりにしかなれないけれど、受け止めたと言ったあと。積み重ねのあとには、人はその街に行かないといけない。もしも、可能ならば。

相手が異性だと色恋沙汰に見られることもあるが、もっと手前の、人間関係の基本のように思う。私にはね。

ハタから見れば酔狂にしか見えないだろう。自分でも酔狂と韜晦することは多い。だが、わかる人もいるんじゃないかな。


体験をすることで分かるもの。今日の札幌からの行軍でも、それは言葉にして即座に話すことはできない。いや、もったいない。心で受け止めて、自分の体験として味わうことで、より深くなる。出力しているあいだに新たな体験を受け止めそこなう危険も大きい。だから、しばらく沈黙。


そういえば最近、人と語ったと伝えたら、人に話したのかと気色ばまれたらしい。すでに本人にはアクセスがとれず、噂に聞いた。

自分というフィルタを経てから、相手に応じた内容を語ることは、話すのと違う。それを感じ取ってくれたかに、私のことを 用心深い と評してくれた相手と思っているから。思い出すと他の感情を措いて、相手への心配がもっとも先立つ出来事。

2011年1月12日

[独語] 聖者の行進

ふと陽気なジャズが聴きたくなって、検索していてみつけたのがこんな動画。

iphone 欲しくなったり…… しかけた。小中学生のころなら、確実に欲しくなっている。

いや、もうこの年齢になれば。道具をいくら揃えたって、本人に楽器を演奏する能力とセンスがないと良いものはできないって身に染みているから。抑えますけど。ね。

2011年1月9日

走り書き 1月8日

うたた寝をして、起きた。

何が起きたと聞いても、否定しない。(君が言うことなら信じる) そんな姿勢を相手に伝えることの難しさがふと思われた。

こんなことが起きたと聞いても、私は信じた。(君も信じてほしい)伝えかたを一歩間違うと、相手にはそう聞こえるというアヤウさ、脆さが痛感された。

今日、とくになにかが起きたというわけでもなく。言葉にして捕まえそびれた夢が契機だったのかもしれない。

2011年1月4日

たった150人

選ばない人は選ばれることもないし、拒否されることもない —拒否されても心に認識できない— 。

一年と少し前。そんな言葉を吐いた。


この人の友達ならば一度くらい話をしてみたい たいがいの人にはそんな相手がいる。もちろん、まだ選んだことのない人にとっては、そんな相手はいない。すべての人は相等しく、友人。もしくは相等しく他人だろう。

石川幹人氏によると、人類の進化の中で得た 身内 と思える感覚、その人の友達まで信用できる と認識できる相手は、150人が限界だそうだ。

もちろん大まかな数字。100人が限界という人は容易に想像がつく。ならば200人が限界という人もいておかしくないだろう、私には想像がつかないが。

身内に認定しうる量から限界を越えた数の人はどうなるのか。石川氏によると、だが。それは身内でなくヨソの人。ヨソから時々くる、友好的な他人という位置づけに後退するらしい。


たった150人。

あなたはだれの150人に入っているだろうか。

あなたは誰を自覚して選んでいるだろうか。

2011年1月2日

夢・四題

現実ライター

あれは昨年一月に東北を旅する直前。みた夢を思い思いに記載する雑談の場にこんな文を書いた。

他愛なく楽しい夢だったが、銀色の掌に収まるほどの小さな箱が出てきて「こっちの中に入っているのが現実 (いま居るのは夜の夢)」 と説明されたのが興味深かった

小さな箱は、私のパイプ用のライターに思えた。

現実がライターの大きさになり、それを手のひらに載せた私を含んだ夢の世界は縮まり、現実の私の頭蓋に過不足なく収まったところで目が醒めた。本当に詳しく書くと、そんな夢。


その題材になったライター、昨六月から多忙で散らかるままの部屋に行方不明になっていた。年末の掃除で発見。

行方不明になっても探す気が起きなかったのは、火の点きがわるくなっていたから。その原因である着火部を覆い始めていた緑の錆が、より侵食していた。針金で丹念に錆を取り除き、詰まっていた火打石のかけらを取り除き入れ替える。

使えた。

もう、なくさずに使いつづけようと思った。

夢に託して同一視してしまった以上、もうこれは≪お護り≫。私にとっての現実 (に処する心構え) そのものなのだろう。

夢は操作するもの

ユング派は、といって良いのかどうか知らない。河合隼雄氏の遺した著書を読んでいると、夢は分析するものではないと感じる。

夢は操作するもの。引っかかった夢を考えて、考え抜いて。あのときこうしたら良かったのではないかと結論が出ると、得心したときにはそれが叶う。もちろん夢の中で。

夢で虎に襲われて目覚めたのなら、食われて死ねば良かったのにといったノウハウはいくつか学んだ。だが実際、夢でも本当に死ぬことは難しい。

夢を操作できて現実で何が変わるのか。わからない。少なくとも、悔いは減る。

布石は重なって

元旦、夜。

知人の日記に夢の話を読んだ。

半年前に読み、味わい、無理に分析をせずに心に留めておいた夢の続きを見たのだな、と感想を書いた。

また、それとは別に。まとわりつくような の気配、つい秋頃まで馴染みのある が再び重くのしかかり、どうしたことかと思っていたら。

初対面の人と話す機会があり、私と の関わりと同時進行していた、そっくりの話を聞いた。鏡像のように似ていていると思いながら相槌を打っていた。

去年一年の、心のなかにある様々な欠片が。きちんと場所を得て落ち着いていたものも、収まりわるく引っかかっていたものも。つながりをもって動き出している。そんな気がした。

起きて見る初夢

そんなわけで元旦を徹夜して、昼間に睡眠に引きずり込まれる。

よく眠った。 はひとつも見なかった。

起きてから、ふいと秋から今までの出来事、不分明な、わけがわからないと目を背けていたあれこれに、一本の理屈がすいと通った。

視た夢に片端から解釈をつけていると、ついにショートカットして解釈のほうが、覚醒から起床までの半時間で降りてくる、なんて。きっと正月二日、初夢の奇跡。

夜の夢は終わらない。現実さえも、頭蓋に対するライターほどの大きさで夢に含まれるものなのだから。

蛇足

もちろん、学術のことば。世間一般、日常のことばでいえば。夜の夢とは内的現実。

初夢の奇跡ではなく、初夢という信仰・習慣に慣れ親しんだが故に私の心が起こした稀有な現象。