2011年6月22日

[箴言] 君は肥って笑みの絶えない警官じゃないか、と赤毛の男は怒った

そして友人である警官は答える。

I see everything, he cried, everything that there is. Why does each thing on the earth war against each other thing? Why does each small thing in the world have to fight against the world itself? Why does a fly have to fight the whole universe? Why does a dandelion have to fight the whole universe? For the same reason that I had to be alone in the dreadful Council of the Days.

(略)

It is not true that we have never been broken. We have been broken upon the wheel. It is not true that we have never descended from these thrones. We have descended into hell. We were complaining of unforgettable miseries even at the very moment when this man entered insolently to accuse us of happiness. I repel the slander; we have not been happy. I can answer for every one of the great guards of Law whom he has accused. At least-- The man who was Thursday

子供の頃、11歳の修学旅行に友人の荷物より借り受け、一晩で読みふけった小説。木曜の男 より。ネタバレぎみの部分だが。

どんな苦痛を経てきた人も、他の人間に 俺は越えたのだからお前も越えろ と誇りたしなめる資格はない。

だが同様に、どんな苦痛のうちにある人も、他者を 君は苦しんだことがない という資格もない。


ところで、ひさびさにグーテンベルグを見たら、この小説の読み上げヴァージョン もあがっていてびっくりした。

英語の勉強のための教材とか、昔よりはるかに入手が楽で、かつ上質だ。

2011年6月17日

mixi と足あとあれこれ

背景

古いネットコミュニティは、開発者が自分たちの交遊のために、自分たちが使いよいものを作って「これ、ついでだからネットにつながっている (まだ数の少なかった) 一般の人も使ってみない?」と提示したところから始まった。

もちろん、運営にはそれなりにコストがかかるから広告スポンサくらいは募集した。それはおまけ、だったはず。

株を公開した時点で、身内のための交遊ツールから、営利事業へと確実に舵を切ったわけで。

営利事業である以上、ユーザは身内ではなく顧客で。顧客はわがままが 100% 通ると思っちゃいけない。システムの変更に新しい楽しみを見出せなかったら、サービスを離れるなり、連絡ツールとして割り切って付き合うしかない。

営利事業である以上、運営は悪い評判を避けたほうが戦略的に得であり、それはたとえば足あとスパムを放置しているという批難や、足あとから始まった交際を失敗したことへの八つ当たりな批難を避けるという経営判断にもつながる。

同様に、ユーザの意向を無視して勝手に、一方的に仕様を変更したという噂が立つことも避けないといけない。ユーザのためにあるシステムだとか、今の日本においてインフラ同様の存在だとかいう幻想を壊すことも得策ではない。

最近まで

半年ほど前、ユーザアクティビティ機能の追加と、抗議による取り下げ、という騒動があった。

今回と逆に、友人の動きが赤裸々に伝わってしまう機能であり、私も一ユーザとして反発した。

今回の騒動においてわたしは静観している。「改悪反対」を叫ぶ何人かの友人に向けて「こう動いたら良いのではない ?」、「こういう経緯があったらしいよ」くらいのことは言っているが、機能の変更そのものについて評価を下し動くものでもないと思っている。

事前、ある程度の告知がなされていたことを評価しているからでもある。

数々の重大な変更を、なにひとつ告知せずに行ってきた mixi がまじめに告知していたのだから、それなりの判断があり本気なのだろうとは思う。

信念のある変更に、ハタががたがた言っても耳を貸すことはないだろう。改善はあっても、元に戻ることはないと見ている。

現状

私は、私自身が旧来の足あと機能を重用してきたユーザだから、そこに適応した友人が多い。

それゆえ母集団は偏るだろうが、それでもアクティブな80人ほどのユーザのうちで事前の告知に敏感に反応したのはたかだか二人。

変更後に「しらなかった。なに、これ」もしくは「ここまで悪い影響を受けるとは思わなかった」と不満を言明しているのが五、六人。

この五、六人がそこそこアクティブなユーザであったことを考えると、まだまだ運営サイドに事前の説明が足りなかったと思わざるを得ない。

友人としては「もうちょっと告知を読んでいて欲しかった」と思うが、お客様として全体をとらえたら、この率で情報漏れがあるのは不手際といえる

隠蔽疑惑も起きているようだ

隠蔽が本当がどうか、それは知らない。隠蔽と疑われるような無様な真似はするな、噂に気づいて否定するようなアクションを起こせ、とは思う。

隠蔽説に対抗して、現状の日記キーワード抽出・集計のロジックを公表して、これは隠蔽ではなく事故だと示すくらいのことはやっても良いのではないかな。

数値が隠蔽を疑われるほどに穴だらけのロジック、どのみち使いつづけても意味がないだろう。ロジックを公表して悪用されるって恐れるまえに、ランキングを中止して噂を否定、隠蔽などしていないと公表したうえで、新ロジックに置き換えたほうがはるかにマシだ。

日本におけるインフラ同様の存在という評価を失いたくなければ

目の前の統計の数字が読めないエッセイとか

mixiの友人のチェックで「[読めるモ]ユーザーからの苦情殺到にmixi社長が声明!」を読んだ。

たかだか2%足らずのユーザしか積極的に反対していないという数字を挙げながら、「だから無視するつもりなのか」と続き、「このまま、事態 が改善されなければ、mixi離れが加速し、登 録はしていても実際には使わない幽霊ユー ザーが急増する恐れもあるだろう。」(原文ママ)と結んである。

それは、剰りにひどい、牽強付会にすらなっていない、妄想。

2011年6月15日

不思議だねぇ

たとえば

ある日、夢の中で橋を渡っていた。

橋のなかばのベンチに腰かけていた老人に おぉ、やっときたのか。待っていたよといわれ、待たせたのが恥ずかしくて逃げたくなったところで目が覚めたのだよね。

あの老人、よく思い出せば数学者ガロアの晩年の写真に似ていた。

そう気がついたときに少年のころの夢を思いだし、アマチュアでもよいから数学を勉強しなおそうと思ったんだ。

て、話をきいたとする。

美談だよね。誰がこの話をきいても、感心することはあっても軽蔑はしないだろう。

つぎに

ガロアのところを江戸川乱歩横溝正史 に換え、数学の勉強 の代わりに 探偵小説の執筆 に換えてみる。

多少首をひねるが、作家としてプロデビューするために、わざわざ仕事やめてしまいでもしない限り、誰も止めないだろう。

まかり間違って一冊でも本になれば ええ話やなぁだ。

さらに

ガロア じゃなく サルトル の名前が挙がり、哲学を勉強しなおして自分を見直す のを目標にしても、まぁ頑張れよ、といえる。

ジグムント・フロイト そっくりの老人を夢にみたから 心理学を勉強しなおして自分を見直す でも反応はだいたい同じと思える。

ところが

ガロア の代わりに入る名前が ユング になったとたんに、同じ 心理学を勉強しなおして自分を見直す という内容でも、眉に唾をつけたくなるだろう。

江戸川乱歩と横溝正史だと大差ない、江戸川乱歩のほうが夢に親しんでいただけ 良い話 と思えるのに。フロイトより夢に親しんでいたユングの名前が挙がると、その違いがわかるひとならばきっと大丈夫かと心配する。

大げさじゃないと思うよ。

本当に上記の内容の夢を去年みた、私が自分で言うのだから間違いない

まかり間違って

夢の中で会った相手がアウグスティヌスやモハメットに似ていて、宗教の勉強を志していた日には、よほどの親友か、よほど付き合いの良い友人でなかったらきっと逃げるだろう。

……きっと私は逃げないから付き合いが良い、らしい。

哲学者でもニーチェやマルクスに似ていた日には、やっぱり相当数の人が逃げるよね、きっと。

不思議だねぇ……

そういえば

ユングとサルトル、さらに文学者からヘルマン・ヘッセの顔は、日本人の私にはあまり区別がつかない、よね。

なんでよりによって、ユングの名前で頑張ろうと思ってしまったのだか。

2011年6月13日

喧嘩を売られているらしい

土曜日に喧嘩を売られていたらしい。三日遅れで気づいて目の前が一瞬かすむくらいに頭に血が登った。

大人気のない返しならいくらでも可能だ。今までだって可能だった。

正論で勝ちつづけて知り合いと険悪になることに疲れて、人前で批難されるたびに身を引いていたこの三年あまりが間違っていたということかね。

ロクでもない中傷に真っ向から対すれば、下品な噂を流した相手の人格を批難することにつながる。アホらしくて好きにさせていた。それが複合してえらいことになっているようだ。

まぁ、知らないよりは知っていたほうが良い。世の中にしょうもなく無邪気な悪意があるということを。本当に引けないときのために、対抗の手段を考えておくことも悪くはない。


品性が下劣な存在は、品性が下劣な想像しかしない。

自分の心の闇を自覚しないものは、他者が自分の下劣な想像を自分に対し実行するのではないかと怯え、それを口にする。

それだけのことだ。実害がなければ、単にそれだけのこと。

2011年6月6日

[箴言] マルテの手記より

雨宿りをした新宿で終電を逃し、帰りの始発の出る時間をもてあましながら、ネットカフェにあるあまたの娯楽本を読む気もなく過ごす。

中学生のころに出会い、何度も読んだはずの「マルテの手記」より

僕は二十八歳だ。

(中略)

僕は詩も幾つか書いた。だが年少にして詩を書くほど、およそ無意味なことはない。詩はいつまでも根気よく待たねばならぬのだ。

人は一生かかって、しかもできれば七十年か八十年かかって、まず蜂のように蜜と意味を集めねばならぬ。

そうしてやっと最後に、おそらくわずか十行の立派な詩が書けるだろう。

(略)

詩はほんとうは経験なのだ。

(略)

思い出だけならなんの足しにもなりはせぬ。

追憶が僕らの血となり、表情となり、名まえのわからぬものとなり、もはや僕ら自身と区別することができなくなって、初めてふとした偶然に、一編の詩の最初の言葉は、それら思い出の中からぽっかり生まれてくるのだ。

(大山定一・1953年訳) 第一章より

なんで、本当に大事なことばは、わかるようになって初めて読み返して気づくのでしょうね。