2010年6月7日

Local tweet

何人かの人が twitter で思考を垂れ流しにしているのを見ると心配になる という。

ある人は 人前で言うべきでないこともあるだろう , 別の人は なんだか一人の頭脳じゃないみたい , また 自分が実名で、公に発言する人間なのを忘れているだろう。立場を忘れるなよ と。

去年一年、twitter ではない mini blog で遊んだせいで。私もそれぞれ同感のコメントを、口頭で、あるいは文章で寄せている。自分は引きずれられる体質・性格だからやめておくと、前に書いたこともあった

最後の何年かの悪名が高かった私の前の日記も、文章は長いが tweet のようなものだった。技術のネタ以外は。一度は通過するのかもしれない。まだそんなシステムができていなかったころは公にならなかっただけだろう。それこそが、まさに 中二病

公にすると差し障りがあると自分で気づいてから、ちかごろは自分のパソコンに向かって、またときに紙のノートに tweet している。まさにエセイ。パンセ てもともとそんな本だったよね。死後に発表されたノートだったよな。

今日は二日酔い。午後に飲んだ酒が、眠っていると頭に回ってきて、アテもなく結論も定めずにぶらぶらと書き連ねるのを解禁して、この文章を書いた。書き溜めた断片でもお蔵出ししてまとめてみようかと始めたが、いいや。新しく考えながら文を連ねるほうが楽しい。

人が思考を途中で放棄して、文章に垂れ流す。別の人が反応する。考えの形も知識もそれぞれ違うから、ある程度は楽しい。一人では生み出せないような考えも生まれる。

でもね。発言者の個性がだんだんに見えてくると、それぞれ別の人格、別の生活が、頭の中で勝手に動き出し、読んでいるうちにいろんなものが視えてしまうんだよ。

自他の区別がつかない状態は楽しい。自他の区別がまったくつかないのは、哀しい。

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