2010年3月29日

近況 (ひょこひょこと仕事探し)

先週の面接の結果がこない。

先週の木曜日に電話をすると 二次面接の上流会社に書類を提出して選考待ち フェーズだった。あの案件、もしも参画するならば可及的速やかに前の担当者と密に打ち合わせて引き継ぎをしたり、ドメイン(=業務)知識の予習をしないと開始できないはずなのだが。四月には第二をフェーズを開始したいという話だったのに、そんな悠長なことで良いのか ?

それで仕事が遅いと言われるような職場は願い下げなので、他の職場も手段を選ばずに探すことにした。

いや、昨日に立ち読みした漫画の科白に反発したのが気持ちの上で大きい。この連載は読んでいないのだが、目に止まった。

お前は弱い。守ることなんてできないよ

俺は強くなければならないんだ!

いや、うろ憶えです。村枝賢一Z-END

読んだ直後に携帯にメモった。やらないといけないことをやるだけで、強い・弱いは結果論だろう

思えば、子供の頃からさまざまのフィクションを読んで、主に日本の漫画から 強くあらねばならない と洗脳されていた気がする。

強くなくても良い。成果を他人が評するときに 力がある , 強い などという言葉になる。それは本人には関係のないこと。

そんなことを考えていたら、体が勝手に職探しに動いていた。脱・鬱症状かもしれない。

ちかごろ読みふけっている河合隼雄氏の生前の評価・インタヴューに頻出する 好転することを信じ、しかし急かさずに待つ という言葉を自分の姿勢にしようとしたとき、自然とそうなっていた。

自分が混乱しない程度、三ヶ所に書類を送ってみた。これで今週は様子見。

手法と文化

twitter で、占い師として有名なアレクサンドロ原田氏の呟きをみた

alx_hrd: ウエイト版だけやってタロットカードを分かった気になってしまう事がどういうことかと、最近強く感じます。芸事でもクラシックを学んだ人程コンテンポラリーで実力を発揮するように。 #tarotjp #spiritualjp |03:17 AM Mar 29, 2010|

alx_hrd: かといって「ウエイト版は邪道だ」と言うガチガチの偏り過ぎ古典主義もどうかと思います@ #spiritualjp #tarotjp |03:33 AM Mar 29, 2010|

twitter で占いに関する発言はすまい、と思っていなかったら。きっと反応して浅い発言をしていただろう。原田氏は百も承知の内容、そして他の方には偉そうにしか思えない発言を。

占いにしか興味のない相手に、西洋文化全般を学べといっても詮のないこと。入り口として古典の図柄のタロットを勧める。それは正しい。

コンピュータ言語に関しても同様。スクリプト言語も良いけれど、まず C から学ばなきゃ , いや、C やるならアセンブラだろう この手の発言はよく見る。私より10歳ほど若い技術者から、C を学んだことのない技術者は未生以前 というニュアンスの発言を聞いたこともある。

表層ではなく、ハウツーではなく文化を学ばないと、一定の段階から先に進めない。本当に言いたいのはそれだけなのに、人はどうしても自分の辿った道を人に示したくなる。悪くはない。実績はあるのだから。でも、他の道もある。

私も先だって、Linux / Windows で java から学んでいる人に BSD 系 unix という文化を勧めようとしたな。一歩間違えると、押し付けると 老害

そう考えると、東川氏の作品 にあった まさかオランウータンが侵入して殺したなんてことはありませんよね。ミステリとしても三流ですよ 君、本当に探偵小説研究会か ? というギャグは深い。

2010年3月28日

読書記録 03-28

ユダヤ五〇〇〇年の知恵

図書館から電話がかかってきた。延滞している本のうちの一冊に、次の予約が入っているから早く返してくれと。

挙げられた書名が、日本に住んでいる (いた ? )ラビの書いた ユダヤ五〇〇〇年の知恵 (トケイヤー 1971) だったのが意外であった。ちとユダヤの宗教・歴史のさわりを確認しようと考えたのが昨年末。世田谷の図書館すべてに一冊しかないこの本、現在貸出中だが、他に予約も入っていない。すぐに読めるだろうと予約してから3ヶ月待たされた本だから。

むかし、実業之日本社から出ていた版で読んだはずだ。いろいろと収穫があった。自分の知恵として消化している部分がいくつかあると確認できたという意味で。

ここに死体を捨てないでください !

ちょうど一年ほど前に、東川篤哉氏の作品をすべて読んだ。ユーモア、ドタバタでありながら偶然に頼らないのが素晴らしい、と書いた。ミステリマニア向けの小ネタも多く仕込みながら、とくに素養のない人にも読めるのがまた良い、と書いた。

その最新、昨九月の刊行。デビュー作の烏賊川市シリーズ。

今回、私に響いてこなかったのは、ちと興味範囲がずれてきたからだろう。それでも読んで損した気はない。

カンナ

高田氏の「カンナ」シリーズ (「Q.E.D.」からのスピンオフ作品) 、昨年夏に最初の2冊を読んだから、書店で見てずっと続きが気になっていた。

十四番目の月

読みかけで中断して長かった、 十四番目の月 (海月ルイ 2005 ) を読み終わって図書館に行こうと掛かっていたら、上記の電話がかかってきた次第。

謎解きに鈍くなったのかな。最後の謎解きで そこにつなげるのか とうなってしまった。

すべての伏線・手がかりが、これが真相を解明する材料だろうと意識していながら何一つ関連が掴めなかった。素晴らしい。

このレベルの驚きを与えてくれる作品は、そう沢山はない。

蛇足

むかし あなたが読んでいるのだから素晴らしいのかと読んでみたが、大したことがないというのが続いたから、もう良い。 と愛想を尽かされたことがある。

私の読書は、濫読から始まる。中で心に残った本から例を引き、文章を引用する。気に入らなくて語らない本はいくらもある。借りたり入手したが、顧みない本はもっと多い。

そんなことが近頃思い返されるので、読んだ本の全てを挙げるのはやめようと決めた。

良かった本のことも全ては語るまい。人間、生身で話したときに多少の驚きを提供できたほうが良い。

2010年3月27日

読書 (シリアスな漫画)

古本屋で出会ったISBN4-7780-1035-3 を読んでいる

私からはいま一番親しい認識の、親との関係を消化しきれていない感のあるヒトに読ませたくなった

第一話が離婚した父親と娘、その恋人の関係の話で、意図しない含みをもって読まれると困るから、自分から直截に勧められないけれど

2010年3月25日

jfbterm uim-fep screen

2日前の記事に加筆して独立させた。

jfbterm と screen

jfbterm から screen を起動したときに、termcap の情報がロックされるのか、less , lv などが文句をいったり、mutt が暴走したりする。

何度か設定を工夫していたが、やっと満足のいく設定ファイルができたので公開する。

$ grep jfb .aliases
test -x /usr/local/bin/jfbterm  && \
alias jfb="$HOME/bin/jfbterm.wrapper"
$ cat $HOME/bin/jfbterm.wrapper
#!/bin/sh -euf
#
#   $Id: jfbterm.wrapper,v 1.2 2010/03/24 20:11:03 yaemon Exp $
#

if test ! -x /usr/local/bin/jfbterm ; then echo "not exist jfbterm" 1>&2 exit 2 fi . $HOME/dotfiles/.env.UTF-8.FreeBSD SCREENRC=$HOME/dotfiles/.screenrc.jfbterm ; export SCREENRC exec /usr/local/bin/jfbterm
$ cat $HOME/dotfiles/.env.UTF-8.FreeBSD
# $Id: .env.UTF-8.FreeBSD,v 1.7 2010/03/24 19:34:42 yaemon Exp $
LANG=ja_JP.UTF-8 ; export LANG

export COLORTERM TERM=xterm-color SCREENRC=$HOME/dotfiles/.screenrc.xterm ; export SCREENRC
LC_COLLATE=C LC_MONETARY=C LC_NUMERIC=C LC_TIME=C LC_MESSAGES=C export LC_COLLATE LC_MONETARY LC_NUMERIC LC_TIME LC_MESSAGES
# for jman use if test -x /usr/local/bin/jman ; then JMAN_JA_NROFF='LANG=ja_JP.eucJP /usr/local/bin/groff -S -Wall -mtty-char -man -Tnippon -dlang=ja_JP.eucJP' export JMAN_JA_NROFF if test -x /usr/local/bin/lv ; then PAGER=lv ; export PAGER fi fi if test -x /usr/local/bin/lynx && test -r $HOME/.lynx/utf-8.conf ; then LYNX_CFG=$HOME/.lynx/utf-8.conf export LYNX_CFG fi
$ cat $HOME/dotfiles/.screenrc.jfbterm
#
# $Id: .screenrc.jfbterm,v 1.5 2010/03/24 19:34:42 yaemon Exp $
#
chdir
defutf8 on
encoding UTF-8
# term jfbterm-256color
term jfbterm
nethack on

$ tail $HOME/.bashrc
if test $SHLVL -eq  1 && test "$LANG" != "C" ; then
 . $CONFDIR/.env.locale.C
fi

if test "$TERM" = "jfbterm" ; then TERM=jfbterm-256color fi

ログインシェルに余計な環境変数を持ち込まないように工夫すると wrapper が必要になった。

通常は、アクセスしたらもうターミナルの状態が変わらないから、コンソールやリモートログインに合わせ = 環境変数 LANG に合わせて環境を変えるだけで良い。基本、言語と OS に合わせた設定ファイルは .bash_login や .login で読み込んでいる。

今回は、xterm でもないのに 日本語、ということで不正規な処理になっている。

FreeBSD 以外で jfbterm を使うときのためにもうひと工夫したいが、今回は見送り。

jfbterm と uim-fep

2日前、やっとコンソールで日本語が入力できるようになった。

uim-fep をいれてからずいぶんとかかった。

最大の敗因は、Alt + Space での切り替えにこだわったこと。いくら設定ファイルを試行しても変わらない、いやどうもデフォルトでもそうらしいと調べたが、私の環境では Alt + Space が何かにフックされて uim に届かない。

そして英語キーボードとして使っているから、もう一つのデフォルトのキーバインドの [半角/全角] は存在しないし。起動しないよね。

Alt + Space が何にフックされているのかは調査打ち切り。 jfbtermX のライブラリを使っているから、X で普段使いしている設定が怪しいと .xinit で読み込んでいる設定ファイルを調べたり、無効にしたりもしたが、それでも Alt + Space は uim-fep に届かないとしか分からなかった。

次の敗因。uim 付属の README.fep に screen を使用する場合は… という説明があってそれに従おうとしたこと。歴史的な経緯で残っている記載だろう( 旧名 : screen-uim ) が、 jfbterm を起動して、自分で uim-fep を起動してから screen 動かすと、ふつうにそれぞれの窓で日本語が入力できる。

jfbterm から uim-fep や screen を自動起動しないのは、趣味と使い方の問題。日本語を表示したいけれど、書く必要がない日もある。

いっとき、jfbterm が動かなくなった という愚痴をこぼしたことがある。

$ jfbterm 2> logfile と起動してわかった。/usr/local/etc/jfbterm.conf (私の環境) の video.mode 指定をねぼけてコメントアウトした日があるらしい。

jfbterm デフォルトの解像度 800x600 で動かなくて、1024 x 768 だと動くグラフィックカードというのも不思議な気がするが、逆よりは宜しい、と書いておこう。

解像度と色数は、/var/log/Xorg.0.log を参照してやっと正常に指定できた。

Xorg の設定ファイルをみたら、いつのまにかフォントサーバ xfs を使わなくなっていた自分に気づいたりする。これが原因で、Thunderbird 2.x の文字がふと横に間延びしていたのか。( Thunderd を 3.x 系統にしてから気づいた、ので未検証だが )

$ cat $HOME/.uim
(define-key generic-on-key? '("<Control>\\" "<Shift> "))
(define-key generic-off-key? '("<Control>\\" "<Shift> "))
(define-key anthy-on-key? 'generic-on-key?)
(define-key anthy-latin-key? 'generic-off-key?)
(define-key generic-cancel-key? "<Control>g")

2010年3月23日

Gmail / mutt まとめ (「PC 設定メモ」から改題)

最新記事も読みやすくなって、やっとまとまった。過去記事と重複あり

.muttrc にすべてのアカウント情報を書く手段も Web で見たが、私は別ファイルにした。

パスワードに使っている文字のなかに、初期設定としてだと指定できるが、切り替えに使うことができないものが含まれている、なんてことがあるかもしれない。

$ alias | grep mutt
alias official='/usr/local/bin/mutt -F $HOME/.muttrc-official'

↑のちに、一度の起動でマルチアカウントできることが判明

$ cat $HOME/.muttrc
# for mutt-devel ( higher then 1.5.20 )
# $Id: .muttrc,v 1.5 2010/03/16 00:19:47 yaemon Exp $
#
source ~/dotfiles/.muttrc-common
source ~/dotfiles/.muttrc-gmail
#
my_hdr X-(お遊びヘッダ): (いくつか)
my_hdr From: NAKAGAWA Tsuneo <yaemon.the.tank@gmail.com>
#
set imap_user="yaemon.the.tank@gmail.com"
set imap_pass="(なんだろうね)"
set smtp_url="smtp://yaemon.the.tank@smtp.gmail.com:587/"
set smtp_pass="(imap_pass と同じ値)"

.muttrc-official も書いてる情報の項目は同じ

# .muttrc-common は長いので、適当に抜粋。
# 日本語パッチではなく、本家のものを使用していて動くのが素晴らしい
# 環境変数 LC_MESSAGES を使って表示メッセージは原文で使うけれど
set alias_file=~/.mail_aliases # where I keep my aliases
set allow_8bit   # never do Q-P encoding on legal 8-bit chars
set mime_forward  # use message/rfc822 type to forward messages
set pager=lv # some people prefer an external pager
set pager_index_lines=6  # how many index lines to show in the pager
set print_command=/bin/false # how to print things (I like to save trees)
set envelope_from=yes # use From: to envelope-from
set timeout=0   # timeout for prompt in the index menu
set use_8bitmime  # enable the -B8BITMIME sendmail flag
set pgp_verify_sig=yes
set visual=vim   # editor invoked by ~v in the builtin editor
source /usr/local/share/examples/mutt/gpg.rc
$ cat $HOME/dotfiles/.muttrc-gmail
set hostname="gmail.com" # my DNS domain
mailboxes imaps://imap.gmail.com/inbox
# set  imap_passive=yes # yes is default
set smtp_authenticators="plain"
set ssl_starttls
# set move=yes #  /* ローカルに保存してしまうことが判明 */
set move=no
set delete=yes
set folder='imaps://imap.gmail.com/'
#
set spoolfile='+INBOX'
set postponed='+[Gmail]/下書き'
set record='+[Gmail]/送信済みメール'
#
# gmail の設定として日本語を使っているのが間違っている気もする
macro index gi "<change-folder>; =INBOX<enter>" "Go to inbox"
macro index ga "<change-folder> =[Gmail]/すべてのメール<enter>" "Go to all mail"
macro index gs "<change-folder> =[Gmail]/送信済みメール<enter>" "Go to Sent Mail"
macro index gd "<change-folder> =[Gmail]/下書き<enter>" "Go to drafts"
#
# mutt のメーリングリストを読んで、下の記述方法を憶えたのがうれしくて今日は日記に書いた :-)
folder-hook  INBOX 'push "<limit> ~d <2d ~N<enter>"'
folder-hook  すべてのメール  'push "<limit> ~d <2d ~N<enter>"'

2010年3月22日

狂気は相対

1.

社会に適応できない症状を狂気といい、本人が生活できないと周りも困るから治療対象となる とは前から常々言っている。

人の精神/思い込み。奥深く踏み込めばそれぞれ個性がある。言い換えれば差異。それぞれの能力の配分にも影響されるが、同じ能力配分でも培ったものが違うだろう。

誰に、どこまで明かすか 、それを信頼とか *情とか呼ぶ人もいるだろう。深く明かせば、それぞれに差異が出てくる。

差異を認め、違うものとして認める、あるいはすり合わせて同じ世界観にする。いわゆる 、その根本の動きだ。

どんなに差異が小さくとも、相手に対する興味 = 愛を失ったら、もう擦り合わされることはない。

片方が 違うものとして受け入れた ときに、もう一方が 世界観を共有できた と錯覚すると、徐々に人間関係に亀裂が入ったりする。生身の人間ではなく、会社や社会、国家でも。

ひとむかし前、精神分析医の岸田秀氏が、世界観のことを 共同幻想 という名前で呼び、広めようとしていたな。内容はだいたい同じ、と思う。サワリしかかじっていないが。

会社に不適応な技術者が 周りから気違いを見るような目で見られる とこぼしたことがある。社風という名前で呼ばれる世界観から外れていることを隠さなかったら、そのコミュニティの中では気違いと認定される。当然のはなしだ。

2.

ひさびさに、脳梗塞の後遺症で片言しか口にすることのない父と話してきた。酒を携えて。

理系のセンス、能力をどれだけ常用しているか。言葉の選び方にもたせた意味の重さをどれだけ受け取ってくれ (ている気がす) るか、逆に受け取った(気がする) か。そこで響きあえる相手が、理系センスのある文系集団である 東京銀行 (1950頃〜1990頃) という選別された空間でどれだけ居たか、と。

名前を挙げられるほどに少なかった。そんなものだろう。社内 2〜3千人とつきあい、片手の指で足りる。

異端とはそういうことだ。それを社会にすり合わせ続けた父を、心から尊敬する。

3.

2月から小学5年生の勉強をみている。

歴史をみて、定説はそうだが実際はココまでしか証拠がなくてあとは推測だ、なんて与太を飛ばしたりする。地球温暖化の原因にも異論があることを話したりする。常識はこうだ、という話もした上で。

高田崇史や井沢元彦から受け取った理屈を、日本の気候の話から、花といえば桜か梅か、管原道真はなぜ神として祭られたかなんて話の根拠にしたりする。

文化はそれぞれ類似する。共通したものを挙げれば連想が働き想起しやすくなるかと思うから、話はどんどん拡散する。共通と差異とを同時に話す。

算数は思考ではなく技能だ、なんてことも平気で言う。いや、観察させてもらい見つけた (=教えられた) のかな。

仮説ばかりの学校の勉強から、なにを正しいと信じたら良いのか と問われる。むろん答はない。ただひとつ言えるのは、算数/数学 だけは大学に行ったからとて習った内容を覆されることはない。数学が正しいからではなく、正しいという概念は中世以降数学を基盤としているからだ。そんな話もする。それ以前からの人間の思考形式、宗教や哲学、世界観については未だ語らない。

宗教や哲学といま書いたが、宗教は世界観そのものであり、哲学は世界観を分析する学問かな。

2010年3月20日

blog / mini blog / 事件

ミニブログとブログ

水曜日を境に、いままで10ヶ月半のあいだ熱中していた ミニブログなコミュニティにさっぱりコミットしていない。理由はさておき、こんなことを書いた人がいるそうな。

つまり「Blogger」の開発に関わったメンバーによって、そのブログサービスが世に 隆盛し始めた頃には、すでにTwitterは構想されていたということになる。

blogは予め死んでいた。

ミニブログの言葉は文脈のことば、思考をみんなで紡ぐもの、という感覚が前からある。対してブログは、個人の紡ぎ終えた思索を発表する場として構想された。

ギリシャ神話、物語、宮廷詩。作者という存在はない。記録したひとの名前は残っていても。

語り部は集団であり、流れの中から場全体を流れる根底の思考が言葉になって顕れてきた。それは夢に似ている。無意識と表現しても良い。語り部とはそういう役割だ。

近代になり、自我が確立してから、個人の思考が個人の名前において語られるようになった。デカルト以降 とよく表現されるが、実際には自我の意見が表明されるという現象が先にあって、それを考察して文章に起こし、現在に残った初めての思想家がデカルトなのだろう。どうでも良いが。

近代「知」=自我と親和性が高いのが blog であり、語り = 無意識 と親和性が高いのがミニブログ (マイクロブログ)。どちらが優れているわけでもなく、そんな分類ができる、かもしれない。私の周りは観察したところ、そんな感じ。

会話よりも意見表明のほうが、技術的なプラットフォームの構築が技術的に楽だし、先にシステムができあがる。なんの不思議があろうか。優劣ではない。

炎上

ふと、小田嶋さんが小田嶋節を展開しているのに久々に出会った。

おそらく21世紀のコラムニストにとって、最も重要な資質は、炎上の火加減を調節する際の手際なのだと思う。まあ、一旦燃え上がってしまったら調節もへったくれも無いわけだが。

われ、それでもクジラを愛す

炎上という言葉には負のイメージしかないが、たまに素晴らしいものが産まれることもある。火加減は調整できないが、意識のもちかた一つであとにつながる事件が起きたりするよね。

なんてことを考えていたら、読んでいた本にそっくりの記載があって笑ってしまった。

それは試問というよりは対決に近い様相になった。しかしながら、その間にJ女史は何度も事態を柔げようと努力し、陪査として同席していたフレイ先生は、場をとりなすような発言をしてくれ、私自身も何とかスムースに事が運ぶようにと努力するのだが、駄目なのである。それは雪道でスリップを始めた車のように、いくらハンドルをまわしても運転者の意図を無視した暴走を続け、衝突を避けることができない

(略)

多くの人は私が失敗したことの自己弁護をしているとしか思わないだろう。決定が下されるまでの幾日かを私は全く憂うつな気持ですごした。一時はJ女史に和解の手紙を出そうとさえ思ったが、どうしても書けなかった

(略)

ミスターカワイ、あなたは今まで何事もあまりスイスイとやってゆくので、イエスマンではないかと、われわれは危惧していた。しかし、最後になって研究所を揺るがすほどの大きい No! を言ってくれた。これで、われわれは安心してあなたに資格をあげられると思いました

(略)

後に河合氏は、フレー先生と資格試験のことについて話し合った。

(略)

またフレー先生は次のようにも言った。資格を取得しようとする人は、教育分析の過程で一度は相当な危機におちいる。そしてそれを乗り越えることが大切なプロセスなのだ。ところがあなただけは一度も危機におちいることなく成長してきた。とても不思議だった。しかし、一番最後の段階になって、あなたは大変なデプレッションを体験した、と。

(略)

これらすべてのことが、まるで私という人間が(略)一人立ちしていくためのイニシエーションの儀式として、巧妙に仕組まれたものではなかったのかとさえ感じたのであった。

すべてのことが、あまりにもうまくできている、とマイヤー先生に報告すると、まったくうまくできてるねと満足そうであった。そしてところで、そのすべてをアレンジしたのは誰だろう、と河合氏に問いかけた。マイヤー先生は言葉をついで、私でもないしお前でもない。ましてJでもなく研究所が仕組んだのでもないと言った。しばらくの沈黙後、誰がアレンジしたのだろうかと再び問いをくり返したが、それは自分自身に向かって発せられているようでもあった。

(略)

大切なことはこのようなアレンジメントが存在すること、そして、それにかかわった人たちがアレンジするものとしてではなく、渦中のなかで精一杯自己を主張し、正直に行動することによってのみ、そこにひとつのアレンジメントが構成され、その意味を行為を通じて把握し得るということであろう。

河合隼雄 心理療法家の誕生 (大塚信一 2009) p.325〜330

引用としてはあちこち表記がおかしいけれど、すべて ママ です。いちいち書きませんでしたが。

なんというか、自分で炎上を起こしたり支配したりできると言わざるをえないところが、コラムニストという の商売の限界。事件って、起こそうと思って起きるものじゃないだろ ?

私とミニブログ

というワケで、口はばったい言い方をすれば、 として向き合わないといけない事件の渦中にいるので、集合的無意識に巻き込まれたくないので、しばらくミニブログサービスを離れている。アクセスしたくない。そういうこと。

性格というか体質というか、巻き込まれやすい個性の持ち主だから離れているというだけの話。誰もが重要な決断を必要とするときに、ミニブログを離れないといけないわけでもない、と思う。

時がくれば戻る。良くも悪くも、決着がつけば戻る。きっとね。

2010年3月18日

生存報告

生存報告だけしておく。

火曜日は仕事の契約ができるかどうか、お話にいってきた。

挨拶もせず、名刺も渡してくれずにしばらく放っておかれて、却って闘志が湧いて自分を売り込んできた。

水曜日は一日、眠っていた。

望みは薄いが、火曜日の話で書類が請負の上にあたる会社に通って面接に行くとしたら今週・来週。上下の揃った背広をクリーニングをしておかないといけない。

仕事関連の連絡に備えて、メールは読んでいる。mixi は、連絡を mixi からしかメッセージをくれない同窓生がいるのでログインしている。twitter と facebook は、前から投げっぱなしだ。

あとのコミュニティは、ごめん。いまこちらから情報を読みにいく元気がない。通知がきたら反応するから、許して下さい。いや、この日記が読めているなら著者として表示されている gmail アドレスに連絡してください。

RSS リーダに登録した友人のブログは読んでいるよ

2010年3月15日

読書 (児童書)

離れて暮らしている娘の教育で、2週間に一度図書館に連れていくというのをはじめた。

学校の授業内容に関連している本を一冊、ほかに興味惹かれた本を四冊。借りるときにチェックする、というルール。2週間で読むか、少なくとも手をつけること。

十日前に娘が借りた本の中で、感想を訊いて私が知らなかったと言ったら読めと渡されたのが ISBN4-569-68246-4 かくれ山の冒険(富安陽子 2000 )

きみは、ネズミなんかにすかれるのは、いやだろうね

え ? なに ?

尚は聞きかえしました

いやかもしれないけれど、ぜひ、これだけはいっておかなくちゃ。つまり、おれは、きみがとってもすきだっていうこと

トリックスターと主体の関係って、こんな感じが良いのだと思う。好きなシーンのひとつになった。

2010年3月13日

調弦推理

乾くるみの小説シンクロ推理 というのがある。

いくつもの原因がもとで、不可解な状況を考えるうち。探偵本人にも説明しがたい直感が働き、個々の原因と結果の複合として捉えることができる。特殊な認識力だ。

読んでから半年ほどして、ちかごろ 調弦推理 とでも言える認識の働きを考えるようになった。なに、私がニブかっただけで、たいがいの人が無自覚にやっていることだ。

心に残る言葉、気になる出来事があったとき、人は何度も思い返す。引っかかる

何度か思い返すと、無自覚・未言語な領域に、いくつもの仮説が現れる。するとリアクションはいくつかの仮説に対応し、どれにでもうまく答になるようなものになる。

外界からさらに反応が返り、そこで仮説のいくつかが絞られる。だんだんに絞り込まれて、残ったものがある日ある時 認識 として降りてくる。

言語で説明されたものではない。思い込みかもしれない。だがそれは往々に正しかったりする。

また口に出して言っていることの裏にも、本人が自覚している、していないに拘わらず、まだ絞り込めていない他の可能性を残していたりする。

直截の言葉で伝わらないものが、そのようにして伝達されるということが興味深い。

翌日、追記

なぜ 調弦推理 という名前で思いついたのか書くのを忘れていた。

人がいくつもの仮説を並行しながら事象に接するさまは、倍音を感じながら絞り込んでいく感じに似ている。弦の震えに対し、半分の位置、四分の一の位置をピンポイントで押さえるように接しているようだ。

すべてを押さえて、性急に仮説を完全に絞り込もうとすると反応がなくなる = 音が響かなくなるのも同じだ。

間違った位置を押さえると、不協和音が響く。

2010年3月9日

言語処理学会 NLP2000 -前夜-

退役状態の私だが、ひょんなことで 情報処理学会と共同開催 言語処理学会第16回年次大会(NLP2010) の前夜祭、チュートリアルに行ってきた。

講聴したのは、推薦システム -機械学習の視点から- ( 神嶌 敏弘 氏 ) 、ALAGIN フォーラムの活動 ( ALAGIN より若手研究者3人 ) 、「現代思想」と言語 -脳、認知から遠く離れて- ( 影浦峡 氏 )

スリリングでインタレストな一日だったよ、いやもう本当に。

リコメンドシステムの話では、心の叫びが口から飛び出しそうになって、声帯だけは使わずに耐えたが、何人かにはチャチゃとして聞こえたんじゃないかな。EC / Web 開発の現場を離れて2年以上になるのに、知った顔と会って挨拶されるしね。最後のコマに至っては、質問をしたら哲学者の先生に 中川先生 と (胸の外来タグを読んで) 言われてしまった。俺はソシュールとラカンとフーコーの区別も怪しい、一介の技術者。実用の徒だ。

スリリングすぎるネタの話はその辺にして、真面目な感想を書こうか。

リコメンドシステムの話を聴いて

隣席の若い男が、数式を言葉に翻訳したほかは全く資料そのままのメモを、パソコンに Mule で書いていたな。

全般に、聴講者がそんな感じ。資料を調べるなら、わざわざ身体を運ばなくても事足りるんだよ。ここに来て、人間から話を聴くことで、君は何を受け取りに来たのかと激しく糾弾したい。

私が触発されて考えはじめたのは、EC は何のためにリコメンドシステムを作成するのか という戦略。ソムリエ問題 という名称が思い浮かんだ。

アマゾンのように、ロングテイル (裾野需要) を喚起するためにリコメンドするのか。ならば誰でも知っている、メジャーなものは推薦対象から省くべきだろう。それが神嶌氏の言うところの Serendipity -意外性- の提示、リコメンドからアテンダントへ という最終の結論につながる道のはずだ。

聴講者のなかに混乱している人がいたが、新規性 は知りたいと思っている事柄の続報、ニュース。意外性 は隣接分野への啓蒙。 ーーだと思う

論文はモデルの美しさを、仮説を競う。現実に対する評価は、利益の拡大で計られる。シェアですらない。

ALAGIN の発表を聴いて

同じ文脈に出てくる単語は、新しい概念として類義語といえる 単純な、ここまでは誰でも思いつくアイデアを、資料を集めさせ、実証するのにどれだけの手間が必要だろう。

門外漢は プログラムしてあとはコンピュータにやらせたのだったら、楽なのではないの と言う。(いや、私も時々言う。セールストークとして。) でも NICT の人々がこのデータベースを作るのに、40台のマシンを協力して動くように注意深くプログラム組んで、ぶん回して、一ヶ月かかったんだよ。

そのデータを活用するのに、 何回補正作業をしながら、問いなおしをすれば良いか を決めるのは慣れた人間の勘だと割り切っている。そこが素晴らしい。

質疑応答の時間、若い男がした発言に血圧が上がった。サービスが動き出したら、プログラムからアクセスしたいという需要が見込まれますが、それ用の API は予定されないのですか ?

API を用意しろとほざく前に、アクセスするプログラムを、負荷が迷惑にならないように書きやがれ。窓口に API という名前がつけば何やっても良いというワケじゃないだろう、バカ者が。

言語学の講義を聴いて

聴講者のほとんどが、みたところ影浦氏の大学の生徒らしくて笑った。

はい、論文の一つ (次女たち ) を読んでおいてねと書いてあったから、図書館に行って フーコー全集 ( 全7冊 だったかのうちの2冊と、解説本 / ちくま学芸文庫版 ) をおさらいしましたよ。ざっくり20年弱ぶり、ですかね。

フランス哲学、構造主義。識りません♪ ちょうど世代だけれど浅田彰のベストセラーとか読まなかったし (立ち読みで充分)

私が識っているのは、外国語で書かれた内容を認識するのはおもしろい。言葉のひとつひとつを単純に置き換えるのは翻訳ではない。そして心の動きや体験を言語に直すという作業にも同じ過程が存在する という、それだけ。

シニフィアン/シニフィエ という言葉を好んで使う。これはソシュールだっけ (いまやっと調べた) 。

エピスメーテとかアルシーヴとかいう言葉は憶えきらなかったから、近年自分で再発見したときには事象と現実という言葉で表現してきた。

二十代でフランス哲学に出会っていたからエピスメーテを認識できたのか、フランス哲学に出会ったことがなくても自力で発見できたのか。それは誰にも分からない。

2010年3月3日

技術系 ML にて

gmail + mutt の調整がうまくいってきたので、試験的に日本語の技術系 ML をいくつか入り直してみた。

今朝、こんなメールを発見した。

今度、ある部署で、(略)を再構築する羽目になりました。

ボランティア以下の仕事ですが、その部屋は私しかいないので仕方ありません。

ネガティヴな言い方だな。技術の相談にこんな前置きは要らないのに、とふと不快に思った。

たぶん、この投稿者は kikansha.jp で ML に参加していたときから見憶えがある。

あの頃は、質問から解決手段を見つけ出すには技術的にどんな記載が足りないかとか、与えられた材料からどんな不具合の可能性が高いか察知するゲームをしたり、どんな遣り取りをすればほかの技術はあるが興味の薄い参加者の興味を引いて話が建設的になるか、という方向にしか興味がなかった。

人間に深く関わる方法を求めようとして、しばらく技術のコミュニティから離れていた結果、逆に人間を見る目がネガティヴにもなったのは皮肉だ。

自分への戒めを、他人にも適用する必要はないのに。

mutt + imap/Gmail (閲覧)

だいたいの設定はうまくいったが、INBOX だけうまく表示できていなかった。

1万通と2,3千通がはいったフォルダを読み込もうとすると、ヘッダを読み込んだメールの数が満杯になったあと Error: opening mailbox という表示が出て、メール表示のない Index 画面になるのだ。

最新の何通かのみを受信する設定ができないかという方向で調べていたが、解決できなかった。

昨日ふと気づいた。FreeBSD の port ( mail/mutt-devel ) では、mutt デフォルトの gdm を使わずに、bdb ( バークレイ DB ) を使うようにしてある。別の選択肢ならば、tokyocabinet という、いままで私の使っていなかった データベースファイルだ。

ためしに、imap 情報をキャッシュするのに tokyocabinet を使う設定で再コンパイルして、caches ディレクトリを一から作らせてみた。スムーズに使えるようになった。

BDB で扱える制限を越えていたのか… いや違うな。header_cache は単一ファイルなんだ。私が気を利かせて、同名のディレクトリをあらかじめ作っていたのが敗因だ。

tokyocabinet はおもしろそうなデータベースファイルだから、結果オーライでよしとする。

pgp (gpg) 署名と既読管理 ( mutt の常用手段としては、既読のメールは別ディレクトリに移動することで処理を軽くするらしい) が未だできていないが、とりあえず使える状態にはなった。

ここにあった設定からの抜粋は、冗長に過ぎるのでざっくりとコメントアウト。 Gmail / mutt まとめに続きます