ユダヤ五〇〇〇年の知恵
図書館から電話がかかってきた。延滞している本のうちの一冊に、次の予約が入っているから早く返してくれと。
挙げられた書名が、日本に住んでいる (いた ? )ラビの書いた ユダヤ五〇〇〇年の知恵
(トケイヤー 1971) だったのが意外であった。ちとユダヤの宗教・歴史のさわりを確認しようと考えたのが昨年末。世田谷の図書館すべてに一冊しかないこの本、現在貸出中だが、他に予約も入っていない。すぐに読めるだろうと予約してから3ヶ月待たされた本だから。
むかし、実業之日本社から出ていた版で読んだはずだ。いろいろと収穫があった。自分の知恵として消化している部分がいくつかあると確認できたという意味で。
ここに死体を捨てないでください !
ちょうど一年ほど前に、東川篤哉氏の作品をすべて読んだ。ユーモア、ドタバタでありながら偶然に頼らないのが素晴らしい、と書いた。ミステリマニア向けの小ネタも多く仕込みながら、とくに素養のない人にも読めるのがまた良い、と書いた。
その最新、昨九月の刊行。デビュー作の烏賊川市シリーズ。
今回、私に響いてこなかったのは、ちと興味範囲がずれてきたからだろう。それでも読んで損した気はない。
カンナ
高田氏の「カンナ」シリーズ (「Q.E.D.」からのスピンオフ作品) 、昨年夏に最初の2冊を読んだから、書店で見てずっと続きが気になっていた。
十四番目の月
読みかけで中断して長かった、 十四番目の月
(海月ルイ 2005 ) を読み終わって図書館に行こうと掛かっていたら、上記の電話がかかってきた次第。
謎解きに鈍くなったのかな。最後の謎解きで そこにつなげるのか
とうなってしまった。
すべての伏線・手がかりが、これが真相を解明する材料だろうと意識していながら何一つ関連が掴めなかった。素晴らしい。
このレベルの驚きを与えてくれる作品は、そう沢山はない。
蛇足
むかし あなたが読んでいるのだから素晴らしいのかと読んでみたが、大したことがないというのが続いたから、もう良い。
と愛想を尽かされたことがある。
私の読書は、濫読から始まる。中で心に残った本から例を引き、文章を引用する。気に入らなくて語らない本はいくらもある。借りたり入手したが、顧みない本はもっと多い。
そんなことが近頃思い返されるので、読んだ本の全てを挙げるのはやめようと決めた。
良かった本のことも全ては語るまい。人間、生身で話したときに多少の驚きを提供できたほうが良い。
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