2009年12月31日

新橋で客を引く女性に遭って考えた

笑い掛けたのが余計な希望を持たせたかな。

コンビニの出口で待ち伏せるほど困っていると気づいていたら、温かい飲み物でも渡してあげられたのに。

大晦日の独り者がみな、人恋しいわけじゃない。誰でも良いから暖かさが欲しい年頃は過ぎた。

では共に居たい何人かを思い浮かべたら?
年越しだからと特別なものはない。誰を思い浮かべても、隣にいたらいつだって特別な日。いま、この時である必要はない。

今はただ、帰って独り寝よう。
酒も要らない、博奕も要らない、色欲はまたいつか。

お寝み、そして良い年を。

2009年12月18日

京都歩いてる

帰ってからパソコンで本文書く

2009年12月9日

深夜のラジオを聴きながらの走り書き

また PC が起動しない。
ぼんやりと NHKラジオを聴いていたら、日本海軍の話が流れてきた

日本海軍研究家 とだか・かずしげ氏へのインタヴュー。聞けば聞くほど、現代の会社組織に似ていて、メモを取ってしまった。

この内容は、今年の春に出版された「海軍反省会」という書籍に含まれているそうだ。以下の文章は、私のヒヤリング・メモ。肯定にせよ反発にせよ、書籍を当たって下さいね。


・上層部は「現場が指示した通りに動かないから」、現場は「兵站や装備が満足でないから」と自らを納得させるので、責任を感じない
・「自分もあとから逝くから耐えてくれ」と特効を命じ、終戦を機に、罪悪感を振り切って生き延びた人が作った社会だから、いま無責任が横行している。じゃあ死ねば良かったのかとは言えないが
・軍の資料の殆どは、保身のために焼却された。現存する資料は、アメリカ軍が敵を研究するために押収して、最近に返還されたものばかり
・しかし文書を書く時点で、無意識の保身や主観が入るから、単体の資料は信用しずらい。同じ内容を別の立場の人が書いた書類と突き合わせないと
・昭和八年に軍令部が「作戦に関しては」の名目で海軍大臣からの独立を許された時から、意図的としか思えない速度で太平洋戦争に突っ走った
・軍令部の最大の問題は、少数の団体であるにも関わらず多大な権限を握ったこと


当然に私も思うところはあるが、書籍を読んでもいないので書くのは差し控える。

2009年12月6日

無意識という言葉を使わなくなった

10日ほど前に 奇偶 を読んでから、無意識 という言葉をなるべく使わないことにした。

無意識というと、顕在意識、我々がふだん活動に使い、行動の理由にしている心と別の存在があって、それが別のことを考えているような気がするよね。それって、怖いよね。

無意識なんて、そんな大層に恐れるものでも、普段の自分と違うと恐れるものでもない。

なんとなく選んだ行動が正しいという確信をもつことは、誰にでもある。あとから自分の行動に得心がいくことなんてざらだ。

行動を決めている部分があって、それを他人に説明するために言語化する。人に問われないと言語化しないことなんて多々ある。そこから、無意識と呼ばれる領域まで、とくに区別することなくなだらかな変化で繋がっているのではないかな。

他人に説明するために、言語で会話するために使うのがペルソナだ。ふつう日本語では仮面と書いてペルソナとルビを振る。

行動の主体と、他人/社会を結ぶレンズのような存在、と近頃は捉えている。

レンズのこちら側、行動を決めている部分をなんというか。すぐに言語化・説明が可能な部分、ちと説明するのに苦労する部分、なかなか自覚できない部分。ひっくるめて 未言語の領域 とでも呼ぶしかないんじゃないかな。

言語、ロゴス、ねばならない で自分を縛ると窮屈だ。未言語の部分にしたがわないと、破綻はたやすい。

破綻しないように、極力、自分の未言語のこころを自由にして、社会とうまくやっていくために極力、ー嘘、方便と理解して使う言葉も含めてー 行動を他人に説明するための言語を操り、他人に説明できれば良いのかな、と考えている。