2012年1月24日

毎年一月の新月の夜に (未了)

関西から先ほど帰ってきた。静岡で線路になにやら転がっていて、片付けに手間どってダイヤが乱れたとかで銭湯にも間に合わない。倒木ならば倒木と言いそうなもので、なにが転がっていたのか言われなければ、死体か、屍体に見立てた人形じゃないかと思ってしまう。

一昨日は京都四条から大原まで六時間歩いた。星が綺麗だった。考えてみればこの三年、毎年新月になると山道か船上で星空を見上げている。(以下書き足す予定)

2012年1月19日

身辺雑記 1月19日

年末に注文していた、タロットの本が届いた。

執着としてではなく、暴力の一種として、ストークとか偽被ストーク症候群だとかをとらえられないか。 ……文章に表現すると紛らわしいな。本人の愛情が相手に迷惑だというはなしではなく。

DV の被害者だった結果「愛情は相手に暴力を与えることでしか示せない」タイプのひとが、暴力の一つとして、ストークなり、ストークされたと言い立て社会的制裁を求めるなりといった心が働いていないかと思って英語 Web 文献をうろちょろしているときにみつけたのだよな。

愛情のはなし、霊障と民間療法と新興宗教崩れのはなし、売春とうらないの関係、いろいろ資料ためて、考えてあって、書きたいことはあるけれど。

想定していた読者がいなくなって、書く気合が薄れているのが正直なところ。

読者がいる前から書いていたのにね。


火曜日に精神が元気になったが、枷が外れても弱った体力は戻ってこない。体がついてこないってことを実感している。

2012年1月7日

随想の断片  (自由と責任)

実在か心の中のイメージかを問わず
「自由には責任が伴う」と言い立てる相手がいる間は自由ではない。
暗黙に『だから私に支配されなさい』と脅かされ、いつ支配されるかわからないと感じているのだから。

そんな相手が一人もいないことを入念に、丹念に確認したあとに心にこみ上げる歓び、それが責任だ。
罪でも枷でもなく。

……て断片があって、前後に文章を補い、偉そうな口調も排してわかりやすく推敲したいのだが、

いままさに開放感/責任/自由を気づいたところで、過去になくリラックスして眠い。

考えてみたら、ここ三日、四時間ずつしか寝てないや。

自由と責任が一体で歓びと聞くと意外だが、獣が育児のために動くのを歓びと感じるのと同じ程度のセットといまは思える。
だから人が自由を求めるのも本能なのだろうね。

おやすみなさい。