2012年4月29日

呟き

僕にとっての真実を人に語っても、別の当事者には偽りかもしれない
別の当事者が語る真実は、僕には噴飯ものかもしれない。

だが私は、そういうこともあると知っている
だが善良なる子供は、そういうことがあり得るという認識がない
そんな認識を私が抱きうると想像だにしない

だから善良で、トンマで、愛すべき子供は、
二人きりで会話するには良いが、
第三者として介在させたら果てしなく厄介者だ。

世界の認識に if 文のない子供よ
無垢のまま幸せに死ぬが良い
そして私とは関わってくれるな

白髪混じりの、丸々と幸せに肥えた無垢な子供!

2012年4月8日

SEO って「愛」なんだろうな

承前

ある日、同席したひとに お仕事柄、SEO についてアドバイス願えませんか と軽く言われたことがあった。

その方のご要望は、同じ製品について何人もが協賛記事をブログに挙げているなかで、自分の記事を導線として購買してくれる新規のお客さんを増やしたいって内容で 私ではお役に立てません と答えるしかなかったのだが。

それからずっと頭に引っかかっていた質問だ。

独自性

ニッチな記事を書く。ほかのひとが書きそうな記事は書かない。これは不特定多数の読者を意識しているならば、誰もが自覚していること・自覚しているべきことだと思う。

むろん、自分の友人に対して近況を書き綴るひとは意識する必要がない。下手に目立つと好きなことがかけなくなるから、意識して避けたほうが良い。

検索しやすさ

コンピュータの設定を書くならば、キーワードを意識して入れる。エラーメッセージはありのまにコピーペーストする。

自分が検索するとき、なにを検索窓に入れるか考えたら自明だろう。

検索される語の独自性 (笑)

このブログから 文体診断ロゴーン を辿っていかれる人は存外に多い。なぜか。実は私が自分の文章についてやってみた記事を書いたとき、うっかりと 文体分析されてみた て題名にしたからだ。本文で使っている言葉も 文体分析 。だもので、類似の曖昧な記憶検索をしたひとはほとんど私の記事を辿っていった時期があったらしい。

いっときよりは大分下ったが、それでも 文体分析 で検索するとそこそこ上位に、上の記事がひっかかるだろう。

私のところを経て、最終的にロゴーン に着いた人が多かったから、最後には 文体分析 できちんと ロゴーン がより、上位にくるようになったのではないかな。

リンクはまめに貼る

しょうじき、近頃はあまり貼らない。

私は個人的なこともごちゃ混ぜに書いていて、あまり目立ちすぎるのも鬱陶しいから、貼るのを咲けるようにしている。上の段落では、話題が話題だからわざとロゴーン関係についてよくリンクを貼った例を作ってみた。

むろん、SEO を考えてリンクを貼りまくっていたわけではない。親切心があれば当然だろ ? それは (極端にいえば) 読者への愛だ。

SEO を考えるというと、自分のサイト内であちこちリンク飛ばせって書いてあるものが多い。自分のサイトにリンク貼ってもらえって書いてあることも多い。だが、逆なんだよな。きっと。

検索サイトからみれば、このサイトから、検索結果に戻らないでリンクを辿る旅にでかけた というのは重要な情報。つまり検索サイトからみれば、そのサイトには重要な情報が詰まっている てことになる。

どっちが、より長期的に正しい戦略か私はしらないよ。数理モデルを駆使してきちんとシミュレーション、検証しないと誰にも結論は出せないと思う。

でもゲーム理論の定説では 適切にしっぺ返しもするお人好しが、最終的に勝つ ものだし、適用可能なケースじゃないかと直観的に思うんだ。

そもそも私は SEO 考えていない、商売にする気のない素人。素人だから率直に書いているけれど。商売にしているプロが、自分の指南サイトよりも検索に強くなるようなコツを教えると思う ?

私は、疑わしいと思う。

自分のコンテンツへの愛

今朝、いきなりこんな記事を書き始めた理由、気づき。

ブログの統計をみていたら、ある記事へのリンクが目に止まった。自分でも忘れていた、二、三年前の記事だ。

同じ人間だから、同じようなことにまだ興味があるわけで。それは今読んでいる本、もしかしたら感想を書こうかと思っていた本を読むきっかけになった思いだった。

検索からこの記事を読むひとがいまでもいるんだな と思えば では、今の考え、この本を読んで進展した考えもきっと読みたいだろう とお節介にも考える。

考えたら、きっと時間があれば、いま読んでいる本への感想もこちらにあげるし、すでに検索ヒット率がある前の記事も追記して、新しい記事へのリンクを貼るだろう。

それは自分の書いた過去の文章への愛であり、読者へのお節介という身勝手な愛なのではないかな、と思った次第。

2012年4月6日

断片

「他人を嫌ってはいけない」と思うから、
「私は正しくありたい」
「では、あいつに悪いところがあるから近づきたくないのだ」
「あいつは○○というところが目立つ」
「○○は悪いことだ」
となる。

そのひとと友達になれそうもない、相性が悪いだけだと思えばそれで良いのではないかな

すでに友人なら、それは「嫌い」なのではなく「けんかをしている」のだろう。