2010年5月26日

臨床心理の本を何冊か図書館に返す

今日、これから図書館に返すのは以下の四冊。

文藝 別冊 は、谷川俊太郎が河合隼雄の文化功労者顕彰祝賀会に贈った詩がおもしろかった。一部引用する。

せわしいタマシイけたたましい
さもしいタマシイさわがしい
さかしいタマシイうっとうしい
まぶしいタマシイうとましい
ふたつよいことさてないものよ
わかりまへんなてごわいかわい

「臨床心理学」という近代 は、権威としての臨床心理に対するアンチテーゼ。

河合がいう深いが親しくない関係 だけでなく 親しいが浅い関係 も重要という言葉は重要。

あとに挙げた二冊、べつに今更資格を取ろうとは思っていない。読んでいるといろいろ計画しそうになるけれどね。

素人がカウンセリングの技法を日常の人間関係に適用しすぎると危険。だが、いまさら他の方法も好きではないし。ならばどう高めて危険を避けるかという試みの一環だ。

これはまだ返却しない本から、次の言葉が胸を打つ。

ノルウェーの森には桜井が指摘するように、確かに<話す/聴く>関係が組み込まれている。だがとの二者関係の中で話し手の傷が癒されることはない。『僕』は引き受ける覚悟もないままに、緑や直子の心の結ぼれを引き出し、傷を露わにしたまま放置してしまうのである

不用意に蓋を開けられた心からは、とめどなく病いの血潮があふれ出し、彼らを深刻な危機に陥れていく

(前後するが、もう一節)

その日が犯してしまった誤謬とは、(それをもし誤謬と言うのならだが)、際限なく続く話に不安を覚えて彼女の話を遮ってしまったことではない。むしろ、いくつかのポイントに触れないように気をつけて話していることの 不自然さ に気づいていながら、直子の話を途中で切り上げさえてあげなかったことのほうなのだ。

臨床文学論 (近藤裕子 2003)

先日に読んだ、ユングの生きていた頃のユング派の一人が書いた心理療法の光と影 は、その危険を描きながら肯定的な賛歌になっていて勇気づけられる。

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