本人の許可を取って、近頃できた若い友人との話から考えさせられたもろもろのこと。
6月1日、夜
心理学・臨床を目指している友人だ。卒論のために聞き取りの資料を蒐めるという。切り口は 自然性の欠如
という。
単語を読んだ覚えがかろうじてある程度、じねん
と読むことすら知らなかったので詳しく説明を頼んだ。
普通の人が引っかからないことを考えてしまって、生活をすることができない方がいらっしゃるのです。
たとえば
自分の生きる意味は何か,この世界はいつまで続くのか。思いつめて自傷にいきついたことのある協力者からお話を伺い、SOC 検査をして、卒論にしようと思っています。
普通の人
、ねぇ。私自身、その交友関係。引っかかったことのない人のほうが思い当たらない。二十代の何人かは 厨二病
と表現する。だが、それが宗教・哲学の始まり。それを考えたことのない臨床心理学専攻がいるとは思わなかった。
(私) 教えてあげる。
自然性の欠如て、自分の鼻が見えて、気になって仕方がないということだよ。(友人) あー、それうまい喩えですね。
(私) 喩えじゃないんだ。今晩眠るまで、明日一日、自分の鼻が見えることを意識して生活してごらん。それが終わったら、検索してどんな病名をつけられがちか探してご覧よ。そして森田療法の創始者が、なぜ自分がトレーニングをしないと日常に返れなかったか、文献を調べてみると良い。典型的な症状が見つかるよ。
卒論方針の発表のあと、来週に会うことになっている。どこまで鼻が見えることが気になっただろうか。学部の他の学生は、どんな感想を抱き、どんな質問が投げかけられるのだろうか。理解した顔をする人はどれくらいの比率だろうか。
会うのが、とても楽しみだ。
6月2日、夕刻
仕事の打ち合わせの帰り、遠方の、前から二人で会おうと言っていた別の友人と割り勘で飲む。
鼻が見える人、見えない人がどれくらいいるのだろうか。
あの人は、鼻が見える。あの人の見えることを前提にした科白は、心に響きすぎて、読みつづけることができない。あの人は、自分だけが鼻が見えると思って孤独な思いを抱き、言葉で他人に押し付けようとしているのが辛い。心に響くから言わない人、目を逸らす姿勢が見える人、心に響きすぎるから反応しない人、あぁ。あの人は見たことがないかもしれないね。
共通の知り合いについて、そんな言挙げをした、かもしれない。
行為・行動についての陰口は嫌いだが、そんな人物評ならば心置きなくできた。
目を逸らしている人は多いが、見えたことのない人は、やはり稀だろう。そんな結論に達した。
6月2日、朝
この二つの会話の合間、一人で考えることに耐えきれず、久々に外部に放出した。
心に影のある人が理系に走り、陰を理解したことのない人が文学・哲学・心理学に走る。なにかオカしくないか。何かから逃げていないか |04:19 AM Jun 02, 2010|
自分に「ないもの」だから憧れるのか、自分に「内在する影」だから呼ばれるのか |04:26 AM Jun 02, 2010|
影がありながら能力を併せ持ち、理系に走る人がもっとも躓く。影がないのに他人の闇に寄り添おうとするものはどう生きるのか。隠れた影はあるのか ……あるよな |04:31 AM Jun 02, 2010|
「貴君の影を探そう。夜の闇は恐いかい? なにがワケもなく恐ろしい ?」 「卓に山盛りのまんじゅう、そして熱い茶が一杯怖いね。ヘヘヘ」 |04:36 AM Jun 02, 2010|
久々に「思索を」呟いた気がする |04:41 AM Jun 02, 2010|
「過剰なる才を持てあまし」と評論家がいうとき、誰の心に比べて過剰なのか。評論家本人 ? それとも無能・無才の仮想読者 ? |04:40 AM Jun 02, 2010|
一度は自覚しながら、逃げている対象が心の「影」か。内在して自覚したこと、怖れたことが一度もないのは「闇」か |04:46 AM Jun 02, 2010|
多少、言葉の遊びに偏った、直観ベースの連想思考だ。ここまで放出して、やっと眠ることができ、仕事の打ち合わせ、上記の人物評をした飲み会に至れた。
再び、6月2日夕刻
オカルト、東西の宗教、心理学。
みな表現が違うだけで、じつは やるべきこと
は、処方は同じだと最近つくづく思う。そんな話もして同意を得た。
もちろん、当てはめた論理が 鼻の見えない人
に誤解され、あるいは 自分だけが鼻が見える。すごい能力だろう
と誇ることで、さまざまの歪みが生まれる。
歪む形は、各理論で別。私は何種類かの体系で表現し、理解することができるが、とくに統一して体系にする必要は感じない。どの体系も歪むからだ。
そんな話が、二人で共感を紡ぐうちに生まれる。こんな付き合いなら、深くて親しくない関係は悪くない。
自分の鼻が見えることから、意識を逸らす人には嫌われる。公開の場所で多く語る内容ではない。会った人に合わせ、相手の状態、相手の体系に合わせた言葉で、ただ共感しつづけるだけ。
たまたま、自分と同じ辺りの位置にいる若い友人もいると、翌日に実感できたのは本当に幸せなことだ。
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