2010年11月30日

内的現実、外的現実、小説

11月が終わる。

少年のころの夢、小説家になることは本当に諦めたのか、書くのですよね と先週いわれた。

文筆業になりたかっただけで、書きたい題材などなかった。文章の修行は題材がなくともできるが、ストーリは構築できない。そのまま放ったらかしになっていた夢だし、もう書かない。そんな返事をしようとして、手が止まった。

今年のはじめ、一月。別のブログにこんなことを書いた。

自分で考え産み出した心への考察は、生活との接点、擦り合わせができている。取りたてて書くのを忘れるほどに。

書くのを忘れていたら、文章だけを取り上げたら妄想・カルトと見分けがつかない。ちと文章が不適切だったということだ。

このとき、書くとしたらそれは思想の言葉ではなく、小説の言葉 という一節も書いて、消した。それが頭に残っていた。

河合隼雄、鷲田清一両氏の対談、 臨床とことば (2003年) の中に、内的現実という言葉があり、六月に読んだ時から思索のキーワードのひとつとなっている。

対談にある内的現実とは、たとえば、性的な犯罪を犯した者が反省の文章を 子供のころからアニメばかりみてきて と始めたとして、それは彼の心が生きてきた現実の中のつじつまであり、反省であり、外に対しては言い訳に過ぎないということ。だが、犯罪者が改悛したという心は伝わる。

伝わりすぎて 有害図書、映像作品反対 と叫ぶ人は、彼のモノガタリに巻き込まれた、といわれる。


幽霊が見える人がいる。神様の声が聴こえるひとがいる。私はときどき、タロット札の作者がなにを感じて意匠したのか、わがことのように感じることがある。これらはすべて、内的現実。

事象はひとつだが、現実は解釈を含み動く。解釈はそれぞれにあり、その中ですり合わせが効くものが共同幻想 = 外的現実となる。だが、本当に個人的なことがらは、外的現実と別に、内的な現実の中で位置を得てモノガタリとなる。


どんな思想も、モノガタリも。主人公がどんな体験をして、そこに解釈を加えたのかという背景なしでは伝わらない。ちかごろはそう思うようになった。その中では、外的現実と内的現実を区別する必要はない。が、体験ごと伝えないと。その人の実体験にせよ、典型としたフィクションにせよ、そこから始めないと、単なる妄言となる。

思想そのものにすら意味のない、この人はこんな体験をして、こう解釈することに決めたというモノガタリを書けるか。自分や周囲のプライバシーを侵さず、純粋にモノガタリとしてフィクションを一から作ることで。いまは、そんなことを考えている。


その結果、今週はまた意味ありげな夢ばかり見る。

2010年11月23日

疲れるくらいに歩くと自分が見える

題名は、疲れるくらいに歩かないと自分が見えてこない という意味でもある。

14時半に日本橋の用事が終わり、蕎麦屋で酒を飲みながら昼食、川面をみつめて一服。銀座の街は、いま古くからのビルがいくつか取り壊され、店が移動しているようだ。懐かしさを惜しむ人もいるだろうと感慨にふける。昔のモボと思われる人の、すれ違う歩きかたに見惚れたりする。

酒を飲むと甘いものを酔醒ましに食べたくなる。一人で食べるのもどうかと友人を呼び出した。一時間と少し掛かるという。

地下鉄で移動の途中に神保町の駅を通り、古本街を歩くことを思い立つ。9冊を買い6千円消費した。

雨模様になる頃、飯田橋に到着。友人と合流して紀の善へ。行きつけかと訊かれたが、そんな顔を憶えられるような常連じゃない。高校生の四半世紀前に一度、昨年に一度。今年三回目の来訪になる、とっときの店。

甘味を終えると、友人は忙しいと練馬区に帰っていった。その中でつきあってくれたことに感謝。同行なら話の種に行こうかと考えていた、別方面の知り合いのイヴェントに出席するかどうか考えながらしばらく飯田橋にひとり休む。

パソコンや携帯からネットにアクセスせずとも、部屋にひとりいるだけでは自分を見つめる考えがうまく進まないのはなぜだろう。体を動かしたせいもあるだろう。昔に何度も歩いた古本街で、いまの自分がどんな本に惹かれ何を買ったかという選択が考慮の材料になったせいもあるだろう。

自分について文章を書くというのは、選択して削り落とすことなのだと思った。

今年のはじめに一度気づいたはず、そのあとの日常や人間関係の中で、見失い迷っていたこと。だが、それが基本。

春から失っていた習慣、紙のノートと筆記用具を持ち歩き、自分のためだけに考えを書き綴り、推し進める処からやりなおそう。

どこに書くか、と。なにをどこまで書くは、は表裏一体。

2010年11月8日

「牡蠣はミネラルを多く含み健康に良く、頭も良くなります」

頭髪が薄いのを気にしてないよって宣言の自然(=ムースなし) オールバック。
後ろで束ねたら楽かな、と春から床屋に行っても整えるだけにして伸ばしていたのですが、一向に長さが足りません。
ついに寝癖に負けて、短くしてもらいました。薄い毛がハネてると目立つんですよね。


今のは近況報告です。表題の「頭にも良い」てのは頭脳明晰になるという意味。

「牡蠣は銅などのミネラルを多く含んでおり、身体のバランスを戻してくれます」よく聞くことばです。ここまではたぶん正しい。

「古代から文明の栄えた地では、牡蠣を食べていたことがよく知られており。これだけで牡蠣を食べると頭が良くなることが……」
ときどき読みます。薬屋の口上だろうと話し半分に読んで気に止めない人、調べてみた人いらっしゃるかと。


さて、古代から文明は川沿いに栄えてきました。これは中学校の歴史で習う常識。農耕に向いた、肥えた土を得ることができるからです。


旅行して、生活排水が流れ込む前の上流から、生き物もいない澄んだ水なのに水が緑色してる、と不思議に思ったことありませんか ?
私は近年、平泉 (岩手の牡蠣 !) に注ぎこむ河でやっと気づきました。

平泉は金の算出で栄えた土地。金と銅は鉱脈が重なり、同じ山から採れることが多い。と聞きます。

金で栄えた街、鉄器以前の銅器文明のころの遺跡がある土地、銅器時代の繁栄をそのままに、今も栄えている街。思い起こせば、船で上ると上流もずっと緑の川です。

銅器を作れたから栄えた、遺跡が残せるほどに人が文明を築き上げたのでしょう。


さて、牡蠣に含まれるミネラル、ことに多いとされる銅はどこからきたのでしょう。
元素は生成できません。餌のプランクトン、生活の場でもある水に含まれた銅が濃縮されて、牡蠣の身に含まれます。

牡蠣が自生し、もしくは養殖に向いた土地は ? 山からの栄養を含んだ、澄んだ水の川が流れ込む入り江です。


つまり。
銅や金を産出し、農耕に向き、かつ海路から交易も盛んな古代の街の近所には、高確率で牡蠣が自生していた、牡蠣の養殖に向いた。

古代人、当然食べますよね。


牡蠣を食べると頭が良くなるって主張が正しいか、間違っているかは別にして。
その証拠として、遺跡から牡蠣の殻がみつかることが多いというハナシを挙げるのは間違いなんだな、と。


そんなこと、最近やっと気づきました。