2011年4月14日

無題詩 2011-04-14

「博奕は自分の身の丈でやれ」
と年長者は言う

「身の丈で満足できるなら博奕はしねぇよ」
と若者は口を尖らかす

「君の身の丈は、自分が思うより大きい。
受け継ぐものがあるのだから。
財を子孫に遺すのに博奕は必要ないよ」
と年長者の親世代が言う

「博奕をしたつもりはなかったのに」
と未生以前のものは嘆く

「私が先祖から受け継いだものに、
既にして博奕が含まれていて
隠れていた危険が
ときに牙を剥くなんて、
誰も教えてくれなかった」

2011年4月5日

魂にマニュアルは要らない

もちろん、河合・谷川対談「魂にメスはいらない」」をもじった日記題名です 。

三日ほどネットにアクセスできず、時間の制約もあって、ふつうの新聞の記事や、TV のニュースが頼りでした。

中で違和感をおぼえたのは、昨4日 19 時の NHK ニュースと、今朝の朝日新聞にも (きっとほかでも多数に) 取り上げられている、子供の心の疵の話。

『子供が夜おびえるようになった』などの声が家族から寄せられています

それぞれの家族に訊けば、当然にそう答えるでしょう。 だが、それって自然なことではないの ?

震災の心の疵を癒す?   人の生きるうえで「癒すよりほかに手段のない出来事」と「乗り越えるべき、乗り越えられる出来事」があって当然。そして「家族 (保護者) の許にいま居ることができている子供たち」にとっては後者に過ぎません。……と、私は思う

阪神淡路大震災のとき、 PTSD が深刻な問題になったのは、むしろ独り立ちしたあとの成人(や、老人も)。

受容れるに大きな出来事を、夜の夢にフラッシュバックすることで消化していくのは、誰でもごく当然。まだ、それを疵痕というには早すぎる。

そして NHK のニュースも朝日の記事も「親はこれこれしてあげましょう (してあげるべきです) 、あれはしてはいけません」

魂にマニュアルはないんだよ

子供が生まれてからずっと一緒にいた親の観察と気持ちのまま。それが一番。

自分の気持ちをマニュアルに縛ったほうが失敗するというのは、戦後すぐのスポック博士の育児ブームなどで山ほど前例があるのに。