望外にやぶそば
金曜日。歯医者のあとで食事を予定していたが、血止めのガーゼと麻酔で口を完全に閉じることもできない、水も飲めない。最初に必要な買い物は地元で済んだが、次は秋葉原を予定している。
服装・寝癖などツッコミ処は多いが、こんなときは電車に乗るに限る。帰宅したら、たぶん外に出る気もなくなるしね。
京王線から、笹塚の乗り換えで都営新宿線。小川町から歩くのがもっとも早い。
小川町で下車して秋葉原に向けて歩くと、とくに目指したわけでもないのに神田やぶそばにまっすぐ着いてしまった。江戸三大やぶのひとつ、おそらくもっとも有名な伝統そば店。
九段下・神保町が地元の友人と学生の頃に目指した時には散々迷い、わかりづらい場所の印象があったのだけれどな。何の縁だか、流れだか。出血もとまり、下駄履きのままにふらりと入って奥の席に座る。丸い掻揚げ、ありましたよね。あれと、酒
。
学生でここに蕎麦を食べに訪れたとき、周りの席に注文されて次々と届くのが美味しそうで頼んだのが最初の そば屋で一杯
だった。料理の正式な名称は 天玉
という。
そして酒について出てくる味噌。これを食べずして、蕎麦屋の酒は… 酒は……。天玉を食べ終わり店の人に訊く。二十年から前、ここで食べたときに出たのは、この
練り味噌
ではなく そば味噌
ではありませんでしたか ?
やはり。この蕎麦味噌が美味しくて私は日本酒と蕎麦が好きになったのであった。むろん練り味噌も美味しい。蕎麦味噌はそのあとあちこちで出すようになり、同じ名前でも店によって違う印象のものが出ることもある、から これは違う
という人も出て名前とレシピを変えたのではないかと推測してみる。
昔年に私が食べたものに一番近いのは、いまでは京都の有喜屋 で出すものだろうか。
やぶそば130年の歴史と、その中に私が僅かに知る25年に思いをはせながら。同じく関西で趣味が固着したそば寿司を食し。そば饅頭を買って店を出た。
望外に雀友
三年ぶりに春に会った友人が、よく秋葉原のゲームセンタに遊んでいると聞いていた。せっかくだから近所にいたら幸運とメールを打ってみる。
酔い覚ましのコーヒーを飲んでいると返信。(移動に30分ほどかかる)自宅にいたが、暇だからつきあうよ、と。
春に会ったときも、人生の悩みのはなしがいつしか麻雀の話になり。互いに牌を使い現実生活では打っていないが。彼はネット対局、私は単純な思考ルーチン相手の携帯ゲームで打っていてこんなことがあったという会話。中川は遠ざかっていても実は麻雀が本当に好きだと言われてしまった。
私の買い物に付き合ってもらったあとは、もしも場代の比重が大きすぎない店をみつけることができたら少しだけ、ほんの少しだけ打とうという話に落ち着いてしまう。
考えてみれば、彼はまだ二十代前半。私も雀友と会ったら、飲み会がいつのまにか麻雀に移行し、フリーで打つような日々を二十代のあいだはずっとつづけていたっけ。煙草をもたずに外出し、酒も入れていないだけまだマシといえる。
望外に麻雀
買い物、困窮していたときに友人に借りたパソコンのモニタを返却するため、中古の、それほど解像度のよくないモニタを 3千円ほどで買ったあとで雀荘探し。
秋葉原にはおもしろい、話の種になる、麻雀を楽しむとは言い難い店があると歩きながら語り合い、唯一まっとうな店も、そういったイロモノと同様の 1Game 400 円とわかり新宿に移動。
かろうじて、いわゆる点ゴ、学生レートで標準の、負けても飲み屋よりも安い店で順当な 1Game 四人で 1,500円 の店をみつけて入る。
序盤、やたらについていた。おかげでやっと気づく。私が麻雀を打ちついていると、大きな得点になりそうだと手汗がとまらないのは、こんなにツイている状態で失敗すると、どんな叱責を受けるかわからない
というか弱い子供の心のままにいるからだと。
つくづく私は遊びに向いていない性格をしている。
望外に刺身
しばらく牌で語り合い、互いの勝ちを合わせていくばくか足し八吉 なる店にぶらりと入った。
刺身がうまい。北陸の魚に強いようだ。通路との間は暖簾しか仕切っていない二人席を 個室
と称するのはどうかとも思ったが。べつにデートではない。味が良かったので満足。
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