雨宿りをした新宿で終電を逃し、帰りの始発の出る時間をもてあましながら、ネットカフェにあるあまたの娯楽本を読む気もなく過ごす。
中学生のころに出会い、何度も読んだはずの「マルテの手記」より
僕は二十八歳だ。
(中略)
僕は詩も幾つか書いた。だが年少にして詩を書くほど、およそ無意味なことはない。詩はいつまでも根気よく待たねばならぬのだ。
人は一生かかって、しかもできれば七十年か八十年かかって、まず蜂のように蜜と意味を集めねばならぬ。
そうしてやっと最後に、おそらくわずか十行の立派な詩が書けるだろう。
(略)
詩はほんとうは経験なのだ。
(略)
思い出だけならなんの足しにもなりはせぬ。
追憶が僕らの血となり、表情となり、名まえのわからぬものとなり、もはや僕ら自身と区別することができなくなって、初めてふとした偶然に、一編の詩の最初の言葉は、それら思い出の中からぽっかり生まれてくるのだ。
(大山定一・1953年訳) 第一章より
なんで、本当に大事なことばは、わかるようになって初めて読み返して気づくのでしょうね。
1 コメント:
完全同意 as a poet
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