2011年6月15日

不思議だねぇ

たとえば

ある日、夢の中で橋を渡っていた。

橋のなかばのベンチに腰かけていた老人に おぉ、やっときたのか。待っていたよといわれ、待たせたのが恥ずかしくて逃げたくなったところで目が覚めたのだよね。

あの老人、よく思い出せば数学者ガロアの晩年の写真に似ていた。

そう気がついたときに少年のころの夢を思いだし、アマチュアでもよいから数学を勉強しなおそうと思ったんだ。

て、話をきいたとする。

美談だよね。誰がこの話をきいても、感心することはあっても軽蔑はしないだろう。

つぎに

ガロアのところを江戸川乱歩横溝正史 に換え、数学の勉強 の代わりに 探偵小説の執筆 に換えてみる。

多少首をひねるが、作家としてプロデビューするために、わざわざ仕事やめてしまいでもしない限り、誰も止めないだろう。

まかり間違って一冊でも本になれば ええ話やなぁだ。

さらに

ガロア じゃなく サルトル の名前が挙がり、哲学を勉強しなおして自分を見直す のを目標にしても、まぁ頑張れよ、といえる。

ジグムント・フロイト そっくりの老人を夢にみたから 心理学を勉強しなおして自分を見直す でも反応はだいたい同じと思える。

ところが

ガロア の代わりに入る名前が ユング になったとたんに、同じ 心理学を勉強しなおして自分を見直す という内容でも、眉に唾をつけたくなるだろう。

江戸川乱歩と横溝正史だと大差ない、江戸川乱歩のほうが夢に親しんでいただけ 良い話 と思えるのに。フロイトより夢に親しんでいたユングの名前が挙がると、その違いがわかるひとならばきっと大丈夫かと心配する。

大げさじゃないと思うよ。

本当に上記の内容の夢を去年みた、私が自分で言うのだから間違いない

まかり間違って

夢の中で会った相手がアウグスティヌスやモハメットに似ていて、宗教の勉強を志していた日には、よほどの親友か、よほど付き合いの良い友人でなかったらきっと逃げるだろう。

……きっと私は逃げないから付き合いが良い、らしい。

哲学者でもニーチェやマルクスに似ていた日には、やっぱり相当数の人が逃げるよね、きっと。

不思議だねぇ……

そういえば

ユングとサルトル、さらに文学者からヘルマン・ヘッセの顔は、日本人の私にはあまり区別がつかない、よね。

なんでよりによって、ユングの名前で頑張ろうと思ってしまったのだか。

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