あいつのモノガタリ =
、どの著作だったか忘れたが、故・河合隼雄さんの言葉だ。his story
とかいて history
(歴史) と読む
河合氏は 自分のモノガタリ、自分の内的現実をつくれる力がみなにありますよに
と願っていた。他人から借りてきた history
ではなく、My story
。
たとえば講演会に行く、勉強会に行く。ふんふんと頷いて、絶対不変の真実としてメモをとっているようでは、個が弱い。講師の内的な動機はなにか。なにを求めてこの説を主張するに至ったのか。そこに注目するとみえてくるものがある。言っている内容への理解も深まる。
講師の内的現実を聞き取り、理解しようとすることで、同時に客観的にもなれる。巻き込まれない。ある程度の大人ならばできる。
唯一無二の真実がどこかにあるはずで、自分がしらないだけ
と思い込んでいる幼稚なひとに危険思想と罵られるだろうけれどね。
じつはこの記事、どこまでが河合さんの著作からの受け売りで、どこからが私のオリジナルだかあまり自信がない、正直なところ。
よくいえば、河合さんの書籍が血肉になってしまっている。悪く言えば区別がなくなっている。
だが、少なくとも、これが唯一の生きる正しいみちだとも思っていないし、河合さんの著作に感心した人ならばみな同じことを言うだろうといった期待もしていない。私が自分で選んだ、自分の納得のいくことば。
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