2010年3月13日

調弦推理

乾くるみの小説シンクロ推理 というのがある。

いくつもの原因がもとで、不可解な状況を考えるうち。探偵本人にも説明しがたい直感が働き、個々の原因と結果の複合として捉えることができる。特殊な認識力だ。

読んでから半年ほどして、ちかごろ 調弦推理 とでも言える認識の働きを考えるようになった。なに、私がニブかっただけで、たいがいの人が無自覚にやっていることだ。

心に残る言葉、気になる出来事があったとき、人は何度も思い返す。引っかかる

何度か思い返すと、無自覚・未言語な領域に、いくつもの仮説が現れる。するとリアクションはいくつかの仮説に対応し、どれにでもうまく答になるようなものになる。

外界からさらに反応が返り、そこで仮説のいくつかが絞られる。だんだんに絞り込まれて、残ったものがある日ある時 認識 として降りてくる。

言語で説明されたものではない。思い込みかもしれない。だがそれは往々に正しかったりする。

また口に出して言っていることの裏にも、本人が自覚している、していないに拘わらず、まだ絞り込めていない他の可能性を残していたりする。

直截の言葉で伝わらないものが、そのようにして伝達されるということが興味深い。

翌日、追記

なぜ 調弦推理 という名前で思いついたのか書くのを忘れていた。

人がいくつもの仮説を並行しながら事象に接するさまは、倍音を感じながら絞り込んでいく感じに似ている。弦の震えに対し、半分の位置、四分の一の位置をピンポイントで押さえるように接しているようだ。

すべてを押さえて、性急に仮説を完全に絞り込もうとすると反応がなくなる = 音が響かなくなるのも同じだ。

間違った位置を押さえると、不協和音が響く。

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