2013年5月2日

「ガンバの冒険」

ちょうど一週間前、4月25日。半年ほどぶりに近所の TSUTAYA を訪れた。同じビルの、夜間も営業しているスーパーが臨時の休業をしていたのがきっかけだ。

しばらく前から、古い映画「ローマの休日」を観たかったのだが、勝手がわからずに小一時間店内をうろついた。住宅街の、私の街の店舗でもレンタルコミックが始まっていることをはじめて知った。

それはさておき、児童向けDVDのコーナに「ガンバの冒険」をみつけた。

娘が小学校に入るか、入らないかのころ。自分が同じ年ごろに観たからと探した番組ふたつのうちのひとつで、つまり十年ほど前にはレンタルで見つからなかった憶えがある。( 余談だが、もうひとつは「小さなバイキング・ビッケ」だ )

たかだか DVD 四巻、13話の短い放映だったかと信じられぬ思いでジャケットのあらすじを眺めているとき、ふと気づいた。

「そうか、わたしはイカサマになりたかったのだ」

放映は磁気テープのヴィデオ録画もまだ一般的でなかった頃だ。二、三年して斎藤惇夫氏の原作を何度も読み返していたのと記憶は入り混じっているだろう。

にしても、イカサマは恰好よかった。

おそらく、さらなる原体験として「ガッチャマン」の最終話で遺志だけが通じ敵と刺し違える、青い装束の no.2 に感銘した流れもあるのだろう。

ま、それはともかく。
小学校五年生で私はタロット札と出会った。
中学二年生でインド瞑想の本を実践しようとして、その一環としてパメラ・コールマンの画を頭に描き、鉛筆でトレースした。
大学に入り下宿して麻雀を憶えたとき、博奕打ちであるならばサイコロは常に二つ以上ポケットに持ち歩かないといけないと感じていた。
離婚してリュックひとつの所持品で動いていたときに気まぐれで入れていたタロット札と再度出会い、タロットと麻雀が一説には同根であると知ったあと、もう五年に渡ってわたしはタロット札を最低ひとつ鞄に忍ばせている。

イカサマになりたかったのか。

「一、二の半。大凶だ」

たしかイカサマも、自らの出した卦に準じ、三匹の犠牲の最後を買って出る。凶を吉に変えるために。

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