2011年8月23日

カラスの愚行、人間の思想

手許にないので第何話、第何巻収録だかわからないが、動物のお医者さん に、カラスの怒りの対象が拡散する話があった。

白衣で眼鏡の教授、漆原氏は永遠のいたずら者。野外ジンギスカンの肉を攫うカラスに復讐を仕掛ける。カラスは怒って仕返しをする。漆原氏はさらにしっぺ返しを続け、カラスの群れはさらに荒れ狂う。

ところが不思議なことに、漆原氏への怒りがあまりに強くなると、カラスは似たように白衣で眼鏡の教授をも攻撃対象とするようになった。抗争が進めば、最後は白衣のものが軒並み狙われる。

おかげで漆原氏の被害は、戦力が拡散したことでむしろ減った。

こんな話だったと思う。カラスはばかなことをすると笑ってほのぼのする、そんなエピソードだ。


だが本当にカラスはばかなのか。

罪を憎んで人を憎まず という諺がある。

誰かの行いに立腹したとき、たとえば 俺が食事をしているときに横で騒いでいたあの家族は許さん から ある程度の格式のあるレストランで五月蝿いのは良くないよね さらに 公共の場ではマナーを守ろう となり、怒りは拡散し、友人・知人が似たことをしたときに、にこやかにたしなめることができる程度に行動が柔らかくなる。カラスと同じではないだろうか。

怒りやトラウマを、対象となる個人に収めずに、汎化することで法律やマナーが生まれ自らをも律する。それを人は文化と呼ばないだろうか。

怒りを分析して背景となる相手の行動原理を否定することで、個人を怒りの対象から分け、腹の虫を収めることができるだろう。

そうありたいと望む。そうあれかし、と願う。

2011年8月10日

8月10日短信

このところ、夕刻と夜明け後の二回に4時間ずつの睡眠というおかしなペースになっていた。とりあえず、日・月と6時間以上の睡眠をまとめて摂ることができた。ただし陽が昇ってから。

火曜日。整えた役所の書類を出すべく、正午に目覚ましをかけて朝また眠る。11時に起きた。睡眠4時間。きちんと動くことができた。温熱効果で肩こりがほぼ治るほどの陽射しであった。

夕暮れのまえ、キャロットタワーの近くで用事がすみ、展望台に。西にみえるのは遠くの大きな平野かと思えば、すぐ近く、砧公園の緑であることに感嘆。いくら近くでも広い。近くにしては鬱蒼(うっそう)としてみえる。

西に夕暮れ、東は青空に白い月 19時前後は大崎の駅あたりで月見をしていた。前日の黄色、火曜日の白銀。きれいで安心を誘う月が続いている。世田谷では例年よりも星が夜空に多くみえる。節電要請で工場の稼働が悪いせいだろうか。

大崎では友人とおいしい店を一軒みつけた。ハレノヒ (畑) という。野菜の蒸し煮がウリの、廉価な店だ。

ぶらりと赤坂見附。かつてオフィスの近くで常用していたバール デルソーレ の、イタリアなコーヒーが恋しくなったせいだ。メンタロー ( menthe a l'eau. / ミント水 ) が飲めなかったのは残念だったが、満喫できた。赤坂から小田急線を経て帰宅。

睡眠が短かったので、きちんと夜のうちに眠れた。が、三時間も経たぬうちに悪夢で目覚める。

悪夢だが悪くなかった。怖いが、わかりやすく昼間の生活で何に注意すべきかが示唆されたということだ。とはいえ 陽気な音楽 を聴き、外があかるくなったので公園に煙草をふかしに出る。

猫、カラス、雀。そして誰ぞの鳥かごから逃げたものが増えたと思える、オウムのような緑の小鳥が三羽戯れるのと、東の空が明るくなるのをみてぼんやりと時間を過ごす。

近所のスーパーで、ミントのハーブティがあったのを仕入れて7時前に帰宅。今日は、このまま一日を有意義に過ごせそう。気分の良い朝だ。

2011年8月4日

マイ・ストーリ

あいつのモノガタリ = his story とかいて history (歴史) と読む 、どの著作だったか忘れたが、故・河合隼雄さんの言葉だ。

河合氏は 自分のモノガタリ、自分の内的現実をつくれる力がみなにありますよに と願っていた。他人から借りてきた history ではなく、My story

たとえば講演会に行く、勉強会に行く。ふんふんと頷いて、絶対不変の真実としてメモをとっているようでは、個が弱い。講師の内的な動機はなにか。なにを求めてこの説を主張するに至ったのか。そこに注目するとみえてくるものがある。言っている内容への理解も深まる。

講師の内的現実を聞き取り、理解しようとすることで、同時に客観的にもなれる。巻き込まれない。ある程度の大人ならばできる。

唯一無二の真実がどこかにあるはずで、自分がしらないだけ と思い込んでいる幼稚なひとに危険思想と罵られるだろうけれどね。


じつはこの記事、どこまでが河合さんの著作からの受け売りで、どこからが私のオリジナルだかあまり自信がない、正直なところ。

よくいえば、河合さんの書籍が血肉になってしまっている。悪く言えば区別がなくなっている。

だが、少なくとも、これが唯一の生きる正しいみちだとも思っていないし、河合さんの著作に感心した人ならばみな同じことを言うだろうといった期待もしていない。私が自分で選んだ、自分の納得のいくことば。

2011年7月30日

掛け算の順序について燃えている人がいる

承前

箸休めに、昨日 mixi で友人限定に公開したものを推敲してあげてみる。

twitter をみてのものだ。

本文

夕刻、ふだんは冷静な知人の何人かが「文章題から式に落とすとき、掛け算の順序を規定するな」とtwitter で燃えていた

言い出しっぺの方のまとめがあるようだ。

【かけ算】便宜的に「1当たりの数×幾つ分」の順序でかけ算を導入すること自体は否定していません。

その順序の流儀を覚えたかどうかを繰り返し確認するなどの行為によって従わなければいけないルールだと誤解させることには強く反対しています。

http://bit.ly/pKcnBQ

http://twitter.com/genkuroki/status/97005190686834688 より

ひとに何かを任せるって、自分のロボットになってもらうことじゃないんだけどな

子供を学校に任せるなかで、もっと譲れない部分はたくさんある。それくらい譲っておいたらどうだろう。

まとめの文章を拾い読みした感じ、子供にそれ間違ってると言われたときに、正しさには学校基準と実社会基準があり、学問としての基準もまた違うと説明できなくてキレているように思える。

ローカルルールというものがこの世にあると教える、機会をみすみす逃してどうするのさ。

と、車のこないことをきちんと確認して信号無視をする姿を積極的にみせ、また以下のような不謹慎な内容を繰り返し娘に伝えた不良オヤジは思う。

嘘をつくなとは言わない。説得力があってばれない嘘をつけ。

逆に私や母親が指摘しないからといって疑っていないとも思うな

嘘をつく能力と、建前と本音の使用、場所に応じたマナー、自分の責任で行動する覚悟、他人には他人の正義があるかもしれないという想像力は、すべて同根

付記

今日は別の記事を書いている合間にはさんだわけだが、意図や関連がまったくないかというと嘘になる。

2011年7月26日

三峯神社

出発

三峯神社 に週末いってきた。

あまり人がいないときが良いと、思いついた翌日の19日に颱風の接近をしりながら行ったら、西武池袋線の特急が雨で飯能から先に行けません と停まり、しばらく待ったが各停含めて動きようがなく、飯能でご飯食べて国分寺・三鷹・吉祥寺と回って帰ってくるにとどまった。外食がすべて当たりだったから悪くはない。

子供の頃から、一度は予行演習しないとうまくいかないというジンクスがあって。大学受験などは高校に入った年から何度も、季節を外してホテルから大学まで歩いたっけな。以上は余談。

遭難しかねない場所と聞いていたので、mixi の日記で 行ってくる。連絡が途絶えたら遭難届け出しておいて と書いていたら、午前10時ころに友人から もう出ました ? という連絡があり、それで目が覚めて出発。

12:30 に池袋を発つ特急に乗ったら、行楽日和で電車は人でいっぱい。集団での観光のようになってしまうかと心配した。が、飯能でほとんどの人が降り、電車が逆方向に動き出したときには7裲編成のうち私の乗った車輌にはほかに二人だけ。駅前で見つけた、本社までの急行バスに乗ったのは私だけであった。

道理で、mixi で告知したときのコメント。この神社のことを書いたときに反応したのはみな神社巡りを趣味として興味のあるひとばかりだったわけだ。観光としてはあまり知られていない神社らしい。

いや。私は神社・仏閣、西洋なら教会をみるのは好きだが、趣味として深く調べたことはない。去年から一年あまり三峯行ってみたいと言っていたのは、全国でも珍しい狛狼の神社だと聞いていたからだ。

西武秩父からバスで一時間あまりの道のり、狼は当然にいないが、猿の親子が道端に腰かけているのをみて仲々の田舎だと思った。本社の前の駐車場からの景色には、奈良の生駒を思い出す。

表の神社

17時まで30分ほど、昔からの佇まいをみせる鳥居の手前の茶屋、大島で腹ごしらえ、情報収集をして、ペットボトルに水を補給。鳥居から入って表のふつうの神社をまずは眺める。

土地がだだっ広い、ごくふつうの神社と思う。家族連れなど五組ほどの参拝者、観光客ともすれ違った。買うならば道の両脇に狼の控える、5千円とか8千円とかの掛け軸が面白いだろう。御守も、観光客向けの狼を模した細工も、地酒も興味がないではなかったし。出発前にサイトでみた日帰りの温泉 にも惹かれたが。茶店で 足速な人ならば30分で着く と教えてもらった奥宮に向けて出発。お土産を買うにしても帰りだ。

奧宮

奧宮は、地図の上では妙法ヶ岳というらしい。山を登る手前、第一の鳥居を入ったところには、埼玉県警の 登山届けを書いてここに入れてください という表示と机、鉛筆などがあった。

長袖のシャツも着ているし、電話の電波も通じる。非常食に黒砂糖をもってきて、水も補給してある。私一人ならば問題はないだろうと、届けだけを書いてなかに入った。仲々険しい。動物の気配などまったくない。

西武秩父の駅までは何度か、家族や友人ときたら楽しかろうと思った。表の神社の境内でも多少は考えた。だが、この登山はひとりで来てこそ、ほかに参拝客がいなくてこそ面白いだろう。山は一人で登るもの。いま中学生の娘が、何歳になったとて、連れていっしょに歩くことなど想像もできない。ひとりで行きたいと言い出せば止める気もないが。

まぁ、歩きながら思い出していたのは、大学のバス旅行で何人もで歩いた高野山の山道であり。一人で歩きたいのは、あのとき峯を歩くのに高所恐怖の気がある私は遅々と進まず、回りに迷惑をかけたから、なのですがね。

写真は途中の休憩所。行こか、戻ろかと考えながら日没までの時間を考えたのが、16:53。

登山・ハイキングの道から、いよいよ本当の参拝になる鳥居の手前より撮った写真。17:28。

人里 = バス停に戻って あー、面倒くさかった と大声に呟く。18:45、19時までの温泉には入れないし、きっと表の神社でお守りなど売っている人も帰っただろう。写真は、向かいの雲取山を撮ったもの。名前のとおりに雲がかかっている。

山裾の参道口までの山道、携帯のナビによると 2km 強だという。そこから本社までくる、往路のバスは、16時に私が乗ってきたのが帰るのが今日の最後。本社まで再度あがり、奧宮と反対に抜けるのが参道への正式のルートとわかってはいたが、なんとかなるさと歩き出した。携帯の電源は、外部バッテリ含めて切れている。

夜道

何度か、あきらかに参道と思える、人だけの道でショートカットしたのだけれどな。気がつけば秩父湖から迂回する、14km のバス道に戻っていた。

県道だというのに、街灯もない。今年の地震の影響、節電で灯いていないのではない。本当に元からないのだ。一時間に一度ほど、車が通るときには、轢かれないかと心配になった。

手がかりは、車線分離の白線だけ。人間の目は、暗くなると白黒モードになるというのを実感した。車が通り過ぎると、しばらくまた目が馴れずに、なにも見えなくなる。

まだ暗くなる前、鹿が出てきて驚いて逃げていった。ぶつからなくて良かった。

途中、熊が出るという看板も見かけた。蛇にももちろん注意しないといけない。怪我をしたときの応急措置にと、多数もってきた煙草の葉をパイプにいれ、火種や灰を落とさぬ歩き煙草とする。風流でも、煙草中毒でもない。熊が向こうから避けてくれないかと、自然界にはなさそうなアヤシイ匂いをたてるという方策だ。

何度も奇声が聞こえ、道の横で梢を揺らしながらこちらを伺っていたのは猿だろう。うかつに食事などしたら襲われても不思議はない。猿の声に合わせ、こちらも同様の声をあげて存在を明示しながら、ひたすらに先を急ぐ。

21時頃に二瀬ダムに出て、やっと人里。ここから先も街灯のほとんどない道。22時過ぎに道の駅・大滝温泉 に出て、道の駅も夜は閉まっているのに落胆。バスの待合所が ご自由にお入りください と書いてあるのをみて、中に休み眠ろうかと思ったが、寝袋の先客が三人。ふだん眠る時刻でもないし、うるさくて迷惑だろうと先を急ぐ。

午前零時前に、30分ほど、街灯から近い資材置場が、屋根だけがあるところで地面に体を休める。妙な夢をみた 気がする。夢ではなく空想かもしれない。神社好きのみなが、狼の気配が残っていないかと羨ましそうに言っていたからね。

零時に半月が東に出て、また歩き始める。参道口を経て、秩父鉄道の三峰口駅にたどり着いたのが3時。屋根はあるが吹きさらしのベンチで、しばらく眠る。悪い夢をみたのは、夜明け前があまりに寒かったからだろう。運動しなければ体温が下がる。

秩父鉄道に沿って二駅歩き、やってきた始発に乗ってまっすぐに東京に戻った。

総括

まぁよほどの物好き、数奇者でなければ、行く場所ではないね。

とはいえ新しい社を建てたい、金がないという看板もあったから。文化遺産を守るために、神事に合わせて境内の宿 に予約をとり、観光をするのは楽しいとは思う。たとえば 9月、10月は月読祭。神事・一泊、二食つきで1万2千円と書いてある のを読めば、安いと思うもの。

2011年7月2日

人の心の

承前

珍しく占いについての考えから発展した文章をこちらにあげてみる。ふだん、そちらの話題は隣の 夜の逆説 へあげているが。

前日に、mixi で占いを同じく嗜む相手のみに限定公開したものだ。そのときの題名は走り書き 。単に思ったことをそのまま吐き出しただけで、まったく文章構成を無視した文章なのに。なぜか評判が良かったので、つい図に乗った。

走り書き

たとえばふたりは幸せな結婚をしました。目出たし、目出たしで終わる小説しか読んだことがなくて、恋ってそんな結論しか思い浮かばない人が。

いくらカード引いたって、そんな占断結果しか思い浮かぶわけがないよね。もしくは運命の人じゃありませんでした、あなたには別の運命の相手が見つかりますか、どっちか。

喧嘩をすることで、より一層に絆が深まるかもって発想のない人、体験のない人、みたこともない人に喧嘩はできない。できるのは我慢か絶交だけ

正しいことをしたら誰からも褒められるて固定観念がある人には、正しさの蔭で傷つくひとがいるとはわからない。世界には対立する正義があって戦争が起きてることもわからない。

努力だけが報われると思ってるうちは、動かないほうが良いときは読めない。

だれかに罵倒されるだろうと予想しながら責任と覚悟に裏打ちされた決断をしたことがない人は、間違いと正しいのモノサシでしか自他を計れない

自分が変わったと自覚したことがない人は、他人が変わることも想像できず、他人を理解しようとすれば蜃気楼を追うように迷い続ける。

2011年6月22日

[箴言] 君は肥って笑みの絶えない警官じゃないか、と赤毛の男は怒った

そして友人である警官は答える。

I see everything, he cried, everything that there is. Why does each thing on the earth war against each other thing? Why does each small thing in the world have to fight against the world itself? Why does a fly have to fight the whole universe? Why does a dandelion have to fight the whole universe? For the same reason that I had to be alone in the dreadful Council of the Days.

(略)

It is not true that we have never been broken. We have been broken upon the wheel. It is not true that we have never descended from these thrones. We have descended into hell. We were complaining of unforgettable miseries even at the very moment when this man entered insolently to accuse us of happiness. I repel the slander; we have not been happy. I can answer for every one of the great guards of Law whom he has accused. At least-- The man who was Thursday

子供の頃、11歳の修学旅行に友人の荷物より借り受け、一晩で読みふけった小説。木曜の男 より。ネタバレぎみの部分だが。

どんな苦痛を経てきた人も、他の人間に 俺は越えたのだからお前も越えろ と誇りたしなめる資格はない。

だが同様に、どんな苦痛のうちにある人も、他者を 君は苦しんだことがない という資格もない。


ところで、ひさびさにグーテンベルグを見たら、この小説の読み上げヴァージョン もあがっていてびっくりした。

英語の勉強のための教材とか、昔よりはるかに入手が楽で、かつ上質だ。

2011年6月17日

mixi と足あとあれこれ

背景

古いネットコミュニティは、開発者が自分たちの交遊のために、自分たちが使いよいものを作って「これ、ついでだからネットにつながっている (まだ数の少なかった) 一般の人も使ってみない?」と提示したところから始まった。

もちろん、運営にはそれなりにコストがかかるから広告スポンサくらいは募集した。それはおまけ、だったはず。

株を公開した時点で、身内のための交遊ツールから、営利事業へと確実に舵を切ったわけで。

営利事業である以上、ユーザは身内ではなく顧客で。顧客はわがままが 100% 通ると思っちゃいけない。システムの変更に新しい楽しみを見出せなかったら、サービスを離れるなり、連絡ツールとして割り切って付き合うしかない。

営利事業である以上、運営は悪い評判を避けたほうが戦略的に得であり、それはたとえば足あとスパムを放置しているという批難や、足あとから始まった交際を失敗したことへの八つ当たりな批難を避けるという経営判断にもつながる。

同様に、ユーザの意向を無視して勝手に、一方的に仕様を変更したという噂が立つことも避けないといけない。ユーザのためにあるシステムだとか、今の日本においてインフラ同様の存在だとかいう幻想を壊すことも得策ではない。

最近まで

半年ほど前、ユーザアクティビティ機能の追加と、抗議による取り下げ、という騒動があった。

今回と逆に、友人の動きが赤裸々に伝わってしまう機能であり、私も一ユーザとして反発した。

今回の騒動においてわたしは静観している。「改悪反対」を叫ぶ何人かの友人に向けて「こう動いたら良いのではない ?」、「こういう経緯があったらしいよ」くらいのことは言っているが、機能の変更そのものについて評価を下し動くものでもないと思っている。

事前、ある程度の告知がなされていたことを評価しているからでもある。

数々の重大な変更を、なにひとつ告知せずに行ってきた mixi がまじめに告知していたのだから、それなりの判断があり本気なのだろうとは思う。

信念のある変更に、ハタががたがた言っても耳を貸すことはないだろう。改善はあっても、元に戻ることはないと見ている。

現状

私は、私自身が旧来の足あと機能を重用してきたユーザだから、そこに適応した友人が多い。

それゆえ母集団は偏るだろうが、それでもアクティブな80人ほどのユーザのうちで事前の告知に敏感に反応したのはたかだか二人。

変更後に「しらなかった。なに、これ」もしくは「ここまで悪い影響を受けるとは思わなかった」と不満を言明しているのが五、六人。

この五、六人がそこそこアクティブなユーザであったことを考えると、まだまだ運営サイドに事前の説明が足りなかったと思わざるを得ない。

友人としては「もうちょっと告知を読んでいて欲しかった」と思うが、お客様として全体をとらえたら、この率で情報漏れがあるのは不手際といえる

隠蔽疑惑も起きているようだ

隠蔽が本当がどうか、それは知らない。隠蔽と疑われるような無様な真似はするな、噂に気づいて否定するようなアクションを起こせ、とは思う。

隠蔽説に対抗して、現状の日記キーワード抽出・集計のロジックを公表して、これは隠蔽ではなく事故だと示すくらいのことはやっても良いのではないかな。

数値が隠蔽を疑われるほどに穴だらけのロジック、どのみち使いつづけても意味がないだろう。ロジックを公表して悪用されるって恐れるまえに、ランキングを中止して噂を否定、隠蔽などしていないと公表したうえで、新ロジックに置き換えたほうがはるかにマシだ。

日本におけるインフラ同様の存在という評価を失いたくなければ

目の前の統計の数字が読めないエッセイとか

mixiの友人のチェックで「[読めるモ]ユーザーからの苦情殺到にmixi社長が声明!」を読んだ。

たかだか2%足らずのユーザしか積極的に反対していないという数字を挙げながら、「だから無視するつもりなのか」と続き、「このまま、事態 が改善されなければ、mixi離れが加速し、登 録はしていても実際には使わない幽霊ユー ザーが急増する恐れもあるだろう。」(原文ママ)と結んである。

それは、剰りにひどい、牽強付会にすらなっていない、妄想。

2011年6月15日

不思議だねぇ

たとえば

ある日、夢の中で橋を渡っていた。

橋のなかばのベンチに腰かけていた老人に おぉ、やっときたのか。待っていたよといわれ、待たせたのが恥ずかしくて逃げたくなったところで目が覚めたのだよね。

あの老人、よく思い出せば数学者ガロアの晩年の写真に似ていた。

そう気がついたときに少年のころの夢を思いだし、アマチュアでもよいから数学を勉強しなおそうと思ったんだ。

て、話をきいたとする。

美談だよね。誰がこの話をきいても、感心することはあっても軽蔑はしないだろう。

つぎに

ガロアのところを江戸川乱歩横溝正史 に換え、数学の勉強 の代わりに 探偵小説の執筆 に換えてみる。

多少首をひねるが、作家としてプロデビューするために、わざわざ仕事やめてしまいでもしない限り、誰も止めないだろう。

まかり間違って一冊でも本になれば ええ話やなぁだ。

さらに

ガロア じゃなく サルトル の名前が挙がり、哲学を勉強しなおして自分を見直す のを目標にしても、まぁ頑張れよ、といえる。

ジグムント・フロイト そっくりの老人を夢にみたから 心理学を勉強しなおして自分を見直す でも反応はだいたい同じと思える。

ところが

ガロア の代わりに入る名前が ユング になったとたんに、同じ 心理学を勉強しなおして自分を見直す という内容でも、眉に唾をつけたくなるだろう。

江戸川乱歩と横溝正史だと大差ない、江戸川乱歩のほうが夢に親しんでいただけ 良い話 と思えるのに。フロイトより夢に親しんでいたユングの名前が挙がると、その違いがわかるひとならばきっと大丈夫かと心配する。

大げさじゃないと思うよ。

本当に上記の内容の夢を去年みた、私が自分で言うのだから間違いない

まかり間違って

夢の中で会った相手がアウグスティヌスやモハメットに似ていて、宗教の勉強を志していた日には、よほどの親友か、よほど付き合いの良い友人でなかったらきっと逃げるだろう。

……きっと私は逃げないから付き合いが良い、らしい。

哲学者でもニーチェやマルクスに似ていた日には、やっぱり相当数の人が逃げるよね、きっと。

不思議だねぇ……

そういえば

ユングとサルトル、さらに文学者からヘルマン・ヘッセの顔は、日本人の私にはあまり区別がつかない、よね。

なんでよりによって、ユングの名前で頑張ろうと思ってしまったのだか。

2011年6月13日

喧嘩を売られているらしい

土曜日に喧嘩を売られていたらしい。三日遅れで気づいて目の前が一瞬かすむくらいに頭に血が登った。

大人気のない返しならいくらでも可能だ。今までだって可能だった。

正論で勝ちつづけて知り合いと険悪になることに疲れて、人前で批難されるたびに身を引いていたこの三年あまりが間違っていたということかね。

ロクでもない中傷に真っ向から対すれば、下品な噂を流した相手の人格を批難することにつながる。アホらしくて好きにさせていた。それが複合してえらいことになっているようだ。

まぁ、知らないよりは知っていたほうが良い。世の中にしょうもなく無邪気な悪意があるということを。本当に引けないときのために、対抗の手段を考えておくことも悪くはない。


品性が下劣な存在は、品性が下劣な想像しかしない。

自分の心の闇を自覚しないものは、他者が自分の下劣な想像を自分に対し実行するのではないかと怯え、それを口にする。

それだけのことだ。実害がなければ、単にそれだけのこと。

2011年6月6日

[箴言] マルテの手記より

雨宿りをした新宿で終電を逃し、帰りの始発の出る時間をもてあましながら、ネットカフェにあるあまたの娯楽本を読む気もなく過ごす。

中学生のころに出会い、何度も読んだはずの「マルテの手記」より

僕は二十八歳だ。

(中略)

僕は詩も幾つか書いた。だが年少にして詩を書くほど、およそ無意味なことはない。詩はいつまでも根気よく待たねばならぬのだ。

人は一生かかって、しかもできれば七十年か八十年かかって、まず蜂のように蜜と意味を集めねばならぬ。

そうしてやっと最後に、おそらくわずか十行の立派な詩が書けるだろう。

(略)

詩はほんとうは経験なのだ。

(略)

思い出だけならなんの足しにもなりはせぬ。

追憶が僕らの血となり、表情となり、名まえのわからぬものとなり、もはや僕ら自身と区別することができなくなって、初めてふとした偶然に、一編の詩の最初の言葉は、それら思い出の中からぽっかり生まれてくるのだ。

(大山定一・1953年訳) 第一章より

なんで、本当に大事なことばは、わかるようになって初めて読み返して気づくのでしょうね。

2011年5月20日

洋書と電子出版

さきほど twitter の呟き経由でこの記事を知った
アマゾン Kindle電子本の販売数、紙本の全種合計を上回る

紙の本100冊に対し、電子書籍105冊の割合、か。

たしかに私も、洋書探すときにはまずは電子データから探すし、kindle アプリももちろん使うな、と感じる。

きのう届いたと書いたペイパーバックも、まだ電子データで手に入るものではなかったから紙で仕入れたのだよな。

アルファベットだけのコンテンツは、紙だと情報あたりの持ち歩きが嵩張る、というのが一番の理由と思う。

わたしが英語、仏語にきちんと馴染めるようになったのは、仕事で技術文書をモニタで読むようになってからだから、より馴染みがあるせいかとも思う。

紙の書籍の見開き二ページの量は、外国語だと圧倒されるせいかもしれない。(「困難は分割せよ」)

日本語の本は、Androidの画面よりもまえの携帯の狭い画面の方が似合った。

AndroidもKindleも、欧州語を表示するために工夫されたデバイス。いくらガラパゴスと揶揄されようが、従来の携帯は日本語を表示するという用途に洗練されたデバイスだったということかもしれない。

2011年5月19日

12日かけて、イギリスから古本が届いた

日本アマゾン経由で、http://www.fantasticliterature.com/ にお願いした SF が5冊届いた

中身の話はまたのちほど

今回はすべて在庫があって、日本時間でも5日のうちに royal mail 、推定するにイギリスの郵便で発送されたのだが、届いたのが今日の午前の郵便。

長かったなぁ。とてもやきもきした。でも航空便。




2011年4月14日

無題詩 2011-04-14

「博奕は自分の身の丈でやれ」
と年長者は言う

「身の丈で満足できるなら博奕はしねぇよ」
と若者は口を尖らかす

「君の身の丈は、自分が思うより大きい。
受け継ぐものがあるのだから。
財を子孫に遺すのに博奕は必要ないよ」
と年長者の親世代が言う

「博奕をしたつもりはなかったのに」
と未生以前のものは嘆く

「私が先祖から受け継いだものに、
既にして博奕が含まれていて
隠れていた危険が
ときに牙を剥くなんて、
誰も教えてくれなかった」

2011年4月5日

魂にマニュアルは要らない

もちろん、河合・谷川対談「魂にメスはいらない」」をもじった日記題名です 。

三日ほどネットにアクセスできず、時間の制約もあって、ふつうの新聞の記事や、TV のニュースが頼りでした。

中で違和感をおぼえたのは、昨4日 19 時の NHK ニュースと、今朝の朝日新聞にも (きっとほかでも多数に) 取り上げられている、子供の心の疵の話。

『子供が夜おびえるようになった』などの声が家族から寄せられています

それぞれの家族に訊けば、当然にそう答えるでしょう。 だが、それって自然なことではないの ?

震災の心の疵を癒す?   人の生きるうえで「癒すよりほかに手段のない出来事」と「乗り越えるべき、乗り越えられる出来事」があって当然。そして「家族 (保護者) の許にいま居ることができている子供たち」にとっては後者に過ぎません。……と、私は思う

阪神淡路大震災のとき、 PTSD が深刻な問題になったのは、むしろ独り立ちしたあとの成人(や、老人も)。

受容れるに大きな出来事を、夜の夢にフラッシュバックすることで消化していくのは、誰でもごく当然。まだ、それを疵痕というには早すぎる。

そして NHK のニュースも朝日の記事も「親はこれこれしてあげましょう (してあげるべきです) 、あれはしてはいけません」

魂にマニュアルはないんだよ

子供が生まれてからずっと一緒にいた親の観察と気持ちのまま。それが一番。

自分の気持ちをマニュアルに縛ったほうが失敗するというのは、戦後すぐのスポック博士の育児ブームなどで山ほど前例があるのに。

2011年3月29日

正直は必ずしも常に美徳ではなくて

正直は必ずしも常に美徳ではなくて
むしろ「正直に話すからすべて許してくれ」という言い訳、取り引き、恩赦への見返りに使われることが多い。

厳格に真摯であることを自らに強いることができないならば、
安易に正直であるのも良いだろう。
自分の罪と功績の判断を他者に委ねるのも良いだろう。

本当に「赦す」相手は、
君が嘘をついていようと、何かを隠していようと
その可能性まで呑み込んですべてを赦すから
正直であることなんか求めない。

ただ、真摯であれ。
君が自分に恥じなければ
心あるものは君を恥じない

2011年3月23日

風呂上りの夢想 (東京電力)

私の住んでいる世田谷区が、本当に輪番停電の地域から外れていたことを知った。

夏の電力需要の時にはまた組み込まれるだろうし、その時には実際に停電も起こるだろうが。


こんな運用が続いたら、関東の地価はどうなるのだろう。

周辺が停電だらけで、使えない土地。中央あたりだけがいつも電気が通じたところで、通う人が住む場所がなければ、産業はさびれるだろう。


相模平野 (江戸~東京) の唯一のウリは、だだっ広い平野だということだけなんだよ。

そのほとんどが住むに値しない土地ならば、中央は寂れるさ。


などと考えたのが朝。先ほど、こんな夢想をした。

東京電力がまじめに電気を配る気のない地域の自治体が主導する、第二関東電力の乱立だ。

町田電力、調布電力、栃木電力、千葉電力…… etc.


そうなれば、いまの体制より遥かにマシな日本になる気がする。

西日本に頭を下げて送電を増やしてもらう手続きもできない、独占企業であった過去を活かせない東京電力は、市場の原理に淘汰されて消えたほうが世間のため。


そんな気がした。

参考

映像資料: 地震発生から1週間_福島原発事故の現状と今後(大前研一ライブ579)

2011年3月20日

原発ネタスクラップ

立場ある発言

政治家や官僚など責任ある人は「東電はよく頑張っている」とポジショントークで言わなければならないけど、それを本気で信じたらまた同じ悲劇が起きる!と言い続けるのが、私のそれこそポジションです。

倉山満の砦 3月16日宮内庁のお役所仕事より

倉山なんて人はしらなかったが、この一言をきっちり言えただけで私は七割がた耳を傾ける気になった

現場=英雄。

幹部=人でなし。

全体=やって当たり前のことを必死にやっているとこ。
もし結果的に失敗したら責任のとりようが無い。というか普段大見得切っていた以上、まったく免罪できない。

(中略)

「民主党(政権)だから」「自民党だから」「東電だから」って、何で組織ごと擁護したが る人が多いのかなあ。

上掲記事より

広瀬隆

昨晩、Google News からたどって週刊ダイヤモンドのページにいきついた。

マグニチュードが当初8.4→次に8.8→最後に9.0に修正されてきたことが、疑わしい。原発事故が進んだために、「史上最大の地震」にしなければならない人間たちが数値を引き上げたのだと思う。

破局は避けられるか

はじめのほうにある上掲文章を読んだつぎには、わたしはページを閉じていた。

8.4 はどうかしらないが、M8.8 のときからすでに 日本の観測史上、おそらく文献にある歴史からも最大の地震 であり、あちこちで 想定外の津波 という言説をみていた。

自分のいうことが正しく、それに反するものはすべて陰謀という言葉は、少なくともジャーナリストの肩書きで語ってほしくないものだ、と。

東京に原発を は少年のころ、本気で読んでいただけに残念なことであった。

一夜明けて、上記の文章を最後まで読んだ。あほかと思った。こうなることを私は心配していた。 と結んであるだけ。本当に危機を感じていたならば、最悪の事態が起きたときになにをすべきかという案を用意しているべきものだ。二十数年なにをやってきたのかと。

などと思っていたら、知人の日記コメントで、広瀬氏がテレビで発言した YouTube 映像が紹介されていた。笑い飛ばせれば良いですが、本当だったと思ったときには遅いのです ということばとともに。

しばらくして、ほんとうにたまたま、togetter でこの放映に対するツッコミと思われる tweet 集 を見る。

ほんとうに二十数年、反対するだけで思考停止して、なにひとつ勉強もせず備えてもいなかったのね。

そのほか

私は安全と言うべく立ち上がった人々のリアルタイムな twitter 上の言説を、そう割り切ってよむことにしているしソースも書けるが、それは省略。

書くならば不安な側から警鐘を鳴らす人と両方書くべきだし、そっちを好んで読みたくもないので。ツッコミ疲れる。

2011年3月16日

被災とユーモア、結論の出ぬままにつれづれ

結論が簡単には出ない話だが、賛否両論がそれぞれにまとまっていて良いね

http://agora-web.jp/lite/archives/1279887/comments/

東京にいる人が頑張らざるをえないのは、被災していない子供たちへの娯楽も提供する使命をもつ人々がいるからだと思う。

今日も漫画雑誌は出るだろう(水曜日)
半ば打撃を受けた生活の中で編集し、印刷し、運送した人々によって

しょうじき、月曜日の各誌がコンビニに並んでいてほっと日常というものがあったことを思い出した
阪神淡路のときもそうだったな

私は日頃のテレビのバラエティは嫌いだが、自分の好みに統制されたら人が複数いる意味がなくなることは知っている