ズボンのポケットに入れたまま、夜勤から帰って服のまま眠って起きて、ぼけっと寝ぼけたまま着替えていたらズボン踏んだし、そのときにやってしまったらしい
あしたあたり、また加賀屋で修繕頼むか。急がないとふたつの部品が泣き別れて修繕を頼みにくくなる。
……と、そう考えたらたばこの購入は離島に田舎暮らししても届けてもらえるが、修繕を気軽に頼める距離に店のあるところにしか住めないねぇ。
-ライ麦畑で押し出して-
ズボンのポケットに入れたまま、夜勤から帰って服のまま眠って起きて、ぼけっと寝ぼけたまま着替えていたらズボン踏んだし、そのときにやってしまったらしい
あしたあたり、また加賀屋で修繕頼むか。急がないとふたつの部品が泣き別れて修繕を頼みにくくなる。
……と、そう考えたらたばこの購入は離島に田舎暮らししても届けてもらえるが、修繕を気軽に頼める距離に店のあるところにしか住めないねぇ。
用事ができて、一泊二日で関西にきている。
父の遺骨に供えた発泡酒新作のお下がりを飲んだら疲れが出て夜中まで眠り、奥津城の整理をしていたらたちまち夜が明けた。
食卓や机の上にものを置くような母親のやりかたを踏襲していたら片付くわけがないし、そんな習慣をもつ家族がいくら片付けろといっても子供が片付け上手になるわけがない
(机の上と抽斗の使い方がずれているのだよ)
四十路も半ばを超えてやっと、そんなことに気づいたりする。
窓の外では、鳩がベランダの縄張り争いをしている。
元妻の播州コンプレックスにつきあって、ずるずると長年きそびれた結果、すっかりと自分たちの土地だと思っているな。
ここは亡父の土地だというのに。
二ヶ月前にも一度行い、手順をおぼえたベランダの清掃にとりかかろう。
二十代できちんとこなすことのできなかった客商売
を、し残したこととして勤めてみてやっと片付け・掃除といったメンテナンが身に付きかけている。
4月22日、電話機が壊れた。
USBコードからの充電ができなくなって一度代替機を借りて連絡を取り、自宅のスタンドで充電したところで携帯内のメモを SD カードにバックアップして、そのまま修理に出した。
失敗であった。ある携帯からSDカードに書き込んだファイルは、別の携帯でも、パソコンにつないでも読み込めないと判明。
いろいろの記録や雑感のメモがなくなり、けっこう落ち込んでいた。
気分を新たに、今日からまた雑感を書き記していこうと思う。
……というメモを今朝一番にパソコンでローカルに書いた。公開できるものはこのように公開で、非公開を必要とするものはGoogle Drive などに非公開で、まめにネットワーク上にバックアップしておきたいものだ。
新しいPC を買った。最初のPC を仕入れたのが23歳の二十数年前で、それから七代目になるが。はじめて型落ちでない新品を買った。道具として必要だから OS もWindows 、うっかり Windows8 。
届いてほぼ一週間経った昨晩、ネットワークの通った友人の家で WindowsUpdate をかけ、もろもろ必要と思えるソフトを軽くインストールした
いまの悩みは、Windows8 で遊びのソフト(LINE , Skype ) を入れるにはマイクロソフトのアカウントが必要なこと。
ドメインは別の友人が取り戻してくれたが、まだ設定をしていない yaemon@kikansha.jp で登録した旧いアカウントが凍結されている。メールが届かないので復旧できないのを放置して、新しくアカウントを作るか、待つかだ。
昨11月あたりから、小説家になろう
に掲載されたアマチュアの投稿を読むのが新たな趣味になっている。はじめのうちは無名の読者としてログインせずに訪れていて、ある日ログインアカウントを作ろうとして気づいたら、大学生の二十数年前に小説家になるつもりで作ったペンネームがすでにメールアドレスに紐付いていた(いつ登録していたのだろう)
しらない人が書いてる、作品以前のエッセイや詩を読むのが好きだ。が、そういう作風のかたはお気に入りにしても非公開に(なるべく、きづいたら、うっかりしていてお気に入り返しされたらあきらめてるけど)している。ひとに話すのは、すでに作品といえる、サイト内での人気も出ているものばかり。すると和風ファンタジーの{異世界・ゲーム}ものが多くなる。
もうすぐ書籍になるという告知をみたときに娘に教えたら面白がってくれたのがこの世界がゲームだと俺だけが知っている
この著者の作品も完結した先行の 天啓的異世界転生譚
を先日また読み返した。どちらも伏線の多い知的遊戯として素敵な作品だ。
週末に頭から読み返したし、また記憶の薄れた頃に読み返したくなりそうなのが 盾の勇者の成り上がり
。著者はプロトタイプだと謙遜しておられるが(じっさい、完結するまで構成について評価することはできないし、完結してから構成を見直したいのならば著者にとってはプロトタイプなのだろうが)はじめの事件からの顛末23ページ分だけで、すでに文学だと云いたい。
今回読み返していて、うっかり思ったもの。わかる、そういうときは本当に味覚がなくなるんだよな
わたしは今まで類似のショックで、食欲をなくしたことも、視覚がおかしくなったこともあるが、味覚はおかしくなったことはない、はずだ。 初読のとき、あまりに主人公に思い入れしすぎて、味覚がなくなったことがあるような気になってしまったらしい。
記憶すら改竄する描写を文学と呼ばずして、なにが文学だろう。
余談だが、主人公が立ち直る経緯は麻雀漫画屈指の(おっと、そのさきはネタバレにつき省略)リスキーエッジ
を思い出させる
1月12日金曜日に、この文を書いてる。
やー、今回だけは生きる気力の欠如だけで飢え死にしてもおかしくはなかった。食費くらいはあったし、未来への展望もあり。(試せてもいないがたぶん)外に出て食べる体力はきっとあったのだが、月曜から三日間ひたすら起きてはまた寝ていた。
内面の理由はこれから検討。多少の見当はついてる。
だが、連絡が取れなくて迷惑をかけた相手も複数あり、もし目に止まると言い訳と見なされるだろうから。結論が出ても公開すべきではないだろう。
心配をかけた方のひとりが、しつこくノックをして下さり昨日外に出られた。お粥を食べてから挨拶回りをして、また食事を二回摂った。甘味も食べた。
今日まで五日分のメールが端末に落ちてくるまでの合間に備忘として記載して公開しておく
坊主頭にしていなかったら、今朝はひどい寝癖。
午前一時半に帰宅し、しばし休んでから眠り六時過ぎに起きた。七時半のいま、往路の電車の中だ。
仕事のしかたが思い出せない。もとから知らなかったのかな。
『帰宅までにxx、yy、zzの順で作業します(yyまでは少なくとも終わるでしょう)』と朝に打ち合わせをしたあと、xxの段階でトラブルがあった。
夜8時過ぎ、『今日のうちに終わりそうにないではありませんか。アラートは早めに上げてくださいよ』と注意される。筋が通っているし、その立場にいたこともあるから言いたいことは良く分かる。
だが、トラブル発生の午前11時から、どの段階でアラート上げるべきと決断すべきだったか、その反省に未だ結論が出なくて課題となっている。
(技術的な、個々のトラブルを『こう進めたら良かったのか』というあと知恵ならば浮かぶし、そんな反省しかしたことがなかったのかもしれない)
ドラムバッファフロー、TOCのプロジェクト管理手法。
きっとxx、yy、zzの仕事に理想的な必要時間を見積もった残りを意識して、トラブル発生からどれだけバッファを食い潰したかで判断すべきだったのかな。
相談すると、相談そのものに一時間からのバッファの食い潰しが発生する、それを感じて避けてしまったのがひとつ。
人は四時間ならば集中できると、今までの自分の倍以上の根性を発見して自惚れるあまり、八時間・十時間・二十四時間は自分の休憩や周囲の状況を考慮に入れないといけないことを忘れていたのがもうひとつ。
そんな気づきが次回につながるか、活かす機会は自分の人生にこの先訪れるのかと、文を書きながら思考を進め、気分が滅入ったところで、職場もよりの駅に着く。
むかしは、たぶん『ぼくはこれだけ頑張ってるのだから許してください』と卑屈に必死さをアピールしているうちに周りが気遣ってくれ、あるいは自分がその卑屈さに嫌気がさして、なんらかの形で仕事が終わっていた。
お膳立てしてもらった作業をこなす仕事もあるけど、僕らの仕事は先輩や同僚のお膳立てをしたり、カバーしたり、ヤヤコシイ・面倒臭いことを代理の手+頭となって行うことでお金をもらっているんだよ。
二十年前の私と同じ年頃で、同じようにこの業界に入ってきた若い子に言いたくて仕方がない。
煩いだろうから機会をうかがってる。
お膳立てをしてもらった仕事だけで当時は付加価値があって、ついウカウカと馬齢を重ねてきた私に言う資格はないような気がして気が引ける。
きっとあの頃の私に言いたいのだろうな
そして、あの頃の私はわからないだろうな
ほんの六時間ばかり前、実生活の調子を崩していたはなし、その五日目に妙な夢をみてからことさら酷い日が二日続いたって話を書いた。
(逆じゃない。夢が原因で気病みになったわけではない。なんとも変調のさなか、ピーク寸前の症状として夢をみたが、夢にみたからといって簡単に消化できるわけもなく。対処すべき問題はやはり面倒だったという話と思ってる)
日記の記事にあげてから一夜明け、この一週の不調を振り返り気づいた。
余生の自覚が足りなかったな、と
一月の新月の夜、京都であれこれ考えて出した結論は、余生の自覚だ。
そのタイミングでやってきた仕事に応募し、いま勤務っぽいことをしてるのも。功名心を捨て、余生の自覚でお手伝いさせてもらおうと思えたからのはず。
最近、少し浮かれて、間違った気合い入れたのが敗因やな。
仕事の成果の可否以前に、自分の心に勤怠経由でストップかけられちまったよ
「それでは、二、三十代と同じだろ」と
金曜日。わがままで傲慢といわれる自分に戻っていた。五年ぶりくらい。
他人を大切にしようとしていた五年は、他人をも傷つけてばかりだったから。ちょっとこの状態を維持したまま再評価してみよう。
怒りをすべて燃やしきったということかな。
三月のうち一日くらいは遊びたい、ふだんは大阪にいてる焼き物 でもみに行けたらな、と思う。
耐乏のために、お台場から新宿まで二月の雨の日に歩いていてはじめてガレリアというビルとともにみつけた。なぜ私は独りで歩いているときに、こうも知りもしないデートスポットに行き当たるのだろうと想った建物だ。そこのサントリー美術館に壷がきている。関西に住まっていた頃はよくみにいっていた壷なので、ポスターが懐かしかった。
3月のうちにいけるほどの余裕はないから、また関西の折にと想っていたが。なんとかなりそうだ。
ちかごろ、読書メータ に読書記録をつけ、ついでに呟き
と称するユーザの交流の場所にも、すきなことを書いている。
今日は読書メータ用の twitter account に反映された これ読んだよ
記録が、newspaper の単語検索サービスから妙なひとに拡散されてしまい、暇でもないのに調べてしまった。
妙な人と書いた twitter user のブログがこれ。どうやらカルト教団側から、日常一般の社会に迫害されていると訴えることを使命にしておられるようだ。スピリチュアルと称する文化についての書籍に言及して、単語で拾われるなどはなんとも業腹なはなし。
反カルト教とでもいうべき偏狭な(私の認識では、偏狭とカルトは同義語だ) 集団もあるし、実際に起きた事件をもとに、たがいに不備をつつき批難を応酬すればばきりはない。
洗脳ほどきを頼んだら、施術者の愛人にされたなどという記事が今日の時点のブログの最新記事だったが、洗脳ほどきの患者と施術者が恋に落ちるなんてよくあること。(信頼がないと、洗脳ほどきなんてできない)。恋人の親にきちんと話を通さないのは脇が甘いが、誰の視点が正しくて誰が批難に値するかなんて、誰に判断のつこうはずもない。
まんま君の所属する「ほぼ日」のゲストにさせてみたい、稀有な人材ではあるが…… マイナー擁護派として「間違ってもこうなっちゃいけない」て他山の石でもある
年末に注文していた、タロットの本が届いた。
執着としてではなく、暴力の一種として、ストークとか偽被ストーク症候群だとかをとらえられないか。 ……文章に表現すると紛らわしいな。本人の愛情が相手に迷惑だというはなしではなく。
DV の被害者だった結果「愛情は相手に暴力を与えることでしか示せない」タイプのひとが、暴力の一つとして、ストークなり、ストークされたと言い立て社会的制裁を求めるなりといった心が働いていないかと思って英語 Web 文献をうろちょろしているときにみつけたのだよな。
愛情のはなし、霊障と民間療法と新興宗教崩れのはなし、売春とうらないの関係、いろいろ資料ためて、考えてあって、書きたいことはあるけれど。
想定していた読者がいなくなって、書く気合が薄れているのが正直なところ。
読者がいる前から書いていたのにね。
火曜日に精神が元気になったが、枷が外れても弱った体力は戻ってこない。体がついてこないってことを実感している。
今日は、飼っている猫が望むので闘猫に出したら、なぶり殺し寸前の目にあって帰ってきた夢をみた。
対戦相手の猫に教えられたダンボール箱の中から救いだし。まだ息があった。こんなに黒くて小さい猫だったかと思いながら心臓のあたりをマッサージしつつ、もう片手で獣医を探ししているシーンで目が覚めた。
妙な夢だ。
週末の話を書く。
金曜日の夜から、麻雀で天和の起きる確率をコンピュータに計算させはじめたら寝食と排泄を忘れた。
夕方には気持ちが悪くなった。昔は仕事でもよくあったことだし、昔なら注意して集中しないようにするようにしていたのだが、久しぶりで警戒を忘れていた。
気絶するように眠ったのは、夜も更けてから。二連続の気絶するような入眠だった。
起きたら7時。
先月末29日に、陽灼けの皮を剥くように全身の皮を自分で剥く夢をみた。たしか mixi の voice にはこう書いた。
ひと皮を剥ぐ (「もっけ」)とかひと肌脱ぐ(「戯言/ネコソギラジカル」) て感じの夢をみたが、人皮を脱ぎ捨ててもやっぱり人だろう
連想して蛇にちなんだ伝承をひょっこり調べた。
宇賀神という神様の言い伝えが一部にあるそうな。
古事記にある食べ物関係の神様が似た名前なので上書きされ、さらに蛇と水の神様ということで弁天と混同されて説話も石像もほとんど残っていないが。銭洗い弁天の名で有名な鎌倉の神社にみることができるという。
白露巳の日にお祭りがあるらしい。
白露というのは二十四季のひとつで秋。調べると今年は9月8日からの15日。
暦を計算することができるページも探しだし、そのあとの巳の日は10日日曜日と判明。
せっかくだから、見にいくならばその日だと決めていた。
とくに夢と神様を結びつけはしない。だが、夢をみるような古い心の動きは、昔からいろいろの人が体験してなにかを残しているものだとは思っている。
だが、神社のサイトにも鎌倉の観光案内にも、きちんと9月10日と書いてあるものはなく賭けになるという思いもあった。
それゆえスケジュールにメモはしていたが、あくまで備忘。確定させてもいなかったが、行こうという気になった。
どうしようかと迷っていたのを、朝起きて行く気になっていたなんて体験は、去年の3月以来だ。
小田急で経堂から藤沢に向かい、窓の外を見ながら考えた。
今年になってから、信仰に近い思い入れを込めて神社巡りを好む友人が幾人かできた。だが私は信仰深いとも思っていない。神社が好きというほどのものもない。この確たる目的も探し物もなく「行ってみよう」という気持ちはなんなのだろう。
結論は出ない。楽しいから行くとか、これを勉強したいから行くというわかりやすい動機がなくても行動して良いのだろう。動機を自分で納得できなくとも動いて良いのだろうし、めったにないことだから素直になることにしよう。
藤沢から JR に乗り換え、大船で乗り換えて鎌倉へ。
駅のホームから大きな石像がみえると、存在を忘れていたらまぁぎょっとする。
乱歩の怪人二十面相、ほかにもひとつ、ふたつ。大船観音の中をくりぬいて悪党がアジトにするという設定の小説があったな。
街を見下ろしている感じの大きな石像、悪党のアジトにして最後は壊れるという空想くらいしか使いみちもないだろう、当然という気がした。それくらいぎょっとする。
と、ここまで書いたところで一度中断。先週の木曜日からいきなり忙しくなった。(14日9時5分)
以下、11月6日未明に補足
鎌倉の駅を降りたところで驟雨。ある本には 水神のところに行くのに雨が降るのは、神様と会えるということと昔から言われる
とあったな。
もっとも私は、寺社仏閣に訪れたくなるようなときは、低気圧で心がそっちに向くのだろうと理解しているので、これはまぁ余談。コンビニで傘を買い求めて歩き出す。
民家の中をとおり、丘を上がりかけた途中に洞穴があり、その向こうが宇賀神・銭洗弁天。境内を歩き回るうちに、あと30分でお祭りと奉納神楽があるというアナウンスが流れた。
境内に舞台があり、その前に長椅子が何列か置いてある。だが、私はわきの茶店にこしを落ち着けた。
……なんだろうね。
奉納神楽そのものを観るより、わきで人のざわめく気配を肌で感じる方が好きだと気づく。友人や恋人も、そんなひねった嗜好の持ち主ばかり選ぶくせに、自分が企画して人を連れていくと、つい神楽そのものを観せたいと椅子に座ってしまう。それでは、ロクなことにならないよな。
しばらくして席を立ち、茶店で手に入れた観光地図を頼りに、南鎌倉の駅に向けてハイキング道を登った。俯瞰して人の流れをみるのも素晴らしい。
帰りの電車から、雲がジェットコースタの軌道のように、360°の円環を描き、出発点よりずれたところで下の大きな雲に合流しているのをみた。
ちかごろ雲の流れをみるのがおもしろい。電車の中での読書が、もったいなくて進まない。
それは私の視覚が。いや、視覚の処理をして得る情報が、鮮明に三次元になってきたせいだ。
はじめは何事が起きたのかと思った。正直疲れる。だが、疲れ以上に美しさを感じるので、やめられない。
このところ、夕刻と夜明け後の二回に4時間ずつの睡眠というおかしなペースになっていた。とりあえず、日・月と6時間以上の睡眠をまとめて摂ることができた。ただし陽が昇ってから。
火曜日。整えた役所の書類を出すべく、正午に目覚ましをかけて朝また眠る。11時に起きた。睡眠4時間。きちんと動くことができた。温熱効果で肩こりがほぼ治るほどの陽射しであった。
夕暮れのまえ、キャロットタワーの近くで用事がすみ、展望台に。西にみえるのは遠くの大きな平野かと思えば、すぐ近く、砧公園の緑であることに感嘆。いくら近くでも広い。近くにしては鬱蒼(うっそう)としてみえる。
西に夕暮れ、東は青空に白い月
19時前後は大崎の駅あたりで月見をしていた。前日の黄色、火曜日の白銀。きれいで安心を誘う月が続いている。世田谷では例年よりも星が夜空に多くみえる。節電要請で工場の稼働が悪いせいだろうか。
大崎では友人とおいしい店を一軒みつけた。ハレノヒ (畑)
という。野菜の蒸し煮がウリの、廉価な店だ。
ぶらりと赤坂見附。かつてオフィスの近くで常用していたバール デルソーレ の、イタリアなコーヒーが恋しくなったせいだ。メンタロー ( menthe a l'eau. / ミント水 ) が飲めなかったのは残念だったが、満喫できた。赤坂から小田急線を経て帰宅。
睡眠が短かったので、きちんと夜のうちに眠れた。が、三時間も経たぬうちに悪夢で目覚める。
悪夢だが悪くなかった。怖いが、わかりやすく昼間の生活で何に注意すべきかが示唆されたということだ。とはいえ 陽気な音楽 を聴き、外があかるくなったので公園に煙草をふかしに出る。
猫、カラス、雀。そして誰ぞの鳥かごから逃げたものが増えたと思える、オウムのような緑の小鳥が三羽戯れるのと、東の空が明るくなるのをみてぼんやりと時間を過ごす。
近所のスーパーで、ミントのハーブティがあったのを仕入れて7時前に帰宅。今日は、このまま一日を有意義に過ごせそう。気分の良い朝だ。
本日 13:07 分、次のような電話がかかってきた。着信履歴は 03-4500-1077
。
セールスの悪戯電話が多いので名前は名乗らない。呼びかけに はい
と応えると 中川さんのお宅でよろしいでしょうか
と向こうから呼びかけられた。肯定すると 私、
と含み笑いをして電話が切れる。SDI マネージメント
の吉田と申しますが。クッ、クックックック
どこかで職場がいっしょだったことのある知人だろうか。これだけ親しみを覚えてくれているならば応えないわけにはいかないだろう、とコールバック。
別の人間が出て 吉田の知り合いということでしょうか
という遣り取りのあとで取り次いでくれた。
(私)さきほどお電話をいただいて、含み笑いだけを残して切られた中川と申しますが。すみません。思い出せないのですが。私の知り合いでしょうか。
(ヨ)そちらの電話の…… (取り繕うように言い直し) 中山さんにかけたつもりでした。
(私)さきほど、私が名乗らないのに中川さんのお宅ですかと仰いましたよね。失礼ですが、吉田なにさんですか ?
(ヨ)よしだひでひこです。
(私)この電話番号、どちらからお知りになりました ?
(私)いや、それは個人情報なので
(私)あのね。個人情報というのは、本人に属する情報なんですよ。私が、私の情報をどこから漏らしたのか訊くことのどこが個人情報の守秘に反するというんだ。このアホ。
(ヨ)アホって、失言を申されてもこちら困っちゃいますね。
(中略)
(私)わかりました。さきほどのお電話の、含み笑いで切れたのと、私のアホ発言との非礼どうしでチャラにしません ? で。改めてどこからこの電話番号、私の個人情報をお知りになりました ?
(ヨ)寿司とぉ、スパゲティとぉ。どちらが好きよ。
(私)はぁ。アンケートですか。
(ヨ)寿司とぉ、スパゲティとぉ。ピザと、どれが欲しい。どれも要らなければ電話を切りな。
(中)いえ、どれも要りませんね。
(電話切れる)
斬新なアンケートかと思えば、斬新な宅配食品の注文代行サービスだそうだ。いや。お前の住所まで知っているのだから、おとなしく引き下がれアホ
という意味なのだろう。
ちなみに、SDI マネージメントを検索すると結果はない。SDI コンサルティング
さんの代表電話に訊いてみたが。この 03-4500-1700
という番号は受付嬢の知らないものだし、よしだという社員もいないと言われる。
昨日は、0時から6時まで眠ったあとに、14時から19時でもう一度眠ってしまった。起きたときに喉が少し痛かったのは、昼寝で風邪をひいたのか。それとも月曜の歯の治療跡から出てきた蓄膿のような鼻水への反応か。
明け方に眠り、起床して13時。十年ほど前の同僚と15時に横浜で待ち合わせをしていたので多少、あせる。遅れても良いかと連絡をしたあと、間に合いそうな気配がしていた。が、強風のため、東急東横線よりも速いはずの JR が遅延して、やはり遅刻。
ダイエット中の元同僚と、適当に入ったのは西国の薄い出汁汁でうどんを食べさせる店嘉禾屋。九州からと思える魚のすり身の天ぷらが美味しかった。酒をのみ、つまみでまったりしながらしばらく近況を語り合う。
鯨統一と霧舎巧、ふたりの日本の現在の推理小説の名手が舞台にしている みなとみらい
を見たくて、この街の同僚にねだり、酔い醒ましを兼ねて歩く。バブルが弾けてよかった。工事中の平地もなければ、この街は高いビルに挟まれて圧迫感のありすぎる、歩きにくい街であっただろう。
みなとみらい。なんだ、ここか。五年ほどまえ、ポケモンセンタを求めて娘ときたな。けっきょく、チェーンの廉価なコーヒーショップでさらに小一時間だべった。話題は、コの業界、ことに Web 関連に多い鬱病の話。
鬱は病気ではなく症状の総称だ、というのが去年までの私の意見であった。問われて、改めて今の自分の考えを言葉にすると。鬱は、反抗期と同じ。それまでの自分の生き方・考え方・責任の範囲ではカヴァーしきれない想いを受け止めて、考えを変えて乗りきらないといけないという心身からの訴え。もしも薬で気力をカヴァーしているうちに考えを改めることができなければ、けっきょくは前の考えを延命しているだけなので、外部の状況が変わらなければカタストロフに陥る。
あとは、そうだな。ベンチャー企業や新業種というのは賭けであることを忘れてはいけないという話も、流れの中で出た。博打である以上は、見返りがあるかないかは分からない。結果は時間が経たないと出ない。それを、出資者にバラ色の夢を描き、すぐに収益が上がるようなことをいうものだから、働き手は業種のヴィジョンの中に含まれなかった即座の実益を求められ、板ばさみになるのではないか、といった。
開通後はじめて市営地下鉄に乗り、元同僚は横浜郊外で下車。私は終点から東急田園都市線に乗り換え三軒茶屋で降りる。
夜、21時。前に娘と訪れたcup bearer に入り、煙草を服う。ワインをベースとした薄いカクテル (なぜかストローが二本) と、エスプレッソのダブル、合わせて 1,050円。( 夜食に蕎麦をたぐりそうな勢いだったが、これだけで満腹になったのは健康に悪くない )
キャロットビル一階に店を出している石の店 をみて、スモークの入った水晶と男物のチェーンを衝動買い。
書店で クラウドとプラットホームでいま何が起きているか
を買ったのは、久々に Web 業界の住人と会ったからだろう。悪くない本だ。
そして文庫で出ていた 恋愛脳
~巷間に揶揄される、恋愛ボケして、なんでも恋愛に結びつける思考回路の話でなく、まっとうな本のようだ~ を購入し、帰宅。
11月が終わる。
少年のころの夢、小説家になることは本当に諦めたのか、書くのですよね
と先週いわれた。
文筆業になりたかっただけで、書きたい題材などなかった。文章の修行は題材がなくともできるが、ストーリは構築できない。そのまま放ったらかしになっていた夢だし、もう書かない。そんな返事をしようとして、手が止まった。
今年のはじめ、一月。別のブログにこんなことを書いた。
自分で考え産み出した心への考察は、生活との接点、擦り合わせができている。取りたてて書くのを忘れるほどに。
書くのを忘れていたら、文章だけを取り上げたら妄想・カルトと見分けがつかない。ちと文章が不適切だったということだ。
このとき、書くとしたらそれは思想の言葉ではなく、小説の言葉
という一節も書いて、消した。それが頭に残っていた。
河合隼雄、鷲田清一両氏の対談、 臨床とことば
(2003年) の中に、内的現実という言葉があり、六月に読んだ時から思索のキーワードのひとつとなっている。
対談にある内的現実とは、たとえば、性的な犯罪を犯した者が反省の文章を 子供のころからアニメばかりみてきて
と始めたとして、それは彼の心が生きてきた現実の中のつじつまであり、反省であり、外に対しては言い訳に過ぎないということ。だが、犯罪者が改悛したという心は伝わる。
伝わりすぎて 有害図書、映像作品反対
と叫ぶ人は、彼のモノガタリに巻き込まれた、といわれる。
幽霊が見える人がいる。神様の声が聴こえるひとがいる。私はときどき、タロット札の作者がなにを感じて意匠したのか、わがことのように感じることがある。これらはすべて、内的現実。
事象はひとつだが、現実は解釈を含み動く。解釈はそれぞれにあり、その中ですり合わせが効くものが共同幻想 = 外的現実となる。だが、本当に個人的なことがらは、外的現実と別に、内的な現実の中で位置を得てモノガタリとなる。
どんな思想も、モノガタリも。主人公がどんな体験をして、そこに解釈を加えたのかという背景なしでは伝わらない。ちかごろはそう思うようになった。その中では、外的現実と内的現実を区別する必要はない。が、体験ごと伝えないと。その人の実体験にせよ、典型としたフィクションにせよ、そこから始めないと、単なる妄言となる。
思想そのものにすら意味のない、この人はこんな体験をして、こう解釈することに決めたというモノガタリを書けるか。自分や周囲のプライバシーを侵さず、純粋にモノガタリとしてフィクションを一から作ることで。いまは、そんなことを考えている。
その結果、今週はまた意味ありげな夢ばかり見る。
題名は、疲れるくらいに歩かないと自分が見えてこない
という意味でもある。
14時半に日本橋の用事が終わり、蕎麦屋で酒を飲みながら昼食、川面をみつめて一服。銀座の街は、いま古くからのビルがいくつか取り壊され、店が移動しているようだ。懐かしさを惜しむ人もいるだろうと感慨にふける。昔のモボと思われる人の、すれ違う歩きかたに見惚れたりする。
酒を飲むと甘いものを酔醒ましに食べたくなる。一人で食べるのもどうかと友人を呼び出した。一時間と少し掛かるという。
地下鉄で移動の途中に神保町の駅を通り、古本街を歩くことを思い立つ。9冊を買い6千円消費した。
雨模様になる頃、飯田橋に到着。友人と合流して紀の善へ。行きつけかと訊かれたが、そんな顔を憶えられるような常連じゃない。高校生の四半世紀前に一度、昨年に一度。今年三回目の来訪になる、とっときの店。
甘味を終えると、友人は忙しいと練馬区に帰っていった。その中でつきあってくれたことに感謝。同行なら話の種に行こうかと考えていた、別方面の知り合いのイヴェントに出席するかどうか考えながらしばらく飯田橋にひとり休む。
パソコンや携帯からネットにアクセスせずとも、部屋にひとりいるだけでは自分を見つめる考えがうまく進まないのはなぜだろう。体を動かしたせいもあるだろう。昔に何度も歩いた古本街で、いまの自分がどんな本に惹かれ何を買ったかという選択が考慮の材料になったせいもあるだろう。
自分について文章を書くというのは、選択して削り落とすことなのだと思った。
今年のはじめに一度気づいたはず、そのあとの日常や人間関係の中で、見失い迷っていたこと。だが、それが基本。
春から失っていた習慣、紙のノートと筆記用具を持ち歩き、自分のためだけに考えを書き綴り、推し進める処からやりなおそう。
どこに書くか、と。なにをどこまで書くは、は表裏一体。
金曜日。歯医者のあとで食事を予定していたが、血止めのガーゼと麻酔で口を完全に閉じることもできない、水も飲めない。最初に必要な買い物は地元で済んだが、次は秋葉原を予定している。
服装・寝癖などツッコミ処は多いが、こんなときは電車に乗るに限る。帰宅したら、たぶん外に出る気もなくなるしね。
京王線から、笹塚の乗り換えで都営新宿線。小川町から歩くのがもっとも早い。
小川町で下車して秋葉原に向けて歩くと、とくに目指したわけでもないのに神田やぶそばにまっすぐ着いてしまった。江戸三大やぶのひとつ、おそらくもっとも有名な伝統そば店。
九段下・神保町が地元の友人と学生の頃に目指した時には散々迷い、わかりづらい場所の印象があったのだけれどな。何の縁だか、流れだか。出血もとまり、下駄履きのままにふらりと入って奥の席に座る。丸い掻揚げ、ありましたよね。あれと、酒
。
学生でここに蕎麦を食べに訪れたとき、周りの席に注文されて次々と届くのが美味しそうで頼んだのが最初の そば屋で一杯
だった。料理の正式な名称は 天玉
という。
そして酒について出てくる味噌。これを食べずして、蕎麦屋の酒は… 酒は……。天玉を食べ終わり店の人に訊く。二十年から前、ここで食べたときに出たのは、この
練り味噌
ではなく そば味噌
ではありませんでしたか ?
やはり。この蕎麦味噌が美味しくて私は日本酒と蕎麦が好きになったのであった。むろん練り味噌も美味しい。蕎麦味噌はそのあとあちこちで出すようになり、同じ名前でも店によって違う印象のものが出ることもある、から これは違う
という人も出て名前とレシピを変えたのではないかと推測してみる。
昔年に私が食べたものに一番近いのは、いまでは京都の有喜屋 で出すものだろうか。
やぶそば130年の歴史と、その中に私が僅かに知る25年に思いをはせながら。同じく関西で趣味が固着したそば寿司を食し。そば饅頭を買って店を出た。
三年ぶりに春に会った友人が、よく秋葉原のゲームセンタに遊んでいると聞いていた。せっかくだから近所にいたら幸運とメールを打ってみる。
酔い覚ましのコーヒーを飲んでいると返信。(移動に30分ほどかかる)自宅にいたが、暇だからつきあうよ、と。
春に会ったときも、人生の悩みのはなしがいつしか麻雀の話になり。互いに牌を使い現実生活では打っていないが。彼はネット対局、私は単純な思考ルーチン相手の携帯ゲームで打っていてこんなことがあったという会話。中川は遠ざかっていても実は麻雀が本当に好きだと言われてしまった。
私の買い物に付き合ってもらったあとは、もしも場代の比重が大きすぎない店をみつけることができたら少しだけ、ほんの少しだけ打とうという話に落ち着いてしまう。
考えてみれば、彼はまだ二十代前半。私も雀友と会ったら、飲み会がいつのまにか麻雀に移行し、フリーで打つような日々を二十代のあいだはずっとつづけていたっけ。煙草をもたずに外出し、酒も入れていないだけまだマシといえる。
買い物、困窮していたときに友人に借りたパソコンのモニタを返却するため、中古の、それほど解像度のよくないモニタを 3千円ほどで買ったあとで雀荘探し。
秋葉原にはおもしろい、話の種になる、麻雀を楽しむとは言い難い店があると歩きながら語り合い、唯一まっとうな店も、そういったイロモノと同様の 1Game 400 円とわかり新宿に移動。
かろうじて、いわゆる点ゴ、学生レートで標準の、負けても飲み屋よりも安い店で順当な 1Game 四人で 1,500円 の店をみつけて入る。
序盤、やたらについていた。おかげでやっと気づく。私が麻雀を打ちついていると、大きな得点になりそうだと手汗がとまらないのは、こんなにツイている状態で失敗すると、どんな叱責を受けるかわからない
というか弱い子供の心のままにいるからだと。
つくづく私は遊びに向いていない性格をしている。
しばらく牌で語り合い、互いの勝ちを合わせていくばくか足し八吉 なる店にぶらりと入った。
刺身がうまい。北陸の魚に強いようだ。通路との間は暖簾しか仕切っていない二人席を 個室
と称するのはどうかとも思ったが。べつにデートではない。味が良かったので満足。
この歯は、四年前に交通事故を起こして歯茎から血が出ていたときに、すでに骨折して死んでいたのだろう。あれ以来ぐらぐらして安定が悪かった。事故で欠落した歯は他にもあり、虫歯で使えない歯はさらに多く。この場所で力を入れものを噛む必要がないから不自由もなかった。きっとそれだけ。そもそも犬歯はものを噛む用途に使わないか。
五月から九月で、虫歯を一通り直した。
九月半ばから左の背中がこわばり、痛く。寝具や日頃の姿勢を疑っていた。
水曜日の夜、歯茎に痛みを感じ、ここから鼻水のようなものが背中に回って無理をしているのかと感じた。子供のころ蓄膿症で苦しんでいたのと似たものだと。
医者が開いている時刻でもないので、蓄膿を排毒する漢方薬を検索し、むかし体質に比較的合っていた中から二軒目の薬局にエキス錠のおいてあった荊芥連翹湯(ケイガイレンギョウトウ) を購入。
木曜一日収まっていたが、金曜。睡眠三時間で痛みがひどく目覚める。
急患として手続きをし、歯医者に行く。歯医者の前の身だしなみの口内清掃、痛みで周りに歯ブラシも当てられなかった。
膿で腫れているのは、「歯根が折れて複雑骨折のようになっていた」と歯科医師に説明された。中で動いて、歯茎を傷つけていたという意味か。
抗生物質と頓服の鎮痛剤の、どちらも強いものを処方される。売薬の漢方剤も、これがなかったら痛みを強く認識できるほど回復しなかっただろうと飲み続けている。
帰宅したら眠ってしまい何もできないだろうと、下駄履き・寝癖のまま必要な買い物に街を歩いた。
レントゲンの結果は 粉砕骨折で、かけらの一つが暴れていて歯茎を傷つけていた
という。
心当たりの 3,4 年前に、あれからすぐに大事にしていたら、骨折がくっつくように治っていた可能性があったか訊いてみた。だめだって、これだけ酷くばらばらになっていたら。