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2013年6月7日

不吉な予言と呪いに関する感想をふたつ

彼女はほがらかに予言した

ある、年若い女性が「ひとの顔は識別できないが、体にまといつく色は見える。あなたの色は、このままだとあと三年で死ぬ色だね」とかつて私に宣言した。

べつに死ぬのを怖いと思っていない時期だったので「そうか」と素直に受け取り、むしろ率直に述べてくれるほどわたしを恐れていないのかと好意すら覚えたのだが、その会話からさして経たないうちに、わたしは彼女と喧嘩し、仲がこじれて二度と彼女の肉声を聴かなくなってからだけで3年とひと月になる。

言われたのが冬だったのは憶えているので、宣言からは三年半。もう予言は外れたと断じても良い頃だろう。

当時「視えるのはつらい」と言っていたから、わたしがこうしてまだ生きていることを伝えたら彼女は「外れることもある」という意味で嬉しくならないかとも思うが。きっと彼女は自分の発言を憶えていなかったり、あるいは「君の望みに反して、君に憎まれても私は生きている」という悪意のことばと受け取るのではないかと思えてわざわざ連絡することも躊躇われる。

(喧嘩のとき、「目の前から消えろ、この世から消えろ」と感情のままに共通に親しんでいたSNSやGoogle Plus の前身に書き込んでいたし、おそらく本音だったろうからねぇ)


誰か、心当たりあるかたで、かつ彼女がいまでも視えることを言い立て苦しんでいるようならば伝えてあげてください。

彼はにこやかに笑う

それはさておき、もしも人を呪い殺すことが可能だと信じ込み、確信して疑わず、理にかなったことだからと良心に咎めることもない人間がもし存在するならば。
その人は捨て台詞というものを吐かないだろうと、派生してだが脈絡なく思いついた。

相手が苦しく死ぬことはわかっているならば、なにも脅しをかける必要はない。斟酌・手加減をするつもりがどの道ないならば交渉をする必要もない。

だから言わない。ただ、殺す。

すると、見た目は大変温和なひとに見えることだろう。どんなに意見が合わない相手でも、笑ってただ立ち去るのみ。

具体的な知り合いならば、誰それくん…… と今は連絡の途絶えた当時の別の知り合いの顔を思いだし、大変怖い考えになってしまった。


ここまで読んで、理解はすれども具体的な知り合いの顔が思い浮かばないひとは思い返して欲しい。歴代ローマ法皇の満面の笑みを。

あれは「敵するものは自分が手をくださなくとも(神の恩寵によって)自滅する」と確信をしているが故に浮かぶ笑みだと想像したら、怖くならないだろうか。

2013年2月26日

与太郎では仕方ない (笑って許す)

昨日まで四年間は友人と認識していた男のはなしを書く。 かつて存在した wassr というコミュニティで、そこそこ仲の良かった相手だ。

わたしは六年以上、彼は少なくとも二年フェイスブックに参加してる。

一昨年の地震の時には、わだかまりを捨てて彼の無事を祈り wassr をみてた。フェイスブックでも福島某市の復興のために精力的に動いている記事が共通の友人からシェアされているのをみていた。

ちょうど先週、元 wassr な共通の友人がさらに増えたせいか「あなたのお知り合いではありませんか」画面の、わたしにとって筆頭に表示されるのをみて、『うっかりすると、ミスタッチで友人申請してしまいそうだ。彼から謝ってくるならともかく、こちらから友人申請とかしてしまったら恥ずかしいな、防止策としてブロックするか。だがスマフォ画面にブロックが表示されないよ』と考えていた。パソコンからフェイスブックつないでブロックメニュー探そう、今度ネットカフェ行くときの ToDo と思っていた。

そのタイミングで、フェイスブックから通知メールが届いた。彼からの友人申請だ。

『もしわだかまりが半ば解けて、わたし視点の話も多少なりと聴くつもりがあってのことなら、ふつうならまず謝罪から送ってくるよな。だが上から目線で「おれはもう気にしてないよ」て意味なら、wassr なき今いきなりフェイスブックの申請送ってきてもおかしくはない』と三日悩んだ。悩んだ結論は、わたしが自身やりそうだと心配してた『お知り合いではありませんか』画面、もしくは機種変更などでうっかりアドレス帳をアプリに喰わせての誤操作による申請。

念のため「友人申請が届いたけど誤操作だよね? 貴君にとって、まだわたしは不審人物なのだろ?」とメッセージを送った。

四、五時間後。夕刻に返事が届いた。「俺には覚えがないから貴様の勘違いだろう・最近は悪さ控えてるかい?」 想像の上限の、さらに上をいく傲慢さだ。

「自覚がないから誤操作というのだよ。証拠送ろうかと一瞬思ったが面倒。とりあえず意図してなかったとわかれば、わたしは気が済んだよ」と返したら、逆上した文が返ってきた。

「おれは中川がフェイスブックにいることも知らなかったし、探したこともない。それで誤操作と呼びたければ呼ぶが良いさ」
は?
わたしの考えた誤操作の意味を書いたら、「晒したければ晒すが良い」とさらにわけのわからない返事。

「晒す」という言葉についていえば、あいつや当時の共通の友人が、わたしの情報開示したことを一度も責めたことはないし、ただ単に『あいつらには普通の友人つきあいなのだろう』と受け止め相応に、愚痴吐くときに気楽に書いているだけなのだが。なぜ許可がいるの? ……てのはまったくの余談。とりあえず、そこに至るまでの向こうの喧嘩腰がわからない。

なんだかよくわからないと、いま懇意にしている集団で愚痴っていたら、わたしと全く同様の誤操作の可能性を示唆したひとがいた。

「いや、それが誤操作でしょ」と返事を書いてて腑に落ちた。あいつ、わたしのフェイスブックページを覗いていると批難されてるように受け取ったのか。 それしか誤操作の可能性思いつかないてことは、たしかにわたしのページみてたのだろうな。


ホントの処はわからない。

彼がわたしのページをまめにチェックしていて、かつそれを隠そうとしていたと解釈することでわたしが腑に落ちたというだけ。

「しらないよ、まちこちゃんの筆箱なんて壊してないもん」「誰もまちこちゃんの筆箱が壊れたとか言ってないんだけどね」メソッドだ。

共通の知り合いが五人も十人もつながった状態で、地震のおりにシェアされた投稿の頻度でフェイスブックにいて。互いに見りゃわかるアイコン使っていながら「おまえのアカウントの存在を知らなかった」てのも不自然すぎるものな。


知性ある友人に一方的に断罪されたと思っていたから苦しんでいたが、底が割れるような嘘を吐くほど底の抜けたバカかと思ったら気が晴れたよ。

あるいはもしかしたら、底が割れるような嘘を吐くほどわたしに罪悪感もってると感じたのかもしれないけどね。


なんにしても気が済んだ。わたしはいまも今後も害意で個人情報までもを晒すつもりはないが、黙するには笑い話として秀逸すぎる。

与太郎では仕方ない。許すさ。現時点では二度と近寄ってほしくないけどな :-p


近所にいたら可愛がるが、わざわざ出かけて行ってまで愛でることもないのが落語にみる与太郎とのつきあいだろ?

2010年6月14日

エドワードの決断、ハイタカの修行

おととい土曜日、月刊:少年ガンガン の七月号を買った。危なかった。前日に発売されて、普段20冊ほどが平積みで置いてある書店で残り二冊。当たり前だ。人気長編鋼の錬金術師 最終話の掲載なのだから。値段も、普段より一割高かった。(そのぶん付録が豪華なのだろう。見ていないが)

売れ行きの予想される号に合わせて、他の話も今号は見どころ満載だった。喋らせればいくらでも喋れる気がする。喋らないけれど。どこのシーンが見処だ、おもしろい なんて話は、他のシーンと比べて「うえ・した」の話は、「うえ・した」の比較対象、バックボーンを共有する相手だけに語れば良い。

で、ハガレンの結末。もろにネタバレだが、その更に先があるから良いだろう。

エドワードは、錬金術を捨て去ることですべてを取り戻すことができた。

そういえば、アルフォンスは錬金術を捨ててもいないのに、なぜ…… おっと、真のネタばれをしてしまうところだった。自粛自粛。

思い出すのが、ゲド戦記 だ。魔法使いは魔法を習わない。魔法を自制すること、できれば使わないことを学ぶ。

無自覚に魔法を使っていると、さまざまな事件を起こす。うっかりと大きな勝ちを収めてしまって、反動で人を損ない、影に飲み込まれる。自覚して魔法を使わないように訓練することではじめて、魔法の本当の使い方。ものごとをうまく調和させておさめることができる。

と、ゲド戦記に書いてあったはずだ。

魔法とは人の弱点を見抜きつつく力で、見抜けるのだからつつかずに、波風を立てずに処理することができるようになるんだよ、と。近年までネットの各種コミュニティで事件ばかり引き起こしていた イニシャルY の通り名で知られていた男がこっそり呟いたかどうか。それは秘密の話。

2010年5月5日

ふつかほど miniblog 復活してみた

お休み宣言 から50日弱。昨日と、今日と。ミニブログに浸かってみた。昨日(4日)は足を浸す程度。今日(5日)はどっぷりと。

CMS の作品 ? GW が五日も残っていなかったのに気づいて断念しましたよ。技術的な下調べはしたのですがね。

前日まで、復帰する予定はなかったし、知り合いにもそう言っていたのに。自分でも信じがたい。

文体はあまり変わってない、下手をすると前よりも傍若無人。時間あたりの投稿数もあまり変化はなかったが。

ミニブログを離れてからの、生身で人と話すときの心がけが、しっかり自分の姿勢になっていた。多数の人の記事を読み、反応しながら。いま場所を離れると何も心に拘りとしては残っていない。その場でできる反応をして、すべて出し切った実感があるから、あとに残す必要がないんだな。

考えつづけていなくとも、しばらく休んでから復帰したらきちんと。その人の個性や過去の記事が必要に応じて思い出せる。そんなことが自分に可能だとは知らなかった。

たぶん復帰したのは、こんな文章を読んだのがきっかけ。

だから、われわれの常識とか経験で解決できるものは、どんどんやったらいいと思います。怒って治るものならば怒ればいいし、話し合いに行って治るんなら行けばいい。説教して治るのなら説教したらよろしい。してはいけないということはないんです。しかし、説教も話し合いも叱責も効き目がないというときがある。そこからカウンセリングは始まる。そういうふうにおもってほしいですね。

河合隼雄のカウンセリング入門

ここまで50日、対面や電話で 聞くこと をメインで人と接することを心がけたあとだから、なのだけれど。すっと中に入って会話することができた。目立ちたいだけのための発言は 1% 程度で。

これで明日からの日常に、また自信をもって戻れる。そんな気がする。

2010年3月20日

blog / mini blog / 事件

ミニブログとブログ

水曜日を境に、いままで10ヶ月半のあいだ熱中していた ミニブログなコミュニティにさっぱりコミットしていない。理由はさておき、こんなことを書いた人がいるそうな。

つまり「Blogger」の開発に関わったメンバーによって、そのブログサービスが世に 隆盛し始めた頃には、すでにTwitterは構想されていたということになる。

blogは予め死んでいた。

ミニブログの言葉は文脈のことば、思考をみんなで紡ぐもの、という感覚が前からある。対してブログは、個人の紡ぎ終えた思索を発表する場として構想された。

ギリシャ神話、物語、宮廷詩。作者という存在はない。記録したひとの名前は残っていても。

語り部は集団であり、流れの中から場全体を流れる根底の思考が言葉になって顕れてきた。それは夢に似ている。無意識と表現しても良い。語り部とはそういう役割だ。

近代になり、自我が確立してから、個人の思考が個人の名前において語られるようになった。デカルト以降 とよく表現されるが、実際には自我の意見が表明されるという現象が先にあって、それを考察して文章に起こし、現在に残った初めての思想家がデカルトなのだろう。どうでも良いが。

近代「知」=自我と親和性が高いのが blog であり、語り = 無意識 と親和性が高いのがミニブログ (マイクロブログ)。どちらが優れているわけでもなく、そんな分類ができる、かもしれない。私の周りは観察したところ、そんな感じ。

会話よりも意見表明のほうが、技術的なプラットフォームの構築が技術的に楽だし、先にシステムができあがる。なんの不思議があろうか。優劣ではない。

炎上

ふと、小田嶋さんが小田嶋節を展開しているのに久々に出会った。

おそらく21世紀のコラムニストにとって、最も重要な資質は、炎上の火加減を調節する際の手際なのだと思う。まあ、一旦燃え上がってしまったら調節もへったくれも無いわけだが。

われ、それでもクジラを愛す

炎上という言葉には負のイメージしかないが、たまに素晴らしいものが産まれることもある。火加減は調整できないが、意識のもちかた一つであとにつながる事件が起きたりするよね。

なんてことを考えていたら、読んでいた本にそっくりの記載があって笑ってしまった。

それは試問というよりは対決に近い様相になった。しかしながら、その間にJ女史は何度も事態を柔げようと努力し、陪査として同席していたフレイ先生は、場をとりなすような発言をしてくれ、私自身も何とかスムースに事が運ぶようにと努力するのだが、駄目なのである。それは雪道でスリップを始めた車のように、いくらハンドルをまわしても運転者の意図を無視した暴走を続け、衝突を避けることができない

(略)

多くの人は私が失敗したことの自己弁護をしているとしか思わないだろう。決定が下されるまでの幾日かを私は全く憂うつな気持ですごした。一時はJ女史に和解の手紙を出そうとさえ思ったが、どうしても書けなかった

(略)

ミスターカワイ、あなたは今まで何事もあまりスイスイとやってゆくので、イエスマンではないかと、われわれは危惧していた。しかし、最後になって研究所を揺るがすほどの大きい No! を言ってくれた。これで、われわれは安心してあなたに資格をあげられると思いました

(略)

後に河合氏は、フレー先生と資格試験のことについて話し合った。

(略)

またフレー先生は次のようにも言った。資格を取得しようとする人は、教育分析の過程で一度は相当な危機におちいる。そしてそれを乗り越えることが大切なプロセスなのだ。ところがあなただけは一度も危機におちいることなく成長してきた。とても不思議だった。しかし、一番最後の段階になって、あなたは大変なデプレッションを体験した、と。

(略)

これらすべてのことが、まるで私という人間が(略)一人立ちしていくためのイニシエーションの儀式として、巧妙に仕組まれたものではなかったのかとさえ感じたのであった。

すべてのことが、あまりにもうまくできている、とマイヤー先生に報告すると、まったくうまくできてるねと満足そうであった。そしてところで、そのすべてをアレンジしたのは誰だろう、と河合氏に問いかけた。マイヤー先生は言葉をついで、私でもないしお前でもない。ましてJでもなく研究所が仕組んだのでもないと言った。しばらくの沈黙後、誰がアレンジしたのだろうかと再び問いをくり返したが、それは自分自身に向かって発せられているようでもあった。

(略)

大切なことはこのようなアレンジメントが存在すること、そして、それにかかわった人たちがアレンジするものとしてではなく、渦中のなかで精一杯自己を主張し、正直に行動することによってのみ、そこにひとつのアレンジメントが構成され、その意味を行為を通じて把握し得るということであろう。

河合隼雄 心理療法家の誕生 (大塚信一 2009) p.325〜330

引用としてはあちこち表記がおかしいけれど、すべて ママ です。いちいち書きませんでしたが。

なんというか、自分で炎上を起こしたり支配したりできると言わざるをえないところが、コラムニストという の商売の限界。事件って、起こそうと思って起きるものじゃないだろ ?

私とミニブログ

というワケで、口はばったい言い方をすれば、 として向き合わないといけない事件の渦中にいるので、集合的無意識に巻き込まれたくないので、しばらくミニブログサービスを離れている。アクセスしたくない。そういうこと。

性格というか体質というか、巻き込まれやすい個性の持ち主だから離れているというだけの話。誰もが重要な決断を必要とするときに、ミニブログを離れないといけないわけでもない、と思う。

時がくれば戻る。良くも悪くも、決着がつけば戻る。きっとね。